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どこ吹く風

旅のことを主に書く。

ことば

2006年03月06日 07時36分23秒 | 懐かしい旅の記録
 旅へ出るときは挨拶ていどの簡単な言葉を覚えるように努めている。
台北のマチヤ小(この場合は小をグァと発音する、ウチナー口です。)で買い物をしたとき”多少銭? トー シャオ チェン?”と言うと通じないらしく怪訝な顔をするだけ、何回も繰り返したが意味が通じない。しょうがないので”いくら?”と聞くと「ひゃく~ にーじゅうえん」なんて言う。
ムリして一生懸命中国語で言うたのに妻に笑われただけ。

 マニラで”Magkano? マッカーノ”と露天商のオバチャンに言うと通じて、「△○□ ×・・??・・」とタガログ語で返ってきたので全く分からない、このまま引き下がるのはチト面白くないので”マハール(高い)”と言うて立ち去った。

 付け刃的な言葉は役には立たないでも使うのは楽しい、例え通じなくても自己満足できる。
印象としてだが中国語は難しい、後で知ったのだが抑揚イントネーション、四声が違ったら全く別の言葉になってしまい通じなくなるとのこと。
つまりカタカナ中国語は通じない、理解されない。日本語はイントネーションが違っても多少の脱字があっても理解してもらえる、日本人が優しいのかな。

 フィリピンはカタカナ英語が通じるので日本人向きの英語といえる。欧米人には通じない発音でも通じるのが多い。もちろん日本には無い発音があるのでそれはムツカシイ。
それでもカタカナタガログ語をしゃべるのはひと言二言であっても楽しい、相手がタガログでしゃべってきたらオシマイだけど。(笑)
英語は通じるのにわざわざ知りもしないタガログ語でウチナー二世に話して「私はタガログはしゃべれません。」といわれた事もある。

 ハングルは読むだけなら半日で読めるようになる、もちろん大雑把な読み方が出来るという意味です。ソウルへ行く前に「高信太郎のマンがで覚えるハングル]を買って読んだ。空港から市内へ向かう途中車のナンバープレートに書かれているソウルという文字が読めた。

 地下鉄のホームで娘と地名をあーだこーだと読んでいると近くにいた人が正しい読み方を教えてくれた。外国人が自国の言葉を覚えようとする行為は嬉しいものに違いない、私もそう思う。
ただ読むことはできても意味が分からないの読める意味はあまり無い。食堂でプルコギとかビビンバは読めて意味が分かってもその他のメニューは読めても内容が分からない。結局周りの人が食べているのを見るしかない。
でも知らないよりも知る努力をする交流が生まれるのでそれはそれで楽しくなる。

 言葉は自分の意志を伝えようとするとある水準まで修得する必要があるが、知らなければ知らないなりの方法もある、なんとかなる。
私としては現地の言葉を少しでも覚えてしゃべりたい、独りよがりで通じなくても。

たびたび旅の逃げ口上

2006年03月04日 10時19分51秒 | 懐かしい旅の記録
 このブログを書き始めたのはスイスの旅をかつての山仲間に報告と自慢のために記録をしておこうという気になったからです。
ブログは日記風なので毎日更新しなければならないという自虐的な強迫観念に駆られてしまい、スイスネタが尽きたのでこれまでに行った旅を思い出しながら書いいる。

 書いていると楽しかった日々のこと、一緒に行った家族とのやり取りを思い出すので書くのが楽しみになった。4~5日の旅行でも思い出の記にすると10回分にもなる、ムリに引き伸ばして書いているわけでもないが次々と思い出す、それが場所や日時で纏まって思い出すのではなく断片的突発的とも思えるように脈絡も無く出てくるのである。

 それゆえに文章も流れが途絶えたり独りよがりのナットクで終わってしまったりする。(これは言い訳で、ホントのところ文章力・表現力の無さに起因しているのは承知している。でも言い逃れの格好の理由付けになるのでそう解釈しておくのが今後書く意欲を削がないだろう。)

 旅のことを思い出しながら文章に綴るとけっこう家族旅行へ出かけているのを改めて認識した。友人知人職場の人と旅行を共にしたのはたった1回だけ、台湾へ行っただけだ。それだけ共に恵まれず人付き合いが悪いということか・・・。
そういう訳でもないが縁が無かっただけです。友人達とは社会的存在もライフスタイルも違うので今となっては一緒の旅はムリだろう。この年になってもユースホステルの2段ベットに泊まるのを厭わない私と彼等との間には大きなミゾが在るような気がする、「金(かね)」の橋を掛ければ一緒の道を行けるが橋を掛けて渡らねばならないのは私の方だから結局ダメだ。(笑)

 これまでに6箇所の思い出の記を書いた、2箇所は台湾だが台湾はまだ書いておかねばならない旅がある、それだけ私にとって身近な所ということだ。
台湾以外にも記録に残しておきたい旅、気侭な旅はまだあるので書くつもりだ。

 一応バリ編は閉じる、何か思い出したら追加します。
写真も載せたいがスキャンしなければならない。デジカメを使い始めたのは何処の旅行からだったか、その写真もハードディスクが吹っ飛んでしまったのでバックアップはあったのか。

 次の旅の準備とブログに記録する旅のことにアタマを切り替えよう。

変更

2006年02月22日 07時34分03秒 | 懐かしい旅の記録
 今朝ブログを開けてビックリした。
テンプレートのスタイルが変わっていたからです。昨日気分を変えるために変更したのですが、変更した後を見ようとしたのですが見ることができなかった。

 ブログを閉じてすぐ開いても変わっていなかったので私に操作ミスだろうと思っていた。今朝PCを立ち上げいつものサイト巡りのをしてから開いたらマッターホルンが飛び込んできたのでア~ッと思った次第です。
再起動しなければならなかったようです。
 
 マッターホルンで気持ちが好いのですが今は南国バリについて書いている、合わない、マッターホルンとバリの神々の写真はどう見てもマッチしない。
しかしマッターホルンは好きな山で、プロフィール欄にホテルの窓越しに写した写真を載せたほどである。
 スイスを書いている頃このスタイルがあったら(見つけたら?)プロフィール欄の写真も変わっていただろう。

 重なるのはイヤミになるかな~。
せっかく見つけたので1日で変更するのもナンだし、当分このままにしておく。バリを書き終えた後でベサキ寺院とかキンタマーニの景色のテンプレートを見つけたらショックだな~。(笑)

初めての海外旅行

2006年02月16日 09時56分02秒 | 懐かしい旅の記録
 私は台湾生まれなので、ある意味引き揚げの地オキナワが始めての海外旅行かもしれない。(笑)
初めて外国旅行は日本か。あの頃ニホンへ行くのにパスポートが必要だったのでそういう考え方はある意味それは正しいと言えるだろう。

 ホントの初めての海外旅行は台湾です。幼くて殆んど記憶が無いが生まれ島なので台湾には特別な想いがある。台湾はヤマトよりも近いので周りで旅行した人は多い。ただ蒋介石の反共政策一本槍には多少反発も感じていたので強烈に台湾へは行きたいとは思わなかった。

 ある時友人に誘われて遊びに行った、当時(今も変わらないが)金が無いのにその人が出すというので付いていった。それ故行動は彼ら主体に動かざるを得ない。しかし彼らは夜が主体で昼間はホテルでダラダラ過ごしているのでこれ幸いとばかりに一人で動いた。
 故宮博物院、これは絶対に行かねばならない、台湾まで来て故宮博物院を見ない人は余ほどの変人だと思う。文化や歴史に無関心な人で教養が疑われる。彼らは以前見たということなので一人で出かけた。

 予想以上に感銘を受けた、有史以前の文物から現代までの美術工芸宝物で全館埋まっている。たった半日ではうわべを素通りするようなものだ。台湾へ行くたびに見学するようにしている。

 また龍山寺も面白かった、ここが台湾だ~という雰囲気がいっぱいの寺で、熱心にお参りしている人ごみの中で熱気と雰囲気を満喫しました。その頃(1990年)の台湾は外省人による支配に反発する空気が芽生えているように感じた。龍山寺はそれを訴える場所でもあったように思える。

 烈士○○君と書かれた横断幕をバックに熱弁を振るっている人がいて大勢の聴衆が取り巻いている。政府に抗議して弾圧された人がいて何かを訴えているようだった。言葉も漢字の意味も分からないので本当のところは知らない。
しかし民衆の鬱積したものは感じられた。

 初めて台湾へ行ってその面白さを実感した。それから個人的に、妻と二人で、家族と、一族と一緒にと台湾へ出かけた、その辺りは既に書いた別項台湾を見てください。

あのとき連れて行って下さった友人に感謝します、今では喧嘩別れみたいなことになっているが、海外旅行のキッカケを作ってくれたことには本当に感謝しています。

写真説明
中正機場の出発ゲートです。
琉球と表示されているので大好きなので、既に出した写真ですが再掲載します。

たび 団体ツアー

2005年09月28日 07時45分02秒 | 懐かしい旅の記録
 スイスを皮切りにマニラ・フィリピン、台湾と書いてきた。
思い出を書くという面と、旅物語を書くことにより行ったころのモノゴトや出来事を改めてインプットし直す面がある。

 さてこの次はどの旅を書こうか、時系列的にも書けるが特に印象に残ったものから書くというのもある。台湾は書いておかねばならないモノということで先に書いた。では次は何処にするか、それほど多くの旅行をしているわけではないが、行った所はそれなりに印象に残り家族との大切な思い出になっている。

 私たちは旅行社企画のツアーに参加する方法が多い、そのイチバンのメリットは旅行費用が安い事である。自分で出かけるよりもはるかに安い。デメリットは当たり前だが自分の行動が規制されるということ。でも費用を考えると止むを得ないのが我が家の家系の現状だ、それ故団体旅行を目一杯楽しむことでささやかな満足を得るようにしている。

 国内と海外を比べると海外の方が割安感がある、国内は高い。
外国ツアーでも費用が一日当り1万円を目安にしている。例えばタイ周遊9日間78.900円とか銘打ったも企画である。

新聞を捲っていたらタマにこういう企画が目に付く、こういうのを検討して参加する。自分で行くとなると航空運賃だけでもそれに近い金額を要する。それゆえこういう企画を発見すると直ぐ行きたくなる。

 安いお仕着せのツアーも楽しいものだ。参加者も格安という意識があるのか少々メシが不味くても文句をいう人がいない。もちろん私たちも”安いからしょうがないでしょう。”と笑って済ます。

 旅行社のカラクリの仕組みは分からないが、航空運賃に宿泊費それに食事代やら現地移動費をシロート考えしても絶対ペイしないだうと思われる金額設定だから、待遇に文句を言う気がしない。

 旅行社もどこかでペイする策があるのだろう。他人の懐よりも自分のフトコロを心配するべきだ。(笑)
おかげで私たち家族は彼の地を楽しめる、ホテルやその他不満は殆んど無い、イチバンの不満は市場へ行くチャンスが無いか時間が少ない事。
それ以外に不満はありません。

このような旅しかしていないが、それでも見聞を広めて楽しい想いをしてきたので、その様子を記録を残す意味でも書いていきたい。