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どこ吹く風

旅のことを主に書く。

スイスはいいよね~

2007年08月14日 10時26分08秒 | 懐かしい旅の記録
 久しぶりにスイスの写真を見た。ベルナーオーバーランド地方即ちアイガー、ユングフラウヨッホの山々が間近に見えるグリンデルワルドで有名なお馴染みの地域です。写真に写っている顔も満面の笑みに包まれている。

 ミューレン、フェルスト、クライネシャイデックそれにメンリッフェン、3泊なら何処に泊まろうか、入山する時間にもよるが・・・と考える。行く当ても無いのに想像の世界なのに一生懸命考えている自分に少し笑った。

”秋のスイスは何時行くの?”との妻の言葉に
「私は何時でもいいよ、今年でも来年でも」と言いながら、来週の日曜日には西安へ立ち4週間滞在するので今年の秋は終わってしまうことに気付いた。すると来年か。来年でもいい、スイスへ行きたい。スイスはいいところだ、一番いいところだ。そう思いながらスライドショーで次々と変わる画面を見ていた。不思議なもので写真を見ていると移したその時間、その時の状況まで思い出される。朝焼け、ロープウェイの中、大パノラマをバックにしたスナップ写真、どれもこれも美しい。スイスはいいよ。何遍もというほど行ってはいないが何遍行っても好いところだ。

 この次は何処に泊まろうか、やはり入る時間による。マイリンゲンからグロッセ・シャイデック経由で入りたい、いやその逆で出て行くほうがいいのか。シーニゲプラッテは未だ行っていない、今度は行ってみようか。プリエンツ・ロートホルンはどうする。そこに時間を割くならアレッチへ回るのが良いのでは。アレッチは別途日程を組めばいい、と悩みは果てしなく広がる。

 秋のスイスのテーマは何にしようかと考えるが、西安へ行って翌々日に九寨溝・黄龍観光へ行く、あのあたりの景色が良くて雲南やチベットの近くの風景がスイスに勝るとも劣らずなら軸足がヨーロッパアルプスから中国に移りそうな予感もする。近い上に費用の面でもヨーロッパよりはるかに安いだろう。
今回の中国語研修旅行は中国旅行のための第一歩、交渉・手配するためのツールとしての言葉の勉強が目的なのだ。将来の楽しみがかかっているので頑張るツモリです。

 西安への出発が間近なのにスイスの写真を見ると心が其処に動かされる。新しく開発するであろう中国旅行、スイスに中国の両方へ行けるようになったら最高ですね。

トムヤムクンとメコン

2007年08月10日 13時53分31秒 | 懐かしい旅の記録
 夕べはタイ料理の店に行った。婿はタイ料理が好きでその店を度々利用している、そこで私たちもご相伴にあずかるのです。夕べもそうでした。
 タイ料理の筆頭はトムヤムクンは辛さの中深い味わいの上にパクチーの独特の香りと味がさらに引き立てている。手前味噌だがこの店より妻が作るものが美味しいです。これは独り善がりの意見ではなくて我が家で食べたことがあり、かつこの店の味も知っている人を含めての評価です。家で作る場合は美味しく作るためにどうするかをまず考えてコストに関しては店ほど気を使わない。そのために店より出汁が濃くて美味しくなる。

 夕べはトムヤムクンに焼き飯、パッタイ、春巻き、野菜炒めなどが並んだ。久しぶりのタイ料理は美味しかった。「シャム」という名前の店で那覇から車で20分ほど離れた所にある。開店して10数年になるけど固定客も多く繁盛している。奥さんがタイの方で昨日の店員さんも言葉使いからタイ人のようだった。
10年チョット前に市内の目抜き通りにタイ料理の店がオープンした、内装もタイ風でーそのときはタイへ行ったこともないのでタイ風であったのかどうかは定かでないー広い客席にムードのある照明で申し分の無い店だったが何時も間にか消えてしまった。当時は未だタイ料理に馴染みのある客が少なかったのだろう。
 シャムは片田舎でメニュー価格を押さえて家庭料理並みにして客を開拓したのが良かったのだろう。末永く続けてもらいたい。

 我が家の味自慢の一品トムヤムクンは青年協力隊でタイに2年間派遣された若者からの直伝です。でもトムヤムクンの素が無ければ作れません、それでデパートで「素」を売っていたら買っておきます。正月三日には3~40名分のトムヤムクンを作るのがここ10数年の慣わしとなっている。先ほどお店の味をチョットくさすことを書きましたがインスタントの素が無ければ作ることはできません、この辺りがシロートの真似事の限界です。
でもインスタントの素を使っても美味しいですよ。ただ一つのタイ料理が自分の家で作れるというだけでタイに親近感を持つのが不思議です。

 タイに親近感を持っているとテレパシーが気持ちが届いたのか、この正月にはタイからの留学生が我が家に来て正月三日の料理を作ってくれた、タイの麺料理にチキン、野菜料理などでした。それらは大好評で集まった皆さんの口に運ばれていました。
ご苦労に感謝する意味で大切に保管していたタイの地酒メコンを取り出して勧めたところ、笑って断るのです。「こんな(安い)酒は故郷でも飲んだことが無い。この酒は労働者が飲む酒で自分らはビールしか飲まない。」とのこと。懐かしいだろうからと幾ら勧めても口にしなかった。私からするとメコンは大切な酒なのにタイの学生は飲まない、裕福な家庭の子弟だからか、舶来品崇拝の心があるのか。今に気付くだろう自分らの酒の文化を、なにせアワモリのルーツはタイからと言われているのだから。

タイとはいろいろ縁があるようです。

タイの印象 食事

2007年08月08日 10時50分42秒 | 懐かしい旅の記録
 タイ料理は世界的に有名なので期待していた。個人旅行なら懐具合とかレストランの格式を考えて屋台中心になっただろう。しかしこの旅行は4名の小さなグループとはいえ一応旅行社が企画・手配してあるのでそれなりの場所を選んであった。

 タイスキも食べた、最初に出された焼いたエビが美味しかった、今でもあの時のエビを越えるものは未だ食べていない。炭火で焼いただけなのに甘さに加えてプリプリした歯応えがあり口も頭の中も幸せになった。

 タイスキは日本人が命名したのだろうか、すき焼きというより鍋という感じだ。魚介類に野菜の皿があるが、その中に魚のすり身が5mmほどの厚さで皿にペタ~っとくっ付いているのがあった。どのようにして食べるのか考えたが分からない、スプーンでフォークで取ろうとするとグチャグチャになってしまうだろう。
周囲を見回すとヨーロッパ系の夫婦がいる。奥さんは何に拗ねているのかひと口も食べようとしない。旦那は諦めたのか一人でタイスキを食べている。旅先でケンカするとろくな事は無い。奥さんは辛さに我慢ならなかったのかな。

 ウェイトレスが来て例のすり身の皿を持ち上げて鍋のスープをその皿にかけた、そして熱でタンパク質が硬くなったところをお箸で剥がし食べ易い大きさに切り分けながら鍋に入れた。なるほどこういう手があったのだ。

 ランチを取ったレストランは観光客をメインに営業しているようで店員は民族衣装を着ている。チョットしたものは調理しながら出す、デザートを焼いている姿が面白く味見したかったが人気メニューなのか直ぐに無くなりとうとう味見ができなかった。

 夕食もショー見ながらとか宮廷料理を食べた、屋台も行きたかったが時間が無かったし、お供・フロクで参加したツアーなので我が儘は言えない。屋台の代わりにレベルが上の場所で食べたので不満があるわけでもない、むしろ自分では行けない所で食べたので大満足でした。
そういう所は辛さを加減しているのか激辛でハタハターすることはなかった。辛そうなものを敬遠して食べなかっただけかもしれない。
 
 食事に関しては良かった、世界○大料理に入るだけのことはある。ただ連れの皆さん(私が連れなのだが)は飲まないので食事どきにアルコールの量が少なかったのが悔やまれる。しょうがないけどザンネンだった、費用的にはオンブに抱っこの旅行なので酒代だけは自分で払いますなんて言い辛かった。気が弱いよねまったく。

 いつの日か屋台のイスで辛さをシンハビールで紛らわすこともあるでしょう。

アユタヤ

2007年08月07日 08時51分19秒 | 懐かしい旅の記録
 アユタヤといえば山田長政と思うのは我々の年代オジン組だけか、子どもの頃月刊誌のマンガで外国で活躍する武将として描かれていたのを、血湧き肉踊る感じで読んだものだ。当時3000人もの日本人が住み日本人街まであったアユタヤなので何か親近感のようなもの覚える。

 アユタヤまでの道路は拡幅工事中で100mはあろうかと思われる巾の掘り返された道らしきところを車が勝手に走っている。進行方向が定まっておらず向こう側からこちらに向かって走ってくる車もあれば行く車が入り混じって走っている。なんでこちらに向かって走って来るのか疑問を持ちながらヒヤヒヤしていた。
タイの人はハンドルを手にすると人格が変わるとガイドブックにあったが本当だった。まるで”こち亀のリョウさん”に出てくるホンダと同じ。我が方のドライバーの人格が変わったかどうかまでは知らないがかなり必死に握って対向車を除けながら運転している、何も相手車両に突っこんで行かなくてもいいのに・・・

 アユタヤの遺跡、廃墟は見る人に世の無常観を感じさせる。城壁や塔の瓦礫の傍に仏像が並んでいる。欠けたものそれも首が無いものが静かに坐っている、ただそこにあるだけで時を感じる。それが何故か無常観を感じさせる不思議な空間だった。照り付ける太陽だが木陰に座り仏像を見ながらものを想うあの雰囲気は良かった。

 崩れた塔に登ったり、近くのお寺の中に入って参拝し又山田長政記念館を見た。バンコクから船でのツアーもあるようだ。アユタヤはバンコクから80Kmほど内陸部へ入った所に位置するが標高差はそれほど無い。丘すら見えず遙か彼方に並木が見えるだけのだだっ広い大地が続いている。近い将来工業団地ができるとの説明があった、建設中の道路もこの計画に沿っているのだろう。

 感傷に浸れるアユタやとこれから開けるであろう地域、何百年も変わらない農村風景と様々なタイ風景を見た一日でした。市内に近づくと幾棟もの高層ビルが建設中なのも変わり行くタイのひとコマというところでしょう。

チェンマイ

2007年08月06日 11時18分40秒 | 懐かしい旅の記録
 チェンマイはバンコクに比べてやや涼しい感じで、空は霞んでいた。山火事の煙も影響しているとはガイドの弁、雨季が来るまで完全沈下は難しいようだ。
堀や城壁らしきもので古都を感じる。ホテルの近くの夜市は賑わっていて日用品や衣類、食品などが狭い店先や路上に並んでいる。

 目ぼしいと思われる通り歩き市場の雰囲気を味わった。宝石が安いと声を掛けられる、タイは宝石の産地もしくは産地に近い所に位置している。見るだけは見たけどモノの良し悪しが分かるハズも無いし小遣いがあるはずも無い。

 通りの外れの薄暗がりの中でムシロの上に何か物を並べているのが見えた、近寄ると夫婦者らしく小さな子どもを抱いて笛のような形をしたものを売っている。姿形がその辺りにいるタイ人と何処か違う。ミャオ族かと聞くと別の部族の名前を言うていた。面白そうな楽器なので試しに吹いて貰ったら何処かで聞いたことがあるような音が出てくる。雅楽の笙の演奏と似ている。300円とか500円なのでオミヤゲに買った。

 夕食は魚料理ということだった、山の上に着てサカナも無いだろうと思うがお仕着せツアーなのでしょうがない、考え方によっては海から遠く離れた山岳地方なのでサカナ料理が最高のオモテナシなのか、川魚なのか・・・。
疑問は今も同じです。

 翌日山のほうのミャオ族の見学へ行った、途中国王の離宮というか別送の近くを通った。山道を上っていくとき奇妙に思ったのはモクマオがまるで杉のように真っ直ぐ天に向かって生えている。曲がりくねり枝分かれしたモクマオしか見ていないので素直にス~ッと生えているのがとても不思議だ。幹を折り枝を折る台風が無いのだろう。自然への対応は様々なのだヒドイ目に合えば対抗上見てくれは悪くなっても逞しく育つ、一方優しく接すれば素直にスクスク育つ。
人間も同じだろう、社会や育児にも連想させる面がある。

 ミャオ族の村は観光地化されたなので全体にそのような雰囲気がある。ただ山のちょっと開けた場所にあるの作りやケシ畑は平野の多いタイでは変わった風景である。観光ミヤゲ品については何処の国・地域でも同じ悶着が起る。それは自分で気をつければいいことだ。バリ島で付き纏われた経験を生かして対処した、バリに比べればタイは全般的におとなしい。

 ガイドに案内されたシルクの店でワイシャツを仕立てた。これは初めから考えていたのでサンプルになるシャツを持って行き同じように作ってもらった。時間の関係でバンコクのホテルに届けてもらうことになった。
チェンマイはたった24時間ほどの滞在だったがバンコクとは違う雰囲気を味わえ、街の雰囲気も良かった。煙で霞んで眺望はそれほどでもなかったが、夜の街を歩き買い物もできたので好い印象を持っている。

チャオプラヤー

2007年08月04日 15時27分00秒 | 懐かしい旅の記録
 この旅の日程を見るとけっこうきついスケジュールになっている。お年寄りのご婦人がメインなのにこのような日程になったのはご本人がチェンマイまで足を延ばしたいとの強い要望があったのものと思われる。4泊5日でバンコクからチェンマイまで廻るのはムリがあるような気がする。しかしメインの方と連れのご婦人は以前にもバンコクへ行ったことがあるので今度はチェンマイと考えられたのでしょう。
私は初めてのタイなので広く浅く廻ってもらって良かったと思っている。

 二日目の朝は混雑した通りを抜けて船着場へ行き船に乗る。ディーゼルエンジンに直結されたシャフトの先にスクリューが回っていて、エンジン・シャフト・スクリューの全体が舵になっているという独特の構造だ。それを見てビックリした、エンジンが重心に位置しているのでそれほどの力を入れなくても舵の操作ができるのだろう。舵は長いので小回りが利く狭い場所を巧みに操るのに適したものと言えるだろう。
しかしエンジン音と排気ガスには往生する。

 スピードが出るので水しぶきが掛かる、それでビニールシートで身体や衣服を覆うのだが、少々の水が掛かってもどうって事は無いと掛かる水しぶきを気にしなかった。ところがホテルに戻ってから異様に臭い、掛かった水の臭いだった。あのどす黒い水はやはり見た目通りの水だったのだ。

 川は道路と違いスイスイ走れる、遊覧船に渡し舟が行き交っても道路ほど混雑することは無い。川からの景色を眺めた。有名なお寺やホテルが見える、初めに暁の寺院と呼ばれるお寺に行く。さすが船着場付近は混雑しているが小さな隙間を縫って桟橋に着けた。
寺の正面(?)の階段状のところを登るが急斜面になっていて、蹴こみ部分は狭いのに段差が5~60cmもあるのじゃないかと思われるほどだった。登るのはさほど気にせず上がれる、ところがいざ降りるとなるとサー大変、これほどの急階段を降りるとなると簡単ではない。日本人のカップルがキャーキャー言いながらナンギしていた。動けない人もいたので後ろ向きに下りるようにアドバイスした。上る時と同じ姿勢で下れば怖くない。

 そこから車に乗り換えて見物しランチ会場へ行く。川べりに建つ大型レストランで観光客相手の店のようだ。バイキング料理なのであれこれ皿に盛って味見した。デザートを焼いている、それを取るタイミングがなかなか合わずとうとう食べ損ねてしまった。

 街の中の看板は当然タイ語、何処も彼処もミミズがぶら下ったような文字が並んでいる、全く分からないのに
 そのころ度々マニラへ行っていたが、バンコクはマニラとは違う雰囲気がある。何が違うのか・・・雑踏に交通渋滞など似ているが何処か違う、落ち着きかな。

タイ

2007年08月02日 14時18分50秒 | 懐かしい旅の記録
 もう何年も整理しないで只たんに資料とか自分の記録物を並べていた書架にミニコンポを置く為一段分をビニール袋に放り込んだ。そのビニール袋を机のしたに放りそのままにして約1年、雑多な資料・記録を入れたまま足元で邪魔になっていた。

 それを片付けた。整理をすると殆んどがゴミとして捨てられるものばかりである。一応一つびとつ捲って選り分けた。つまらないモノもあるが迷うものも出てくる、でも思い切って捨てることにした。もう仕事に色気を出すことは無いだろうから仕事関係の資料もこの際捨てることにした。旅した現地から持ち帰ったものやパンフレットは只の記念物になっている。他人にはクズだが手にすると想い出が蘇るものもある。これらも思い切って捨てることにした。

 それらの中に旅のメモやら日程表が出てきた。もう10数年前のものだ。なつかしい、これこそ記録としてアルバムに張る価値がある。せっかく見つけたのでここにも記録しておこう。

 それが先日書いた「バンコク・チェンマイの旅」です。
検索して確かめた結果やはり1993年の4月で、お世話になった方から誘われ費用まで出して貰っての旅行でした。旅行社との打ち合わせを横で聞いていて一人当たり135000円ほどの予算だったと思う。
いろいろありまして顔を出しにくくなってしまっていますが楽しい旅の思い出は今も残っています。本当にありがとうございます。

 このような日程表が出てくるとは夢にも思わなかった、何でもかんでも一応は残しておくものだと痛感しました。せっかくなのでそのタイ旅行も書いてみよう。
一枚の日程表から何処まで思い出せるか・・・

ふる~い話

2007年07月25日 06時51分12秒 | 懐かしい旅の記録
 もう何年も整理しないで只たんに資料とか自分の記録物を並べていた書架にミニコンポを置く為一段分をビニール袋に放り込んだ。そのビニール袋を机のしたに放りそのままにして約1年、雑多な資料・記録を入れたまま足元で邪魔になっていた。

 それを片付けた。整理をすると殆んどがゴミとして捨てられるものばかりである。一応一つびとつ捲って選り分けた。つまらないモノもあるが迷うものも出てくる、でも思い切って捨てることにした。もう仕事に色気を出すことは無いだろうから仕事関係の資料もこの際捨てることにした。旅した現地から持ち帰ったものやパンフレットは只の記念物になっている。他人にはクズだが手にすると想い出が蘇るものもある。これらも思い切って捨てることにした。

 それらの中に旅のメモやら日程表が出てきた。もう10数年前のものだ。なつかしい、これこそ記録としてアルバムに張る価値がある。せっかく見つけたのでここにも記録しておこう。
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    ○○様ご一行
  バンコク・チェンマイの旅
    (4泊5日)

1日目 4/01(木)10:00 那覇空港ターミナル集合
       11:25 中華航空121便にて台北へ (11:50)着 ー乗継ー
       12:45 中華航空695便にて香港経由 バンコクへ (機内昼食)
       15:25 バンコク着 入国手続後 バスにてホテルへ
       19:30 市内レストランにて夕食 (中華料理)
               バンコク サイアムシティホテル

2日目 4/02(金)07:00 ホテルにて起床
       08:00 タイ名物水上マーケット、暁の寺院、王宮、エメラルド寺院等
       12:00 市内レストランにて昼食
       15:45 タイ航空106便にてチェンマイへ
       16:50 チェンマイ着後バスにてホテルへ
       19:00 市内又はホテル内レストランにて夕食
               チェンマイ メーピン ホテル

3日目 4/03(土)07:30 ホテルにて朝食
       09:00 市内並びに郊外観光へご案内:オールドチェンマイ、傘工場
           チーク材家具工場、ドイ・ステーブ寺院等  (途中昼食)
       17:35 タイ航空107便にてバンコクへ
       18:40 バンコク着 バスにてホテルへ  (途中夕食)
                バンコク サイアム シティホテル

4日目 4/04(日)07:30 起床後 ホテルにて朝食
       09:00 あの山田長政で有名なアユタヤへ
            (途中、バンバイン離宮へ立ち寄ります。)
       13:00 アユタヤ市内レストランにて昼食(タイ風料理)
             ※昼食後、バンコクへ
              ご希望の方はショッピングへご案内いたします。
       19:30 市内レストランにて夕食(海鮮料理)
                 バンコク サイアム シティホテル

5日目 4/05(月)06:00 起床後、ホテルにて朝食
07:15 バスにてホテル出発
       09:05 中華航空066便にて 台北へ   (機内昼食)
       13:30 台北着 ー乗り継ぎー
       16:45 中華航空にて那覇へ
       19:10 那覇着 入国手続後 空港にて解散
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日付だけで何年の4月なのかが記されていない。
1993年と思うが、日付の曜日から確かめられるだろうから検索して調べてみる。

サンピン茶

2007年07月09日 11時02分01秒 | 懐かしい旅の記録
 暑さ凌ぎにスイスの写真をスライドショーで見た、涼しい風が画面から吹いてくるようだ。その中にゴルナグラードでマッターホルンをバックにサンピン茶を飲んでいる場面があった。画面中央に立つ妻がペットボトルに口をつけてゴクゴク飲んでいるのがアップで写っている。ちょっとおもしろい写真だ。

 それで次の旅行でもサンピン茶を数本スーツケースに入れて持ち歩き、ここぞという場所でサンピン茶を強調した写真を撮るようにしている。「アメリー」という映画の縫いぐるみ写真を真似したものです。やり続けると意地になるものでサンピン茶が旅のお供の必須アイテムになっている。
雄大な景色を背景にしたサンピン茶の写真を製造元に持って行けば1ダースほどタダでくれないかと淡い期待をせんでもない。ただし製造元は複数あるので旅行直前に近くのスーパーで安売りしたメーカーのを持っていくので統一されたブランドではない。考え方によっては複数の会社からお礼が貰えるってことか。(笑)

 サンピン茶の由来を調べてみると、「沖縄ではさんぴん茶(さんぴんちゃ)として飲まれている。これはジャスミン茶を指す中国語(香片茶 シャンピェンツァー)から転じたものである。」と書かれていた。
半発酵茶でオキナワでは一般的なもので大きなヤカンに作り置きして冷めようが何しようが気にしないで飲むお茶です。

 ツアーでは一日一本サービスで水が付く場合もあるが、買わねばならないときも多い、その場合はスーパーで2リットル容器を買って飲み干したサンピン茶の容器に移し変えて飲むのに使えて重宝する。

 机に坐っているだけで暑いので涼しさを味わおうと思い出の写真を捲っていてサンピン茶を見つけた。写真はあいにく曇っているがドリュ西壁が右端に写っています、6月23日付の写真はエギュー・ドゥ・ミディ展望台からの写真で、今回の写真はグラン・モッテッツからです。シャモニから30分ほどバスに乗るが時間的にゆとりがあるなら足を延ばす価値はあります。

 しばし暑さも忘れた、次のサンピン茶の写真は何処で撮れるか・・・

イタリア

2007年06月30日 08時23分53秒 | 懐かしい旅の記録
 阪急交通社からツアー案内を送ってきた。西安へは行くツモリだが今回は私独りで行くので妻は何処へ行こうかとパンフレットを捲っている。
私がイチオシで推奨しているトルコがドーハ経由となり期間も17日間に伸びているが料金は据え置き。イスタンブール滞在が増えてトプカピ宮殿や市内観光の時間が多くなっている。しかし世界遺産のハットゥシャシャにヒッタイトのヤズルカヤが省かれているのでどちらが良いのか迷うところだ。イスタンブール観光の方が良いかなと思いながら妻に誘いを入れた。

 「時期にかまわず雨だろうが寒かろうがイチバン安い出発日でいいいから又トルコへ行こう。」
”安くても13.9800円掛かるのだからその金を別の地域に向けたほうが良い。”とキッパリ断られた。
”モロッコ、チェニジアはどう・・!”
「砂漠を見たければエジプトの白砂漠・黒砂漠を数日掛けて回ったほうがいいと思う。」
”スペイン・ポルトガル行きたいね。イタリアもいいそうよ。”
「ヨーロッパは知らないけどイタリアは暑かったね~」

 妻はスペインのトマト祭りを見てきているし、フィヨルド観光もしている。私はヨーロッパといえばスイスだけ。いやイスタンブールでヨーロッパ側に渡ったのと、シャモニはフランスだし、ティラノはイタリアだからスイスと含めて4カ国行ったことになる。
その数少ないヨーロッパ体験でもイタリアは暑かった。

 サンモリッツからのベルニナ・エクスプレスに乗ってイタリアへ降りたことがある。途中氷河から流れ落ちる滝が幾段にも重なるところを右左と場所を移動しながら眺めながら高度を下げる。ループ橋を通り暫らくいくと街になり終点のティラーノに着く。
暑い、アルプスからの涼しい風を受けていた身には暑い。ひとまず街巡りをしようと歩き出すが暑い。ほんの数ブロック行っただけで帰ろうということになり駅にユーターンした。

 レストランでの昼食時間を含めて2時間のイタリア滞在でした。それでも大きな顔をしてイタリアは暑かったといかにも周遊したような法螺を吹いている。

写真はループ橋で、下の線路からグル~ッと回って登ってきたところです。

スイスへの想い

2007年06月23日 08時26分43秒 | 懐かしい旅の記録
 オキナワでは”ハーリー鐘が鳴ると梅雨が明ける”との言い伝えがあります。
ハーリーを漢字で書けば、爬竜船となります。長崎のペーロン競争と似たような行事で、旧暦5月4日に行なわれます。
今年も言い伝えどおり明け方まで降っていた雨も上がり、そのまま梅雨明け宣言となりました。

 30度を越える太陽の下をバイクで走っていると夏を実感します。それで想うのはスイス、近々行くであろう西安よりもベルナーオーバーランドでは何処に泊まろうかと妄想しながら渋滞の車の間を走り抜けていく。
グリンデルワルドでは泊まりたくない、ミューレン、メンリッフェン、クライネシャイデックにフェルトの4ヶ所の内何処に3泊するか思い悩む。グロッセシャイデックを越えてマイリンゲンへ行くとしたら、フルカ峠を越えるバスに間に合うだろうか、以前読んだ旅日記に5分の待ち合わせで間に合ったという記述もあるので何とかなるか・・・

 PETIT CASINO
190 av.michel croz
74400 chamonix

biere hoegaarden 1.75 ビール
mottin charentais 1.93 チーズ

 ・
jambon paris 2.38 ハム
jambon de parme 5.05 生ハム

 ・
fruits et legumes 1.68 トマト
----------------
total 22.40E
vous avez ete servi par caissier
merci et a biantot

 スイスのガイドブックを開いたらこのようなレシートが出てきた。
シャモニの二日目の夜はホテル向かいのスーパーで買い込んだビールやツマミで豪勢な(?)食事をした。
シャモheももう一度行きたい。シャモニ・パスを利用してモンタンヴィエールやブレヴァンそれにラ・トゥール方面へも行ったが、エギーユ・ドゥ・ミディからイタリア側へ通じるロープウェイに乗っていない。あの時ユーロの持ち合わせがなく乗れなかった。氷河の上を何本かの鉄塔で結ばれた籠に揺られてイタリアへ行ってみたい。
 
 行き損ねたアレッチ氷河もある、フルカ峠にシャモニ、行きたい場所もまだあるそれらを出来るだけ一筆書きのルートで廻るには・・と思案する。
アタマで描いているだけでも暑さを忘れて草原の散歩を楽しんでいる気分になる。これも暑気払いか。

 今日6月23日はオキナワにとって8月15日以上に大切な日。妄想を解き放って原点に返りましょう。
せめて今日一日だけでも心新たに平和のために動きましょう。

   写真はドリュをバックにサンピン茶
   サンピン茶は旅のお供で、毎回このような写真を撮っています。

身勝手な想い

2007年06月05日 16時20分21秒 | 懐かしい旅の記録
 ツアー案内書を見ていると、ドイツから入りスイスを抜けてフランス観光まで8日間の旅程が載っている。インターラーケンでたった1泊だけしてユングフラウ・ヨッホから眺めてフランスへ発つなんて・・と思う。私はスイス、それもアルプスしか知らないので、勿体無いと思う。でも他人のことは言えない、私が参加したツアーも、その地域を知っている人から見ると、何でそんなに慌しい日程で多くの場所を廻ろうとするのか、を思っているだろう。

 自分が知っている地域・場所は他人の行動をアレコレ言いたくなるけど、目糞が鼻糞を笑うようなものだろう。ツアーに参加するのは、行く先・見どころ・日時・費用など諸々の条件を加味して決める。自分の思い通りの旅行をしたければ自分で企画して行けばいい。それを分かっていながら他所の企画にイチャモンを付けたくなるのはヤッカミの現われだ。

 ヨーロッパはツアーでは行かない、ツアーでなくてもヨーロッパは行きたくない。もし行けるならスイスがいい、スイスだけでいいという心境だ。ヨーロッパの街は綺麗だし美術館や博物館も見たいけどスイス、それもアルプス付近で景色を眺めながめる方が魅力を感じる。
それ故スイスが1日だけというのは納得が行かない。(笑)

 スイスがいい、とは言うものの何処か安いツアーが見つかったら参加すると思う。旅費の目安は1日1万円のツアーを目安とする。先日ももう一度トルコへ行こうと話したら、それほど乗り気ではなかった。妻は行きたいところがあるようだ。
娘とアメリカ旅行の話をしている、アメリカも大自然があるし見どころも多いが私はそれほど行きたいとは思わない、アメリカに行くくらいなら近場の台湾の方がいい。

 中国での語学研修旅行に参加できるかどうか未だ不透明な状況だから要らぬ妄想が湧き上がってくるのか・・・
ダメな場合はどうするか、やはりスイスを勧めるか、トルコにするか。いや近場の台湾がいいかな。あれこれ妄想をめぐらすのも楽しいものだ。

ことば

2007年06月01日 13時21分56秒 | 懐かしい旅の記録
 過去の記憶・記録を辿ると、息子が行けなかった中国旅行は2002年の10月だった。
ツアーは関空発で北京・西安・桂林・上海を8日間で廻る旅であった。あらためて地図を見ると広い範囲を駆け巡ったものだと思う。移動は飛行機だったのでタイヘンという意識は無かった。ニ連泊だったのでそう感じたのだろう。

 その数年前のこと、妻と台湾旅行したとき店に入ってオバサンに品物を指させて”トーシャオチェン”とガイドブックに出ていた言葉をふりがな通りにカタカナ読みで言うた。オバサンは怪訝な顔をしているのでもう一度繰り返した。しかし結果は同じ。しょうがないので”いくら?”と訊くと日本語で答が返ってきた。妻は大笑いするので私の面目丸つぶれ。
こんなカンタンな会話すらできなかったのでそれ以来中国語を触ることはしなかった。

 付け刃てきにであってもガイドブックで現地語を覚えて、現地で使ってまるっきり通じなかったのは中国語だけだ。バリ島でもマニラでのタガログ語でも通じたのに台湾はダメだった。このような苦い経験があるので中国へ行った時も言葉の勉強は諦めていた。”いくら?”という現地の言葉を知らなくてもボディラングェージでどうにかなるし、値札が付いている店も多い。
マガイものの土産品を売るために要らないモノまで「センエン、千円」と煩く言い寄ってくる人が大勢いるので、こちらから値段を訊く場面は少なかった。又お土産品はガイドが連れて行く専用の店で買わされるのが通例である、そういう店は日本語が通じる。

 ある時夕食後にホテルの近くを歩いていると、道端に椅子とテーブルを並べた食堂のオニイチャンが”何か食べていけ”という雰囲気で威勢良く言うてきた。食事も済んだところなので「ちゅふぁーら クァッチー・・・」と冗談交じりに言うと、”ちゅふぁーら・・チュファーラ、チーパウラ”と納得したような顔をした。

 そうか「ちゅふぁーらとは吃飽了(chi1 bao3 le)」が訛ったのかと私のほうが納得した。意味もほぼ同じ”おなかイッパイ=満腹”です。翌日ランチが済んでから店のマネージャーに使ってみると聞き返されたが通じた。
 オキナワは昔から外国語が入って方言化した言葉ある。これは他の地方・全世界的にある現象でしょう。オキナワだけではないにしても、私が方言で返したら通じたので嬉しかった。ほかにもある闘鶏用の鶏をタウチーと呼んでいる、これは闘鶏(dou4 ji1 )と同じでしょう。

 帰ってから友人に方言が中国で通じた事を話し、それをネタに「我們喝了酒」
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お礼
 トラックバックとコメントとどう違うのかも分かりませんが、どなたかが電子辞書についてトラックバックしてくださいました。
http://denshi.blog.shinobi.jp/

参考になります、ありがとうございました。
昨日大型電気店で現物を見てきました、けっこう高いものなんですね。

家族旅行

2007年05月31日 13時36分28秒 | 懐かしい旅の記録
 旅行の範疇に妻が実家に帰省するのまで含めると家族旅行は随分している。長男が生まれたときも一緒に行ったし、その後下の娘が小学生になったときデズニーランドへも行った。子どもたちたまだ小さい頃は家族全員揃って出かけることができた。

 家族で初めて海外へ出たのはバリ島だった、子どもも高・中・小学生で親も一緒になって遊んで楽しい頃だった。バリキチガイと言われた友人が主宰・企画し数家族でツアーを組んだ。行く前からお互いの親密さを深める意味で各家庭持ち回りの勉強会を開き、バリの歴史・風土・宗教・言葉など子供たちと共に学んだ。

 バリでは二日間で一応の名所旧跡・観光地を全員で回り、残りは全て自由行動にした。子供たちも自由気ままにさせた、好きなときに起きて食事を取り又寝ようがプールで泳ごうがレギャン通りへ行こうが自由にさせたので楽しかっただろう、ツアー仲間の子供同士でも遊んでいた。私たち親は朝から市場へ出かけたりオミヤゲ品屋で品定めをしたり、海で大波に揺られたりしてリゾートライフを楽しんだ。

 その後も何回か家族で海外旅行へ出かけた。しかし台湾は長女がアメリカ留学中だったし、中国は息子が仕事の都合で参加できなかった。末娘は短大の入学式をすっぽかしてまで私たちと一緒に旅行したこともある、親の態度としてどうなんだろうハンセイすべきかな。短大なんだから親の出席は必要ないだろう、一人で式場に行くという選択肢もあったのに旅行を選んだ。
若しこの事を非難するとしたら、非難されるのは親か娘か。(笑)

子供たちが大きくなっていくにつれ家族が揃って旅行するのは難しくなる、もうみんなそれぞれ独立して新しい家族を持つようになったので益々難しくなった。姪の結婚披露宴に出席する為に膨れ上がった家族が大阪に集まったことはあった。でも旅行と呼ぶには雰囲気が違っていた。
家族旅行は当分の間ムリということでしょう。

 家族旅行のツアーコンダクターを自認している私です。全て任せて大船に乗ったツモリで着いて来いと言うも、普段の生活態度それに過去の旅行の実績からまったく信頼されていません。でも自分としては妻や子供たちがどのように評価しようと私がツアコンだからピンチを脱出できたのだと自負しています。

 中国関連の導入部のつもりで書き始めたのですが、これから中国に関連付けた話に移すと長くなりそうなのでここで一応オワリにします。

お気に入り

2007年05月30日 08時43分39秒 | 懐かしい旅の記録
 私の「お気に入り」には中国というディレクトリーがあり、中国語会話の勉強に役立ちそうなサイトを登録してある。

 実は3年前に中国語会話教室に通ったことがあるのです。仕事の都合やら何やらで休んだことも随分あったが1年近く通いました。仕事が忙しくなりとうとう止めてしまったが、その頃からインターネットを駆使して”これは!”と思うサイトを探しまくった。
中国語は発音がムツカシイので自分で勉強する時は音声が聞けるのが絶対に必要と思う。検索し探すとそういうサイトがあるのでビックリ、その他参考になるところを7~8ヶ所登録した。ニンゲン登録するとそれだけで安心して活用しないものだ、私だけか。

 中国語を勉強し始めたと聞いた娘がCD付きの本をプレゼントしてくれた。何回も繰り返し聞いたが半分ほど進んだところで遠のいてしまった。
それでもその時勉強した分のある部分はアタマの片隅に残っているようで、先日勉強会は初歩の初歩だったので皆さんに付いて行くことができた。まるっきり初めて中国語に接する妻はタイヘンだっただろう。

 妻も時間があったらお気に入りで勉強できるように、その中から適当なサイトを探そうとクリックするとナンと別の翻訳サイトもある。自分で入れておきながら忘れていたようだ。
試しに先日と同じ文章を入れてみると、はるかに良い。各項が表組みの中に出てくるので読みやすい。また逆、日本語→中国語もできるので役に立ちそうだ。

 今度は中国旅行とセットなので出発までの3ヶ月は身を入れて勉強しよう。研修旅行という目標もできたことだし妻も一緒なので勉強し易いだろう。

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1. 西安為陝西省省會, 西安は陝西のために会を省いて、
2. 轄七區六縣。 轄は7は6の県を分ける。
3. 西安位于關中平原中部, 西安は関中平原中部に位置して、
4. 北跨渭河, 北は渭河に跨がって、
5. 南依秦嶺, 南は秦の峰に従って、
6. 氣候温和, 気候は柔和で、
7. 雨量充足, 降雨量は充足していて、
8. 土壤肥沃, 土はえていて、
9. 物産富饒。 物産は豊かです。
10. 西安(古稱長安)是中國六大古都(西安、 西安(古く長安と称する)は中国の6の大古の都である (西安、
11. 洛陽、 洛陽、
12. 南京、 南京、
13. 開封、 開封して、
14. 杭州、 杭州、
15. 北京)里建都時代最早、 北京)内は時代に都を定めて最も早くて、
16. 朝代最多、 時代は最も多くて、
17. 歴時最久的城市。 最も長い都市の間続く。
18. 曾經有西周、 西周が以前あって、
19. 秦、 秦、
20. 西漢、 前漢、
21. 隋、 隋、
22. 唐等十多個王朝建都, 唐などは十数個の王朝は都を定めて、
23. 作為中國古代政治、 行為中国古代政治、
24. 軍事和經濟文化中心達上千年之久 軍事と経済文化中心は前の1000年の之久に達する