zeraniumさんのテーマの選択には、いつもシンクロを感じます。有難うございます。立ち止まって、、泣かされます。。紹介して頂いた本はほぼすべて、購入して全体をきちんと読んで学ぶようにしています。
辛い感情の痛みはもっと自分を思いやるようにという「しるし」
私たちは、自分が関わっていたある状況から期待した結果が得られない時、その結果を受け入れられないと思うことが多い。なぜなら別のやり方をしていたならば、もっとよい結果が出たかもしれないと思うからだ。そうして私たちは、自分の行為を間違ったものと判断して罪悪感を手放せず、自分を責め続けることになる。自分はその時自分の持っていた情報と、自分にできる最善を尽くしてそうしたのだという事実を、なかなか受け入れることができない。
適切な判断は、私たちが人生において常に行なわなければならないことだ。
そうした行為は、その結果や人の判断や意見だけでは評価することはできない。もう一つの方の仕事を選ぶべきか? 友人の夫が浮気していることを彼女に伝えるべきか? 中絶するべきか? 父親の人工呼吸器を外すべきか? 逮捕状が出ている親戚を警察に通報するべきか?
判断の責任は自分だけにのしかかってくる。
しかし自分の心の声にじっくり耳を傾け、自分は本来誰であり、自分は何であるか、自分は何を信じているのか、ということを内面に強く自覚できるようになると、自分には本来、洞察力があると実感できるようになり、良心に恥じるようなことはしなくなるだろう。
出来事によって露わになる心の深い傷
私が数年前に、シアトルで行なったリーディングは今も心に残るものである。
このリーディングは、ある苦渋の選択にまつわるものであり、適切な判断とは何であるかというテーマだった。その会場の右端の席にある夫婦が座っていた。この2人は非常にストレスを感じているのが私にはわかった。
青年の霊はその夫婦の後ろに現れ、彼は私に病室の風景を送ってきた。
私は観客に伝えた。「ここにある青年がいます。彼は金髪の青い瞳で、とても大人しい感じの魂です。彼は病床で昏睡状態にあり・・・」 私の話が終わる前に、その夫婦が立ち上がった。
私は2人に近づいて訊ねた。
「この青年を知っていますか?」「はい、私たちの息子です」 客席からざわめきが聞こえた。「息子さんには生命維持装置のようなものが着いていますが、彼は動いている様子がありません」と私が言うと、女性は涙を流しながら言った。「息子は事故に遭ったんです」
「息子さんは今、私にその事故現場を見せてくれています。
彼は足場のようなところから落ちました。これは建設工事現場で起きたのですか?」 男性の方が、そうだとうなずいた。
この2人はかなりの心痛を抱えていることがわかった。
私は彼らの感情中枢に意識を集中すると、2人が心の中に引きずる深い苦悩が感じられた。その苦しみは胸の上に巨石が置かれたかのようで、息苦しいとしか言いようがなかった。
「息子さんの名前は、ジミーあるいはジェイミーですか?」「ジェイミーです」
私は言った。「ジェイミーが今ここにやって来たのは、彼は大丈夫であること、そしてあなた方は適切な正しいことをしたと伝えるためです。ジェイミーは今とても幸せな中にあり、2人に感謝の気持ちを伝えたいと思っています」
その時、女性は気絶するのではないかと思われ、彼女は大声で泣き始めたのだ。
観客たちも今にも泣き出しそうになり、その夫婦は互いに抱き合って泣いていた。「ジェイミーはご両親を心から愛しており、2人の愛をいつも感じていると言っています。またあなた方が辛い経験をしなければならなかったことを申し訳なく思っています」 夫婦は納得してうなずいた。
「チップまたはキップとは誰ですか?」私は聞いた。
「チップは私たちのもう1人の息子ですが、彼は生きています」女性が答えた。「あなた方はチップを許す必要があると、ジェイミーが言っています。チップにはそれに関して口を出す権利はないからとも。あなた方は適切な判断をしたのです」 その時、私はすべてを把握することができた。
「お2人は、息子さんの生命維持装置を外したんですね?」
「はい」と男性が答えた。「このことであなた方はチップと口論しましたね。彼は生命維持装置を外すことに反対だった。それで彼はあなた方のことを人殺しと呼びました」 これを聞くと、女性が再び泣き始めた。
「あなた方はジェイミーに思いやりのある行為をしました。彼はあれ以上、この世に留まりたくなかったと言っています。彼は解放されて自由になりたかったと。そしてお2人は彼を救ったのです」 会場の多くの人々がこの夫婦とともに泣いていた。「ジェイミーは、自分の魂を天国に解放してくれてありがとうと言っています」
「チップはどうなんですか?」と女性が聞いた。
私は言った。「あなたが行なったことは愛ゆえの行為です。チップがその教訓を学ぶためにはまだ時間がかかります。ですからそれまで待ってあげてください。彼はまだ全体の状況を把握することができないのです。ですから彼がどうであれ、彼への愛を持ち続けてください」 2人は何度も何度も、私に感謝の気持ちを伝えてくれた。
自分の心の深い傷から辛い感情が生まれる
私たちは、誰もが自分と同じように考えるようになれば、世の中は良くなるだろうと考えるかもしれない。そしてチップもまた、両親が自分と同じように兄の生命維持装置を維持することを願っていた。私たちの多くがそうであるように、チップもまた自分本位の視点からだけで見ていたのだ。
私たちは、他の人が自分と同じように考えない時、寛容ではなくなり、その人を尊重しなくなる傾向がある。しかし思いやりがあれば、私たちはそうした傾きを超えて心を開き、相手の苦しみを感じられるようになる。そうした心遣いや思いやりが持てるようになると、他人や世の中に対する意識が向上する。そうした寛容さや共感の意識は、使えば使うほど発達する。
意識が広がり、思いやりを持てるようになると、人への批判や人種差別、性差別などの古い内なる感情に気づくようになり、この地球上のすべての人は否応なく、互いに繋がりあっていることに気づくようになる。心の状態をより完全なものにするためには、人から邪険にされたり、冷たくされたりした思い出や感情を克服しなければならない。
こうした感情は自分の心の深い傷から生まれたものなので、それは自分に対してもっと思いやりを持たねばならないことをはっきり示している。私たちはまず自分に思いやりを持つことであり、そうすれば人に思いやりを持つことがずっと簡単にできるようになる。
Unfinished Business
『人生を、もっと幸せに生きるために』
ジェームズ・ヴァン・プラグ著 エンジン・ルーム/河出書房新社 抜粋
自分自身と愛情に満ちた正直な関係を築く
私は人生のすべての物事を、この世とあの世を含む広い視野から見ようと努めている。それは私が肉体を離れて霊界へ移ったとき、それまで生きてきた人生を誇らしく思うことができるのか、それとも後悔の念とチャンスを逃したという、やり残した気持ちに駆られるのかどうかということだ。このような長期的な視点を意識することで、日々の生活においてどのような選択をするか、この世にどんなお返しができるかということに注意を払うようになった。
あなたは今、意識において分かれ道にいる。
一つは、考え方を変えてこの瞬間から、自分の人生における日々の選択をコントロールする道だ。つまり自分が人生の主導権を握っていることを自覚し、自分には影響力があるとはっきり理解することだ。そしてもう一つは、過去から引きずっている変化のない居心地のいい場所に留まり、自分は境遇という運命の被害者だと考える道だ。
選択するのは今だ。
充実した人生を生きたかどうかは、この人生であなたが自分と人に与えた愛によってのみ評価される。そうであれば、充実した人生を送れなかったとすれば、それは自分と人に対して愛と思いやり、そして許すチャンスがあったにもかかわらず、あなたがそれを実行しないことを選択したからだと言われても仕方がない。
やり残しのある人生は、魂の成長を遅らせる。
人生では苦しい出来事やそうでない出来事なども数多く体験するが、それらによって私たちは強くなるか、あるいは行き詰って立ち直れないことがある。私は子どもを亡くした多くの親たちの相談に乗ることがあるが、子どもの死に納得がいかず、それが運命だと何となくわかってはいても、子どもの死を現実として受け入れられない。それは子どもは親より先に死ぬべきではないと考えているからだが、その考え方は正しいとは言えない。
私はこうした人々に深く同情するが、人の魂という視点から状況を見る時心が救われる。それは多くの場合、亡くなった子どもを含めた家族としての魂のグループが、互いの精神的成長のために作り出した体験であるからだ。子どもの死をきっかけとして、魂のグループが進化するためのプロセスである場合があるのだ。
私は、相手を許せず忘れることができないという人々の、数え切れないほどの相談に乗ってきた、また、誰かの死に対し最後のお別れを言えなかったという、後悔の念を引きずっている多くの人々にも会ってきた。さらに虐待や性的虐待など、すさんだ子ども時代に起因する大きなトラウマを抱え、恐怖心と憤りに支配され、被害者意識の中でがんじがらめになっている人もいた。このような状態では、人生を充分生きているとは言えない。それはやり残していることが余りにも多いからだ。
私たちは人生における心痛や苦痛に見舞われた時、それを乗り越えられるように、自分の内なる「ハイアーセルフ」(高次の自己)に頼らなければならない。こうした出来事が起きた時、向き合うことを避けて逃げてしまうと、それは大きな傷となって悪化してしまう。それは次第に自分の中で大げさな出来事となり、実際よりもひどい状況なのだと思い込むことになる。
もしそうした状態から前に進みたいならば、私たちは自分の溜め込んだ感情を吐き出し、やり残していることをすべて片付けなければならない。ではどのようにして前に進めばいいのだろうか?
① 心理療法を受ける
最初にできることは、心理療法を受け、心の奥深くに溜め込んだ「胸のつかえ」を取り除くことだ。私が自分の経験からわかったことは、心理療法は自分の考えや感情を安心して言葉に出す機会を与えてくれることだ。療法士は客観的に話を聞いてくれる。一方あなたはあまりにも過去の経験にとらわれているために、自分が直面している出来事をはっきり把握することができない。心理療法士はあなたの過去にとらわれることなく、距離を置いて出来事を新しい視点から見ることができる。
② 人に話す
また別の方法は、信頼できる友人あるいはそうしたサポートグループとともに、その出来事について話し合うことだ。とにかくあなたが安心できる環境で行なうとよいだろう。自分の心のつかえを人に話すことで、古い記憶がよみがえり、その出来事を現在という時間の中で振り返ることになる。これは非常に重要なことである。このようにして出来事が発生してから今までに蓄積した、自分の気づきとともにその出来事を語ることは、あなたのもっとも新しい視点から出来事を振り返るチャンスとなる。この2つが実践できれば、あなたはその出来事をよりよく理解し、受け入れることができるかもしれない。
③ 手紙を書く
3つ目の効果的な方法は、手紙を書くことだ。
誰かを許せなかったり、亡くなった人にさよならを言えなかったりした場合、その人に宛てて手紙を書くことで自分の気持ちを表すのだ。現存している人に宛てた手紙ならば、それを実際に郵送するかどうかはあなたの自由である。手紙を書くことで、感情を書き表して手放し、心が解放されて余裕ができるだろう。
④ 日記に書く
そして最後の方法は、日記を書くことだ。
その日記帳は特別なことを書くために購入する。そして1人になれる静かな場所を見つけ、静かに過ごせる公園や海岸、あるいは郊外の緑の中でもいい。自分の心の傷について、なぜそのような思いに「しがみついて」いるのか、その心の傷から自分は何を学べるのかなどを言葉にして書き留める。そして最後に、内なる高次の自己(ハイアーセルフ)に、どうすれば心の傷を手放すことができるかを尋ねる。
家族の死や離婚にともなう苦悩、あるいは子ども時代に受けた虐待などは完全には忘れ去ることはできないが、少なくとも胸にうっせきする涙を発散させ、ひた隠しにしてきた感情を表に出すことはできる。そうすることであなたは前よりも、心が完全な状態に近づいた人間に変わることができる。これはあなたに約束できる。あなたにできる最も大切なことは、自分自身と正直かつ愛情に満ちた関係を築くことなのだ。
優れた歌手であり作曲家、そして詩人でもあるレオナルド・コーエン氏は次のような言葉を残している。「美しいものには傷がつきものだ。光は傷口から差しこんでくるのだから」。この言葉は、過去の苦悩や失望、失意、怒り、恐怖心を乗り越えて生きていくならば、心は癒されるという本質をとらえている。私たちは誰もが、苛酷な経験を通して、前よりももう少し謙虚になったり、思いやりや理解、忍耐や誠実さを高め、より真の人間になっていかなければならないからだ。
私たち1人1人の人間は、思考や感情や信念、過去の経験、そして感受性などの全部が混ざった混合物のようなものだ。そしてこれらが1人1人を特徴づけている。私たちがこれまでのすべてを欠点も含めて、自分を受け入れられるようになれば、自分がどんなに素晴らしい存在なのかに気づくだろう。ほかでもなく、自分を受け入れられるならば、それはあなたの心の美しい輝きとなって現れ、その輝きは生活の中で関わるすべての人々に見えるようになる。
私たちは一転して、自分が必要とする教訓を経験から学んで成長できるようになる。これがコーエン氏の「光は傷口から差し込んでくる」という意味なのだ。そしてこれが悟るということだ。あなたが光を放つにつれ、他の人もその光を感じながら、あなたから学べるようになる。人生を生きるためのヒントを周りの人に伝える適任者は、辛い経験を乗り越えたあなた以外にはいないのである。
Unfinished Business
『人生を、もっと幸せに生きるために』
ジェームズ・ヴァン・プラグ著 エンジン・ルーム/河出書房新社 抜粋
辛い感情の痛みはもっと自分を思いやるようにという「しるし」
私たちは、自分が関わっていたある状況から期待した結果が得られない時、その結果を受け入れられないと思うことが多い。なぜなら別のやり方をしていたならば、もっとよい結果が出たかもしれないと思うからだ。そうして私たちは、自分の行為を間違ったものと判断して罪悪感を手放せず、自分を責め続けることになる。自分はその時自分の持っていた情報と、自分にできる最善を尽くしてそうしたのだという事実を、なかなか受け入れることができない。
適切な判断は、私たちが人生において常に行なわなければならないことだ。
そうした行為は、その結果や人の判断や意見だけでは評価することはできない。もう一つの方の仕事を選ぶべきか? 友人の夫が浮気していることを彼女に伝えるべきか? 中絶するべきか? 父親の人工呼吸器を外すべきか? 逮捕状が出ている親戚を警察に通報するべきか?
判断の責任は自分だけにのしかかってくる。
しかし自分の心の声にじっくり耳を傾け、自分は本来誰であり、自分は何であるか、自分は何を信じているのか、ということを内面に強く自覚できるようになると、自分には本来、洞察力があると実感できるようになり、良心に恥じるようなことはしなくなるだろう。
出来事によって露わになる心の深い傷
私が数年前に、シアトルで行なったリーディングは今も心に残るものである。
このリーディングは、ある苦渋の選択にまつわるものであり、適切な判断とは何であるかというテーマだった。その会場の右端の席にある夫婦が座っていた。この2人は非常にストレスを感じているのが私にはわかった。
青年の霊はその夫婦の後ろに現れ、彼は私に病室の風景を送ってきた。
私は観客に伝えた。「ここにある青年がいます。彼は金髪の青い瞳で、とても大人しい感じの魂です。彼は病床で昏睡状態にあり・・・」 私の話が終わる前に、その夫婦が立ち上がった。
私は2人に近づいて訊ねた。
「この青年を知っていますか?」「はい、私たちの息子です」 客席からざわめきが聞こえた。「息子さんには生命維持装置のようなものが着いていますが、彼は動いている様子がありません」と私が言うと、女性は涙を流しながら言った。「息子は事故に遭ったんです」
「息子さんは今、私にその事故現場を見せてくれています。
彼は足場のようなところから落ちました。これは建設工事現場で起きたのですか?」 男性の方が、そうだとうなずいた。
この2人はかなりの心痛を抱えていることがわかった。
私は彼らの感情中枢に意識を集中すると、2人が心の中に引きずる深い苦悩が感じられた。その苦しみは胸の上に巨石が置かれたかのようで、息苦しいとしか言いようがなかった。
「息子さんの名前は、ジミーあるいはジェイミーですか?」「ジェイミーです」
私は言った。「ジェイミーが今ここにやって来たのは、彼は大丈夫であること、そしてあなた方は適切な正しいことをしたと伝えるためです。ジェイミーは今とても幸せな中にあり、2人に感謝の気持ちを伝えたいと思っています」
その時、女性は気絶するのではないかと思われ、彼女は大声で泣き始めたのだ。
観客たちも今にも泣き出しそうになり、その夫婦は互いに抱き合って泣いていた。「ジェイミーはご両親を心から愛しており、2人の愛をいつも感じていると言っています。またあなた方が辛い経験をしなければならなかったことを申し訳なく思っています」 夫婦は納得してうなずいた。
「チップまたはキップとは誰ですか?」私は聞いた。
「チップは私たちのもう1人の息子ですが、彼は生きています」女性が答えた。「あなた方はチップを許す必要があると、ジェイミーが言っています。チップにはそれに関して口を出す権利はないからとも。あなた方は適切な判断をしたのです」 その時、私はすべてを把握することができた。
「お2人は、息子さんの生命維持装置を外したんですね?」
「はい」と男性が答えた。「このことであなた方はチップと口論しましたね。彼は生命維持装置を外すことに反対だった。それで彼はあなた方のことを人殺しと呼びました」 これを聞くと、女性が再び泣き始めた。
「あなた方はジェイミーに思いやりのある行為をしました。彼はあれ以上、この世に留まりたくなかったと言っています。彼は解放されて自由になりたかったと。そしてお2人は彼を救ったのです」 会場の多くの人々がこの夫婦とともに泣いていた。「ジェイミーは、自分の魂を天国に解放してくれてありがとうと言っています」
「チップはどうなんですか?」と女性が聞いた。
私は言った。「あなたが行なったことは愛ゆえの行為です。チップがその教訓を学ぶためにはまだ時間がかかります。ですからそれまで待ってあげてください。彼はまだ全体の状況を把握することができないのです。ですから彼がどうであれ、彼への愛を持ち続けてください」 2人は何度も何度も、私に感謝の気持ちを伝えてくれた。
自分の心の深い傷から辛い感情が生まれる
私たちは、誰もが自分と同じように考えるようになれば、世の中は良くなるだろうと考えるかもしれない。そしてチップもまた、両親が自分と同じように兄の生命維持装置を維持することを願っていた。私たちの多くがそうであるように、チップもまた自分本位の視点からだけで見ていたのだ。
私たちは、他の人が自分と同じように考えない時、寛容ではなくなり、その人を尊重しなくなる傾向がある。しかし思いやりがあれば、私たちはそうした傾きを超えて心を開き、相手の苦しみを感じられるようになる。そうした心遣いや思いやりが持てるようになると、他人や世の中に対する意識が向上する。そうした寛容さや共感の意識は、使えば使うほど発達する。
意識が広がり、思いやりを持てるようになると、人への批判や人種差別、性差別などの古い内なる感情に気づくようになり、この地球上のすべての人は否応なく、互いに繋がりあっていることに気づくようになる。心の状態をより完全なものにするためには、人から邪険にされたり、冷たくされたりした思い出や感情を克服しなければならない。
こうした感情は自分の心の深い傷から生まれたものなので、それは自分に対してもっと思いやりを持たねばならないことをはっきり示している。私たちはまず自分に思いやりを持つことであり、そうすれば人に思いやりを持つことがずっと簡単にできるようになる。
Unfinished Business
『人生を、もっと幸せに生きるために』
ジェームズ・ヴァン・プラグ著 エンジン・ルーム/河出書房新社 抜粋
自分自身と愛情に満ちた正直な関係を築く
私は人生のすべての物事を、この世とあの世を含む広い視野から見ようと努めている。それは私が肉体を離れて霊界へ移ったとき、それまで生きてきた人生を誇らしく思うことができるのか、それとも後悔の念とチャンスを逃したという、やり残した気持ちに駆られるのかどうかということだ。このような長期的な視点を意識することで、日々の生活においてどのような選択をするか、この世にどんなお返しができるかということに注意を払うようになった。
あなたは今、意識において分かれ道にいる。
一つは、考え方を変えてこの瞬間から、自分の人生における日々の選択をコントロールする道だ。つまり自分が人生の主導権を握っていることを自覚し、自分には影響力があるとはっきり理解することだ。そしてもう一つは、過去から引きずっている変化のない居心地のいい場所に留まり、自分は境遇という運命の被害者だと考える道だ。
選択するのは今だ。
充実した人生を生きたかどうかは、この人生であなたが自分と人に与えた愛によってのみ評価される。そうであれば、充実した人生を送れなかったとすれば、それは自分と人に対して愛と思いやり、そして許すチャンスがあったにもかかわらず、あなたがそれを実行しないことを選択したからだと言われても仕方がない。
やり残しのある人生は、魂の成長を遅らせる。
人生では苦しい出来事やそうでない出来事なども数多く体験するが、それらによって私たちは強くなるか、あるいは行き詰って立ち直れないことがある。私は子どもを亡くした多くの親たちの相談に乗ることがあるが、子どもの死に納得がいかず、それが運命だと何となくわかってはいても、子どもの死を現実として受け入れられない。それは子どもは親より先に死ぬべきではないと考えているからだが、その考え方は正しいとは言えない。
私はこうした人々に深く同情するが、人の魂という視点から状況を見る時心が救われる。それは多くの場合、亡くなった子どもを含めた家族としての魂のグループが、互いの精神的成長のために作り出した体験であるからだ。子どもの死をきっかけとして、魂のグループが進化するためのプロセスである場合があるのだ。
私は、相手を許せず忘れることができないという人々の、数え切れないほどの相談に乗ってきた、また、誰かの死に対し最後のお別れを言えなかったという、後悔の念を引きずっている多くの人々にも会ってきた。さらに虐待や性的虐待など、すさんだ子ども時代に起因する大きなトラウマを抱え、恐怖心と憤りに支配され、被害者意識の中でがんじがらめになっている人もいた。このような状態では、人生を充分生きているとは言えない。それはやり残していることが余りにも多いからだ。
私たちは人生における心痛や苦痛に見舞われた時、それを乗り越えられるように、自分の内なる「ハイアーセルフ」(高次の自己)に頼らなければならない。こうした出来事が起きた時、向き合うことを避けて逃げてしまうと、それは大きな傷となって悪化してしまう。それは次第に自分の中で大げさな出来事となり、実際よりもひどい状況なのだと思い込むことになる。
もしそうした状態から前に進みたいならば、私たちは自分の溜め込んだ感情を吐き出し、やり残していることをすべて片付けなければならない。ではどのようにして前に進めばいいのだろうか?
① 心理療法を受ける
最初にできることは、心理療法を受け、心の奥深くに溜め込んだ「胸のつかえ」を取り除くことだ。私が自分の経験からわかったことは、心理療法は自分の考えや感情を安心して言葉に出す機会を与えてくれることだ。療法士は客観的に話を聞いてくれる。一方あなたはあまりにも過去の経験にとらわれているために、自分が直面している出来事をはっきり把握することができない。心理療法士はあなたの過去にとらわれることなく、距離を置いて出来事を新しい視点から見ることができる。
② 人に話す
また別の方法は、信頼できる友人あるいはそうしたサポートグループとともに、その出来事について話し合うことだ。とにかくあなたが安心できる環境で行なうとよいだろう。自分の心のつかえを人に話すことで、古い記憶がよみがえり、その出来事を現在という時間の中で振り返ることになる。これは非常に重要なことである。このようにして出来事が発生してから今までに蓄積した、自分の気づきとともにその出来事を語ることは、あなたのもっとも新しい視点から出来事を振り返るチャンスとなる。この2つが実践できれば、あなたはその出来事をよりよく理解し、受け入れることができるかもしれない。
③ 手紙を書く
3つ目の効果的な方法は、手紙を書くことだ。
誰かを許せなかったり、亡くなった人にさよならを言えなかったりした場合、その人に宛てて手紙を書くことで自分の気持ちを表すのだ。現存している人に宛てた手紙ならば、それを実際に郵送するかどうかはあなたの自由である。手紙を書くことで、感情を書き表して手放し、心が解放されて余裕ができるだろう。
④ 日記に書く
そして最後の方法は、日記を書くことだ。
その日記帳は特別なことを書くために購入する。そして1人になれる静かな場所を見つけ、静かに過ごせる公園や海岸、あるいは郊外の緑の中でもいい。自分の心の傷について、なぜそのような思いに「しがみついて」いるのか、その心の傷から自分は何を学べるのかなどを言葉にして書き留める。そして最後に、内なる高次の自己(ハイアーセルフ)に、どうすれば心の傷を手放すことができるかを尋ねる。
家族の死や離婚にともなう苦悩、あるいは子ども時代に受けた虐待などは完全には忘れ去ることはできないが、少なくとも胸にうっせきする涙を発散させ、ひた隠しにしてきた感情を表に出すことはできる。そうすることであなたは前よりも、心が完全な状態に近づいた人間に変わることができる。これはあなたに約束できる。あなたにできる最も大切なことは、自分自身と正直かつ愛情に満ちた関係を築くことなのだ。
優れた歌手であり作曲家、そして詩人でもあるレオナルド・コーエン氏は次のような言葉を残している。「美しいものには傷がつきものだ。光は傷口から差しこんでくるのだから」。この言葉は、過去の苦悩や失望、失意、怒り、恐怖心を乗り越えて生きていくならば、心は癒されるという本質をとらえている。私たちは誰もが、苛酷な経験を通して、前よりももう少し謙虚になったり、思いやりや理解、忍耐や誠実さを高め、より真の人間になっていかなければならないからだ。
私たち1人1人の人間は、思考や感情や信念、過去の経験、そして感受性などの全部が混ざった混合物のようなものだ。そしてこれらが1人1人を特徴づけている。私たちがこれまでのすべてを欠点も含めて、自分を受け入れられるようになれば、自分がどんなに素晴らしい存在なのかに気づくだろう。ほかでもなく、自分を受け入れられるならば、それはあなたの心の美しい輝きとなって現れ、その輝きは生活の中で関わるすべての人々に見えるようになる。
私たちは一転して、自分が必要とする教訓を経験から学んで成長できるようになる。これがコーエン氏の「光は傷口から差し込んでくる」という意味なのだ。そしてこれが悟るということだ。あなたが光を放つにつれ、他の人もその光を感じながら、あなたから学べるようになる。人生を生きるためのヒントを周りの人に伝える適任者は、辛い経験を乗り越えたあなた以外にはいないのである。
Unfinished Business
『人生を、もっと幸せに生きるために』
ジェームズ・ヴァン・プラグ著 エンジン・ルーム/河出書房新社 抜粋