0010110 ハートの贈りもの―2019―黄金時代07年 

2018-光あふれるニューアースを共同創造し、さらにアセンションを目指します。ワンネスを体現していきます。

被災地支援ありがとう

2011-06-09 13:52:23 | 震災後の日々
皆様こんにちは。
そろそろ入梅の声も聞こえてきて、暑くなってきましたね。お元気でしょうか。

いろいろなメール、心強く読ませてもらっています。
薬剤師や保健師のボランティア、ご苦労さまです。だたでさえお忙しいところ、遠くから時間を割いて駆けつけて下さって有難うございます。本当にうれしく、この仲間を誇らしく思います。他のみんなも、国民の多くも、被災地にいつも心を寄せて下さって、それぞれができることを心がけて下さって、有難うございます。政府や自治体は頼りないけれど、市民は素晴らしいですね。日本の(良識ある)市民の意識はどんどん高まってきているなあと、日々感じています。○○は、とってもカッコ良い記事になっていますね!

でも、被災地は衛生面ではかなり過酷ですから、気をつけて下さいね。東北もかなり暑くなってきました。これから蚊やハエがやっかいな病気を媒介しないか、心配しています。破傷風も怖いです。防護を完全に、そして怪我をしないよう、無理をして免疫力を落とさないように十分気をつけて下さい。(そして、今は活動優先でしょうが、被災地がもっと落ち着いて、こちらにいらしても前後に時間が取れるようになったら、ぜひお会いしておしゃべりしたいです。日帰り温泉にでも行こうよ。連絡してね!)

ところで、「薬局も次の震災に備えを」という、○○に何かお手伝いできればいいのですが。とっくにご存知かもしれないけれど、m3.com の掲示板等で呼びかければ、何か情報が得られませんか? と、うちの夫が言っています。
http://www.m3.com

○○さんのお話にあった福島の方々ですが、本当にお気の毒ですね。何と言えばよいのか。。私たちは何をすれば良いのか。。生活が、故郷が、破壊されてしまったということ。原発を責めて、東電を責めて、政府を責めて、しかし、誰をどれだけ責めても、元には戻らない。大切なものは帰ってこない。正直に言って、かける言葉が見つかりません。東京で電気を湯水のごとく使ってきた私たちも、知らず知らずのうちに、今回の加害者になっていました。

せめて、二度と原発周辺に住む人たちにこのような苦しみを与えないように、脱原発の道を進め、そのためならば、私たちは少々暮らしが不便になっても耐えようと思うのですが、そうは思わない人も(現地にすら)まだまだ多い。構造的に、原発なしでは生活が成り立たなくなっている人が大勢いる。何ともやりきれません。

しかし、喫緊の問題は福島の子供たち! 福島のみならず、日本の子供たちを何としても守らないと。放射能被害のことはよくわからないのですが、私は、SaveChildと武田邦彦さんのサイトをとりあえず毎日チェックしています。
http://savechild.net/
http://takedanet.com/

度を越して悲観的、神経質になっても精神的に良くないし、日常生活に支障が出てしまいますが、子供を守るためには、簡単に実行できることは何でもするべきだと思います。このサイトは、母親の立場に立って、よく書かれているようです。

実際に、放射能のどこまでのレベルが影響があるかはわからないです。でも、今わからないだけであって、将来、わかってきた時には手遅れですものね。今は本当に待ったなしの、親に課せられた子供を守る戦いだと思っています。

最近、私は一人で勝手にメールで、民主党に文句ばかり言っていますが(笑)、この件についてもまた意見を書いて送るつもりです。黙っていては、伝わらないもの。ネット上の言論は、マスコミとか利権村とか、声の大きい、しかもほとんど男性に占領されています。

普通の主婦の声なんてごくごく小さなものですが、同じことを言う人がたくさんいればそれはそれで心強いし、ちょっとおバカなヘンな少数意見でもいい。とにかく、これからは、国とか自治体に対してどんどん発言するつもりです。少しずつでも、子供たちのために、理想の社会に近づけていきたいから。世界はどんどんフラット化しています。日本だって、普通の国民がもっと意思を表明するようになれば、政治も社会もきっと変えてゆけますよね。

そんな感じで、今はとりあえず息子を預けている長野と仙台を往復しています。だから最近は、高速バスの新宿乗換えでよく東京を通るのヨ。また、飲みに行こ! カラオケ大合唱も、、、いいね!

仙台に帰ってきました

2011-06-08 13:55:01 | 震災後の日々
仙台に帰ってきました
こんにちは。暑くなってきましたね。お元気ですか? 
石巻は大変でしょうね。お疲れためてませんか? ○○さんも、千葉で元気ですか~。

日曜の夜に仙台に帰ってきました。バイオリンの練習、塾の先生との面談と、長野で息子のネジをぎゅっと締めてきました。

でも、たっぷり仲良くもしてきましたよ。
10日ちょっとの滞在でしたが、二人で買い物に行ったり、息子の願いで牛丼を食べに行ったり、おじいちゃんの新しい家で好きなおかずやおやつを作ってあげたり。

私の充電にもなりました。今はパワー満タンよ。

本人は滞在が長くなってきて、少しさびしくもなってきたのかな、帰るときに「ママ、ずっといて」みたいな言葉もポロリと出るようになりましたが。「すぐまた来るから」と言い置いて、今回はパパと東京回りで帰ってきました。

実は私の実家も、一軒家から、妹のマンションに近い本駒込のマンションに引っ越すことになり、置きっぱなしだった私の過去の荷物の整理がけっこう大変なのデス。

○○でも引っ越し、東京でも引っ越し、仙台でも断捨離で荷物の大整理と、今年はいろいろと暮らし方を見直す年になりそうです。

きっと日本中がそうですよね。物に価値を置かなくなった、人との絆が一番大事、もっとシンプルに生きたい。むしろ、多過ぎる物は邪魔なくらい。

というわけで、今日はパパのワゴンと私の車を交換して、葛岡とブックオフに荷物を運ぶ予定です。

それでもまだ暖炉の前に、でっかいソファベッドが鎮座したままなの。もう少し奥の部屋が片付かないと、それをすっきりと収められる場所が作れません。だから、○○ランチコース、もうちょっと待っててね。

ところで○○に行くの、16日ですか? すごく楽しみにしてます。

18日の土曜の夜には、またパパと○○に行き、私は今度は2週間くらい滞在することになりそうです。学校やスポ少の行事に、なるべく私自身が出てあげようと思って。○○のためにも、義母のためにも。

この間はPTAの作業で、学校内の大掃除がありました。私もしっかりトイレ掃除をしてきましたヨ。

ちょっと仙台では考えられない生活ですが、それなりに楽しんでます。
○○さんのところも、公立ってそんなことしてますか?

ではね。ランチ、詳細が決まったら、ご連絡下さいませネ。

ご無沙汰してごめんなさい

2011-05-21 13:56:22 | 震災後の日々
ご無沙汰してごめんなさい
皆様、こんにちは。

ご無沙汰しています。その節は応援メールをいろいろ有難うございました。とっても勇気づけられました。しばらくお返事できないでいて、ごめんなさい。

4/7の余震の後「うつ」が激しくなり、アップダウンを繰り返しました(今もリーゼが手放せません)。大きな余震に原発の悪化、被災地の映像、加えて家の太陽だった息子が疎開してしまったので、日毎に不安や空しさ・さびしさが募って、訳もなく泣いている時間が増えてしまったのです。

頭では、息子の幸せのために正しいことをしたとは判っているのですが、やっぱり理屈ではなくハートが痛むんですね。離れている間に何か起こらないか、それが心配で心配で。すぐに跳んでいける距離ではないですから。

その後、GWも含めて二度ばかり息子に会いに行き、最近やっと彼の不在に慣れてきたところです。

もう、すっごく元気なのヨ! 主人と二人で悔しいくらい。笑) 学校の先生や周囲の方たちが、「震災で疎開してきたお子さんだから」と、最初はいろいろ気を遣って下さったのですが、すぐに「K君はまったく心配いりませんよ、お母さん」って。笑)

色白の息子でしたが、週末毎の野球でこんがりとおいしい狐色に焼け、もしかしたら地元のお子さんたち以上にイキイキと、田舎ライフを満喫しています。友達もたくさんできて。「仙台に帰りたい」の一言もないんですよ、今までにできなかった体験を夢中になって取り返している、そんな感じです。(さすがに私が行った夜は、寝ているところにぎゅうっと抱っこに来ましたけれど。)

だから、息子のことは落ち着きました。うまく定着してくれました。

私の方ですが、「うつ」から立ち直ろうともがく間に、3/18のメールでも書いたように私にとって最大の不安材料だった「浜岡原発停止」に取り組み始めました。関係者へメールでの訴えを始めたのです。

各方面からも、すごい圧力がかかったのでしょうね、連休明けにようやく管首相の決断で全炉停止することになり、一安心した次第です。まあ、他の原発もあるので安心はできないし、夏場の電力確保はこれからどうするのか、問題は山積みなのですが、一応は浜岡のチェルノブイリ化は避けられるのかなと。

それで、その辺りの自分の心の変化を記録に残しておこうと思い、整理して、先日からブログを始めました。以前のようなお気楽主婦生活ではなく、ちょっと硬めのブログです。お気楽生活の方は、これからフェイスブックでブツブツ~する予定。

○○ちゃんのような行動力が私にもあればいいのですが、まずは今の新しいライフスタイルに慣れてから。しばらくは、私にとって居心地のいいネット空間の中でいろいろ考えてみることにします。

皆さんにお返事できなかった分、その頃の様子を綴ってありますので、お暇なときに一度のぞいて下されば。フェイスブックも始めましたので、電脳空間でみんなに会えるとうれしいわ。

今日はとりあえず近況報告を。本当に、ご心配いただいて有難うございました。お蔭様で私は元気を取り戻しました~。

久しぶりに息子に会ってきました

2011-04-17 13:58:18 | 震災後の日々
4月17日、疎開している息子に会うため、そして、新しい学校の先生方にご挨拶するため、長野の主人の実家に行きました。その地から、ママ友へ送ったメールです。

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こんばんは。今日は仙台はどんな感じでしたか?
○○さん、お久しぶり。メール有難うございました。

今、○○に滞在中。Kとは3週間ぶりに会いましたが、とっても元気そう・楽しそうで安心しました。昨夜は、フク(猫)の代わりに元通りKをはさんで、オリジナル川バージョンで寝ましたが、久しぶりにあの子を思い切り胸に抱きしめて、とっても幸せでした。

今日は朝から、スポ少・野球の試合の応援でした。弱小球団なので、早速サードを任されていましたが、試合なんて初めてなので動き方がわからずモタモタ、こっちが見ていてハラハラしました。

Kも○○の、特に仲良し4人組に会えないことをとても寂しがっています。

○○ちゃん、突然の転校でごめんなさいね。Kは携帯を持っているので、電話番号とアドレス、それに住所をお伝えしておきますね。SKYPEもできるように設定するので、そのうちビデオ通話もしてやってね。

中略

○○は東北から離れているなあと、実感しています。風景も人ものどかです。アルプスの尾根には残雪、梅や桜・桃が咲き始めました。空気がきれいで、本当に、魔法を使って、今この瞬間にみんなを連れてきてあげたいわ!

でも、火曜にはまたKを任せて、主人と仙台に帰ります。無くなりかけてた勇気を少しこちらで充電してもらったから、また仙台でがんばります。

それでは金曜日にね。○○さんとも、お会いできる日を楽しみにしていますね。

(写真は、今朝のKと、のどかな試合風景、そして仙台から里子に出してるパピヨンのラッキーです。)

自立がさびしい

2011-04-15 14:00:00 | 震災後の日々
自立がさびしい
4月15日、私もようやく、少しずつ元気を取り戻しつつありました。仲のいいママ友と、やりとりしたメールです。

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メール有難うございます。

私がヘタっているのは、社会不安もあるけれど、たぶんKがぐんぐん自立しつつあることで、子離れの寂しさが大きいんですよね。だって、私のことなんかもう頭の隅っこで、大好きな野球のことがほとんど占めていて、夜、話していても、やれ「サードになった」とか「ヒットを11本打った」とか、そんな話ばかりで。

まあ、「愛されていることをしっかり感じて育った子供は、帰る港があることで安心して出ていくから、自立は早いわよ」って、友人たちには脅されていたけれど。そうなのかしら。

とにかく、たくましくなるのは確か。毎朝30分歩いて集団登校、すぐに林間をマラソンし、しいたけ菌を植えたり、森の中に建てた教室で勉強したり、飯盒炊さんしたりと。別に、へき地とか過疎地ではないけれど、全校で70人ちょっとで、毎日がボーイスカウト状態です。○○のような厳しい躾けはありません。

勉強はどうなのかなあ?と、そこも心配で。でも、それも、主人によると、長野は昔から日本一教育熱心な県で、先生はすごく尊敬されていて、しっかりしている、とか。まあ、ちょっとノロけると、実際に、主人とその兄を育ててくれた母校ですから、あんな感じの人間になってくれるのならいいかなって。

とにかく、Kの○○滞在は、主人がすごく勧めるのです。「子供は遊ぶべき時には遊んで育たないとダメなんだ。それが勉強なんだ。」って。彼はむしろ、この震災の体験がKの方向転換のいい機会になったとさえ、考えている節がある。もう、うちは中学受験はありえないですワ。まあ、それはいいけれど、母にとっては、物理的にこれだけ離れていると、それだけで心配が尽きないものでしょ。

さて、でも何とか~。波はあるけど、私は元気を取り戻しつつありますから。来週、ね、ぜひお会いしましょう。ちょっとわがまま言ってもいいかしら。私、街へ久しぶりに出て、美味しいレストランに行きたいの、今回は。

もちろん、わが家へはいつだって歓迎なのですが。自粛が長かったし、主人が「パアーっと気晴らししておいで」と。いかがでしょう?

救援物資有難うございました

2011-04-11 14:01:08 | 震災後の日々
○○様

本日、救援物質をいただきました。有難うございました。
温かいお気持ち、このような時期には誠に熱く心に染み入ります。

貴国からもわが国に様々な支援、考えられないほど多額の義捐金もいただきましたようで、まさに「A friend in need is a friend indeed.」、これほど温かい友人国家がすぐそばにいてくれることは大変に心強く、わが国にとって何と幸せなことかと存じます。私たちが貴国に深く感謝していますこと、どうかご家族様によろしくお伝えくださいませ。

さて、私どもですが、お陰様で何とか無事に暮らしております。地震や津波による直接の被害はなく、ライフラインもこの辺りは一番早く完全復旧した方ですので、生活にはそれほど不便はありませんでしたが、ただ1点、ガソリンが入手できないことには本当に参りました。大震災後、福島原発が怪しくなってきたので、早めに息子を主人の実家・長野へ疎開させたかったのですが、仙台から出発できないのです。そのため、2週間経って高速道路が復旧してから、逆に、長野の父母に車で迎えに来てもらった次第です。

今、息子は主人の実家の○○市の小学校に転入しております。いろいろ迷ったのですが、子供なりに震災のトラウマがあるだろうし、余震・原発とまだこの辺りが落ち着きませんので、思い切って、主人の母校である田舎の15人学級に転校させました。

勉強は?習い事は?と心配もあるのですが、こんな大変な時期には何より自然の中でたっぷり遊んで、たくましく育ってほしいと願っています。6日から新学期が始まりましたが、習い事はすっぱり全部無くなり、スポ少の野球チームに入り、日が暮れるまで外で遊び呆けて、Kは天国のような生活を送っています。

主人と私は仙台を離れる予定はありません。主人は大学がありますし、私も、錆び付いた免許を取り出して、何かボランティアができないか考えています。Kと離れているのは寂しいですが、幸い○○市の父は昨年まで○○を4期務めて引退したばかり、母も元気、大勢の知己に囲まれて暮らしていますので、かえって係累のいない仙台にKを置いておくより、安心感があります。

3・11を境に、私たち日本人は生活のみならず、意識も未来も変わってしまいました。地震がこれでやむのか、原発問題は福島だけですむのか、未来は余りにも不透明で、それさえなければ、復興へ向けて力強い希望も持てるのに、まだなかなか元気を取り戻せません。それでも、今自分にできる小さなことから、少しずつでも頑張らないと。。ね。

重ねて、ご厚情に深く御礼申し上げます。東京は東京なりにまた大きなリスクがありますので(まだ、東京にいらっしゃるのですか?)、どうぞお気をつけて、先手先手でリスク管理を徹底して、ご家族皆様、ご無事にお健やかにお過ごしくださいね。

また、東京に行きました折には、ぜひお目にかかりましょう。

涙が止まらない

2011-04-09 14:02:31 | 震災後の日々
涙が止まらない
こんな時期もありました。4月9日、この頃、私は「うつ」のピークだったようです。

TVを点ければ、どのチャンネルも、震災時の津波の映像、煙を上げる原発、そして、行方不明者を探す被災者の方の姿。心が休まる暇がありませんでした。

わが家の太陽だった息子も、疎開で行ってしまったし。

震災後のPTSDに近かったのではないかと思います。とにかく毎日、ふとしたことで、涙があふれてあふれて。とても辛い日々でした。

以下は、知り合いが家に泊まりに来るにあたり、「私は会えないから」と、主人に対して、ダダをこねた?メールです。

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1日泣いていてもしょうがないと思うし、困っている人は今、助けなければいけないこともわかっている。それができない自分は嫌なやつだと思うし、それがつらい。

それでも、家族以外には会いたくない。会えない。顔も髪も洗ってない。お風呂も入ってない。原発はなにも進展がない。圧力も温度も上がっている。

だから、私は息ができない。苦しいから、にこにこなんてできない。でも、相手を傷つけたくない。だから、会いたくない。お風呂は毎日でも入りに来てくれてかまわないが、私は会えない。真っ赤な目で会っても、○○さんを驚かせるだけだ。

だから、自分の部屋から出られない。たぶん、明日も。ごめん。ほんとに、私は病気なんだとおもう。でも、どうすることもできない。

自分のコントロールを失っている。今も泣いている。

4月8日:余震後

2011-04-08 14:03:41 | 震災後の日々
4月8日:余震後
まだ平常心に戻れず、感情的な書き込みですが、お許し下さい。

昨夜の地震はものすごくて、生きてきた中で一番怖い地震でした。3月の大震災の恐怖が癒えず、みんな気持ちがひどく萎えていますし、建物等も被害を受けたままのところが多いので、東北の人間には精神的に相当なダメージになりました。幸いこの住宅地の辺りだけ、ライフラインは朝には全部復旧しましたが、周辺で電気・ガス、駄目なところが多いです。主人は今、大学の様子を見に行っています。ガソリンスタンドは停電地区なので、また無くなるかも。

東北の原発は今、外部電源がダメで非常で動いているところが多いです。復旧まで時間との勝負です。圧力容器や格納容器は絶対に大丈夫という神話がありますが、周辺のケーブルや継ぎ目が破損したら、第二の福島が始まります。福島第一の作業にはこの地震の影響はないと言っていますが、今のところ、であり、また事態が悪化するのではないかと疑っています。福島に加えて、他の原発もおかしくなってきたら、どうするのでしょうか。

終わりのない原発の恐怖は、まさに地獄です。福島漁協が「安全性確認まで操業停止」と言っていますが、それをするべきは原発ではないでしょうか! ドイツはすぐに旧型の原発を一次停止したのに、なぜこれだけ余震に怯える、また南海トラフへの地震連動が明日にも指摘されている日本で、政府はその決断ができないのでしょうか。起こってからでは、何を言っても、何をしても間に合わないのに。情けなくて仕方ありません。

せめて、東海の活断層の上にある浜岡だけでも即刻停止してほしい! 津波の防御壁を作るというなら、作り終えるまでは停止するのが常識でしょう。今この瞬間にも、そ・れ・が起こるかもしれないのに。東北大震災よりもさらに広範になる地震・津波の被害だけでも背負いきれないのに、その上に東京にまで及ぶ原発災害が起きれば、もう日本は国家としての形をなさなくなります。今ならまだ総理大臣1人の決断で、それを防ぐことができるのに。なぜ、政府もマスコミもこれだけ鈍感なのか、理解不能です。

ところで、、、私たちですが、昨晩まではほぼそれなりの落ち着きを取り戻しつつありました。主人は毎日ガイガーを片手に職場に通い(仙台でも風向きにより、モニタリング値よりはるかに高い値を示す場所・時間があり、また、雨後の水溜りも高いです。子どもを帰郷させても、のびのび外で遊ばせられません。)、家には、UPS(無停電電源装置)を購入し、非常時にもネット環境だけは数時間保つように準備しました。

息子は震災後、主人の実家、長野県○○市に疎開させ、新学期からは学校も転校させています。田畑と川と山林しかない田舎の14人学級で、大自然を相手に、そしてスポーツに、夢中で遊びまくっています。それだけが今、主人と私の救いです。大好きな祖父母のもとで、地縁・血縁の安全な輪の中で、大震災のトラウマを癒してくれればと願っています。

私たちは今のところ仙台を離れる予定はありません。私も何か被災地でお手伝いできればと思うのですが、免許があっても未経験者では駄目ですね。情けないです。

まだまだ日本は非常事態です。皆さんもどうぞ、リスク管理を徹底して下さいね。


救援物資有難うございました

2011-04-06 14:05:07 | 震災後の日々
○○様 御机下

謹啓

仲春の候、皆様にはご健勝のこととお慶び申し上げます。○○の地は梅が咲き誇り、田の畦には少しずつ緑が広がり、穏やかな日差しが注いでいるでしょうか。

蕾があちこちでふくらんで、春もすぐそこまで来ているというのに、どこまでも続く瓦礫の上を吹く風がとても冷たい東北です。風光明媚で山海の幸に恵まれ、人情の厚いこの地を襲った世紀の大惨事がいまだに信じられず、白昼夢を見ているような、悪酔いしてるような心地で日々を送っています。

先日は、○○の地を出発した御社の救援トラックに、○○の父からの荷物を預かってくださいまして、また、当地では救援物質のおすそわけもいただきまして、誠に有難うございました。当時、震災から1週間たってもライフラインは絶たれていた上、福島の原発の放射能も心配で、家族3人でずっと家にこもりきりでしたので、○○からの荷物はとりわけうれしく心強く感じ、励まされました。

中略

これから、東北の復興には長い長い道のりがかかることと思います。この小さな島国では抱えきれないほどの苦しみ・悲しみを前にして、自分にいったい何ができるのか、立ちすくむ思いです。それでも、このような逆境において、いえこのような逆境だからこそ、日本人の共同体としてのまとまり、過去幾度も過酷な運命を乗り越えてきた忍耐力、絶望を超える希望を持ち続ける強さが、この小さな国土のそこかしこに芽吹いてきている様子を目の当たりにして、勇気もたくさんもらっています。世界中からさしのべられる暖かい手にも感動しています。この悲惨な出来事が今後、日本のみならず、世界中の人々の連帯につながってゆくものだとしたら、それは、犠牲になった無数の人々の大いなる鎮魂にもなることでしょう。

「3.11により、日本人は覚醒するだろう」と言われておりますが、確かに、私たちが、この脆い国土と同胞をどれほど愛していたか、思い知らされる出来事でありました。私も微力ながら、街角に残る、そして、日本人の心の中に残る瓦礫をひとつひとつ片付けて、世界に誇れる、心身ともに強固なる新生日本を作り上げる努力を、お手伝いしたいと願っています。

最後になりましたが、重ねて御社のご厚情に深く御礼申し上げます。
また、社長様はじめ社員の皆様のご健勝と、御社のますますのご隆盛をお祈り申し上げます。

謹白

4月2日:お変わりございませんか

2011-04-02 14:06:19 | 震災後の日々
4月2日:お変わりございませんか
○○様、

こんにちは。いつもお世話になっております。その後、皆様、お変わりございませんか?

さて私たちの近況ですが、おかげさまで避難生活は家で、特に大きな不自由もなく過ごすことができました。電気、水道、ガスがないのは不便でしたが、食料や水のストックはあったので、大丈夫でした。ただ、放射線が怖かったため、とにかくKを外に出さないよう、仕事に出かける主人以外は、私たちは一歩も外に出ずに家にこもって過ごしました。

先週末に東北道が走れるようになると、長野県○○市の父母が車でKを迎えに来てくれましたので、○○市に疎開させました。4月に入りましたが、現時点で放射線はこの辺りでは低いとはいえ、まだ福島原発が予断を許さない状況で、この先何が起こるかわかりませんので、事態が急変してからでは遅いと考え、このまま数ヶ月は○○に残すことにし、学校は転校手続きを取りました。

本人も、地震当日、親になかなか会えなかった恐怖や、暗闇での避難生活、その後見聞きした海岸沿いの悲惨な映像等で、子どもなりにトラウマを負っているかと思いますので、田畑と川と山林しかない丘陵地帯の14人学級で、のんびりと心を癒し、かつ、たくましく過ごしてほしいと願っています。

毎日、スカイプで話していますが、終日外で遊び、冬眠中の蛙を掘ったり、川に釣りに出かけたり、また、スポーツ少年団の野球チームにも入るようで、こちらで忙しかった習い事もすっぱりなくなり、至極ハッピーに暮らしています。

主人と私は、仙台を離れる予定はありません。代わって、○○の父母にしばらくKの面倒を見てもらうことになりますが、幸い父は昨年、○○を4期務めて引退しており、まだまだ元気で時間もできましたので、地縁・血縁のしっかりした輪の中に置くことに安心感があります。

また、○○の英語学級も長期欠席の手続きを取ったので、英語の遅れが心配ですが、まあ何とか後からでも遅れを取り戻す方法はあると思っています。叔母の1人が同時通訳者で、その連れ合いが○○の社長なので、少し海外の事情を聞いてみて、サマースクールや留学に出すことも検討しています。

3・11を境に、日本人の暮らしも未来も意識も変わってしまった気がいたします。主人も私も人とつながって、一緒に手を携えて日本の再生に取り組んでいきたいと思いますが、その前に、日本の将来を担う子どもの教育は、今までのように大量に知識を詰め込んで進学校に行かせることがベストとは思えなくなりました。しばらくは、自然の中で思いきり遊ばせ、自然からパワーをもらい、生きる喜びや未来を作る創造力を培っていってくれればと願っています。

すみません。長くなりました。

以上のように、家族全員元気に過ごしておりますので、取り急ぎご報告まで。しばらくの間、Kの姿は見えなくなりますが、どうぞご心配なきようお願いします。ご家族の皆様にもよろしくお伝えください。

震災7日目:浜岡原発

2011-03-18 14:07:44 | 震災後の日々
震災7日目:浜岡原発
皆様、ご心配有難うございます。
今日から水道が復旧し、あとはガソリンさえ街に出てくれば、通常生活を取り戻せそうです。雪も止み、青空が見えます。

夫の・医療関係者の間で、今盛んに震災に関する情報MLが回っています。その中でどうしても見過ごせないものがあり、あまりにも深刻な内容で、流すのは辛いのですが、あえてご紹介します。

以下のリンクは、2005年の衆議院予算委員会公聴会でのものです。
http://www.stop-hamaoka.com/koe/ishibashi050223.html

今回の大震災の可能性は、場所は違うといえ、予測されていたということです。そして、この東北・関東大震災で終わるものではありません。

読んでいただけるとわかりますが、いかにその予測が今の危機的な状況に合致しているか、その正確性に驚かされます。この内容から見れば、福島原発の事故は、将来の危機に対する警戒を呼び起こすものとして、まだ幸いだったとさえ、言えるかもしれません。

とにかく、あらゆる機会を捉えて、まずは浜岡原発から停止させなければ。
地震・津波の震災は乗り越えられても、原発震災は乗り越えられないと思います。

このメールも、私なりのその第一歩です。家族の命を守るためです。皆さんもよろしくお願いします。

まだ間に合いますように。

震災6日目:何故こんなことに

2011-03-17 14:11:32 | 震災後の日々
震災6日目:何故こんなことに
震災から6日目。仙台で元気に暮らしています。

主人は仕事に復帰しましたが、私と息子はずっと家にこもっています。幸い食料や水、生活用品に関してはストックは十分です。福島の原発が最大の不安材料ですが、再臨界はないということなので、その点も過剰な心配はしないようにしています。とはいえ、やはり息子は外には出せません。

ガソリンは全く手に入らず、車2台のうちガソリンのまだ残っている1台を主人が使っています。

昨日から大雪です。とてもとても寒いです。電気は復帰したし、灯油は地震の前日に満タンにしてあったので、家に暖房は入れられるのですが、節電・節約、それに避難所の人たちと痛みを共有するために、暖房は一切入れずに過ごしています。厚着をして、多くの時間をテレビなどで情報収集をしながら、息子と二人で寝室で過ごしています。

窓の外の雪を見るたびに、海岸で冷たい雪に埋もれる人々のことを考え、涙が流れます。なぜ?なぜこんなことに?と、なぜ?という言葉ばかりが頭をよぎります。でも、それは無意味ですね。天災に理由はないのです。今は何も考えずに、目の前のこと、食事をして眠って健康に注意して、1日1日新しい朝と夜を迎えてゆくだけです。

避難所の人々が支えあう姿に、本当に人間の、日本人の真の強さ・崇高さを見て、勇気をもらっています。

東京も混乱が続いているようですね。狭い地域に多くの人間が集中している、それはそれで別の問題も生じると思います。それに日本は地震の巣の上に在る国です。今度はいつ何処が地震に襲われるかわかりません。今回の震災から、できるだけ多くのことを学んで、最良の準備をしてほしいと願っています。

それにしても、日本全国から世界から寄せられる援助や励ましは本当にすばらしいです。不思議なんですが、この日本の大震災をきっかけに、日本も世界も1つ曲がり角を曲がったような気がしてなりません。唯一の希望です。

脈絡無くてごめんなさい。

返信:どうかご自愛下さい

2011-03-17 14:08:47 | 震災後の日々
返信:お体どうかご自愛下さい
メール有難うございます。

そうですね、今日、そばで絵を描いていた息子の指を触ったら、あまりにも冷たかったので、夜は暖房を入れました。

でも、息子がいつも私の傍にいてくれて、夜には主人が必ず帰ってきてくれて、今も息子と主人の笑い声が聞こえる、こんな幸せなことはありません。それぞれの場所でいつも最善を尽くせばいいんですよね。

自分がまず元気でなければ、他の人を支えてあげられない。

がんばります。

震災3日目:仙台内陸部は大丈夫です

2011-03-14 14:12:27 | 震災後の日々
仙台の○○です。

今さっき、やっと電気と電話が復旧しました。内陸部この辺りの住宅地の被害は軽いです。まだガス水道は止まっており、道路に亀裂は走っていますが、火災や崩落はこの近くではありません。私たちは全員無傷で、家もほとんど損傷ありません。

当日は、仙台市中心部の学校にいた息子を無事に引き取るまでが最も苦労しましたが、その後は夜も暗闇とはいえ家族そろって家で過ごすことができたので、本当に心強かったです。食料や水は家にストックが十分にあり、大丈夫です。今日から夫は大学の様子を見に行っています。

それよりも、海岸部で被害に遭われた方たちの惨状を知り、言葉を失っています。そちらの方面にご家族がいる方もこの中にいらっしゃるのではないでしょうか。一刻も早く救出が進むことを祈るばかりです。