8703の部屋

「ハナマルサンの部屋」です。音楽、スポーツ 世相 等々 気ままに綴ります

M氏の決断!その2.(原題「『うた』という武器を持って」)

2014-11-21 14:45:07 | 合唱
続いて第2ステージ。
信長貴富「廃墟から」・・・戦争を知らない世代の作曲家の渾身の作品。原爆、ガダルカナル島、そして沖縄地方の祈りの歌というそれぞれの題材を持つ3曲からなる組曲。筆力の高さにも唸るが、その筆力が、作曲家のイメージの深さによって現されているところに惚れた。そう、我々の世代が、戦争に対するイメージをどれだけ持てるか、ということが問題なのである。世の中は、我々の感覚を麻痺させるように仕組まれている。この作曲家は、単なる技術屋ではない。生きている、つまり、敏感であると思う。この鈍感化された世の中にあって、貴重な存在だ。

第3ステージは、誰もが知っているポップスを集めた。
寺嶋尚彦「さとうきび畑」、武満徹「死んだ男の残したものは」、そしてジョン・レノン「イマジン」・・・これらの曲が、反戦をテーマとしたものであることを知らない世代もあるだろう。それだけ、今の世の中は鈍感なのである。無関心、無感動が、いびつな世の中を形成してゆく。至近のことのみに目を奪われ、大切な何かを失った現代(目を奪われたのは、何が原因なのか)。音楽は、大切なものを取り戻さねば、と考えるきっかけになるものだと信じている。だから、私は振り続け、書き続けるのだ。

第4ステージ。
新実徳英「祈りの虹」・・・ヒロシマを舞台にした不朽の名曲。曲中、アルカデルト「Ave Maria」が引用され、その祈りの静謐で美しい和音が無残に崩れてゆくレトリックはまさに天才の技だ。歌い手はどんどん引き込まれ、その歌声は魂の塊となってホールを満たしたと思う。以上が、当日のプログラムである。

戦争を題材にした楽曲は数多く存在するが、私が選曲するにあたってこだわったのは、それらが芸術作品として存在しうるものである、ということだ。つまり例えば、イデオロギーに偏った作品は今回の選曲から外したのだ。コンサートという場所は、単純に音楽が好きな人々が集う場所である。その人の社会的な立ち位置は様々で、世界観も人それぞれである。その誰もが、音楽という大きな力によって心を動かされ、そして一つの共同体になることが出来る。これが、芸術のもつ力である。どんな演説もかなわない、音楽や芸術の力が、ここにある。

だから私は、芸術作品として高い位置にある作品のみを集めたのだ。そして、主義、主張を超えて私たち人間の奥底に存在する倫理観、死への恐怖、そして手を繋ぎ、笑い合うことへの共感と憧憬といったものを呼び覚ましたかったのだ。目には目を、攻撃には報復を、といった考え方をしている限り、この世は変わらないであろう。だからこそ、今私たちは音楽の力、そして歌の力を借りようではないか、と言いたいのである。(続く)
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M氏の決断!その1.(原題「『うた』という武器を持って」)

2014-11-21 06:49:14 | 合唱
M氏が指揮をする合唱団が創立10周年を迎えた。10周年記念演奏会の曲目、プログラムをどのような内容にするかM氏は色々と思案していた。10周年の記念に華々しい舞台を演出しようと、当初は考えていたとのこと。その過程と結果について8703は大いに考える(賛同する)ところがあり、M氏の寄稿文を紹介させていただくことにした。以下、某紙に掲載された寄稿内容である(ご本人の了解を得ている)。

プログラム内容について、いろいろ思いを巡らしているうちに、集団的自衛権の行使、そして憲法9条の解釈変更と、世の中がきな臭くなってきた。私たちが世界に誇る平和憲法が侵されようとしている。そして、驚くべきことに、この国には、この事実に無関心か、あるいは肯定的な考えを持った人間が多く存在するということだった。戦慄を覚えた。考えてみれば、この合唱団が生まれてからの10年間、私たちの住むこの日本では、そして地球上では実に様々な事が起こった。過去に想像だにしなかった天変地異が起こり、放射能におののき、各地で戦いはやむことはなかった。

そして今年。戦いを放棄したはずの国は、政治家が数の権力でその掟を破ったのだ。私は思考のシフトチエンジをした。10周年だからこそ、戦争と平和を考えるプログラムにするべきなのではないか、と思い始めたのである。あえて、華やかで明るい曲を並べるのをやめた。今年らしくていいではないか。決定したプログラムは、以下のものである。全てが、戦争を題材にした曲のみによるプログラムである。

第1ステージ。ペンデレッキ「アニュス・デイ」・・・ペンデレッキの作品には、アウシュビッツの血が染み込んでいる。トーンクラスターの響きは、無念の叫びなのである。ペンデレッキの作品を、深く理解し表現できるポーランド人以外の人種は、そう、ヒロシマの記憶がDNAとして染み込んでいる我々日本人ではないか。

三善晃「その日ーAugust6-」・・・幼いころに機銃掃射に合い、目の前で友人を亡くしたぬぐい去れない記憶を持つ三善は、自らの人生の終焉を目の前にしてもなお、ヒロシマのその時その場所にいられなかったことに対する贖罪をこの作品で表したのだ。人間とはかくも崇高でいられるのだ。(続く)
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