実は、我が家では2016年10月に自家用車を手放していた。利用頻度、高齢運転者の事故多発等々から、「そろそろ車を手放そうか?」と提案したところ、Y子も大賛成で決断したのであった。ところが、その5ヶ月後にY子の緊急入院があるとは、「少々、早まったか?」の思いが切実であった。しかし、現実を受け止めて対処するしかないので、徒歩、バス、自転車での通院を約1ヶ月続けたが、毎日のことなので身体的負担も重くなってきていた。3月、4月はまだしも、真夏を迎える頃には徒歩、自転車は年齢的に無理と考えていた。バスは本数が少なくて大変不便であった。そのような時の「車使いませんか?」というH家からの連絡はまさしく天使の声であった。11月2日、娘夫婦が車で到着するまで、本当にありがたく利用させていただきました。あらためて人の繋がりの大切さを痛感する出来事でした。ありがとうH夫妻!
ところで、毎日私が通院して何をしていたかと言えば、まずは顔を見せること、そして時にはリハビリに立ち会うこと、時にはコンビニ弁当を持参して昼食を病室で共にすること、中でも必須なことは、洗濯物を持ち帰り処理することであった。特別な用件が無ければ行く必要性が無い時もあるのだが、そのような時も欠かすことなく通った。それが日課として組み込まれてきて、私が病室へ入ると「あら~来たの!」と嬉しそうに笑うY子の顔を見るために通った。予告無しに休むことはあり得ないことであり、Y子を悲しませてはいけない!という思いが無意識に芽生え、根付いていたようである。炊事、洗濯全く駄目男が、やらねばならぬ事態に至り、洗濯機の使い方を覚え、従来はただの運び屋であったが自ら生協やコンビニでの買い物を覚え、唯一の調理として、味噌汁を自己流で作れるようになったことくらいだが、それでも何とか半年生き延びることが出来たのは、色々な人からの差し入れや支援があったこと。そして、ほとんど調理しなくても食せる品が多くなったことであろうと思っている。(明日から、「コロフェスタin東海」へ出かけます。もちろん、Y子も一緒です。)