8703の部屋

「ハナマルサンの部屋」です。音楽、スポーツ 世相 等々 気ままに綴ります

Y子闘病記 6.

2017-11-06 05:01:23 | 日記

症状が安定すると同時に、リハビリが始まった。内容は軽い身体(手足指中心)の訓練と記憶の回復(カード・写真等を見て物品名を答える)などであった。1回1時間程度の訓練が休憩を挟んで午前、午後それぞれ1,2回であったが、けっこうハードなスケジュールが組み込まれていた。そのような生活を一月ほど続けていたある日、病室を訪ねてみると自分の持ち物を全て整理し、袋詰めしてあった。私が「これをどうするの?」と尋ねると「これ以上ここ(病院)にいてもしょうがないから家に帰る。」と言い出した。しかし、「主治医が家に帰ってよろしいと言うまではここに居るんだよ。」と説得すると、比較的素直に「そうか~!」と納得したが、アイリスの団員で気心の知れた看護士のTさんが夜勤の時などは「荷物をまとめて家に帰る!」と言い張るので、「それじゃ家に電話して直樹先生に来てもらいなさい。」と言うと諦めたとのこと、彼女は電話をする要領を完全に忘却していたのである(未だに自分から電話をすることは出来ない)。

具体的症状としては、左脳のほんの一部(と思われる)の損傷であるにもかかわらず、言語を失い、数字を失い、人・物の名前を失い、方向感覚を失う、という事実があった。時計、カレンダーなど数字に関することは全く失っていた(現在は少しづつ記憶が戻りつつあるが)。しかしある時、私が歌を歌ってみようか?と童謡の何曲かを一緒に歌ってみると、メロデイーも歌詞もほとんど正確であり、歌詞などは私より確かに覚えているではないか、早速担当の指導員に尋ねてみると「歌は右脳で覚えるので大丈夫なのです。」とのこと。そのことを知らなかった私は「なんという複雑怪奇なる人間の脳よ!」と驚かされた。このようにして、8703の病院訪問は日常化していったのである。

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