8703の部屋

「ハナマルサンの部屋」です。音楽、スポーツ 世相 等々 気ままに綴ります

作曲家 猪 本 隆 ②

2010-06-11 12:57:13 | インポート

東京藝術大学入学直後から精力的に作曲活動を行う。1955(昭和30)年21歳には、歌曲<人に><うた三首><山茶花><初恋の(断章より)>を作曲。

その後も、歌劇<海に生きる人々>、<ヴァイオリン・ソナタ>、オーケストラ曲<交響曲的楽章>、歌曲<夢からさめて>、そして、卒業作品<小管弦楽の為の交響曲>と続く。

1959(昭和34)年東京藝術大学卒業。5月には京都女子大学付属中・高校教師になり、オーケストラと合唱に熱中した。引き続き創作活動も意欲的に行っている。

1970(昭和45)年京都女子大付属中・高校を退職し、滋賀大学教育学部専任講師に就任。そして、1979(昭和54)年滋賀大学を退職し、神戸女学院大学音楽学部教授となる。以後、2000年(平成12)年66歳にて神戸女学院大学を定年退職。同大学名誉教授となる。

神戸女学院大学を退官直後から体調を崩し、京都市内の病院に入院。2000(平成12)年9月22日、膵臓癌のため死去。享年66歳であった。

猪本は、日本語のよい歌を書くことをライフ・ワークとし、<青猪のうた><きつねのうた>をはじめ、多数の歌曲を作曲。歌曲集3巻を出版した。他に<尺八と弦楽器群のための「無明」>、<ローザ・ルクセンブルクのための「レクイエム」>、<オルガンのための「祈りGebet」>などの作品がある。  

                                以上、「猪本隆 遺稿集 いつも魂の歌を」より抜粋

なお、最後に「猪本 隆 メモリアル・コンサート」(CD)に添付されている津上智実氏の文中から一部分を紹介してこの稿を閉じる。

『猪本隆は生前自作の演奏に大変うるさかったと伝えられ、それゆえに当分は歌わないというスタンスを取る演奏家もいた。作曲家亡き後、これからはもっと自由にいろいろな演奏家によってさまざまな演奏が繰り広げられていくだろう。それが当然だし、そうでなければ作品はその生命を継続させていくことが出来ないとも言える。』

8月1日は、猪本隆、中田喜直の生誕日である。あえてこの日を選んで両巨匠の作品を歌う「早坂弘美ソプラノリサイタル」(ザ・ルーテルホール 13時30分開演)を楽しみにしている。

 

コメント (1)
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