にほん民族解放戦線^o^

米帝→官邸→マスコミの洗脳による植民地状態からの脱却を考えてみるブログ♪主権を取り戻し、日本の未来を考えよう。

TVは洗脳情報の受信箱として生まれ、今もその役割を果たし続けている

2016年01月25日 | 雅無乱日記

日本人をアホにするために作られたTVが、今、多くの若者から見放されつつある…。

そりゃそうだろう。つまらないし。

その結果、いまだによろこんで自らTV漬けになっている中高年のみなさまがたは、相変わらず洗脳されっぱなしだが、若者には洗脳から脱して自分で情報収集し、自らの頭で考える層が育ちつつある。


そもそも、日本へのTVの導入が、明確に洗脳を目的としてなされた、という状況証拠について“日本テレビによって日本人の心理的植民地化は完成した” というエントリーで紹介したことがある(『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』有馬哲夫著)。

今回は、この書籍より重要部分を紹介したい。

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『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』有馬哲夫著より

一九五三年一月三〇日、心理戦局は「対日心理戦略計画」をまとめた。(中略)

事実この文書では「日本は極東地域にアメリカが占めるポジションから見て戦略的にきわめて重要なので、公然のものであろうと非公然のものであろうと日本において共産主義者による攻撃や破壊工作があれば、アメリカは断固たる行動をとらざるをえない」としている。つまり、朝鮮半島やヴェトナムのように軍事介入してでも守りぬくということだ。(中略)

つまり、かくも戦略上重要な日本を自らの直接的支配から解き放つことは、大変な問題だった。アメリカ軍を駐留させることで、軍事的占領は継続できるが、心理的、政治的支配の継続は大きな課題だった。

この計画も、これまでのように直接的な方法を取れないのだということを十分認識して、間接的な方法を取るように十分注意するように関係部局に呼びかけている。“日本は独立国になった”ことを忘れるなということだ。

それでいながら、アメリカ軍の駐留という軍事的占領状態の継続を日本人に受け容れさせ、そのことを問題視しないように、そのためにアメリカを敵視することがないようにしなければならなかった。これは企業や政府でさまざまなメディアを使った心理戦、プロパガンダ、PR、広告に携わってきた、CIA、国務省、合衆国情報サーヴィス、国際情報局の経験豊富な担当者にとっても相当難問だった。

しかし、これを成功させなければ、七年間にわたる占領の成果が水の泡になるばかりか、日本の共産化を許すことになり、また日本に舞い戻ってきて再び戦いを交えて、占領しなければならなくなるかもしれない。だからこそ、慎重に時間をかけて、議論と検討を重ね、サンフランシスコ講和条約締結から二年後に計画が提出されることになったのだ。


それまでの日本は、GHQによる直接支配下にあった。その間にGHQはあからさまな言論統制を堂々と行なっていたという記録は、この書籍に詳しい。

『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』江藤淳 著

もちろん、戦前から戦中にかけても日本では検閲が行われていたが、それは国内法に基づいており、その法の存在は公にされていた。伏せ字等の使用により、検閲の存在を多くの国民は知っていた。

しかしGHQが行った検閲は悪質で、検閲していること自体が秘匿され、伏せ字や空欄の使用も認めなかったため、ほとんどの日本人は、多くの情報がGHQの検閲を受けているということ自体を知らず、したがって自身がアメリカに洗脳されているという自覚さえ持てなかったのである。

ちなみに、このような行為はポツダム宣言では認められていない。

GHQが行ったのは、占領下の日本に反抗心を抱かせないようにする…、という目的をはるかにこえて、自分たちの都合の良い偏った情報を流し、史実の書き換えまでも行う、謀略工作に近いものだった、という実態がこの書籍には書かれている。

参考:http://kamomiya.ddo.jp/%5CSouko%5CC01%5CEtou_Ju%5CGengo.htm

アメリカは、サンフランシスコ条約によって日本の占領が終わり、直接支配から外れる。そこで、メディア企業を巻き込んで傘下に置き、それらメディアによって心理操作をすることによって日本をコントロールする戦略に切り替えたのである。
心理戦はメディアのみならず、文化交流・人的交流・政治的工作を含むものだったようだ。情報操作は、映画、ラジオ、テレビ、新聞、雑誌とあらゆるメディアに及んでいたが、その中でも、特に大きな影響力を持つに至ったメディアは言うまでもなくTVである。

引き続き、『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』より引用する。

心理戦局は日本での出先機関である合衆国情報サーヴィスにこの計画をどのように実行したか、どのくらい成果が上がったのかを半期ごとに報告させていて、これを読む限りでは、その目指すところは忠実に行われていたことがいえる。

実施細目を参考にして、あえてこの計画の目標を要約するならば、目標はおおよそ次の三点になるだろう。

1.アメリカおよびアメリカの同盟国との連携を強めれば日本に経済的繁栄がもたらされるが、共産主義国と連携を深めればその逆になると思わせること。

2.共産主義国は日本を侵略しようとしており、それから守るにはアメリカ軍の駐留を受け容れ、アメリカ主導の集団的相互安全保障体制に加わることが必要だと気付かせること。

3.アメリカあるいは他の非共産主義のアジアの国々とのあいだの集団的安全保障体制は相互のものなので、日本は再軍備をして、その構成員としての義務を果たさなければならないことを日本人に認識させること。


砕いていうと、「アメリカは味方で日本を搾取するつもりはないが、ソヴィエトや中国は敵でしかも日本を支配しようと狙っている。したがって、アメリカと関係を強化すれば、経済的繁栄と安全保障が得られるが、共産主義陣営に付けば貧困と戦争が待っている」、だからアメリカおよびアメリカの同盟国と手を携えて共産主義国と戦おうということだ。

そのターゲットも、「対日心理戦略計画」には前に述べたような理由で明記されていないが、一九五一年の合衆国情報サーヴィス報告書では次のようになっていた。

1.労働者
2.学生と若者
3.知的指導者
4.農民
5.婦人組織


(中略)3.は大学教師とジャーナリストを指している。彼らはメディアに関わり、大衆に対して大きな影響力を持っている。ジャーナリストが三番目にきているのは意外に思うかもしれないが、これは記者クラスのジャーナリストのことを指していて、編集長や局長や経営者などは入っていない。

というのも占領中に日本のメディアを改造したり、検閲で指導したりした際にこのようなマスメディアの上層部と十分にコネクションを築いていたし、「指導者交流プログラム」などでも優先的にアメリカへ派遣されていたので、いまさら新たにターゲットにする必要はないのだ。(中略)

これらのターゲットに働きかける方法としては次のものがある。

Ⅰ.人的交流
Ⅱ.文化(人的なものを除く)交流


(中略)もちろん、これらのターゲットは重点目標であって、それ以外の一般日本人を等閑視していたわけではない。ただ、一般の日本人の場合特定の目的やプロジェクトのためというよりは、広くアメリカの文物に触れ、アメリカとアメリカ人について理解を深めてもらいたいというのが目的になっている。そのための媒体となったのが次の施設とメディアだ。

(a)アメリカ文化センター、日米文化センター、フィルム・ライブラリーなど

(b)日本のメディア、新聞、雑誌、書籍、映画、ラジオ、テレビなど(これらにニュースや素材や番組を提供することによって)


(中略)やはり、メディアを使ってより多くの、アメリカについてあまり関心のない人々にもアメリカに触れ、理解を深めてもらう必要がある。そこで対日心理戦略計画が強く打ち出したのは、あらゆる方法、手段、チャンネルを通じて、合衆国情報サーヴィスのニュースや素材、すなわちソース、記事、写真、映画、番組などを日本のメディアに使わせることだ。ただし、それは「いかにも作為的に行われていると日本人に気付かれないように細心の注意を払って」なさなければならなかった。(中略)

とくにこれに素材を大きく依存している例として挙げられているのは共同通信社で、「編集者たちも100パーセント好意的だ」としている。いうまでもなく、共同通信社は一二〇の報道機関(合衆国情報サーヴィスの数字による)にニュースを提供する通信社で、たとえていうなら水源地だ。

地方紙の例をあげれば、関東地区では地方新聞が、合衆国情報局製作のアメリカの外交政策についてのリーフレットをそのまま記事にしたのが三〇例ほどあると報告している。このほか、印刷物、ニュース素材を使ったとして言及されているものを羅列すれば、時事通信、改造、朝日新聞、週刊朝日、毎日新聞、毎日グラフ、サンデー毎日などになる。さらに、岩波書店、世界社、早川書房、法政大学出版局などの出版社、東販、日販、丸善のような取次店なども、合衆国情報サーヴィスの素材を出版したり、流通させたりするうえで協力したと主張している。(中略)

メディア・コントロールもここまでくると、メディアにソースや番組を提供するだけでなく、さまざまな形で、編集権まで侵害したくなる。つまり、自分たちが望むトピックを希望通りの形で報道させることだ。たとえば対日心理戦略計画には以下のような目標が掲げられている。

●アメリカと日本の国家的指導者に両国の国益が似ていることを強調させ、それをメディアで広めよ。

●我々が政府や民間のチャンネルを通じて日本の産業に与えた技術的援助を大々的に報道させよ。そしてこのような援助が産業を効率化し、価格を下げ、世界における競争力を増すということを指摘せよ。

●共産主義への幻滅を書いた文学作品を日本語に翻訳させ、低価格で出版させらければならない。

●アメリカ政府と国民は日本の自由で民主的な労働組合に好意的だということを示そうとするアメリカの労働界の指導者のことを大々的に報道させよ。

●日本共産党の暴力的な戦術は、結局所有財産の破滅に終わるだけでなく日本人の自制と秩序を求める習慣にも反することを指摘せよ。


このような目標を読むと、これはアメリカ大使館とアメリカン・センターのような施設だけでできることなのかと首を傾げたくなる。また、日本のメディアにニュースや素材を提供し、相手が自分の判断で使うのを待つのではとうてい達成できないようにも見える。やはり、言外に日本のメディアをある程度コントロールすることを前提にしていたと考えざるを得ない。


このような洗脳空間は、現在日本も引き続き維持されていると言ってよいだろう。

ここまで落ち目になり崩壊寸前になっているアメリカに、いまだに尻尾を振って付いていこうというスタンスを変えていないマスコミや政治家、知識人・文化人が多いのは、彼らが状況認識さえできないバ○であると考えるより、彼らが実はアメリカの利益を代表するエージェント(売国奴)であると考えたほうが辻褄が合う。

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「所有する」という概念(オレのものはどうしようとオレの自由)が人類を追いつめる。

2016年01月19日 | 雅無乱日記

下のサイトのSilentservice氏の投稿にドキっとさせられる言葉があった。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=158271 から引用したい。

→発言権があり、組織の頂上に君臨でき、支配権があり。
「じゃあ、しょうがないな…(だっておカネ沢山持っているから)」という”主義”。

資本主義…という言葉の意味するところは、こういう事なのでしょう。

単純に、物量(貨幣の所有量・保有量)のみが、評価の対象となるという。そして、それは所有・保有さえしていれば、どんな人格的欠陥者であろうが、精神に異常を来たしていようが、そんなことは一切関係なく最も発言権があり、行使する権限があり…

加えて言えば、その大量に保有・所有された貨幣が、どのように使われているか?も、別段留意する必要もなく、決定された事を忠実に守る大多数の人々がいれば、よくよく検討もされずに正当化されてしまう、という。



つまり、「オレのカネなんだからどう遣おうがオレの勝手だろ」ということである。

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数千年前に「文明」というものが興って以来、先住民族以外の人々の間で常識になったこの原理が、実は世界の崩壊を無限に押し進めている根幹にあるということに最近気が付いた。

例えば、「私有」という概念を持たない先住民族は、生活の場であり生活の糧になっている森林をどう扱うか。

森林が豊かだからこそ木の実や果物が採れる事を彼らは知っている。樹木があるからこそ水源は保たれ、狩りの対象の獣たちも生きていけることを。仮に樹を一気に斬って無くしてしてしまえば、自分たちや子孫が生きていけなくなる事を彼らは知っている。

だから当然、自然のあらゆる対象と対話しながら、そこに垣間見える摂理に従って生きていくだろう。

しかし「私有する」という常識を持つ文明人においては、それはまったく異なる。

実際、北米・南米の森林は別の場所からやってきたヨーロッパ人の「所有物」になってからこんなことになった。

自分が所有する土地に勝手に住んでいるネイティブは虐殺して一掃する。土地や資源の私有権をめぐって争いが起これば人を殺す事だって正当化する(戦争の基本はこの私有権をめぐる争いである)。樹が高く売れるなら、そこに生えている樹を伐採して売り飛ばす。伐採後は草を焼き払ってカネになる作物を植える…奴隷を使って耕させ植えさせる。アフリカから強制的に連れてきたアフリカ奴隷は、当然「所有物」なので、彼らが煮て食おうが焼いて食おうが取引で売買しようが自由である。もちろんカネになる動物は絶滅寸前まで狩り尽される。その土地の作物の育ちが悪くなれば、化学肥料をしこたまぶち込んで生産性を上げ(させ)る。水が売れるのであれば水源も当然所有する。そのうち水源が枯れ、土が劣化して何も育たなくなれば(カネを生まなくなれば)うち捨てられる。そうやって砂漠が広がっていく。その後、その土地がどうなろうと知ったことではない。

そこに働いているのは「オレのモノなんだから、それをどうしようが、オレの勝手だろ」という意識である。

この価値観を持つ、その土地に住んでいない第三者がその土地を「私有」する限り、その土地が持つ「カネになる」部分だけが収奪され、劣化させられた残りカスだけがうち捨てられていく。これは歴史が証明している通り必然である。そうやって積もり積もって、地球全体で生態系は破壊され砂漠は増え、大気や水が汚染され、多くの生物が棲めなくなって絶滅し、最後は人類自らも生きていけないような環境になりつつある。

※このあたりの詳しい事例については、このメキシコの先住民運動であるサパティスタのページをぜひ見て!
 http://homepage2.nifty.com/Zapatista-Kansai/EZ070325.htm

このような狂った状況を生み出したスタート地点。

それは「個人が所有する」という価値観。つまり「所有したものは、所有者がそれをどうしようが所有者の自由である」というという価値観それ自体である。

その価値観は、少なくとも結果を見る限り、自然の摂理に反しており、絶対的に誤っているということは明らかであろう。

誤解しないでいただきたいが、別に私は共産主義とかなんとかそれに類するようなイデオロギーに染まっているわけではない。客観的にこのままではマズいやろ、どうにかせなあかんやろ?と言いたいだけである。

ではどうすればよいか。これだけ「私有財産」というものが常識になってしまった世の中で、世界の崩壊を食い止めるのはたしかにかなり困難なことである。

少なくとも、その土地や環境にこれからも棲み続けるような「集団」(その土地を自分たちの一部であると感じることのできる集団)を単位としてその土地を管理し、所有者個人の自由にさせないようなシステムを創りあげることが最低でも必要であろう。それができない限りは、どんな目先のゴマカシの手を打とうが、力(所有権・カネ)を持つ一部の自己中と、彼らの洗脳によって浪費者たらしめられている人々の手によって、地球のあらゆる生態系が破壊され尽くされるのは、残念ながら原理的に止められないということになる。


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アメリカ、銃規制に踏み切れる?…アメリカがなかなか銃規制に踏み切れない本当の理由

2016年01月07日 | 雅無乱日記

>アメリカ・ケンタッキー州で4月30日(2013年)、5歳の兄が2歳の妹を誤射し死亡させたのに続いて、フロリダ州では5月4日に13歳の兄が誤射して6歳の妹が重傷を負った。ケンタッキーの事故で使われたのは子供用ライフル銃だった。大手スーパーなどで当たり前に売られているというから、アメリカの銃社会はあまりにも異常だ。

>米国では4月、幼い子どもによる銃の誤射事件が相次いだ。テネシー州では4歳の男児が48歳の女性を死なせたほか、ニュージャージー州では6歳の男児が4歳の友人の頭を撃って死なせている。

これまでのアメリカでの悲惨な銃の事件の数々。(犠牲となられた方々のご冥福をお祈りいたします。)

誕生日のプレゼントでもらった本物の銃で妹を殺してしまうとは…

 

しかし、アメリカはさすがに、いよいよ本気で銃規制に踏み込む動きを見せている。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201601/CK2016010602000246.html

でも、圧力団体や多くのWASPの世論の抵抗はまだまだ大きいんだろうな…

一般市民のテロへの恐怖を煽る形で話は進んでいくのかもしれないが、

「購入時の身分証明書の提示」程度で、これまでのような悲惨な事件が防げるのかというのはギモンだなあ。

 

この件で、マイケルムーアーの『ボウリング・フォー・コロンバイン』をまた思い出してしまった。

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マイケル・ムーアー監督の映画“ボウリング・フォー・コロンバン”http://www.gaga.ne.jp/bowling/top.html)。

これは現代アメリカ社会の病理の一端が見えてくる、実に考えさせられる映画だ。もう古い映画になってしまったが。

アメリカでは毎年10,000人以上が銃によって殺されている。それは「なんでだろう?」、がこの映画のテーマ。

(↑クリック。このニコニコ動画を見れば、アメリカの歴史の本質が分かる^^;)

そもそも、原住民のほとんどを虐殺して建国されたアメリカ。

虐殺して住み着いた連中は、復讐が怖くて銃で武装しないと恐怖から逃れられなかった。

そして、強制的にアフリカから黒人を連れてきて奴隷として使役する。

この黒人の怒りによる反逆も怖いから、当然武装する。

自分たちが歴史的に行ってきた数々の虐殺による復讐が怖くて、銃を手元に置いておかないと、おちおち眠ることもできない。だからアメリカでは銃規制ができないのだ…。

アメリカが、もともと住んでいた人々のほとんどを虐殺することによって建国された国家であること。黒人をアフリカから強制連行して奴隷として使役してその労働力を搾取して発展して行ったこと。そして、自分たちが虐げて甘い汁を吸ってきた連中が、自分たちにいつ復讐するかわからない、という恐怖が刻印されていること。

これを前提に考えると、その後の現在のアメリカの異常な価値観や行動の理由が少しは理解できる。

この映画に、第二次世界大戦後のアメリカの虐殺史を映像とともに振り返るシーンがある(バックにかかっているのはなぜかルイ・アームストロングの“この素晴らしき世界”。うーん、エエ曲や)。以下に引用してみたい。

1953年
米、イラン モサデク政権を転覆。国外に逃げていたパーレヴィ国王を傀儡として据えて独裁政権樹立を支援

1954年
グアテマラの民主政権を転覆。その混乱の中20万人を殺害

1963年
南ヴェトナムのディエム大統領の暗殺を支援

1963~1975
米軍は空爆などで東南アジア全域で民間人を含む計400万人を殺害(注①)。


注①:枯葉剤などの有毒除草剤が、何百万ヘクタールもの農地や森を破壊するために使用された。村々は徹底的に焼き尽くされ、住民は虐殺された。ヴェトナムだけで約200万人が死亡。そのほとんどが、米軍の北爆や銃撃での民間人の死亡者といわれている。

1973年
チリで軍事クーデターを支援。民主派のアジェンデ大統領を暗殺。
ビノチェト独裁政権を支援し、約5000人のチリ民間人を殺害

http://blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/e/4dd328538683b42edecf92d30fea4552

1977年
エルサルバドルの軍指導者を支援し、7万人の民間人と4人の米国人尼僧を殺害

1980年
対ソ連政索でビン・ラディンなどムジャヒディンを教育・武器援助。CIAを通じて30億ドルの資金を提供。

1981年
コントラ支援(注②)


注②:1979年、米が支援していたニカラグアの独裁政権(ソモサ政権)が市民の革命によって倒され、共産主義のサンディニエスタ新政権が樹立された。その後、米政府はCIAを通じてソモサ残党を組織し資金と武器を供与、ニカラグアに送り返した。彼らソモサ残党は、“コントラ・レボルシオン”を名乗り、市民への掠奪・虐殺の限りを尽くした。米政府はそれを支援した(コントラへ援助した資金の出所は、レーガン政権がイランに対して武器を違法売却して得ていたことが後に明らかになった)。

1982年
対イラン政策のため、フセインに数十億ドルを供与。

1982~1983年
レバノン内戦に米軍が直接介入。イスラエルと右翼のファランジ軍を支援(彼らは約2000人のパレスチナ人を虐殺)。

1983年
対イラク政策のため、イランに武器を秘密供与。

1986年
ドイツで起こった米兵に対する爆弾攻撃事件の犯人はリビアのテロリストとして、リビアのトリポリを爆撃。無実の100人の市民が虐殺される。(後にアメリカは、その事件にリビアは責任がないということを認めた)

1989年
CIA兼パナマ大統領ノリエガが米政府に反発。彼の逮捕のため2万5000人の米兵をパナマに送り込む。その軍事介入によって約3000人が殺害(うち、パナマ兵50人、米兵26人、残り2千数百人は全て民間人。殺戮された民間人のほとんどは、ゴミ袋に詰められ秘密裏に集団墓地に埋められた。)

1990年
米国から援助された武器を使って、イラクがクウェートに侵攻。

1991年
米がイラクを攻撃。イラク人の死者15万人(注③)。クウェートの独裁者を復権させる。


注③:米軍はこの時、様々なハイテク兵器の実験を(実際の戦場で)行っている。バグダッド・バスラなどの爆撃で数千人の民間人が虐殺。戦後も、米軍が用いた劣化ウラン弾、米軍の徹底したインフラ破壊、さらには米政府主導の経済制裁により、イラクは荒廃。ユニセフの推計によると、食糧不足や医薬品の不足による死者が毎月7500人、10年間で計100万人を超えるイラク人が死に至った(うち子供は50万人以上←国連の推計)

1998年
スーダンの「武器工場」を爆撃するが、誤爆。実はそこは単なる「薬品工場(アスピリン工場)」だった。

2001年~
アフガニスタンに空爆開始(注④)。


注④:現在も時折空爆を行っており、先日も民間人の死傷者が多数出ている。『アメリカはアフガニスタンで何人の人々を殺したのか!?』ニューハンプシャー大学のマーク・ヘロルド教授によると、アフガン空爆による死者の数を世界のマスメディアの報告から推計、3,000人~3,400人が殺されたと結論づけている。が、実際はその2倍から3倍と考えられている。

なお、米軍が公式にアフガニスタンでの誤爆を確認した例は数件にすぎないが、米ロサンゼルス・タイムズ紙によると、空爆が継続して行われた2001年10月から2002年2月末までに、市民が死傷した誤爆事件は計194件起き、死者数は1067人から1201人に上る


2002年~
米英軍イラクを攻撃(注⑤)


注⑤:今回のイラク戦争で亡くなった民間人の数を、随時集計しているウェブサイトうちの一つ(http://www.iraqbodycount.net/)によると、2007年8月28日現在で最大77,272人が犠牲になっているようだ。

2000.9.11
ビンラディンが(注⑦)約3000人を殺害(注⑥)。


注⑥:>ニューヨークのテロ犠牲者は、テロ直後から、5,000人、6,000人という数が連日報道されこれがアメリカの「報復戦争」への熱を煽った。そして、すでに10月半ばにはこのような数はおよそ現実的ではなく、2千数百人という数が妥当であるという論調が相次いだにもかかわらず、ニューヨーク市は5,000人という数を公式発表として流し続け、「プライバシーの尊重」「正確さを期すため」と称し反論に耳を貸さなかった。(中略)そしてタリバン政権の崩壊がほぼ確定的になってはじめて、テロ犠牲者数は大幅に下方修正された(http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Afghan/pamphlet_afghan_summary.htm)。

注⑦:なお、このテロ自体、米政府の自作自演であるという説も存在する(ルース・チェインジⅡ日本語字幕版(必見!)→http://www.asyura2.com/07/war95/msg/246.html)。

 


こうして見ると、実は世界最大のテロ国家はアメリカである、という事実が見えてくる。

アメリカは建国後235年のうち、何と214年の間戦争し続けている国。

国土そのものもインディアンから取り上げたものだし、その後も戦争を繰り返しては国土を拡張してきた。

復讐がコワくて銃を手放せない…

…しかし、子どもさえもなのか?こんな事件が起こってさえもなのか?

息子の5歳の誕生日に銃を買ってやり、その本人も枕元に銃を置いてしか安心して眠ることもできない…としたら、そんな人々は軽蔑をこえて哀れである。

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北朝鮮が水爆実験?…どうしてこうなったんだ北朝鮮『ドキュメント北朝鮮』~③千里馬運動と独裁の強化

2016年01月06日 | 雅無乱日記

どうしてこうなったんだ北朝鮮 『ドキュメント北朝鮮』より~①金日成 権力掌握まで

どうしてこうなったんだ北朝鮮 『ドキュメント北朝鮮』より~②朝鮮戦争

につづき、いよいよ、最後の③。

 

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◆チョンリマ(千里馬)運動と独裁の強化

金日成による粛清の嵐の中、チョンリマ(千里馬)運動が始まる。

大衆を大量に動員し、経済の5カ年計画を推進する。
そして、5年の計画をたった2年半で達成したとウソを発表

「産業の発展は重工業に偏っており、人々の暮らしに直結する生活用品・医療品は大幅に不足という状況」…ソ連大使はこのように本国に報告した。

その翌年(1959年)から「帰国事業」が始まる。
当時日本の左よりの多くのメディアで“地上の楽園”と謳われていた憧れの北朝鮮に、在日朝鮮人(戦前から戦中に日本に強制的につれて来られていた人々など)たちが、2年間で7万人以上帰国していった。

しかしその後、多くの人の消息が途絶えることになる。

当時副首相の補佐官であったオ・ギワンはこう語る
>北朝鮮では、生活必需品が不足していた。
>彼らは不満を募らせていただろう。
>しかし不満を口にする人は監獄へと送られた。


(一部の方々は、スパイの養成のために日本語教育などに強制的に従事させられた可能性もある。←by管理人)

金日成は軍事力を強化。1962年には、全人民の武装化をなし遂げる。つまり子供や老人や女性にも鉄砲を持たせて軍事教練をした。

当時のソ連の試算によると、60年代後半、軍事費は国家予算の50%を超えていた。そして国民生活はますます圧迫する。

その頃、ソ連のフルシチョフ(西側との平和共存を志向)と中国の毛沢東(革命闘争の継続を志向)で共産主義の路線対立が起こる。

金日成はどちらの側にも属さず、中ソ両者の間をうまく立ち回って両方の援助を獲得する(現在にも通じる外交の巧みさはすでにこの頃から?by管理人)

金日成は、中ソの対立の最中、「主体思想」を唱えた。

※画像は「主体思想塔」

政治における「自主」、経済における「自立」、国防における「自衛」を掲げ、北朝鮮独自の路線を歩むことを宣言した。

ドミトリー・カプースチン(当時のソビエト大使館情報分析官)は次のように語った。
>金日成は、人々を洗脳するプロパガンダの重要性を熟知していた。
>「主体思想」という概念を使って、彼はさらにそれを推し進めた。
>その洗脳はあまりにも早く、我々はただ黙って見ているしかなかった。


金日成による「主体思想」教育によって、歴史の書き換えも進んだ。歴史は、金日成への賛美で彩られるようになった。

http://blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/e/4211f386f6e7f8de60cb0d4cef4e4c36
…に書いたが、金日成が初めて朝鮮の民衆に紹介された時、「ニセモノでは?」とどよめきが起こったのだが、記録映画には、「10月14日、私が民衆の前に立つと、群集の歓呼は最高潮に達した」とされており、また、田舎に戻った時の写真の中のソ連のメクレルの顔が別の朝鮮人の顔に改竄されていたりする。

1968年1月、韓国大統領官邸襲撃事件が起こる。
31人のゲリラが大統領官邸を襲撃。韓国軍と2週間にわたって銃撃戦。その結果ほとんどが射殺される。

ただ一人拘束された人物の尋問映像(米国立公文書館)の中で、このように語られる、
>大統領官邸にいるパク・チョンヒ大統領を銃殺し、主要な幹部も撃ち殺す任務を与えられた

韓国の大統領を倒せば、民衆が蜂起し革命が起こる…と金日成は考えていたと伝えられる。

(これがきっかけで、金日成暗殺のための秘密部隊が結成され訓練されたが、太陽政策への転換によって暗殺計画が白紙に。訓練された兵士が反乱を起こしたのが「実尾島事件」と言われ、韓国の大ヒット映画シルミドhttp://www.hancinema.net/korean_movie_Silmido.phpのモデルになった←by管理人)

そして、その事件のわずか2日後、またもや世界中を震撼させる事件が起こる。

1968年1月、北朝鮮はアメリカの情報船「プエブロ号」を拿捕し、乗員82人を拘束した。
北朝鮮は、領海侵犯したことをアメリカが謝罪しない限り、乗員は解放しない…と警告。
当時のジョンソン大統領は「公海にいた(領海侵犯などしていない)」と反論。
アメリカは北朝鮮への報復爆撃のため航空母艦3隻と200機以上の戦闘機を出撃させた。

軍事同盟を結ぶ北朝鮮がアメリカと戦争になれば、ソ連も巻き込まれる恐れがある。その状況に、ソ連が震撼し、当時のソ連の首相コスイギンは、ジョンソン大統領に直接書簡を送った。

>この問題を解決する為には、軽率な行動を取らないことです。(コスイギン)

書簡の2日後、ジョンソン大統領は北朝鮮に協議を呼びかけるという方針に転換した。

一方、金日成は次のような書簡をモスクワに送っている。
>我々は、侵略者に対し、反撃を加える準備をしなくてはなりません。
>戦争が起きれば、ソビエト政府は我々と共にアメリカ帝国主義と戦うと確信しています。
>その場合、総力を動員して我々に軍事援助を与えてくれることを望みます。


ソ連のブレジネフ書記長が金日成の説得に乗り出した。金日成をモスクワに呼ぶが、彼は国を離れられないとソ連訪問を拒否。

そして板門店で、北朝鮮とアメリカとの直接交渉が始まる。

11ヶ月に及ぶ長期交渉の間、北朝鮮側は「謝罪しなければ乗員は解放しない」を繰り返す。

そして、ついにアメリカ側が譲歩。北朝鮮が用意した謝罪文書に形だけサインした。おかげで、乗員82人は無事解放されたが、プエブロ号の返還は拒否された。
その際のフィルムも、「帝国アメリカが北朝鮮に膝を屈した」として、金日成のプロパガンダに利用された。
※プエブロ号は北朝鮮に展示され、これも現在に至るまでプロパガンダに利用されている。

この「プエブロ号事件」の外交的勝利に味を占めた北朝鮮は、その後も強硬主張を繰り返すことになる。“瀬戸際外交”はここから始まった。

こうして北朝鮮は、完全にソビエトのコントロールから外れ、70年代に金日成の個人崇拝が大幅に強化されたのである。

この頃から裏では既に、金正日への権力の継承準備が着々と進んでいたのであった。(4/2放映の「NHKスペシャル:ドキュメント北朝鮮」まとめはここまで)
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うーん、壮絶な歴史だ。

大国に翻弄され、自国民同士で殺し合いをさせられ、間接支配される中で、したたかに立ち回ってきた金日成はある意味すごい。日本は相変わらずアメリカの間接植民地状態であることを思えばたいしたものだ(もっとも多くの人にその自覚は無いが)。

前世紀のスターリン型独裁の政治形態をそのまま残して国家が成立しているところに、北朝鮮の危うさがある。軍隊を強化し、情報を統制し、人民を貧困のままの状態にしておくことで、支配を永続させている。国内の統合もまさに“瀬戸際”という感じだ。

核開発にしても、本音では彼らは決して放棄するつもりはないだろう。彼らなりの生き残る為のギリギリの選択肢なのだ。大国の圧力の中で、瀬戸際外交をしながら存在を続けている金正日とその側近連中は、国際社会やマスコミからは「キ○ガイ」扱いされているが、実は極めてしたたかなのではないだろうか。

それに比べて、大国の真の意図を探ろうともせず言われるがままに搾取されまくっている日本は、「北朝鮮は危険だ!日本に攻撃してくるかもわからん!」みたいなニュアンスで騒いでいるが、これもおどらされているだけなのではないかという疑いが頭をもたげる。

※この番組については、↓このサイトが非常によくまとめてくれている。併せて読んでみて…お勧め!
http://blog.goo.ne.jp/blue-jewel-7/e/f379914603d6e62e69dfbc0ccb5ff390


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北朝鮮が水爆実験?…どうしてこうなったんだ北朝鮮 『ドキュメント北朝鮮』より~②朝鮮戦争

2016年01月06日 | 雅無乱日記

前のエントリーNHKスペシャル『ドキュメント北朝鮮』のまとめの続き。

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その後、北緯38度線で分断された朝鮮半島は戦火に巻き込まれることになる。

1950年6月、北朝鮮は南に進行を開始。
ソウルを陥落させ、一時、南端の釜山の近辺まで迫る。
ところが、南から国連軍(実質は米軍)が介入し、一気に北に押し返す。
さらに、中国やソ連が北に加勢し、南に押し戻す。
別名「アコーディオン戦争」と呼ばれる所以である。
この戦争で、国土は荒れ果て民間人が大量に殺戮され、難民が溢れた。

詳しくはウィキペディア「朝鮮戦争」を参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89

この冷戦の代理戦争で、同じ民族同士で血で血を洗う争いが繰り広げられた。
この状況をちょっと想像してみてほしい。例えていうなら、東京を首都とする東日本と、大阪を首都とする西日本が戦車やミサイルや戦闘機を使って全面戦争をするようなものだ。
戦闘自体も凄惨を極めたが、それ以外にも家族は分断され、同じ民族で敵味方も見分けも付かずスパイや密告は横行、隣人への疑心暗鬼は増大し、朝鮮民族に大きなトラウマを残した。
100万人以上が死に(一説には400万人とも言われる)、1000万人以上が離散家族となった。

※画像は↓ここから。朝鮮戦争を描いた映画“ブラザーフッド”より
 http://www.inbong.com/2004/brother/
 (まだ観てない人は“シルミド”とともに必見!)

1953年、大量の犠牲を出して朝鮮戦争が終結すると、金日成は、「我々はアメリカ帝国主義に勝利した」というプロパガンダを始める。

その間、ソビエトから政権周辺に送り込まれたソ連系朝鮮民族が、金日成を支えた。その数400人以上。

カザフスタンに住むそのうちの一人、チョン・サンジュン元文化宣伝長次官が取材に応じ、こう語る。
>スターリンと同じように金日成も絶対的に崇拝されるべきだと当時は考えた。それが当時は正しいことであり、疑いは全くなかった。

その後、金日成は権力を利用して、反体制派の粛清を始めた。

当時の朝鮮は4派閥があった。
①国内派:朝鮮半島で抗日活動を行っていたグループ
②ソ連派:ソ連系朝鮮人のグループ
③中国派:中国で抗日活動を行っていたグループ
④パルチザン派(満州派):キム・イルソンの派閥(当時は最小だった)


まず、副首相のパク・ホニョンが、アメリカのスパイとして逮捕され、処刑された。
その後、朝鮮戦争の失敗の責任の全て押し付け、パク・ホニョンの派閥(国内派)を一掃する。

次に、スターリンの死によってソ連からの統制が緩み、粛清の刃をソ連派に向ける。
スターリン政権をモデルに金日成の個人崇拝を押し進めてきたソ連派は、自らが与え強化したその強大な権力によって次々と粛清・追放されることになった。

ソ連がフルチショフ体制になりスターリン批判が始まると、金日成の個人崇拝も批判されるようになる。
金日成は、フルチショフより直接提言を受け、一度は「個人崇拝を排除する」と約束したと言われている(しかし、彼は逆の方向…つまり個人崇拝の強化へと突き進む)。

ソ連からの批判で勢いづいた中国派がクーデターを計画。
党大会で金日成を正面から批判する。

当時副首相の補佐官であったオ・ギワンはこう語る。
>中国派の一人が金日成の個人崇拝を批判しました。すると、パルチザン派が大勢で罵声を浴びせたため演説を続けられなくなった。他の中国派は発言することさえできなくなったのです。

金日成は、実は事前にクーデターを察知していた。
これをきっかけに粛清の波がまさに中国派を襲わんというときに、再びフルチショフが動いた。
中国の毛沢東とともに特使を派遣したのである。
金日成は、中国派の除名を一時撤回する。

しかし、翌年再び中国派を除名。その波に乗ってついに思想弾圧が開始される。
一ケ月で2000人以上が摘発。裁判は公開され、300人以上が公開銃殺された。

この事態を、ソ連は黙認した(共産主義陣営の一員で、しかも自分達が創ったか依頼政権に「問題がある」ということを公に認めるわけにはいかなかったためだろうと言われている)。



<③につづく>

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北朝鮮が水爆実験?…どうしてこうなったんだ北朝鮮 『ドキュメント北朝鮮』より~①金日成 権力掌握まで

2016年01月06日 | 雅無乱日記

北朝鮮が水爆実験を…

http://jp.reuters.com/article/north-korea-nuclear-success-idJPKBN0UK0AM20160106

世界中が大騒ぎである。

北朝鮮っていったいどういう国なん?言ってることもどうもわけわからん。どうしてそないなったん?という素朴な疑問がわいてくる。

…ということで、ちょっと勉強してみることにした。

と言っても、以前録画しておいた、NHKスペシャル「ドキュメント北朝鮮」を観ただけなんやけど。

せっかくなので内容をまとめてみた。何かが少しでも浮かんでくるかもしれない。

以下、2006年4月2日(日) 午後9時~9時59分 総合テレビで放映“ドキュメント北朝鮮” 第1集 「個人崇拝への道」 から 感想込みでまとめてみる。

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北朝鮮=朝鮮民主主義人民共和国の初代指導者は金日成(キム・イルソン)

彼は、実はソ連によって見出され、個人崇拝によって絶対権力を手にしてきた。
「ドキュメント北朝鮮」第一回は、旧ソ連から出てきた秘密文書をもとに、金日成が絶対権力を得るまでの軌跡を追う。

※上の画像はピョンヤンにある金日成像(なんと高さ23m)。1972年に金日成生誕60周年を記念して建立された。
  画像はここ「チョンゲグリのページ」よりお借りした↓
  http://www.jakonett.com/03north94-02.html


◆権力掌握まで-スターリンの傀儡政権としての出発
金日成は、“朝鮮人の部隊を指揮して、悪辣な日本軍から朝鮮の人々を解放し独立した”と北朝鮮の国民には信じられている。
しかし、それは実は真っ赤なウソ。
ソ連の秘密文書によると、金日成の経歴は次のようなものである。

19歳から、旧満州で抗日ゲリラ活動をしていた。
その後、ハバロフスクに逃れ、ソ連極東軍の88特別旅団に所属。
その88特別旅団とは、ソ連が創った朝鮮人と中国人による部隊だった。
彼は、軍司令官などではなく、一つの小隊の指揮官にすぎなかった。

当時の金日成の上官であったワシーリー・イワーノフ(当時のソビエト極東軍中佐)は語る。

>私が彼に、戦略や戦術教え込んだ。
>「朝鮮軍」などというものは存在しなかった。


実際に朝鮮北部を解放(?)したのはソ連軍だった。
朝鮮人部隊はソ連軍に参戦を進言したが、却下されており、戦いにも参加していない。

当時のソ連はスターリンの独裁下にあった。
北朝鮮にソ連の傀儡国家を作るために、その候補者を面接したのが、当時のソビエト軍事特別宣伝部長であったグレゴリー・メクレルだった。

>私は、候補者と面接し、ソビエトへの忠誠度や能力を測った。

当時候補として名前が挙げられていたのは、「朝鮮のガンジー」と呼ばれる民族主義者であり国民的に人気もあったチョ・マンシク
メクレルは面接で、チョ・マンシクは指導者として信用に値しないと判断(心底ではソ連に忠誠的でない…つまり傀儡としてコントロールしにくいと判断)。

金日成についてはグレゴリー・メクレルはこう語った。
>ずっと満州やハバロフスクにいたので、朝鮮国内のことは知らないと思っていたが、実によく知っていた。

結局、ソ連は彼を指導者として選び、北朝鮮を間接支配下に置くことにした。
おそらく、チョ・マンシクより若いし、御しやすいと考えたのだろう。
(その間接的証拠として、金日成は帰国直前にモスクワに呼ばれスターリンと会談したという話しは有名)
そして、1945年10月14日、ソビエト軍の歓迎集会、数万人の前で、金日成は“抗日闘争の英雄”として紹介される(当時33歳)。
金日成は、満州での抗日運動で名前だけは朝鮮の人々に知られていたが、人々は意外な反応を示した。
「若すぎる」「あれはなんだ?ニセモノじゃないか」ということで会場は大騒ぎに…。

そこでメクレルは策略を練る。
金日成に「故郷に行くと発表せよ」とアドバイス。
彼は側近をつれて故郷に戻り、大歓迎される。それを新聞を使って大々的に発表し、ニセモノ説を打ち消した。

ソ連の秘密警察やソ連から送り込まれた朝鮮系のエージェントたちのもと、1948年に朝鮮民主主義人民共和国は設立される。

その時の演説で金日成はこう言ったと記録されている。
『朝鮮民族の解放者であるソビエト軍と偉大な領導者スターリン大元帥万歳!』(米国立公文書館資料)
建国パレードにも、スターリンと金日成の肖像画が並べて掲げらたのだった。


<②につづく>


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