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米帝→官邸→マスコミの洗脳による植民地状態からの脱却を考えてみるブログ♪主権を取り戻し、日本の未来を考えよう。

元宗主国である欧米も旧植民地に対して公式謝罪すべき

2008年02月29日 | 雅無乱日記
今日はこのニュースをあらためて取り上げてみたい。

200年を経てアボリジニに公式謝罪・豪政府http://www.afpbb.com/article/politics/2350297/2635836

日本のメディアでは大して大きく扱われていないが、これはある意味かなり画期的な事だと思う。

オーストラリアの先住民アボリジニは7万年前からそこに暮らしていたと言われている。それが、西暦1700年台あたりから、英国からの流刑者を中心とした白人の入植が始まった頃から悲劇が始まる。

アボリジニは、アメリカの先住民(インディアン)同様、土地を追われ、虐殺され、その過程で(ヨーロッパ人が持ち込んだ疫病の影響もあっただろうが)当時の人口の9割が死に、1割しか残らなかったと言われている。

白人が、アボリジニを標的に(銀河鉄道999で機械伯爵がやっていた人間狩りと同じ)スポーツハンティングをしていたというのは有名な話である。

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アボリジニと言えば思い出すのは、2000年のシドニー五輪の閉会式で演奏した世界的なミュージシャンであるマンダウィ・ユヌピングである。

NHK教育テレビで2001年10月に放映された、『未来への教室』マンダウィ・ユヌピングは記憶に残る番組だった。

ユヌピングは、先住民族アボリジニの血を引いている。民族の伝統的な楽器とロックを組み合わせたバンド「ヨス・インディ」で世界に広く知られているミュージシャンである。

『未来への教室』特別授業の舞台は、ユーカリの森に覆われたオーストラリア北部のアーネムランド。アボリジニの居住区イルカラ村の子どもたち10人と、20km離れた白人の建設した町ノロンボイの子どもたち10人が生徒として集まった。

奥ゆかしいアボリジニーの子どもたちに対して、白人の子どもたちのズケズケした尊大な態度が対照的で印象に残った。

イルカラはアーネムランド北東部にある人口600の小さな村。学校はただ一つで、5歳から18歳まで、およそ150人のアボリジニーの子どもたちが通っている。

ユヌピングは、かつてそこの校長先生を務めていた。

番組のテーマは、アボリジニーが背負わされてきた歴史を知り、民族を越えて共に歩いていく道を探そうというもの。

まずユヌピングは、オーストラリアが18世紀後半にイギリスによって植民地にされてから、アボリジニーの人たちが差別と偏見に苦しめられた歴史ついて語った。

それより数百年前に、実はインドネシア方面からの漁業民が、アーネムランドを訪れており、そこでは交易が行われていたらしい。そんなことがあったから、アボリジニは、将来の侵略者となるイギリス人を歓迎をもって迎えたらしい。しかし、それは結果として大きく裏切られることになった。

最もショックだったのは、オーストラリア政府の鉱山開発の話。

1960年代にアーネムランドに、ボーキサイトが大量に埋蔵されていることが分かってその土地の権利を、政府が勝手に開発企業に賃貸したため、アボリジニーの人たちが生活の場としていた森は徹底的に破壊された。

村長だったユヌピングの父は、それに抗議して、政府に嘆願書を提出したのだが、それは完全に無視され、彼らが住んでいた土地は、コンビナートとなり、今も日々噴煙をまき散らしている。

その嘆願書を無視された後、ユヌピングの父は失意のうちに世を去った(イダキ:ディジュリドゥーの演奏にあわせた彼の歌が、番組中に少しだけ流れるのだが、とても印象的だった)

現在も、コンビナートのど真ん中に、大昔から村人たちが精霊が宿ると崇拝していた木が、一本だけむなしく残っている。

ボーキサイトの露天掘りは今も行われている。アーネムランドは、年間600万トンのボーキサイトを産出する世界でも有数の鉱山となり、今でも、なんと毎年135ヘクタールの森林が失われていっている。

はじめは一方的に開発を強行していた鉱山会社も、1980年代になるとやっと、採掘が終わった土地を森に戻す事業を始めているそうだ。ただしそれは申し訳程度にしかなっていないようだが。

ボーキサイトの輸出先の筆頭は日本。なんともやりきれない。

同様のことが、他の場所でも行われた。

映画“ジャビルカ”の紹介サイト
http://japan.nonukesasiaforum.org/japanese/jabiluka/
同じくアボリジニで、オーストラリアカカドゥ国立公園に作られようとしているジャビルカウラン鉱山に抗する人たちを描いた映画である。
jabi2_02.jpg(16565バイト)

オーストラリア政府は、かつて、反抗心やアボリジニ独自の文化を潰すために、同化政策を強力に推し進めていた。

そこで行われたのが、悪名高い、このような政策だった。
        http://www.asyura2.com/0601/social3/msg/428.html

人種隔離政策の他に、1910年頃から1970年代にかけて、アボリジニの子供を親元から引き離し白人家庭や寄宿舎で養育するという政策も行われた。アボリジニの子供も白人の「進んだ文化」の元で立派に育てられるべきという独善的な考え方に基づくもので、政府や教会が主導して行なわれたもので、子供のおよそ1割が連れ去られ、結果として彼らからアボリジニとしてのアイデンティティを喪失させることとなった。彼らは「盗まれた世代」(Stolen Generation)と呼ばれている。(ウィキペディア「盗まれた世代」より)

この実に信じられないようなエゲつない政策によって生まれた『盗まれた世代』は、最近、映画『裸足の1500マイルとしても公開され、話題になった。
          子どもを連れ去る警官

なんとアボリジニがオーストラリアの国民として認められたのは、わずか40年ほど前の1967年。しかし、上の強制隔離政策は、つい最近の1980年くらいまで続き、悲劇が平気で繰り返されてきたというからまったく驚くほか無い。

2008年2月19日の中日新聞夕刊11面によると、白人たちの中にはこんなことを言っている人も多いらしい。「隔離は子供にとって有益なケースが多かった」「『盗まれた世代』との言葉は不適切だ。『親と離れた』との表現が適切」だとさ。ふざけるな。

オーストラリアのハワード前首相は、“アボリジニへの白人同化政策は「過去の」オーストラリア政府の問題であって、現代のオーストラリア政府が謝罪するべき問題ではない”とし、11年間にわたって謝罪を拒み続けてきた。

そして、やっとラッドになって今回の謝罪となったわけだ。と言っても何ら具体的な補償がなされるわけではないらしいが。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080219-00000001-omn-intより

アボリジニを「野蛮人」と呼び、幼い子どもたちを親元から強引に連れ出し、その子どもたちの人間性を無視し、虐待し、白人社会の中で彼らを「同化」させようとした。自分がこの立場であったらと想像すると胸が張り裂けそうなほどの痛みを感じる。心のある人間であれば自分の身に置き換えなくてもその痛みは想像を絶するほどのものであったことがわかるはずだ。

まったく同感である。

人類には「同化能力」というのが備わっている。対象に同化し、相手を自分自身のように感じる能力である。何百万年の人類進化の歴史の中で、極限的な自然圧力に晒されながら、仲間を自分自身のように感じる共感能力を発達させたのだ。これが、究極の弱体生物である人類を生き残らせ、進化させてきた。

白人のこの仕打ちを見ていると、人類なら誰しも備えているはずの「同化能力」に欠陥があるとしか思えない。

現在、迫害はゆるんでいるが、別の問題がアボリジニを苦しめている。

アボリジニの半分が生活保護を受けている状態で、彼らはアルコールに極度に弱いらしく、多くの人がアル中になっているという。

彼らがともに生き、生活の糧としていた森林や土地を奪っておいて、「ほら、代わりにカネをやって生活だけは保障してやるよ」というわけである。

そして、自分たちのおかげで文明にあやかれたんだ、自分たちのおかげでメシがくえるんだ、といわんばかりの白人たちのスタンスに、やり場のない怒りを感じる。

ところが、それでも、『未来への教室』に出てきたユヌピングは、過去を総括しつつ、過去を超え、音楽を通じて世界が一つになる日を夢見て、子供たちに熱く語るのだ。

まったく、ユヌピングのそしてアボリジニの人間の大きさに感服してしまった。白人だったらそれだけひどいことをされて許すなんてことは絶対にありえない。


ラッド首相の謝罪は、これまで開き直ってきた白人たちのスタンスに大きな一石を投じるという意味では、実に歴史的な事である。もちろん、「これまでそれさえやってへんかったんか?」と問いたくなるが、少なくともやらないよりはマシであろう。

しかし、これに匹敵するかそれ以上のエゲつない事を繰り返してきたヨーロッパ諸国やアメリカは、旧植民地に対して公式に「謝罪」など一切やったことは無い。

過去100年以上にわたって踏みにじってきた多くの先住民に対し、欧米諸国は公式に謝罪するのが当然だろうと思うのである。

このオーストラリア政府の動きを機に、そのような社会共認を形成していく必要があるのではないだろうか。
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マトリックスの世界は現実?

2008年02月24日 | 雅無乱日記

自分は「生きてこの世界に存在する」と信じていたが、実はそれらは全て人工知能が支配のために創り出した幻覚であった…。人間は、ブロイラーのごとく小部屋で養分を与えられて育てられ、夢を見させられながら死ぬまでエネルギーを吸い取られ続ける、単なる家畜に過ぎなくなっていた。

これが、この映画「マトリックス」が描き出す未来世界である。

作者が、これを現代人の現状の暗喩として使ったのではないかと思って、ぞっとした。

この映画「マトリックス」の暗喩から、現代社会のもう一つの側面を連想する。

映画の中の人々は、人間が創り出した機械(AI)により造られ与えられている20世紀末の幻影を、リアルワールドだと思い込んで、仕事や趣味、セックスなど日常生活を送っている。その中にいる限りは、それが人工的に造られ与えられている幻影であることに気付かない。

ある意味、私たちも似たような状況下にあると思う。

なぜそう思うかについて、西洋列強による植民地支配をヒントにしながら、私なりの見解を書いてみたい。

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大航海時代より以降、植民地の人々は西洋人にとって奴隷となった(当時、西洋人にとって植民地の人々は“人間”の範疇に含まれていなかった。もっとも、白人にとって有色人種は人間という範疇に含まれていないようなニュアンスを、私はいまだに感じるが)。

植民地の資源と奴隷の労働力が生み出した余剰を元手に、西洋では産業革命が起こる。商品生産の効率は飛躍的に上昇、同一企画の大量生産が始まり、本国の需要が飽和した後、つくりすぎた商品の押しつけ先として植民地にスポットがあたるようになる。

植民地の下層の人々は、本国の富裕階級のための趣向品の育成(コーヒーや香辛料など)や発掘(貴金属など)もしくは喰えない商品作物(綿花やゴムなど)を栽培する労働に従事させられた。そんな中で奴隷の叛乱が頻発するようになり、「鞭」だけでなく「飴」付きで本国は対応せざるをえなくなる。

例えばこういうことだ。植民地を治める地元の有力者には「私は本国の人間であっておまえら半家畜とは格が違う。それは大前提だ。だが、地元の奴隷達をよくまとめて働かせることができたら、特例としておまえに人間の権利を一部与えてやろう」そして、植民地支配者から地元奴隷へは、「おまえらは単なる奴隷であって人間ではない。それは大前提だ。だがよくがんばっているやつには、本国の商品を買う権利を認めてやろう」。

私権時代、自由を奪われた限定された状況下で、少し上の豊かさをちらつかせられたら、彼らに選択の余地はない。

欺瞞に満ちた権利の切り売りがこのようにして進んでいく。しかし、本国の支配・資本家の支配という構図は変わらない。発展途上国においては、建前上、平等で身分の差などはないことになっているが、未だ実質的にはこの「支配の構図」の中にほとんど全てがおさまっている。


この話を、過去の話に過ぎない、本国の支配者と植民地の奴隷の話に過ぎない、とみなさんは思われるだろうか?

「権利を切り売りされた奴隷」というのは現在日本の労働者も、植民地の人々も基本的にかわらない、と私は思う。株式会社法の条文を見るとよく分かる。会社はあくまで株主のもの。労働者は経営者に雇われている奴隷に過ぎない。

当時の植民地の人々との違いは、実は欺瞞に過ぎないのだが“一応” 民主主義といわれている世の中になっていて、“一応”法によってむちゃな労働条件を強制されることから守られている点(要するに切り売りされた権利をたくさんもらって、一応人間らしい奴隷になっている点)。そして、

「市場社会の、ともかく物を買わせようとする仕組み」
「物を買うことによる幻想と快感の麻薬中毒病」
とは、この方の言(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=4215


奴隷であることに気付かせまいとするがごとく、日々メディアによって欠乏を喚起され、幻想の目的に向かわされ、そして「飴」を与えられ快楽中毒に麻痺している点。(飴をしゃぶらされているうちに自分が奴隷であることを忘れてしまったというのが近いか)

その2点くらいである。

(もっとも、発展途上国では、現在も奴隷状態が続いているが。)

楽しい夢を見ながら「マトリックス」にエネルギーを吸いとられ続ける、映画に出てきたブロイラー人間たち。私には、彼らと現代人との違いを見つけることは困難に思えた(もちろん私自身も例外とは言えない)。


映画「マトリックス」のその後の展開は、ご存知の通りハリウッド映画お決まりの勧善懲悪のストーリー。主人公は「覚醒した」仲間と共に強大な敵に挑む。

「せっかくプロットがおもしろいのに、他に展開のしようがなかったのかなぁ。もったいない」という感想を持ったが、エンターテイメントとして売れる映画を作るには、そういったコテコテのストーリーである必要があるのかもしれない(特にアメリカ人は勧善懲悪のストーリーが大好きだ。国際社会でも正義面をして無茶をするのがお好きなようだから…)。

この映画自体もまた金もうけの目的で造られた以上、現代人への痛烈な批判・問題意識の喚起へ向かうベクトルはそもそも無い。大衆に受けるようにつくられた幻想の一つに過ぎない。事実、記録的な興行成績を残したそうではないか。


マトリックスの世界では、黒服でグラサンかけた幻影が「覚醒」した人間を処分してまわるが、少なくとも私たちは、誤った幻想観念に生きて異を唱えることができる。誤った観念の呪縛、ひいては現状のブロイラー状態から解放されたいと私は切に望むし、みんなそうであればいいと思う。新しい社会のあり方の可能性を探っていきたい。

それには、まずは、メディアや一部の発信者が振り撒いている情報のどれがホンモノでどれが欺瞞にすぎないかを正しく識ること(一見きれいに見えるからといって正しいわけではない。欺瞞とはそういうものだ)。そして、固定観念から自由になった上で歴史や社会・人間を捉えなおしていくことが重要だと思う。

と、口で言うのは簡単だが、実は「気付く」のは極めて困難である。私たちは、日々繰り返し欺瞞に満ちた情報を大量に摂取して生きているからだ。

しかし、諦めても否定してるだけでも始まらない。インターネットというツールがある以上、可能性に賭けてみるしかないと思う今日この頃…

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TBSもアメリカによる食糧支配に斬りこんだ?

2008年02月15日 | 雅無乱日記
毎週日曜の朝にやっているTBSの「サンデーモーニング」(司会:関口宏)という番組で、「ギョウザ事件で見えてくるもの」と題して、日本の食糧自給率について扱われたそうだ。

0310.JPG

※画像は「社会実情データ図録」より

日本の食糧自給率は、ご覧の通りこんな悲惨な状況になっている。

この2月10日(日)の番組内容が、民放TVには珍しく、本質に迫る中身だったらしく、多くのブログで話題になっている。

その中の一つを紹介したい。

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ブログ:「神後記」さんより

今朝のサンデーモーニング(関口宏のやつ)は、めずらしくいい内容の特集を放映してくれた。

テーマは日本の食料自給率。

1961年の農業基本法。

この用語は、学校でも習うけどなんとなく良いイメージを抱かせる。だが、この法律の実態とは実は

米以外の大豆・小麦は外国(もちろんアメリカのこと)にまかせましょう…という、トンデモない法律だったというのだ。

その結果、学校給食プログラムがはじまり、ご存知のパンと牛乳、おまけに先割れレスプーンという日本の食文化と食事の作法まで崩壊させる原因となった。

アメリカは戦争中の兵糧確保のために小麦を増産した。そのため、戦後、余った小麦をどうしても日本に売りつける必要があった。もちろん、日本も値段が安くて栄養価の高い小麦・乳製品を受け入れざるをえなかった。そんなアメリカ農業界の圧力が、今の日本の食糧危機を招いているというわけだ。

うーん、そんなこととは全く考えていませんでした。おそるべき、したたかな戦略です。
50年、100年先を見越しての戦略なんですね。

敵ながら天晴れ!

そうすると、日本の捕鯨を禁止させようとするのも、アメリカの牛肉を売り込むための戦略なんですね。

なお、国の基本=農業を崩壊させたこの農業基本法を反省し、これを廃止して成立したのが

1999年(平成11年)の

「食料・農業・農村基本法」(受験生泣かせの長い法律)・・・きっと中身は小学生には理解できないでしょう

この法律は、疲弊した農村を回復させ、食料自給率を全国民の立場から向上させるとともに、国土・自然の保護にもなるという、うまさに、三位一体の改革をめざした法律。

だけど、この法律に立案に奔走した地方出身の議員たちは、郵政反造組みとしてそのほとんどが落選!したという。

さらに、この法律に理念にのっとた施策は、ほとんど実施されていないらしい。中間山地に使途不明の補助金がちらほら出たり、庭に木を植えただけで補助金をもらったとかの出来事があっただけといわれている。しかも、食料自給率は下がる一方。(目標は2010年までに45%。現在37%!)

法律があっても、実態に反映されないのは、憲法と同じ。・・・ってわけですか。

これまではごく一部の人の話題でしかなかったことが、こうしてタブーを破ってTVで放映されるようになってきた事に、時代の流れの変化を感じる。ここへきて、アメリカによる支配と洗脳について一気に国民全体の問題になればいいなと思うのだが…。

実は、このようなアメリカの食糧戦略は、周到に準備されて、日本だけではなく全世界で為されている

詳しくはここを参照してほしい。

世銀・IMFは「援助」のためなどではなく、途上国から徹底して収奪し尽くすために存在する

強大な軍事力ばかりが目立つのだが、実は他国を食糧援助漬けにして実質支配するというのはアメリカの十八番であり、軍事力と両輪となってアメリカのグローバル帝国を支えているという事実を見逃してはならない。

ここ→るいネット:日本の「食」もアメリカに支配されているに、このアメリカの食糧支配について扱った書籍:『アメリカ小麦戦略』鈴木猛夫著の要約が紹介されているので、抜粋したい。

■昭和20年代(1945年~)---アメリカで農産物の過剰生産、過剰在庫
 戦後日本人の食生活が急速に欧米化した裏にはアメリカの存在があった。アメリカは昭和20年代、小麦、大豆等の過剰生産、過剰在庫が深刻化し、その余剰農産物のはけ口として標的にされたのが日本である。

■昭和29年(1954年)---余剰農産物処理法(PL480)成立。
 昭和29年、アメリカは余剰農産物処理法 (PL480)を成立させ、日本に対する農産物輸出作戦に官民挙げて本格的に乗り出した。当時の日本側栄養関係者も欧米流の栄養学、食生活の普及、定着が必要だとしてパン、畜産物、油脂類などの普及を意図した「栄養改善運動」に取り組み、日米共同の食生活改善運動が推進された。

■アメリカ小麦戦略
 活動資金の多くがアメリカ側から提供されたが、そのことは当時も今もタブーとして長く伏されてきた。 これを一般に「アメリカ小麦戦略」という。

■昭和30~40年代(1955~1975年)---フライパン運動、学校給食など
 パンの原料である強力小麦は日本では産出できず、日本人がパン食を始めれば永久的に日本はアメリカのお得意になる。戦前まで少なかった油料理を普及させるためにフライパン運動を展開し、油の必要性を強調する栄養指導が熱心に行なわれた。トウモロコシ、大豆は家畜のエサであると同時に油の原料でもある。余剰農産物処理の観点から欠かせない重要な戦略であった。学校給食ではパンとミルクが無償援助され、子供のうちから洋食嗜好の下地を作ることにも成功した。

■昭和52年(1977年)マクガバンレポート(アメリカは気が付いた)
 アメリカ合衆国政府は1977年に 『 ガン、心臓病、脳卒中などの現代病は食生活の間違いで起こる"食源病"である』(マクガバンレポート)と解明して、欧米型の食生活の改善を促した。欧米型とは、脂肪と動物性たん白質、砂糖の過剰摂取。ビタミン・ミネラルや食物繊維の減少のこと。

■食料自給率たった四割
 「アメリカ小麦戦略」の成功で、小麦、大豆、トウモロコシの九割以上がアメリカをはじめとする輸入品。食糧自給率は四割以下で先進国中最低。

■問題は命にかかわる
 ここまでは、食生活が変わった~。美味しい食べ物のバリエーションが拡がった~。程度の認識でいいかもしれない。しかし、問題は・・・別にある。

■子供が糖尿病にかかり、アレルギー疾患が蔓延している
 問題は、欧米型食生活にともなって病気もまた欧米型となり、日本人の健康状態が非常に懸念される状況になってきたことである。戦前まで少なかったガン、糖尿病、動脈硬化、心臓病、痛風などのいわゆる欧米型疾患は子供にまで広がり、アトピー、花粉症、喘息などのアレルギー疾患も増加の一途である。糖尿病は予備軍を含めて1620万人にのぼり糖尿病に子供が苦しむという前代未聞の事態になってしまった。痛風患者も予備軍を含めて560万人とも言われる。

実は、現在日本で問題になっている健康問題(肥満、ガン、糖尿病、動脈硬化、心臓病、痛風、アレルギー疾患等)の殆どが、この欧米型食生活への転換に端を発している。アメリカの食糧支配のおかげで、我々はしなくてもいい苦労をさせられているのである。

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このアメリカによる食糧支配と洗脳から脱するため、日本古来の食文化に戻ることダシ文化とか)が、日本の食糧自給率を上げることにも繋がるし、私たち自身の身体のためにも必要だということが言えるのではないだろうか。
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ケニア暴動の根はイギリス植民地時代に刻印されていた

2008年02月03日 | 雅無乱日記
ケニア情勢が悪化している。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/kenya/

キリスト教徒の多いケニアで教会が焼かれるというのは、かなり治安が悪化している証拠だ。

これに関して、最大部族のキクユ優遇を進めるキバキを批判したり、「ルワンダやブルンジみたいにジェノサイドに発展する事は無いと思うよ」などと他人事のように評しているだけのマスコミが多いが、そもそもこの問題の根には英国の植民地政策があったということをまるで採り上げないのはなぜなのだろうか。

まるで、アフリカの黒人同士が勝手に民族抗争をやってる…みたいな表面的な分析にはほとほと呆れ返る。

ケニアの壮絶な歴史を振り返れば、連中の分析の浅はかさが浮かび上がってくるだろう。
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ケニアは1895年にイギリス領になってから、1963年にケニヤッタ大統領が独立を勝ち取るまでに長く植民地の時代が続いていた。独立しても完全に独立したと言えず、旧植民地の影響を政治的、経済的に受けてきた。それは、イギリスの議会制を継承し、また憲法もイギリスの影響を受けるなどの政治体制に強く表れている。

ケニア建国の父:ジョモ・ケニヤッタ(Jomo Kenyatta, 1893年10月20日 - 1978年8月22日)を扱ったこのページ『口頭無形の小説の間“ローカル英雄伝”が、ケニアの歴史を知るにはお勧めである。

http://matsumat.hp.infoseek.co.jp/hero9/hero9_001.htm
http://matsumat.hp.infoseek.co.jp/hero9/hero9_002.htm
http://matsumat.hp.infoseek.co.jp/hero9/hero9_003.htm
http://matsumat.hp.infoseek.co.jp/hero9/hero9_004.htm

彼(ケニヤッタ)は、生前、こんな言葉を残しているそうだ。

「白人がアフリカにやってきたとき、われわれは土地を持ち、彼らは聖書を持っていた。彼らはわれわれに目を閉じて祈ることを教えた。われわれが目を開いたとき、彼らは土地を持ち、われわれは聖書しか持っていなかった」

ウィキペデヂィアの「キクユ族」のページにこんな記述がある。

デンマーク作家カレン・ブリクセンは自分のコーヒー園で雇用したキクユの人々について次のように書いている(『アフリカの日々』より)。

反抗心を持たず、羊のように我慢強い土地の人たちは、権力も保護者もないまま、自分たちの運命に耐えてきた。偉大なあきらめの才能によって、今もなお彼らは耐えている。キクユ族はマサイ族のように隷属に耐えず死を選ぶことはないし、ソマリ族のように、傷つけられ、だまされ、軽んじられた場合、運命に挑戦することもない。異国の神とも親しみ、とらわれの境遇にも耐えてきた


キクユ族はもともと農耕部族であるがゆえに、忍耐強く素直で扱いやすい奴隷だったのでイギリス人の入植者たちはキリスト教で徹底的に洗脳した上で、自分達の傀儡として他の部族を支配させたのだろう。

しかし、あまりにイギリスや植民地政府のやり方がエゲつなかったことから、限界が訪れる。

第二次世界大戦中、多くのアフリカ人が徴兵され、エチオピアやイタリア領ソマリランドでの作戦は勿論、北アフリカ、中東、一部はインドや極東の戦線にまで送られた。そして、彼らアフリカの奴隷兵士達は、植民地の支配者のために強制的に戦わされたのである。

このようなむちゃくちゃなやり方に対して、戦後帰国した兵士たちはついに蜂起する。

1946年頃からは「自由の戦士」を名乗ると、反植民地政府のゲリラ作戦を開始した。いわゆるマウマウ団である。

植民地政府はこれを押さえられず、結局イギリス本国の軍隊を呼び寄せることになる。

このいわゆる「マウマウ戦争」は、1956年にマウマウ団の最高指導者デダン・キマジが逮捕されたのを機に終焉した。この戦争で、ケニア側には1万1千人以上の死者が出たが、イギリス側(白人)の死者はわずか32人であったそうだ。

イギリス軍によるほとんど一方的な虐殺(ジェノサイド)だったと思われる。

その後、ケニアは独立を果たすが、そもそも列強が勝手に引いた国境線で区切られた多くの部族を統合していくのは並大抵のことでは無かった。

イギリスは、ケニアを名目だけは独立したということにしておいて、間接支配するために様々な手段を採っただろう。

連中は、支配する民族の一部にあえて特権を与え、他部族を間接支配し、結果、部族同士を対立させることで自分たちに直接反抗してこないようにしてきた。アフリカの内戦のほとんど全てはそれが原因と言っていい。

ルワンダでもその手が使われた。

『4つの目で世の中を考える』→http://310inkyo.jugem.jp/?eid=459

それを、まるでアフリカ人が野蛮だからジェノサイドやるかも…だとか、オレたち先進国が指導してやらなきゃ民主主義は定着しないんだとか、そういう欺瞞を撒き散らしている欧米人たちには、ほとほと我慢がならない。

そもそも、ジェノサイドはお前ら欧米人の専売特許だろう、と言いたくなる。

だが、日本のマスコミはすっかり欧米に手なづけられているので、ケニアの現状を、「2003年からの旱魃による食糧不足が背景にあるけど、もともとの部族同士の縄張り争いが激化したのだろうね…」くらいの浅い視点からしか報道しないだろう。

植民地時代の歴史をしっかり踏まえたうえできっちり報道して欲しいものである。


ところで、今日、このエントリーを書いていたら、こんなニュースがあるのに気付いた。

「先住民アボリジニの親子隔離政策、豪政府が公式謝罪へ」

オーストラリアでは先住民に対し、このような事が行われていた。

http://www.asyura2.com/0601/social3/msg/428.html

これを認めて謝罪する、という豪政府の動きは、大きな進歩と言っていいだろう(もちろんそれで許されるわけが無いほどエゲつない事をやってきたのであるが)。

これに匹敵するかそれ以上のエゲつない事を繰り返してきたイギリスは、しかし旧植民地に対して公式に「謝罪」など一切やったことは無い(むしろ、オレたちのおかげでお前らは文明化して発展できたんだ、感謝しろ…と思っている節がある)。

過去100年以上にわたって踏みにじられてきたケニアの人々に対し、イギリスは公式に謝罪し補償をするべきだろう。暴動の底流そもそもの原因となってきたイギリスがそのような行動を示せば、暴動なんぞおのずと終息するのではないだろうか。

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※地図はこのサイトから
 http://www.aquanotes.com/africa/kenya.html