にほん民族解放戦線^o^

米帝→官邸→マスコミの洗脳による植民地状態からの脱却を考えてみるブログ♪主権を取り戻し、日本の未来を考えよう。

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「いじめ無くそうキャンペーン」ってズレてない?発想の転換が必要では?

2007年04月20日 | 雅無乱日記
2007年3月2日(金)の午後10時~10時49分にNHK総合テレビで放映されたNHKスペシャル「ともに悩み ともに闘う ~長野 ・ いじめ対策チーム~ 」http://www.nhk.or.jp/special/onair/070302.htmlという番組を、車の中で人を待ちながら、カーナビでボーッと見ていた。

息子さんをいじめによる自殺で失った人を中心に結成された「いじめ対策チーム」が、いじめがあると報告された学校や家庭に行って話しを聞き、学校へ圧力をかけて様々な対応を迫る、といった内容。

その中で、対策チームが家庭訪問して解決を約束し、対策チームが学校へ対応を迫ったにも関わらず対策が講じられず、あいかわらずいじめられている少女の話がでてきた。

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対策チームの一人がその少女に、「いじめをやめさせると約束したのにできなかった。ごめん」と謝るシーンが出てくる。

なんか違うのではないか?という感覚を持った。

その人が謝るようなことなのだろうか?

おかしいと思うのはそれだけではない。少女は、もちろん「いじめられない」ことは望んでいるだろうが、おそらく心の奥底では友達との関係において充足したいのである。学校に対策を迫って、圧力をかけていじめを止めさせても、一時的にはいじめはおさまってもそんなの続くはずがないというのが分からないのだろうか。百歩譲っていじめが止まったとして、それでいじめられていた本人は満足なのか?たとえいじめられなかったとしても、周りに距離を置かれよそよそしい対応をされても、充足できるわけがない(いわゆる「無視」に近いわけで、もっとつらくなると思う)。

最近は「いじめた子に制裁を課すべき」といった議論も出ているが、他にも「いじめについて話し合う機会を持つ」といったような学校側の対応も増えてきている。しかし、そんな事を話し合って本当にいじめがおさまるのだろうか?はなはだ疑問である。

その番組の中に、過去に強烈にいじめられていた中年男性が中学生の前で熱く講演するシーンが出てくる。この番組で唯一印象に残ったシーンだ。

彼は子供たちに「今誰かをいじめているみなさん。あなたがたはほんの遊びのつもりかもしれないが、いじめられている人はあなたのせいで傷つき、人間不信になり、その後の人生がむちゃくちゃになる。あなたは、その人の人生の責任が負えるのですか!」とだいたいこんなような事を言って迫る。

その迫力はたしかにすごかった。本人は、まさにいじめられたせいで人生がめちゃくちゃになったわけで、それを背負ってしゃべっているからだろう。

しかし、彼の主張する内容については、やはり違和感がある。いじめをやめさせたい気持ちは分かるが、「責任」とか言って脅してやめさせるような問題なんだろうか。そもそも誰かの人生は他人が責任を持つものなのか?「あ、おれ他人の人生にまで責任もてないから、一応いじめはやめとこか」とかいっていじめって止めるような問題なのかと言われると、あまりそうは思えない。

しかも、彼の人生を賭けた訴えでさえ、おそらく子供たちのいじめを一時的におさめる効果しかないだろう。


どうもこの手の番組を見ていると、「いじめ」という現象だけを対象化して、それをどうやって止めさせるか…、という発想がそもそも目先的で視野が狭く、現実とズレているのではないかと思えてくる。

大人はキレイ事を言うけれども、そうは言っても「いじめは無くならない」とほとんどの子どもたちは思っている。そして、残念ながら現在の社会ではそれが事実だろう(気の毒だとは思うし、自分がそうなったら耐えられないと思う。いじめをやるような連中は「人間の屑」だと思っている。しかし、現実に「いじめ」が存在しつづけており無くなる気配はまったくないということは認めざるを得ない。子どもたちの世界だけではない。地域社会にも会社にも、集団があればそこに「いじめ」は存在する。これまでいじめが無かったことなど歴史上なかったのではないか。少なくとも6000年前以降の私権時代では…)。

狭い学校やクラスなどの空間では、いじめの他に課題がなく、仲間関係が最大の関心事となっているため、そこで否定されてしまえば、その子は自分の存在意義を失ってしまう

昔もいじめはあった。しかし、他にも多くの課題があったので致命的にはならなかった。いじめは言わばオマケみたいなものだった。

いじめを無くすのが無理なら、いじめをその「オマケ」のような状態にしてやればいい。

「いじめを無くそう!」なんて、誰もできると信じてない事に対して「対策チーム」とやらをつくって必死でキャンペーンをはって、結局何も改善されず振り出しにもどる…なんてことは時間とエネルギーの無駄である(その番組を見る限り、心情的には理解できるし、努力もすごいと思う。しかし、キツい言い方をして申し訳ないが、可能性の無い方向にむかって全力疾走しても、無駄は無駄である)。

発想を転換して、「いじめ」を子どもたちの意識の中で二義的・三義的な課題(「まあやってはいるけど、基本的にどうでもいいもの」)にまで下降させるにはどうするか、ということを考えたほうがよっぽど実現性があるのではないだろうか(例えば極端な話、いじめられてる子にバイトやボランティアを斡旋してやって、「ともに取り組む課題のある新しい仲間関係」をつくる手伝いをしてやれば、学校でいじめてくるアホな連中なんてどーでもよくなるに違いない)

それを、「いじめられている→かわいそう→いじめられないようにしてあげよう」という短絡的な思考に嵌まり込んで、努力を繰り返すことは、単に徒労であるだけでなく、むしろいじめられている本人の傷口を広げるという意味でなおひどいのではないだろうか(「あたし(僕)は、これだけの大人に努力してもらい助けてもらってもなおいじめられる存在である」ということを確認しなくてはならない、という意味において、より残酷である)。

何かみんなで取り組むべき課題があって、それに向かって全員が一生懸命で、その課題の中で何らかの役割を担って「役に立ってる」という実感を持つような「成功体験」を積ませてやることこそが、例えばいじめによる自殺を防止するのにもっとも早道なのではないだろうか。

いじめられている人間は「自分に価値が無い」と思ってしまう人が多いと聞く。そんな人に、必死で「自殺はいけない」と単にうったえつづけても効果があるとは思えない。だったら役割を与えて存在価値(生きる意味)を社会の中に実際に創ってやればよいのではないだろうか。

そういう経験ができる「場」を創ることこそ、できもしない「いじめ無くそう運動」をするよりまず先にやるべきなのではないかと思う。

例えば、こんな「場」とかね^^;)→http://blog.goo.ne.jp/sizentaiken/
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途上国へ押し付けられる環境破壊と肉体破壊

2007年04月04日 | 雅無乱日記
今回は、途上国の環境破壊の問題について以前から考えている事を書いてみようと思う。

 日本の公害は1950年代から1960年代にかけての高度経済成長期に問題化した。大気汚染、水質汚濁などにより、各地で水俣病・イタイイタイ病・四日市ゼンソクなど様々な公害病が発生したのはみなさんご存知の通り。
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画像はhttp://blog.goo.ne.jp/muensekai/e/deeb8b42533fdf6bc118ef04cc88f435より「水俣病患者」

 この反省に基づき、国や環境庁が調査や法整備(様々な規制)を行なってきたおかげで、日本国内のひどい環境破壊や肉体破壊(公害病)にはひとまず歯止めがかかっている、というのが現状だろう。

 しかし、それは日本(を含めた先進国)だけの話で、現在まさに経済成長の真っただ中にある国々はかなり事情が異なる(これもみなさん既にご存知のことだろうとは思うが)。

 例えば、中国は現在、依然として高い経済成長を続けている。

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 中国では急速な経済成長に伴って大気汚染が深刻化し、2003年の二酸化硫黄排出量は2220万トン前後に達し、前年より290万トン以上増えているらしい。

 そして酸性雨被害面積は国土の3分の1に達し、一部の地方では酸性雨汚染が悪化している。

 一昨日、桜が咲き始めた日本でも中国から運ばれた黄砂が舞って話題になったが、この酸性雨も当然東シナ海を越えて日本に日々降り注いでいることが確認されている

 ネトウヨからは、「見てみろ!だから中国はけしからん」という声が聞こえてきそうなネタだが、そういうのはちょっと筋違いだろう。

 20世紀末から、安価な労働力を導入して生産コストを少しでも下げようと、日本を含む先進国の工場が大挙して中国に進出した。そして、中国の公害規制の甘いことをいいことに、公害防止設備をほとんど整備せず、汚染物質を大量に垂れ流したのである。

 その結果がこれである。
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http://blog.livedoor.jp/safe_food_of_asia/より
 ここまでひどいと、現地の住民達の肉体破壊は相当なものであろう。

 公害防止設備を中国に建設する工場に付帯していたら、ここまで状況は悪化していなかったはずである(もちろん中国資本の工場だって環境破壊を無視して汚物を垂れ流しているのだろうが、外資が率先してアドバイスすべきだったのではないか)。

そして我々は、made in Chinaの安い製品を手にすることで、現地の住民たちを公害病に追いやり、さらに自身まで酸性雨にたたられているというわけである。

 同様の問題が、急速な開発が進む

 他のアジアの国々や…

 ブログ「報道写真家から」(画像も)
 http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/c/6c43b0bf8c1ce522ce5dd79a2a910759
7414982b4397c62ed03e770aeab2987e.jpg
>外資系企業は、廃水処理施設の建設コストや運転コストを嫌い、
>産業排水をそのまま河川や水路に放流している。
>ベトナムの河川の汚染は、深刻な域に達している。
>外資系企業は、ベトナムの超低賃金労働が目的であって、
>ベトナムの環境破壊は意にも介していない。

          d0017381_0511265.jpg
          アフリカの国々
(上の画像は、アフリカの環境破壊を扱った映画「ダーウィンの悪夢」のポスター)
          http://adeojapan.exblog.jp/4154877/
>ビクトリア湖周辺で暮らす人々の数は約3千万人。同湖は世界で最も過密かつ貧しい地域を支えているのである。
>しかしUNEPによれば、フットボール競技場の25倍に当たる約15万平方キロの土地が土壌悪化の影響を受けており、その13%は深刻な状態にあるという。【参考・引用:IPS Japan/JANJAN】

でも同様のことが起こっている。

 グローバル化、市場経済の進展とともに、発展途上国が環境破壊・肉体破壊においても先進国の後を追うという構造が見えてくる。

 自己中の先進国は、途上国の国土が汚染されようが途上国の人々が病気になろうがどうでもよい(先進国の人々はそんなことが起こっている事を自覚さえしていない)。別の安全な場所に住み、途上国の自然資源や安価な労働力をあてにした事業に投資している外国の投資家たちにとっては、「儲かるかどうか」ただそれだけが問題なのである。そしてその成果を我々は享受している。

 先進国は、自国の国土汚染と自国民の肉体破壊を、彼らが喰うためにただ必死であるという状況につけこんで途上国とそこに住む人々に肩代わりさせているのである。

 このような原理が世界の隅々にまで押し進められていけば、地球環境は間違いなく徹底的に破壊されていく。そして、途上国の人々だけでなく、途上国の安価な労働力を搾取し環境資源を間接的に収奪している我々自身も、地球全体の環境破壊→肉体破壊という形でいずれその償いをしなくてはならなくなるだろう。

そうなる前に、現状を知り、そのような状況を回避する手立てを講じる必要がある。


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