にほん民族解放戦線^o^

米帝→官邸→マスコミの洗脳による植民地状態からの脱却を考えてみるブログ♪主権を取り戻し、日本の未来を考えよう。

自衛隊は、イラク戦争の時代から米兵のタクシーをやらされていた。今後はOPENに?

2015年07月31日 | 雅無乱日記

山本議員が、国会で、イラク戦争における自衛隊の活動の追求をしているそうな。

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-7406.html

なかなかすごい。どんどんやってほしい。

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これまでもこのブログでは何度か発信してきたが、「安保法案改正」や憲法改正云々以前に、

イラク戦争の時代から、なし崩し的に、自衛隊は米軍のパシリをやらされている。

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2007年7月23日 中日新聞朝刊元のソースは削除されている

 航空自衛隊の輸送機が昨年七月三十一日、イラクのバグダッド空港に乗り入れて間もなく一年。輸送した多国籍軍兵士はほとんどが米兵で、六月までに一万人を突破していたことが、分かった。国連関係者の約十倍に上り「人道復興支援が中心」とする政府の説明と食い違う。派遣隊員らは「現実は米軍支援。それが日本防衛につながると信じ、命を懸けている。なぜ隠すのか」と説明責任を果たさない政府に不信感を抱く。イラクも拉致も「年金」にかすんだ参院選。国民に知らされず、問われもしないまま、遠くイラクの地で「日米一体化」が独り歩きを始めている。

 「米兵を運んでいることは、国民に説明できないほど、やましいことなのか」

 派遣隊員の一人が悔しそうにつぶやいた。

 小牧基地(愛知県)から派遣されているC130輸送機は、クウェートを拠点にバグダッドなどイラクに週四、五回運航。国連用は北部アルビルまで飛ぶ週一便で、その便にも経由地のバグダッドで米兵が乗降する。貨物室が米兵で“満席”の六十人に上る時も。「米兵のタクシー」(隊員)になっているのが実態だ。

 イラク特措法に基づく基本計画は「人道復興支援が中心」と明記しており、米軍の後方支援が主任務となっている現状は基本計画を逸脱している可能性が高い。それでも政府は「関係国が望んでいない」「隊員に危険が及ぶ」と兵員輸送の実数公表を拒み続けている。

 四月下旬。安倍晋三首相は国会で「多国籍軍は、インフラ整備など復興支援の活動にも取り組んでいる」と答弁し「人道復興支援」を強調した。空自関係者は「(輸送する)米兵がイラクで何をしているかは正直、分からない。(任務は)聞かないのが現場の常識であり、暗黙のルールだ」と言い切る。

 七月に入り、開戦以来の米兵の死者数は三千六百人を突破。死が日常化している戦場で「戦闘地域か非戦闘地域か」「戦闘員か非戦闘員か」の問いかけ自体が、現実を無視した「ナンセンスな議論だ」という。政府見解で「非戦闘地域」となっているバグダッド空港も、実態は戦場に近い。

 隊員の耳にも日々、確認情報が届く。「離陸前の待機中、機体のすぐ上を複数の迫撃砲弾が飛んだ」「飛行してきたばかりのルートを着陸直後、ミサイルが通過した」。いずれも数分の差で被弾していた可能性が高い。

 中堅の隊員は「飛ぶ日には必ず自室に遺書を置いていく隊員もいる」と明かす。

 「日の丸を背負っている以上、心の支えは国民の理解と支持しかない。だからこそ、ありのままを知ってほしい」

 政府の説明回避が、隊員たちの「覚悟」に暗い影を落としている。

 取材班・秦融、吉枝道生、木村靖


 【イラク特措法】 イラクに自衛隊を派遣する根拠法。2003年7月、時限立法(4年間)として成立。「非戦闘地域」での人道復興支援活動と、治安維持にあたる米軍などへの後方支援を行う「安全確保支援活動」がある。2年間延長を決めたさきの国会で、安倍首相は空輸150回(昨年7月末-3月末)の内訳を多国籍軍125回、国連25回と初めて公表。輸送人数は国連分(706人)のみ明らかにした。

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……てなわけで、、山本議員の追求が、この現状に再びスポットライトをあててくれるといいな。

「集団的自衛権」なるものが、日本の国防に一切貢献しないどころか、ますますアメリカの犬になりさがる意味しか持たないことが、ますます明らかになるので。

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画像は、ココからいただきました。→ http://blogs.yahoo.co.jp/akaruria/34181549.html

 


「反権力の戦い」を娯楽として商品化し雲散霧消させてしまうという戦略…

2015年07月18日 | 雅無乱日記

対米従属を通じて「戦争ができる国」へ。(内田樹の研究室 より)
http://blog.tatsuru.com/2015/06/22_1436.php

アメリカの本当のおそろしさは、ここにあるんかもな…

 ハンガーゲームhttp://nami-machi.net/2015/06/07/765も、

 マトリックスhttp://blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/e/6fa59e73fee3eee5a8f7971361460b3dも、

 アバターhttp://blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/e/843b81c424c4677b957605216cc9b769 もそうだった。

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統治者の不道徳や無能を告発するメッセージを「文化商品」として絶えず生産し、自由に流通させ、娯楽として消費できるような社会は今のところ世界広しといえどもアメリカしかありません。

アメリカが世界各地であれほどひどいことをしていたにもかかわらず、反米感情が臨界点に達することを防いでいるのは、ハリウッドが大統領やCIA長官を「悪役」にした映画を大量生産しているからだと私は思っています。

アメリカの反権力文化ほど自国の統治者に対して辛辣なものは他国にありません。

右手がした悪事を左手が告発するというこのアメリカの「一人芝居的復元力」は世界に類を見ないものです。

アメリカの国力の本質はここにあると私は思っています。
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「反権力の戦い」を商品化し、娯楽として消費させ雲散霧消させてしまうという戦略…

仮想現実で鬱憤を晴らさせて現実における反抗心=牙を抜いちゃう…って感じですか?

もし、意図してやってるんだとしたらお見事すぎる。

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※画像は、CIAをネタにした映画「safe house」のポスター。なかなかおもしろかった。


いわゆる「勉強ができる」のにヴァカな人って、何なんだろう?

2015年07月15日 | 雅無乱日記

つねづね、いわゆる勉強ができるのにバカって人は結構いるけど“なんでだろう?”、と疑問だったのだが(とはいっても、人をバカ呼ばわりするほど私も賢いわけではないが・・・)、数年前、今は亡き友人と一緒に2003年9月6日(土)夜10時~11時半放送のNHK-ETVスペシャルの録画を見ていてそのヒントを見つけたのを思い出した。

番組名は「人に壁あり」

当時ミリオンセラーになっていた『バカの壁』の著者:養老猛司氏を追ったドキュメンタリー番組である。

その中で、彼(養老氏)とある女子学生の対話シーンが出てくる。

だいたいこんな感じの会話だった。

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女学生:「~(講義を評して)“等価”という言葉が出てきたけど定義してもらわないと曖昧でよく分からない」

養老氏:「君、法学部へ行ったら?」

女学生:「???」

養老氏:ある官庁へ勤めた人が議案書を上司に提出したら“キミの議案書は16通りに読める。一通りに読めるように書き直しなさい”と言われたのだそうな。それができると思っている君のような人がそういう職業に向いている」(皮肉を込めて)

女学生:(むきになって)「でも、自分の考えていることを正確に人に伝えるためには“定義”が必要でしょ?」

養老氏:「言葉の“定義”なんてものは、多数の言葉群の中で決まっている。一言で言い表せるのだったら苦労はしない。しかも、君は“自分の考えていること”が確実に"ある"ということを前提にしているよね。会話のいいところは、話しているうちに考えが動いていくところにある。それを、“定義”して変化させないようにしてから議論しようなんて、そもそも会話する意味が無いんでは?」

女学生:(まだ食い下がる。涙目)「でも、言葉の“定義”が曖昧だったら意志疎通ができないじゃないですか」

養老氏:「・・・・・」(”お手上げ。やれやれ”という感じで苦笑い)
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上の養老氏と女学生の会話が「ディベート」なら、「やれやれ…」と黙ってしまった養老氏の負けになるのだろうか。しかし、会話というのが「自分の考えていること」を主張したり語ったりするものではなく、お互いの共感にこそその本質があるということを端的に言っている養老氏の言葉に、友人共々深くうなずいてしまったのであった。

この女子学生や、その“ある官庁へ勤めている人”なんかを、例えば「勉強はできるけどバカ」というのかなぁ…と。

そう捉えると、官公庁には、試験勉強はできるけど現実社会にはまるで適応できていない、そんな無能エリートで溢れかえっているようにも見える。

http://blog.trend-review.net/blog/2010/02/001551.html

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=225859

養老氏は、番組の中でこんなことも言っていた。

「死んだ人(死体)は自分たちと別だと決めつける人がいるけど、私はそうは思わない。普通の人だと思って接する。」さらには、「自分の続き、連続したもの。そもそも自分と他人とを切らない」

と・・・。

彼の言葉に、人間の共認の構造の原点を見たような気がして、今は亡きその友人とその晩、語り明かしてしまったのを思い出した。


<オマケ>

『マニュアルがないと何もできない――「自分で考える」力のない人々』(泉谷閑示氏)

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――言われたことはやれても、応用がまったくできない部下がいて困る。

―― 年前のデータをもとにした入力作業で、人がそれから1歳年をとっていることを、わざわざ言ってやらなければ気がつかない職員がいる。

――昇進試験の勉強は完璧なのに、実務が全然できない人がいる。

――マニュアルはパーフェクトに覚えられるのに、マニュアルのないことはお手上げという人が多い。

いろいろな組織の中で、このように「自分で考える」力のない人が増加していることが問題になっているようです。

記憶やパターン思考などのコンピュータ的な情報処理ばかりに「頭」を使うことは、人間にとってはかなり不自然なことであり、次第に「自分で考える」ことができない状態に自分を追い込んでいってしまうものです。そしてそれが、のちのち「心」(=「身体」)側からの大きな反発を招く原因にもなってしまうのです。

現代の「うつ」の中には、このように偏った「頭」の使い方ばかりしているうちに、「自分がわからない」といった行き詰まりに陥ってしまったケースが少なからず存在します。

そこで今回は、「人間らしい思考力とはどういうものか?」というテーマについて考えてみたいと思います。

●「記憶力が良い」=「頭が良い」ではない!

人間の「頭」は、「心」(=「身体」)と密接に連携した状態で働くことによって、「自分で考える」ことができる仕組みになっています。この、人間ならではの理性の働き方は、物事を鵜呑みにしない懐疑的精神を備えており、オリジナルな発想ができる創造性と臨機応変に考えられる柔軟性があるものです。

しかし現代の社会では、どうも「自分で考える」ことよりも、与えられた情報を無批判に受け入れて記憶し、それを器用に処理する能力のほうばかりが評価される傾向が強いようです。

記憶力やパターン思考に長けた者が高得点を得るような試験制度の存在が、私たちの思考力を偏った方向に歪めている大きな要因の1つであることは間違いありません。そんな中で、いつしか「頭が良い」ということが、「記憶力が良いこと」「従順にパターン化された思考ができること」だとすり込まれてきてしまいます。

しかしそのような能力は、人間の知的能力の中では、実のところあまり高次元のものとは言えないのです。

 ~中略~

●「心」とつながっていない「頭」の状態

このように、従順ではない自我の特質とは、人間の「心」(=「身体」)の特質に由来するものだと考えられます。

「心」は何ものにもとらわれずに、対象に興味や関心を向けたり向けなかったりする自由な働きをします。ですから、外部から何かを強いられることは、「心」(=「身体」)にとっては苦痛なことなのです。

一方の「頭」はコンピュータ的な情報処理をおこなう場所で、「心」との間の蓋が閉まった状態では「心」の関与がなくなってしまい、かの従順なモズ的記憶力やパターン思考などの低次元の知性が前面に出てくることになります。

逆に言えば、従順にモズ的記憶力やマニュアル思考だけが働いているような状態は、「頭」と「心」(=「身体」)の間の蓋が閉まっているということなのです。これは、前連載でも幾度となく取り上げてきたように不自然な状態であり、「うつ」の予備軍的状態でもあるわけです。

●マニュアル重視で「自分で考えられる」人は厄介者に…

「自分で考える」とは、「頭」と「心」(=「身体」)の間の蓋が開き、「心」が自発的に示す知的好奇心や関心にもとづいて、「頭」が活動することです。

その際、「心」は、既存のマニュアルに従ったり仕入れた知識や情報を鵜呑みにしたりすることを好みません。必ず一度吟味を加えて、自分自身で本当に納得した場合にだけ情報を取り入れ、しかもそこに何らか独自のアレンジを加えたがります。

そのため「自分で考える」人は、マニュアルに従わされることには多大な苦痛を感じるものですが、むしろ、マニュアルを作ることは自在にできるものです。さらに、オリジナルな発想をしたり、マニュアルでは対処不能なことを解決したりできる高いポテンシャルを持っています。

今日では、教育現場、医療現場、商業店舗、会社、行政組織などの様々な場所で、マニュアルを用いたサービスの均質化や効率化が図られています。これによって質の悪いサービスが減り、サービスの質が底上げされるという効用があることは認めざるを得ません。

しかし、マニュアルにただ従うような人間が増えることは、管理者側にとっては都合の良いことかも知れませんが、人間の在り方としてはとてもいびつなものでもあると言えるでしょう。

「自分で考える」ことのできるような自然な在り方の人間が、現代の社会において不当に低く評価されてしまったり、従順でないために厄介な人間と見なされて排除されてしまったりする風潮があることは、私たちの社会の大きな問題です。オリジナリティの点でどうしても日本が精彩を欠いてしまうのも、このような風潮によるところが大きいのではないかと思われてならないのです。

 ~後略~
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日本は、学校教育で、こういう人間を大量生産してきたわけか…

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田圃で発電も? 植物を利用した微生物発電の可能性

2015年07月07日 | 雅無乱日記

これはすごい技術だ!

http://tabi-labo.com/147514/plant-for-electricity/


日本は田圃が多いし、実現すれば格好のエネルギー供給基地になる。
地域のエネルギー自給も可能になるかも。

https://youtu.be/TWngdxe_RsU

でも、既存のエネルギー供給組織が黙ってはいないだろう。
様々な妨害にちよって、ニコラ・テスラのような目に遭わされないことを祈りたい。

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http://oka-jp.seesaa.net/article/421789219.html より引用。

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植物への影響もなし!  発電量は年間2,800kWh
 

気になるのは植物への影響ですが、調査の結果この電子を収集するからといって植物の成長に影響が出るということはないそう。

今まで無視されていたエネルギー活用できるため、まったく新しい資源と言えそうです。

 
電力量が微量なのでは? との意見もありそうですが、

100㎡の敷地で、年間2,800kWhの発電量を確保することが可能。

 ちなみに、これはオランダの家庭1件あたりの電力消費を80%ほどまかなえる計算になります。

経済産業省によれば、2014年の日本の平均電力使用量は1世帯あたり年間4,432kWh。

100㎡の敷地が確保できれば、家庭の電力使用量のおよそ60%ほどをカバーできるという計算に。

さすがに全電力というわけではありませんが、かなり有効なことが伺えます。

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『ハゲタカ』から“株式会社”という組織について考えてみる。実質的奴隷から脱する新組織のヒント。

2015年07月05日 | 雅無乱日記

NHKのドラマ「ハゲタカ」。このドラマはなかなかに考えさせてくれるドラマであった。

NHK ドラマ『ハゲタカ』のファンサイト

以前、このブログでも、『ハゲタカ』から「資本主義システム」について考えてみるというエントリーで扱った。

今回は、このドラマ「ハゲタカ」の後半3話を題材に考えてみたい。

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 http://twitter.com/cotecan

    

     ↑ ついったー

 

 

「会社は誰のものか」という問いがある。

その問いに対してこのサイトは、あまりにもあっさりと答えてくれちゃってるので紹介する。

http://www.venture.nict.go.jp/node_2672/node_2730/IT
3

<会社は株主のもの>

結論から言う。会社は株主のものである。会社という概念自体に、アメリカ的なもの、イギリス的なもの、オランダ的なもの、日本的なものというので差異はあるかもしれないが、資本主義経済の中に生きている以上、誰が何と言おうとも会社は株主のものである。そもそも会社の目的は、利益を生み、資金を拠出してくれた株主の利益を最大化することにある。これは「東インド会社」の時代から変わらない摂理であろう。

古くは、株主利益の最大化は配当金を上げることであったが、資本市場が発達してきた今日では、将来的に大きなキャッシュフローを生み出すだろうという期待感から株価が高騰することから、株式売却益によって利益の最大化を図る手法が多く見られるようになった。会社の存在目的が株主の為なのだから、最終決定権は株主にあり、会社は株主の持ち物なのである。

<ステークホルダーの利益相反>

普通に割り切ればいいのだが、どうしても人間の考えることなので感情が入り、やれ「従業員の努力なしには語れない。」とか「会社はやはり社会に貢献してはじめて存在意義がある。」といった議論が横行し、これをうまくまとめるために「会社は株主・経営陣・従業員・取引先・顧客・社会などのステークホルダーのものである。」という上手な説が出てくる。

この至極あいまいな説は、とっても日本的で、なんとなく皆が気持ちよく聞くことが出来る説だが、大きな矛盾を持っている。そもそも、これらの「ステークホルダー達」は様々な利益相反を抱えている。会社の業績がうまく行っている時は良いが、業績が悪いと経営陣は従業員をクビにせざるを得ない事態も出てくるし、信用不安を起こして取引先が与信枠を小さくするかもしれないし、顧客も足元をみて買い叩いてくるかもしれない。そんなステークホルダー全員が幸せになるケースは稀と考えても良いかも知れない。

こんなベクトルの違う関係者が一緒にされてしまうというのは、別の見方をすれば、株主・創業者・経営者・従業員の役割分担がハッキリしていない事の裏返しだと思う。これは、日本にある一般的な組織の特徴に原因がある。


このサイト「情報通信ベンチャー支援センター」では、この後、日本的経営批判が続いて、最後の結論はだいたいこんなふうになる。

“そもそも取締役が社内におったんでは、社員に同情して“株主の最大利益のための経営”ができにくい。だからそういう感情に惑わされないプロの社外取締役が必要なんである”

へー!すごいねそりゃあ。現在の株式会社制度の下では、これが模範的な解答なんでしょうよ。

…で、ドラマ「ハゲタカ」は、その資本主義の原則とやらの通り「身も蓋もない話」がすすんでいく。

傾きかけた大手家電メーカー「大空電機」の株の争奪戦。

外資(ホライズン)は、株の大半を握った暁には、大幅リストラを敢行し、カメラレンズ部門をアメリカの軍事産業に売却する、ということを目的に策動する。


「会社は株主のものです。だから大株主の私が、リストラしようが幻想価値を適当に膨らまして第三者に転売しようが私の勝手です」なんて言われたら、経営者は「何を言ってるんだ。オレが経営して苦労して大きくしてきたんだぞ。ジョーダンじゃねえ」と思うかもしれないし、社員は「オレだって意志を持った一人の人間だぞ!あんた(株主)のモノなんかじゃねえよ」と思うかもしれない。

しかし残念ながら、現在の法律では、会社は株主のもので、経営者・取締役は株主に委託されて経営をやってるに過ぎず、その下に位置する社員などは単なる雇われ人(法的に「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。つまり実質的には賃金奴隷)であって、調子が悪くなったら取り替える部品の一つに過ぎないというのが現実である。(過去、あまりにも使用者による労働者の扱い方が荒すぎたので、「労働法」なる“労働者の人権を守る”という名目の法律ができているが、それは結局は「ご主人様(使用者、経営者)は、奴隷(使用人、労働者)をもうちょっと大切に使いましょうね。一応人間なんですから」と言っているに過ぎず、「使用者」と「奴隷」という根本構造は何も変わっていない。経営者でさえ簡単に首を挿げ替えられるのはご存知の通り)。

その意味では、上に紹介した「情報通信ベンチャー支援センター」さんのありがたいお言葉はまったく正しい。

経営者や労働者は、出資者である株主様の御為に利益を上げる目的で、その企業に一時的にいさせていただいているだけ
なのである。そして株主様は昼寝をしてるだけで丸儲け。

たしかに資本主義の世の中では法的にはそれが正しく、実際もそれが現実なんだが、「どうも釈然としない」というのが普通の人々の感覚なのではないだろうか(「はい、私はご主人様に使用される人間でございます。ここでご奉仕をさせていただけるだけで幸せでございます」なんて、大多数のサラリーマンが受け入れてるとは到底思えない)。

普通のサラリーマン(労働者)はそんな見たくもない現実には蓋をして、「自分は会社という共同体の一員なんだ。会社の人は仲間なんだ」とかなんとか無理矢理思い込んで日々労働にいそしんでいることと思う(どこかで分かっていても、「自分が実は使用される人間(=奴隷)である」なんていう認識を日々持つち続けることは耐え難い)。

日本もアメリカもヨーロッパも、一応「民主主義」の世の中と言われているが、こんな企業組織でそれがほんとに実現されてると言えるのだろうか?これは完全な「身分社会」である。
労働法とかなんとかでちょっとだけ守ってもらってるだけで、実際は賃金奴隷ではないか。

…というわけで、会社法に従って「大空電機」の社員は、新しい株主に「もう君達は要りません」「優秀な人たちだけアメリカの軍需産業の所有物になってください」と言われてしまう。

ここでドラマ終わってしまったら、何の救いもない悲劇なのだが、最後に大どんでん返しがある。



彼ら従業員は、EBO(エンプロイー・バイアウト)という手段で立ち上がり、大株主に叛旗を翻すのであった!
詳しくは24日放送のドラマの最終回を見てちょーだい。

 見逃してしまった人はここへhttp://www.showtime.jp/tv/nhk/hagetaka/?ot45010=200905


労働者自身が株主になって会社の所有者になる。現状の法制度の中では、このアクロバティックな方法が、実質的奴隷状態を超える唯一の方法なのではないかという気がする。

「民主主義」なんていうのは実はまったくの欺瞞で、現状、企業というものは、資本で支配するごく一部の「ご主人様」(本国)とその他大勢の「奴隷」(原住民)と、その奴隷たちを働かせる「奴隷の監視役」(植民地総督)で構成されている。

この企業自体の有り方を変えない限りは、人々は永遠に誰か(株主)の所有物であり、少なくとも「人間としての尊厳」(あまり好きな言葉ではないが)など持ちようが無いだろう。現在の様々な労働問題も無くならないし、人々にとってしっくりくる社会などはつくりようが無いのではないかと思われる。

「会社は株主の所有物」という企業の在り方の根本を変える必要があるのではないだろうか。

ちなみに、知人が勤めている企業に、全員で株を持ち、全員が取締役で、かつ全員が労働者であるという会社が存在する。既に実現している企業もあるのだ。

このブログ⇒http://www.kigyonw.net/blog/cat25/index.php

 に、その特異な企業の歩みの一端が紹介されているので、興味のある人はぜひ見てほしい。


そもそも人類がこの世に生まれて以来ずっと「株式会社」が存在していたわけではない。

もともと「企業」などという生産体の在り方そのものも、既得権がある一部の人間によって作られた単なる一形態に過ぎない。

状況や人々の意識に合わなくなったらさっさと人間の手で変えてしまえばよいのである。

それを実現している人々は既にいるわけで、やろうと思えば今すぐでも可能なのである。

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アメリカが世界から収奪する仕掛けは、こうして構築された

2015年07月02日 | 雅無乱日記

アメリカの巨大資本が、どのようにして世界中に自分達だけが利益を搾り取る構造を構築してきたか、そのプロセスを紹介している映像を見つけた。

サイト“Democracy Now! JAPAN” である。

まずはこのhttps://www.youtube.com/watch?v=tcgzrhPIs0gサイトに飛んで動画をぜひとも見てほしい。

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この映像に出てくるのは、Confessions of an Economic Hit Man(『エコノミック・ヒットマンの告白』)や、その続編であるThe Secret History of the American Empire: Eonomic Hit Men, Jackals, and the Truth about Global Corruption (『アメリカ帝国秘史 経済刺客、ジャッカル、グローバルな腐敗の真相』)という著書で有名な、ジョン・パーキンス氏である(残念ながら、彼の著書は日本語にはまだ翻訳されていない)。


http://yacco369.ti-da.net/e3489800.html

パーキンスは、10年にわたって国際経済コンサルタント企業で働き、主任エコノミストをつとめましたが、じつはその間に「エコノミック・ヒットマン」という影の仕事に従事していたと主張しています。

エコノミック・ヒットマンは資源のある第三世界の国の指導者に近づいて、世界銀行の融資を受ければ飛躍的な経済成長が可能になるともちかけ、巨額の借入をさせます。

でも実際の受益者は巨大なインフラ構築を請け負うべクテルやハリバートンのような米国の巨大企業(融資の大部分は彼らの手に落ちます)と、現地のエリート階級のみであり、庶民には国家が背負った巨大な負債のみが残ります。

この借金はとうてい返済できないので、世銀の指導により社会福祉や民生支出が大幅に切り詰められ、天然資源が略奪されます。

パーキンスは、自分の役割は、エコノミストという肩書きの裏で第三世界の指導者を抱きこんで、自国民をないがしろにして、米国の政府と企業にとってのみ好ましい政策をとるように誘惑することだったと告白しています。


映像の中の彼の言葉によると、彼はNSA(米国最大のスパイ組織。CIA以上に裏の仕事を請け負っている秘密組織)にスカウトされ、そこで教育を受け民間企業に送り込まれたそうだ。

このようにして次々と、資源を持つ発展途上国を実質植民地状態に追い込み、その国の政府がエコノミック・ヒットマンに従わなかった場合には、「ジャッカル」という秘密工作を行う部隊が送り込まれ、暗殺や反政府運動・クーデターなどの支援などを行い、政権を転覆させてきたようだ。

アジア、中東、中南米、東欧、世界中のあらゆる国々が、彼らの裏工作によって政権を転覆させられてきたのは、今では多くの人々が知るところとなっている。

参考:
 http://blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/e/42591c7703a18c6e0017226f81406708
 http://blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/e/4dd328538683b42edecf92d30fea4552
 http://blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/e/2bc9100be219d9011af8b5480ad4ce17

パーキンス氏はインタビュー映像の中でこう語っている。

この帝国は巧妙にできていて、人々は気づいていない。軍事力ではなく「経済ヒットマン」が築いた帝国です。たいていのアメリカ人は、我々の素晴らしいライフスタイルが、世界の人々を奴隷として虐待する邪悪な帝国のおかげだと気づかない。


まずは、この事実に気付くこと。そして多くの人々に発信していくことが必要である。このような非道な行いは、共認圧力によって封じ込めていかなくてはならない。

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上の画像は、あの名盤RATMのアルバム:Evil Enpireのジャケット。必聴!


アメリカにとっての「集団的自衛権」は他国侵略のための口実。では日本にとっては?

2015年07月01日 | 雅無乱日記

「集団的自衛(collective self-defense)」について、この方の言っていることは説得力がある。

http://www.jicl.jp/urabe/otona/20150601.html (浦部法穂氏) より

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ニカラグア事件は、1979年にニカラグアに親社会主義的な革命政権が成立したことで反ニカラグア政策に転換したアメリカが、1981年に、ニカラグア政府によるホンジュラス等隣国の反政府勢力への武器等の援助を理由に、ニカラグアの港湾への機雷敷設や空港などへの爆撃を行ったことに対し、ニカラグアがアメリカの行為は国際法違反だとして国際司法裁判所に提訴した事件である。

(ここも見てみよう http://www10.plala.or.jp/shosuzki/history/nicaragua/nicindex.htm byブログ主)

これに対し、アメリカは、みずからの武力行使を、ニカラグアによるホンジュラス等隣国への武力攻撃に対する集団的自衛権の行使である、と主張した。

この事件の判決(1986年)で、国際司法裁判所は、「集団的自衛権」行使の要件として、とくに、武力攻撃を直接受けた国による武力攻撃を受けた旨の宣言と他国への援助の要請の2点が必要だ、とした。

そして、本件の場合には、この両者とも存在しなかったしニカラグアの隣国に対する行為を武力攻撃と認定することもできない、として、集団的自衛権の行使だとするアメリカの主張を退けた。

ここで、国際司法裁判所が、武力攻撃の直接の被害国による武力攻撃を受けた旨の宣言と援助要請を要件としてあげたのは、「自衛権」の主体はあくまでも武力攻撃の直接の被害国だということを前提にしているからであり、「集団的自衛権」の本来的意味、つまり「自衛」という側面を重視したものだとみることができよう。


一方、アメリカの主張は、「自衛」という観点からではなく、「武力行使権」として「集団的自衛権」をとらえているといえる。

しかし、そのような「集団的自衛権」は、このニカラグア事件の事例が示すとおり、「自衛」とはまったく無縁のものであるばかりでなく、大国が自分の意に沿わない国やその政府を武力でもって潰すための口実として役立つだけである。

実際、この事例だけでなく、ハンガリー動乱(1956年)や「プラハの春」(1968年)への旧ソ連の軍事介入、ベトナム戦争(1965~75年)でのアメリカの軍事行動など、いずれも「集団的自衛権」が口実とされていた。

日本で安倍政権が行使できるようにしようとしている「集団的自衛権」とは、こういうものである。

「自衛」というその本来的意味はほとんど無視され、もっぱら武力行使を正当化するための口実でしかなくなっているのである。

それなのに、「自衛権」という言葉によって、「国民の生命と幸せな暮らしを守るために必要だ」などと国民を欺こうとしているのである。

もう一度くり返すが、

いわゆる「集団的自衛権」、すなわち、「武力攻撃の直接の被害国ではない国の武力行使権」という意味での「集団的自衛権」は、

「自衛」とは無縁のものであり、したがって、かりに「自衛権」は国家の固有の権利だとする立場に立ったとしても、

そのような意味での「集団的自衛権」を国家の固有の権利とすることはできないはずである。

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なるほど…

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