たまたまNHKを見ていたら、こんな番組をやっていた。
「子どもに潜む“うつ”」第2回 あなたの悩みに応えますQ&A
2004年11月に北大の傳田健三助教授らが小中学生を対象に行った大規模な調査の結果、なんと小中学生の8人に1人が「眠れない」、「何をしても楽しくない」といった抑うつ傾向を抱えていることがわかったそうな。
驚きやね…これ自体。
番組には、一般の方から寄せられた質問に臨床の専門家が答えるという形で進んだ。
ちょっと呆れてしまったので、紹介したい。
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↑ ついったー
その専門家は、ことあるごとに次の言葉を繰り返した。
「うつ病は、“こころ”の病気ではなく、“身体”の病気だと考えて…」
何を言ってんのやろこの人は…、意味わからへん…、と最初思ったんだけど、そのうち以前るいネットに投稿したある友人の話を思い出してピンときた。
>私の知人のそのまた知人の精神科医は、患者にこんなことを言って気を楽にさせるんだそうです。
>「胃が悪いときは胃薬を飲みますよね。肝臓が悪いときには肝臓の働きをなおす薬を飲みます。・・・・というふうに見ていくと、あなたは“頭の病気”なんですね。だから頭の中のホルモン状態をなおす薬を飲んでください」
>こころの悩みを訴えていた患者の多くは、少しリラックスしてそれに喜んで従うそうです。(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=44303)
番組に出ていた専門家は、要するに次の結論が言いたかったようだ。
「とにかく素人は、早期に専門家に相談して“薬物治療”をしろ」
“治療を受けてた子供が学校に行きたいと言ったので、行かせたらまた悪化してしまった。どうすれば…”
という質問にも、↓こんな調子。
「子供自身が学校に行きたいといっても、最低3ヶ月は薬物治療を続けなくては安心できない。安易に行かせないように」
じゃあ「学校に行きたい」っていう子供を、家に軟禁しとけってことかい?(3ヶ月経ってから学校に行かしても、まともに仲間と関係築けんかったらまた“うつ”になるやんけ)
“子供のうちから薬物治療を受けて、成長過程にある子供の健康に悪影響はないのでしょうか?”
という、至極もっともな問いにも…
「副作用が出る場合があるので、最初は少量から服用するのが普通です。とにかく医者や専門家に相談して、その指示に従ってください」
といった調子。
そら、勝手にがんがん薬のんだらあかんわな。そんな当然のこといわれても心配やんけ。
ところがである。「今や、全人口の15%は一生に一度は“うつ”を経験する、といわれる時代。そんな時代に、子供の“うつ”をどう捉えたらいいのか」という司会者の最後の質問にはこんなふうに答える…
「日本人は高度経済成長期に豊かになることを求めて競争し、がんばって一番を目指し、ひたすら効率や速さを求めてきた。そういう時代は終わったんですね。子供たちが“うつ”になるということは、彼らが“あらたな生き方を模索してる”ってことではないでしょうか」
おいおい、それって「“身体”の病気」なのかい? そういうのを“心の問題”いうんとちゃいまっか?と思わずTVに向かってツッコミいれてもーた^^;)。
(そもそも、相変わらずデカルトの心身二元論=心と身体を分離して考えるところ。つまり病気になるのはどっか悪い所があるわけで、そこに薬を使うか、治らんかったら切り取ってしまえばええんや、という近代医学のパラダイムに限界あると思われるんだが…)
前言と完全に矛盾することを言って平気な顔をしている専門家(自分で矛盾に気付いてない?)。しかも、何かといえば「素人じゃあ無理なので、早く専門家に相談するように」の繰り返し。
視聴者は、ええかげん不信感を抱いてるのではないだろうか。
僕自身も過去に、おそらく仮面鬱病(自律神経失調症)だったんだろうあれは…という経験があるが、失礼ながらお医者様はまったくあてにならなかった。
とにかく、この手の番組を見て毎度思うのだが、「原因分析」をまったくやらない、そもそもまるでやろうともしていない、というのが最大の問題だと思う。
その意味で、たしかに激しくツッコミはしたが、専門家の最後の言葉はなかなか核心を突いていると思う。
彼の言うように、旧い目標(金持ちになってエエ女手に入れるとか、学歴とか地位とか)は魅力がなくなって無効化してしまったのに、みんなが血眼で私権闘争することを前提としたシステムだけが相変わらず残存して、人々に「もっと稼げ」「もっと効率よく」「もっと速く」と強制する社会状況が、“うつ”のほんまの原因なんではないだろうか?
ふつうに考えたらそういうの精神が悲鳴をあげるよ(無理もないと思う)。
と考えると、“うつ”は単なる「身体の病気」ではなく、また単なる「個人のこころの問題」でもなく、むしろ社会の統合不全の問題だという事が浮かび上がってくる!
異常と正常の狭間①~②
精神医学をはじめとした、心を扱う学問一般には、実は社会的共認が非常に影響を与えています。精神医学の病理カテゴリーは元々自明ではありません。研究者がカテゴライズして恣意的に命名するんだから、当然といえば当然です。
例えばフーコーなどは「精神病というカテゴリーそれ自体が、近代社会の要求に従って誕生した」という意味の言葉を述べています。目的的で効率主義の私権社会に適応できない性格特性・能力特性は、マイナス視され、精神障害とカテゴライズされ、近代の一般社会からは排除される傾向にあったのではないかと考えられます。
そもそも、原始共同体では(現在でも、「未開」と言われている社会においては)、狂人にも狐憑きやシャーマンの役割(=聖)が与えられていました。ですが全てを通常性(=俗)の枠内で処理するようになった近代社会では、枠に収まらない「狂人」は、まずは犯罪者同様に隔離され、「人権」という観念が普遍化すると、「治療すべきかわいそうな人」として、やはり隔離される対象となってきたようです。
そう考えていくと、戦後、農村から都市に人口が移り、共同体が完全に崩壊するにつれて、分裂病の発生頻度が上昇し、さらに貧困の消滅で減少傾向になる一方、アスペルガー症候群を含めて、行為障害、人格障害、ADHDといった比較的新しいカテゴリーが浮上してきたという現象も納得できます。(中略)
また、こうも考えられます。まずは、精神医療を行う社会的階級にある人々自身の都合のため、ぜひとも新しい「病気」が必要で、だからそれを創出していったのではないかということ。つまり、精神科医とて市場の一員で、「治すべきもの」がなくなっては困るという、身も蓋もない話です。
また、産業革命以降の社会変化により、私権の強制圧力による労働阻害が苛烈になってきた結果、労働者が心理的にまともに生きられなくたってきた。しかし、それはまだましで、'70年代以降、その私権の強制圧力が衰弱して、何もやるべきことがなくなった、つまり統合軸を失った精神が迷走し始めたことも、大きな原因のようです(近年、精神的な不調をうったえる人がどんどん増加している事実にも合致します)。
例えば、社会において不全をかかえていてうまく生きられない人がいるとましょう。心の学問やケアに携わる者は、それを病理カテゴリーのどれかに分類し(あてはまるものが無ければ新カテゴリーを無理やり創出し)、彼を「治療」し、現在の社会に適応させようとします。
しかし、「社会は常に正しく」てそこに「適応できない人はオカシイ」という固定観念を捨て去れば、こんな問題が見えてきます。
実は現代社会を心的にうまく生きられないのは、その個人の心に問題があるからなんだろうか?、実は社会の在り方の方に問題があるからなんだろうか?。心の学問に素朴にたずさわる者は、後者の可能性を覆い隠すことで、問題のある社会システムの維持に加担しているとも言えるのです。
それに、最近では、誰にでもある精神の不調に、「病気」とレッテルを貼って、薬漬けにして大勢の人を廃人にしているのでは?という問題提起もなされているようだ。
患者を薬物依存症に仕立て上げてしまえば、薬を定期的に買ってくれる常連客になってもらえるもんね。
そういう問題意識で書かれたこんな本もかなり売れているらしい。
やたらと「素人はあほなんだから、とにかく医者にかかれ」と繰り返す連中は、実は薬を売りたいだけなんではないか…?、と思えてくるのである。