どうしてこうなったんだ北朝鮮 『ドキュメント北朝鮮』より~①金日成 権力掌握まで
どうしてこうなったんだ北朝鮮 『ドキュメント北朝鮮』より~②朝鮮戦争
につづき、いよいよ、最後の③。
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◆チョンリマ(千里馬)運動と独裁の強化
金日成による粛清の嵐の中、チョンリマ(千里馬)運動が始まる。
大衆を大量に動員し、経済の5カ年計画を推進する。
そして、5年の計画をたった2年半で達成したとウソを発表。
「産業の発展は重工業に偏っており、人々の暮らしに直結する生活用品・医療品は大幅に不足という状況」…ソ連大使はこのように本国に報告した。
その翌年(1959年)から「帰国事業」が始まる。
当時日本の左よりの多くのメディアで“地上の楽園”と謳われていた憧れの北朝鮮に、在日朝鮮人(戦前から戦中に日本に強制的につれて来られていた人々など)たちが、2年間で7万人以上帰国していった。
しかしその後、多くの人の消息が途絶えることになる。
当時副首相の補佐官であったオ・ギワンはこう語る
>北朝鮮では、生活必需品が不足していた。
>彼らは不満を募らせていただろう。
>しかし不満を口にする人は監獄へと送られた。
(一部の方々は、スパイの養成のために日本語教育などに強制的に従事させられた可能性もある。←by管理人)
金日成は軍事力を強化。1962年には、全人民の武装化をなし遂げる。つまり子供や老人や女性にも鉄砲を持たせて軍事教練をした。
当時のソ連の試算によると、60年代後半、軍事費は国家予算の50%を超えていた。そして国民生活はますます圧迫する。
その頃、ソ連のフルシチョフ(西側との平和共存を志向)と中国の毛沢東(革命闘争の継続を志向)で共産主義の路線対立が起こる。
金日成はどちらの側にも属さず、中ソ両者の間をうまく立ち回って両方の援助を獲得する(現在にも通じる外交の巧みさはすでにこの頃から?by管理人)。
金日成は、中ソの対立の最中、「主体思想」を唱えた。
※画像は「主体思想塔」
政治における「自主」、経済における「自立」、国防における「自衛」を掲げ、北朝鮮独自の路線を歩むことを宣言した。
ドミトリー・カプースチン(当時のソビエト大使館情報分析官)は次のように語った。
>金日成は、人々を洗脳するプロパガンダの重要性を熟知していた。
>「主体思想」という概念を使って、彼はさらにそれを推し進めた。
>その洗脳はあまりにも早く、我々はただ黙って見ているしかなかった。
金日成による「主体思想」教育によって、歴史の書き換えも進んだ。歴史は、金日成への賛美で彩られるようになった。
http://blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/e/4211f386f6e7f8de60cb0d4cef4e4c36
…に書いたが、金日成が初めて朝鮮の民衆に紹介された時、「ニセモノでは?」とどよめきが起こったのだが、記録映画には、「10月14日、私が民衆の前に立つと、群集の歓呼は最高潮に達した」とされており、また、田舎に戻った時の写真の中のソ連のメクレルの顔が別の朝鮮人の顔に改竄されていたりする。
1968年1月、韓国大統領官邸襲撃事件が起こる。
31人のゲリラが大統領官邸を襲撃。韓国軍と2週間にわたって銃撃戦。その結果ほとんどが射殺される。
ただ一人拘束された人物の尋問映像(米国立公文書館)の中で、このように語られる、
>大統領官邸にいるパク・チョンヒ大統領を銃殺し、主要な幹部も撃ち殺す任務を与えられた
韓国の大統領を倒せば、民衆が蜂起し革命が起こる…と金日成は考えていたと伝えられる。
(これがきっかけで、金日成暗殺のための秘密部隊が結成され訓練されたが、太陽政策への転換によって暗殺計画が白紙に。訓練された兵士が反乱を起こしたのが「実尾島事件」と言われ、韓国の大ヒット映画シルミドhttp://www.hancinema.net/korean_movie_Silmido.phpのモデルになった←by管理人)
そして、その事件のわずか2日後、またもや世界中を震撼させる事件が起こる。
1968年1月、北朝鮮はアメリカの情報船「プエブロ号」を拿捕し、乗員82人を拘束した。
北朝鮮は、領海侵犯したことをアメリカが謝罪しない限り、乗員は解放しない…と警告。
当時のジョンソン大統領は「公海にいた(領海侵犯などしていない)」と反論。
アメリカは北朝鮮への報復爆撃のため航空母艦3隻と200機以上の戦闘機を出撃させた。
軍事同盟を結ぶ北朝鮮がアメリカと戦争になれば、ソ連も巻き込まれる恐れがある。その状況に、ソ連が震撼し、当時のソ連の首相コスイギンは、ジョンソン大統領に直接書簡を送った。
>この問題を解決する為には、軽率な行動を取らないことです。(コスイギン)
書簡の2日後、ジョンソン大統領は北朝鮮に協議を呼びかけるという方針に転換した。
一方、金日成は次のような書簡をモスクワに送っている。
>我々は、侵略者に対し、反撃を加える準備をしなくてはなりません。
>戦争が起きれば、ソビエト政府は我々と共にアメリカ帝国主義と戦うと確信しています。
>その場合、総力を動員して我々に軍事援助を与えてくれることを望みます。
ソ連のブレジネフ書記長が金日成の説得に乗り出した。金日成をモスクワに呼ぶが、彼は国を離れられないとソ連訪問を拒否。
そして板門店で、北朝鮮とアメリカとの直接交渉が始まる。
11ヶ月に及ぶ長期交渉の間、北朝鮮側は「謝罪しなければ乗員は解放しない」を繰り返す。
そして、ついにアメリカ側が譲歩。北朝鮮が用意した謝罪文書に形だけサインした。おかげで、乗員82人は無事解放されたが、プエブロ号の返還は拒否された。
その際のフィルムも、「帝国アメリカが北朝鮮に膝を屈した」として、金日成のプロパガンダに利用された。
※プエブロ号は北朝鮮に展示され、これも現在に至るまでプロパガンダに利用されている。
この「プエブロ号事件」の外交的勝利に味を占めた北朝鮮は、その後も強硬主張を繰り返すことになる。“瀬戸際外交”はここから始まった。
こうして北朝鮮は、完全にソビエトのコントロールから外れ、70年代に金日成の個人崇拝が大幅に強化されたのである。
この頃から裏では既に、金正日への権力の継承準備が着々と進んでいたのであった。(4/2放映の「NHKスペシャル:ドキュメント北朝鮮」まとめはここまで)
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うーん、壮絶な歴史だ。
大国に翻弄され、自国民同士で殺し合いをさせられ、間接支配される中で、したたかに立ち回ってきた金日成はある意味すごい。日本は相変わらずアメリカの間接植民地状態であることを思えばたいしたものだ(もっとも多くの人にその自覚は無いが)。
前世紀のスターリン型独裁の政治形態をそのまま残して国家が成立しているところに、北朝鮮の危うさがある。軍隊を強化し、情報を統制し、人民を貧困のままの状態にしておくことで、支配を永続させている。国内の統合もまさに“瀬戸際”という感じだ。
核開発にしても、本音では彼らは決して放棄するつもりはないだろう。彼らなりの生き残る為のギリギリの選択肢なのだ。大国の圧力の中で、瀬戸際外交をしながら存在を続けている金正日とその側近連中は、国際社会やマスコミからは「キ○ガイ」扱いされているが、実は極めてしたたかなのではないだろうか。
それに比べて、大国の真の意図を探ろうともせず言われるがままに搾取されまくっている日本は、「北朝鮮は危険だ!日本に攻撃してくるかもわからん!」みたいなニュアンスで騒いでいるが、これもおどらされているだけなのではないかという疑いが頭をもたげる。
※この番組については、↓このサイトが非常によくまとめてくれている。併せて読んでみて…お勧め!
http://blog.goo.ne.jp/blue-jewel-7/e/f379914603d6e62e69dfbc0ccb5ff390
↑ ついったー