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米帝→官邸→マスコミの洗脳による植民地状態からの脱却を考えてみるブログ♪主権を取り戻し、日本の未来を考えよう。

エイプマン第5回<人類の拡散>(後編)

2010年12月27日 | 雅無乱日記

さてさて、エイプマン第5回のまとめの続きをアップするよ。

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ヨーロッパより5万年も前にアフリカに、精巧な石器を作り、火を操り、「象徴化」ができる思考力を持つ人類が存在していた証拠である。

最近になって、アボリジニは6万年前にオーストラリアに到達していたことが突き止められた。

彼らはなぜ、そんなに早く遠くまで移動したのか?何が彼らを駆り立てたのか?

M.ラール教授(ケンブリッジ大学)はこう語る
>大昔、かれらの生活手段は狩猟や採取だった。
>技術が高まり、海産物をより大量により確実に取れるようになり、人口が増えたのでは?
>そうすると、近くの海産物を採り尽してしまうことになる。
>大きくなった集団は移動を余儀なくされる。
>移動は海岸沿いを前進するしかない。

人類は、10万年前から6万年前までの間に、アフリカからアラブ、インドの海岸線をすっかり制覇してしまったようだ。
そしてインドからアジアへ、そしてオーストラリアへ散っていった。
海岸線をどこまでも東へ東へ何世代もかけて移動したのだろう。

ところどころに海産物が採れないところや、近くに適当な洞穴が見つからない…などで住めないところもあっただろうが、海岸線という環境に慣れる術を手に入れた人類の祖先は、似たような環境で適応していくことができたのではないか(という仮説)。

あくまで好き好んで移動したわけではないが、生き延びるために年に1.5km、つまり一万年に1万5000kmのペースでゆっくりと生活圏をのばしていったと考えられる。

>技術開発の能力が人類に備わった10万年前以降、人類は新たに様々な貴重な技術を手にした。
>小船、大船、網、銛など新しい道具をつくって、文化を進歩させていった。
>また、新しく自分たちに降りかかってくる問題に対して、進化した脳で新しい解決方法を編み出すことができた。

エジプトのタラムサ丘陵…、アフリカの内陸部でもナイル川を伝って移動した人類の痕跡が見つかった。
集団移動の第二の波が起きていたようだ。
そこから、アフリカ北東部や中東へ向かったのだろう。
やがて地中海を回り、北ヨーロッパに到達したと思われる。
そして、徐々にホモ・サピエンスが制覇種になっていった。

生物学的に見ると(DNA解析の結果を見ると)、今ある人種的な違いなど、ごくごく最近に生まれたものにすぎないということが分かる。


南アフリカで我々の直接の祖先である現生人類が生まれた頃には、アフリカでは別の種類の人類がまだいくつか生きていた。

第6回につづく…

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続き:エイプマンの第6回については、既にエントリーしてるので、こっちを見てね!

http://blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/e/685a94db5ffd31fb048eaeceae25d620

以上、BBC制作「エイプマン」のレポートでした。


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以下は参考までに

アフリカのグレート・リフト・バレー(大地溝帯)から世界中に旅立った人類の軌跡を見ることのできるフラッシュ。

[Jorney of Mankind]

gj.jpg

 


BBC製作エイプマン<第5回>「アフリカからの出発」(前編)

2010年12月26日 | 雅無乱日記

さて、引き続きBBC製作のエイプマン<第5回>のレポートを。

今回は、アフリカからの出発」ということで、現生人類の直系の祖先の特徴は何だったのか、どのようにして世界に広がって行ったのかを探っていく。

人類の歴史は、人類の祖先が直立歩行を始めてから数えると700万年とか600万年とかと言われているが、私たち人類に直接繋がる種(原生人類)が登場したのはたった20万年~15万年前だったようだ。それまでいた人類の亜種は全て絶滅してしまったということである。

それと、この回のポイントのもう一つは、人類の脳や人間らしい特徴発達はヨーロッパで起こった、と欧米の学者たちは考えていたのだが、それはアフリカで既に起こっていた、というところ。

欧米人の学者の一部(でも結構主流)は、勝手に我田引水の説を立てて、それに固執して事実の追及や科学の発展を遅らせることが多々ある。自分たちを含む人種がより優位だってことを証明したくて仕方がないんだよな、まったく…

この番組、他にもそういうバイアスがかってるかも…と思って読んでくださいな。

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では、エイプマン<第五回> アフリカからの出発(前編)

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20万年前には、我々に繋がる直系のホモサピエンスはまだ登場していなかった。

南アフリカのチチカマ海岸。そこのクラシーズ川河口付近には数多くの洞窟がある。
そこの漁師が思いがけず、人類の祖先の化石を見つけた。
上の隆起が無い目の上の骨、そしてあご先が尖った下あごの骨(2者とも現生人類の特徴)。

H・ティーコン教授(ステンレンボッシュ大学 南アフリカ)
>骨は、9万年前の地層から見つかった。それまでの学会の主流説では、その時代アフリカにあるはずの無いものだった。

当時、研究者達は現在のフランスで人類が進化したと考えていたので、この発見はセンセーションを巻き起こした。
(フランスで見つかった4万年前の化石が、現代人に繋がる直系のものとしては最古と思われていた)

さざえの貝殻を分析すると、貝殻が創られた当時、海の水温がどれくらいだったかの痕跡がある。
それによると、それが見つかった地層では当時(12万年前)現在と同じくらい暖かったようだ。
どうやら、間氷期(氷河期と氷河期との間)だったようで、その他の出土物からもその結果が裏付けられた。
人類の祖先の骨が見つかったのは9万年前の地層からだと分かった。
つまり、南アフリカのクラシーズで見つかった人骨は、ヨーロッパで見つかった最古の現生人類の化石より、少なくとも5万年は古かったことが分かった。

世界の異なる地域に暮らす人々から採取したDNAをS.ティシュコフ教授(ペンシルベニア州立大学)が解析した結果も、現生人類はヨーロッパで進化したのではなく起源はアフリカだということを支持した。
変異体の数が、アフリカは199、ヨーロッパ98、アジアは73ということで、もとっとも多様性のあるアフリカが起源と推測される。

さらに、その遺伝子解析は、次のような結論を導いた。

★地球上の全ての人類はおよそ15万年前にアフリカにいた一つの集団を共通の祖先として持っている。

アフリカの初期人類の集団は幾つかの集団に分かれていた。約10万年前にその中の一つの集団が移動をはじめ、アフリカを離れて世界各地へと広がっていったと現在は考えられている(ヨーロッパで人類が進化したという仮説は否定された)。

イギリスの人類学者、クリス・ストリンガー教授(ロンドン自然史博物館)は、ヨーロッパ中の博物館に保管されている骨の化石から、ネアンデルタール人の骨と、人類の骨を細かく調べた。
>ネアンデルタール人と現代人の骨は違いすぎる。直系の祖先ではないのではないのではないか?と疑問を持った
パリの人類博物館にあるモロッコで出土したものは、ネアンデルタール人的特長をまるで持っていない別種の人類の骨と考えられた。

これをもとに、ストリンガー教授が唱えたアフリカ起源説は、当時の学会を大きな議論の渦に巻き込んだ。

>現生人類の身体の特徴がアフリカで発達したというのは、当時の学者には受け入れたれていたが、「脳の発達や人間らしい特徴(観念など)の進化だけははヨーロッパで起こった」という固定観念があった。現代的な思考や行動が進化したのはアフリカなんかのはずがない…。だからこの話は、ヨーロッパの研究者からは猛反発を喰らったのです。

同じく、南アフリカのプロボンス洞窟で発掘・研究をしているクリス・ヘンシルウッド教授(ニューヨーク州立大学)が登場。
>ここは、10万年前からつい最近までこの洞窟で生きていた人類たちの記録が、ずっと化石として残されている貴重な場所です。

この洞窟の数tもの砂をふるいにかけた結果、様々なものが出てきた。
石器はシルクリートという硬い岩でできた尖ったもの。この石の素材は30kmも離れたところにしかない(運んで持ってきて製作した?)。
正確に同じような道具をつくった。キリもあった(皮に穴をあけるのに使った?)。
貝の食べ残しの殻を捨てた場所も見つかった。

J.シーリー教授(ケープタウン大学)
>大量に魚を取っていた跡もあった。群れの仲間と協力して、撒き餌を投げて、鍵竿か槍で採っていたのではないか?

10万年前の炉の跡もあり、同じ場所で繰り返し火をたいていたことがうががい知れた。

クラシーズの洞窟では、オーカーという鉄酸化物の赤色のものも発見された。
これは現在でもアフリカの先住民族が、成人の祝いの儀式で、血を象徴するために使っている。
これは、「象徴化」といわれる行動で、人類以外の種には見られない行動の一つである。

ブロンボス洞窟でも、貯蔵されたオーカーの断片が発見された。おそらく、石でオーカーを削って身体に塗ったり装飾に使っていたのだろう。

オーカーの表面に等間隔で網の目の模様を描いていた。芸術の始まり?または季節を刻んだ?

これらは、ヨーロッパより5万年も前にアフリカに、精巧な石器を作り、火を操り、「象徴化」ができる思考力を持つ人類が存在していた証拠である。

最近になって、アボリジニは6万年前にオーストラリアに到達したことが突き止められた。

なぜ、そんなに早く遠くまで移動したのか?何が彼らを駆り立てたのか?

…つづく

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続き(第5回の後半、人類の移動の話)は、長くなったので次回^^;)

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BBC製作エイプマン<第4回>「狩りと分業の開始」

2010年12月25日 | 雅無乱日記

さて、引き続きBBC製作のエイプマン<第4回>についてまとめてみる。

今回は、「狩りと分業の開始」がいつだったかを化石資料から探る。

これまでは、弓矢の発明がだいたい今から1万数千年前だったことから、その1万数千年前くらいまでは、他の動物より圧倒的に弱い人類は穴倉に隠れて暮らしていたのだろうと考えていたのだが、30万年前というかなり前から、結構な道具を作って野獣たちと張り合ってたのではないか?という仮説が出てきている。

そのへんに注目してみておくれ^^;)

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エイプマン<第4回>「狩りと分業の開始」

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人類の祖先が初めてヨーロッパにやってきた時代はいつか?

ドイツ東部のビルツィンクスレーベン遺跡での発掘。50万年前の人類の遺物が発見された。5tもの石や動物の骨が円を描くように配置されていた。キャンプの跡のような3つのサークル。作りかけの道具や石器。

イギリス南部のボックスグローブ遺跡では50万年ほど前に人類の祖先が生息していた証拠が発見されている。そこでは、フリントの(石器の原料の)石の破片が見つかった。ハンドワックス(という石器)をつくる途上でできた破片であろうと類推された(ロンドン大学の研究)。

イタリアのアルタムラ洞窟には、石灰岩に覆われた遺骨が見つかっている。これは、骨格の特徴からホモ・エレクトゥスとは明らかに異なるものだった。これは、約50万年前に生きていたホモ・ハイデルベルゲンシスの全身骨格であった。アフリカで発祥し、当時ヨーロッパに渡ったと考えられている。

イタリアはフィレンツッェの考古学研究グループ A.ターナー博士

>当時(50万年前)の地層からは、ライオンや豹、ブチハイエナ。象2種。ホラアナグマ(絶滅)。狼やヒグマなどが生息していたと考えられます。

次に映し出されたのは、スペイン中部の高原地帯のトラルバ遺跡。大型哺乳類がヨーロッパを闊歩していた時代(25万年前)の人類の祖先の生活の跡(?)。

湖は現在は消滅してしまっているが、当時湖岸だった場所に、哺乳類の化石が多数出土。象やサイ、赤鹿、オーロックス(絶滅)など。場所によっては100頭以上の哺乳類の化石が見つかる。石器の破片などからホモ・ハイデルベルクもここで生活していたとみられる。

骨に傷がついていたが、それは石器によって肉をそぎ落とすときについたと考えられる。その上から、動物の牙の跡も…。肉食動物より先に肉を手に入れていた?(←ナレーターはそう喋ったけど、どうも怪しい感じがした)

もし、それが本当だとすると、動物の肉を求めてこの湖に旅をしてやって来て、狩りをしていたと考えられる(…ということは、25万年ほど前に、それ以前の肉食動物の食べ残しを漁るという生活から脱出していた?このへんがちょっと怪しい気がする)。

頭蓋骨の容積を計測。
ホモエレクトス    約900ml
ハイデルベルク人 約1300ml
現代人        約1400ml

ホモ・ハイデルベルゲンシスは現代人とほとんど変わらない容量の脳を持っていた。

ドイツのヴィルツィンクツレーベンの遺跡では、円形に骨や石が並べられていた。
レディング大学の研究者はこう語る。
>ここでは石器や骨角器など高度な道具がたくさん発見されている。おそらく彼らは集団生活をしていたのだろう。3つのサークルは、そのキャンプ地のようなものだったのではないか。

彼らは、牛の祖先やサイなど大型の草食動物など、危険な動物に立ち向かっていたのだろうか?

石器に注目してみる。

数十万年前の地層から見つかった、南アフリカのケープタウンのハンドワックスも、インドでみつかったものと形も大きさもそっくり。

しかし、ドイツで見つかったハイデルベルゲンシスのハンドワックスは、形は同じだが大型でとても美しい。この石器は大きすぎてまるで実用性が無く(肉を骨から切りとるための道具としては使えない)、おそらく象徴として作られたものだろうと考えられる(このあたりも、大胆な学者の仮説?)。つまり、他人に見せることを意識してつくられたのではないか。

>(30万年前の人類は、)すでに他人の心を意識していた?もしかしたら言葉のようなものも生まれていたかもしれない?←ナレーターの言葉

スペイン中部のトラルバ遺跡では、異なる種類の動物の骨が大量に一箇所に集まって見つかっているところがある。ホモ・ハイデルベルゲンシスが、湖の周辺のぬかるみに動物を追い込んで、その肉を食べていたのではないか?(←仮説)

ドイツ北部ハノーヴァー近郊のショーニンゲン遺跡 では、約40万年前の地層から、狩りに使われていたと考えられる道具“槍”が発見された。これは、トウヒの木の幹を削ったもので、長さはなんと2メートル。

狩りをしたものだけが肉を独り占めしたのではなく、仲間と分け合っていたのではないかという仮説が展開される。

チンパンジー3歳になると、歯が乳歯から永久歯に生え変わり、それを契機として親に頼る生活が終わる。それ以降は、自分で餌を探して食っていかなくてはならなくなる。

一方、人類では、6歳で永久歯に生え変わる。

ハイデルベルク人では、脳の大きさから言って、5歳~6歳で永久歯に生え変わったであろう。

ということは、そんな年齢になるまでずっと親が面倒を見ていたということになる(子育ての負担が増大した…?)。そのためには、「狩りに行く人」と「子育てする人」という役割分担が不可欠であっただろう(?)。だから、狩りの結果の獲物は、群れで分け合っていたのではないかと類推される。

そして、40万年前に生きていた彼らにも、現代人にもあるような感情や共感があったのではないか?(仮説)。
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以上。今回は、証拠不十分な仮説がたくさん出てきたような印象(しかし、こんな昔のことは仮説を立てるより仕方がないのだが)。

発掘年代(50万年前とか40万年前とか…)は、炭素原子(同位元素)を使ってほぼ正確に測定できるとするならば、(参考:http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2000dm2k/japanese/02/02-12.html人類最初の“槍”はだいたいう40万年前にはできていて、その時代には人類は狩りをしていて洞窟生活からは抜け出していた…ということになる。

まあ、そう考えた方が、人類がアフリカから出てヨーロッパやインドまで拡散していたこととは繋がるが…。

しかし、このへんがほんまに事実なのかどうかは、正直この番組だけではよく分からない。

引き続きエイプマン第5回レポートする。


エイプマン第3回~人類の脳の発達はかなり後~

2010年12月24日 | 雅無乱日記

引き続き、前回のBBC番組「エイプマン」の第3回のレポートをしたい。

内容はおもしろいのだけど、途中に入る大げさな音楽と想像映像はやめてほしいな…。

もっと淡々と事実を繫ぐだけにして欲しい(ドラマ性アップのためかもしれないが、映像イメージで変な固定観念を増幅させようという意図が感じられてよろしくない)。

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ではここから<第3回>「変わり始めた身体」

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インドネシアのジャワ島はユンガワン河のほとりで、1891年、ユージン・デュボアによって人類の祖先の化石が発見された。

身体は人、頭は類人猿に近かった。彼は、「この化石こそがミッシングリンクを埋めるものだ」という仮説を発表した。

しかし当時のほとんどの科学者は彼の説を無視した。

「人類の祖先は頭が大きいはずだ」と学者たちは期待していたので、頭が小さかったその化石は「人類の祖先のはずがない」と考えられたのである。

それが、150万年前に生きていた人類の祖先=原人 ピテカントロプス・エレクトゥスの化石だ。

この化石は、おそらくアフリカで暮らしていたホモ・エレクトゥスの子孫で、獲物を追ってアジアまで移動したのだろうと考えられている。つまり、アフリカを出てジャワ島まで広がっていった初めての人類の祖先ということだ。

 

次に、人類学者として著名なリチャード・リーキー博士が登場。

彼は、化石ハンターのK.キメウ(ルイス・リーキーの元助手)を中心として発掘チームを結成。アフリカはケニアのツルカナ湖において発掘調査が始まった。しかし、1ヶ月の調査でも何も見つからず。

トゥルカナ湖に流れ込む干上がったナリオコトメ川でやっと150万年前の人類の祖先の化石が発見される。

ホモ・エレクトゥスの若い男性のものと推測された。頭蓋骨だけでなく全身骨格が出土し、この化石は「ナリオコトメボーイ」と名づけられる。

化石の特徴:額の部分が狭くて、目の上はすぐ頭頂部に繋がっている。
        歯 12歳ほどの少年。歯から全身に菌が広がった?敗血症?
        左目のすぐ上の部分=ブローカー領(言語機能を担う領域)の頭蓋骨にくぼみ。
        もしかしたら言葉を話すことができたかもしれない?
        脊柱側湾の症状。類人猿はこの病気にはかからない。
        骨が丈夫(スポーツ選手でもここまではいかない)。
        彼は死んだ時まだ成長途中で、もし成人するまで生きていたら、
        身長180センチを超えていただろう。今の人類より大きく力が強い。

リーキー博士の発掘調査隊の一員だったウォーカー博士の談話。

>脊椎骨の中心の穴が非常に細いのはなぜ?と疑問に思った。

人類の脊椎の穴は神経が多いので太い。しかし、発掘された脊椎骨の穴は極めて小さかった。

サリーローハンプトン大学アンナ・マクラーノン博士は…
>呼吸のコントロールをする神経組織が通るには脊椎骨の穴が小さく、言葉を話すために十分な神経が通っていたとは考えにくい。
>おそらく、チンパンジー程度のコミュニケーションしかできなかったのであろう。

ウォーカー博士は、当時は、ブローカー領域の発達を根拠に「言語をしゃべれたのではないか?」と考えたが、それは否定され、ツルカナボーイは言葉はおそらく話すことができなかったと推測された。

身体の大きさから考えて脳の大きさが著しく小さい(一般動物の基準値くらいしかない)。
言わば、脳容積を基準とすると「1歳の赤ん坊の脳を持った大人」という感じ。
150万年前の人類の祖先の脳は、まだそれほど発達していなかったということが推測された。

>もし仮にその生物(ツルカナボーイ)に出くわしたとしても、獣に出会ったような感覚を覚えるだろう。意思の疎通はほとんどできないと考えられる。(ウォーカー博士)

人類の祖先は、420万年前からずっと二足歩行していたのにもかかわらず、150万年前まで脳は未発達のままだった。

ダーウィンの「二足歩行によって手で道具が使えるようになったので脳が進化した」という仮説は成立しないことが分かった。

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第3回のレポートは、以上。

第4回レポートに続く…


原生人類の祖先が、3万年前に絶滅したデニソワ人と交雑していた?(“エイプマン”の紹介)

2010年12月23日 | 雅無乱日記

ちょっと驚きのニュース。  (上の画像は中日新聞サイトより)

原生人類の歴史を大きく書き換える必要が出てくるような報告だ。

現代人の祖先、別人類「デニソワ人」と交雑(読売)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20101223-OYT1T00205.htm?from=navr

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 現代人の祖先が、別の人類とされるデニソワ人と交雑していたことが、独マックス・プランク進化人類学研究所などの国際チームの研究でわかった。

 現代人の祖先が、世界各地で先住の人類を絶滅させつつ広がったとする従来の説を、覆す可能性がある。23日付の科学誌ネイチャーに発表する。

 シベリアのアルタイ山脈の遺跡で発見されたデニソワ人の骨を使い、細胞核のゲノム(全遺伝情報)の一部を解読した。世界各地の現代人のゲノムと比較したところ、オーストラリア北東の島々に住むメラネシア人は、ゲノムの4~6%がデニソワ人固有のものと一致していた。

 研究チームによると、人類の祖先は40万~30万年前にアフリカを出て、ヨーロッパに移動した集団がネアンデルタール人に、アジアに広がった集団がデニソワ人になった。それに遅れて6万~5万年前にアフリカを出た現代人の祖先が先住者と交雑し、今に至ったらしい。欧州やアジアなどの現代人の祖先とネアンデルタール人との交雑を示す研究成果は、今年5月に発表されている。異なる人類どうしの交雑、共存が一般的だった可能性が出てきた。

(2010年12月23日12時20分  読売新聞)
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図解の転載は控えるが、ぜひ図解と一緒に見るべし。

ネアンデルタール人との混血の可能性は、以前の研究で言及されていたが(当ブログ:http://blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/e/685a94db5ffd31fb048eaeceae25d620)、デニソワ人とも頻繁に交雑していたとなると、かなり形質の違う人類同士でなぜそのような事が起こるのか追求する必要がありそうである。

(異種人類同士も仲間と認識していた?と想定しないと考えにくい。)

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人類の起源や歩みについて現在有力とされている説を、様々な化石資料や研究から紹介するおもしろい番組を見たので、紹介したい。

数年前、BS朝日で放映していたBBC製作の番組、『BBC地球伝説「エイプマン」“ape・man adventures in human evolution”』

番組紹介ページ→http://www.bs-asahi.co.jp/bbc/history/hi_15_01.html

私が見たのは第二回から。

まずは私自身の見解は横に置いておいて、番組に紹介されていた事実や説をそのままご紹介する。

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アフリカ各地で出土した猿人の化石を様々な角度から検証し、その姿形や生態、さらに進化のメカニズムを明らかにしていく。猿人は類人猿とヒトの中間段階と言われるが、2本足で歩行していた点を除けば、その実態は類人猿に近い。体も小さく、捕食動物の脅威にさらされていた猿人が、過酷な生存競争に勝ち残り、我々の祖先となり得たのはなぜか? 類人猿からヒトへと進化の道が開かれた過程を探る。

~アウストラロピテクスの発見の回想シーン~

アウストラロピテクスは、アフリカのカラハリ砂漠南部の石灰岩の採掘場(タウング)で発見された。爆薬で吹き上げられた物の中に動物の骨の化石が含まれており。当時ヨハネスブルグにいたレイモンド・ダート教授のもとに運ばれた。

教授の分析により、この骨が現存するチンパンジーとも人類とも異なるものであることが明らかになる。犬歯はチンパンジーより小さい。類人猿は背骨とは斜めに頭を支えているのだが、その化石では背骨の真上に頭蓋骨があった。これは人類の骨格の特徴。

しかし、人類と比べると脳のサイズがはるかに小さい。ダート教授は、これを猿から人類への進化段階の途中の化石と結論した。アウストラロピテクス・アフリカヌスの発見である。

レイモンド・ダート教授は、骨格や周囲にあった他の動物の化石から、「キラーエイプ説」(“殺し屋のサル”説)と呼ばれる次のような仮説を立てた。

周りにあった動物の化石は、頭蓋骨が多かった。ヒヒなどを襲って生肉を食らっていたのだろう、と彼は考え、狩り→道具の発達→脳の発達が進化の牽引力だったと結論した。獣など外敵に対応するために武器を作ったことが人類への進化の始まりという説である。

しかし、その後、その説には多くの矛盾があることがわかってくる。

南アフリカのマカバンスガットで現在は既に絶滅したハイエナやキリンの骨が大量に発見された。それらは、故意に傷つけられたり折られたりしていたと考えられる跡があった。トバイアス教授らによって、同じ場所で人類の祖先の化石も発見された(骨盤の形状が人類に近く、二本足で歩いていたと思われる化石だった)。

ダート教授は、その時代の人類が武器を作るために動物の骨を加工していたのだという仮説を立てたが、トバイアス教授は異なる見解を持っていた。

その後、エチオピアのハダール山脈で300万年以上前の完全な猿人の骨格(ルーシーと名づけられる)が発見される。 身長1メートルちょっととかなり小柄で、人類と異なり指がまがっている(日常的に何かにつかまる生活をしていたらしい)。住んでいたのは、樹や岩の上だっただろうと推測された。もうひとつの特徴として、腸の容積が非常に大きい。←植物を主食としていたため長い腸が必要だった。つまり、骨格から見ても食性から見ても、類人猿とほとんど変わらない生活をしていたと考えられた。

これらの発見から、トバイアス教授は、ダート教授の「キラーエイプ説」は誤りではないかと考えるようになる。

動物の化石には頭蓋骨ばかりが多い。肉食動物は頭蓋骨を食べ残す傾向がある。そして、マカバンスガットの同じ洞窟から発見された、化石化した豹の下あごと猿人の子供の頭蓋骨の化石にあいた穴が一致した。それが、人類の祖先が獲物を狩る側=「捕食者」ではなく、獣に襲われる側だったことの間接的な証拠となる。

この説が発表された時、多くの学者が、これほどか弱い祖先がどうやって生き残ったのかを不思議に思った。この化石は「華奢な猿人」と名づけられた。


さらに、同時代の地層から異なるタイプの猿人の化石が発見される(ロブストス猿人。参考:http://www1.ocn.ne.jp/~kawamako/mitinori.htm)。頭蓋骨のてっぺんに盛り上がりがあり、奥歯と顎が非常に発達していた。体格も頑丈な猿人。「頑丈な猿人」と名づけられる。

K.リード教授は、マカバンスガットの洞窟へ再調査にでかける。洞窟からは、300万年前に絶滅したレイヨウの折れた骨が多数発見される。現在はサバンナであるマカバンスガットは当時は森だった。300万年前に起こった急激な乾燥化で森が喪失しサバンナ化したと考えられている。

猿人に残された選択肢は二つ。

新しい環境に適応するか、それとも絶滅するか…

頑丈な猿人(ロブストス猿人)は植物の根を主食としていた。

NY州立大学では、液体ゴムで脳のレプリカをとった結果を比較することにより、現代人は、「頑丈な猿人」ではなく「華奢な猿人」を起源とするという仮説を立てた。

以後「華奢な猿人」の研究が進む。

T.ロイ博士は、石の破片をつぶさに研究。石に当時の動物の毛や肉が付着しているのを見つけ、当時の人類の祖先は石を使って動物の死体を切ったり骨を折ったりしていたと考えた。

ラトガーズ大学のロバート・ブルーマンシャイン教授によって、タンザニアのオルドバイ渓谷で大量の動物の骨が多数発見される。それらの動物たちの骨には、肉食動物の歯型もあったが、その他にも骨の表面に小さな傷跡が存在した。ブルーマンシャイン教授は、「華奢な人類」が、レイヨウなどの動物の骨を、石をハンマーのように使って砕いていたと考えた。中につまった骨髄を食べていたのであろう。彼らは、道具を使用していたのである。

「華奢な猿人」は当時から肉食を始めていた。すると、植物食の種よりも腸が短くなる。消化のエネルギー効率が良くなる。これらの変化によって、食べ物の消化に使われていたエネルギーが脳にまわり、脳が発達したのだという仮説を立てた。

樹の少ないサバンナでは、昼間に動物の死体を見つけるのは困難。肉食動物に見つかって襲われる危険性が高い。しかも、肉食動物の食べ残しを、さらにハイエナが群れでやってきて残らず食べつくしてしまう。

「華奢な人類」は、そのハイエナの食べ残し、つまり頭蓋骨に囲まれてハイエナも手がつけられない脳と、骨を割って骨髄を食べていたのではないかと推測された。

石器の発明→道具を作れる猿人だけが生き残った。さらに大脳の発達。知能が高まる。たくさんの肉が手に入る。→ますます脳が発達。というスパイラルが起こったと考えられる。

これで、人類に向けての進化の土壌が整ったのだ、と番組では結論付けていた。

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以上、エイプマン第2回はそんな内容だった。第3回レポートに続く。