にほん民族解放戦線^o^

米帝→官邸→マスコミの洗脳による植民地状態からの脱却を考えてみるブログ♪主権を取り戻し、日本の未来を考えよう。

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『のうだま1』脳科学から探る…「ヤル気」を上昇させるには?

2015年10月22日 | 雅無乱日記

      
中学校一年生の甥に贈る本を…ということで本屋で探していたらたまたま見つけた。

「キッパリ!」の上大岡トメ氏と東京大学大学院薬学系研究科准教授の池谷祐二氏の共著である。

池谷祐二氏といえば、脳科学を中学生向けに解説した対話本『進化しすぎた脳』が印象的で記憶に残っている。

トメ氏の漫画でとっつきやすく、字も大きくてページ数も150Pほどなので、30分くらいで読めてしまった。

脳の仕組みから「やる気になるコツ」を解説している本で、なかなか面白かったので紹介したい。

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この手の本の前提にあるのは、世の中一般の「どうも何事もやる気にならんなぁ」「やる気を出したいなぁ」という欠乏の高まりのような気がする。

そもそも'70年の「貧困の消滅」以前、「どうもやる気にならない…」は一部の恵まれた有閑階級の贅沢な悩みだったのだろう。ところが、現在、豊かさが人々に行き渡って以降は、「だるい」「しんどい」「どっこいしょ」としょっちゅう口にする小学生が多数存在している事や、ニートや遅刻・欠勤しても平然としている若手社員が増加している事から言っても、この「やる気ナイナイ病」は日本人の殆どに蔓延してしまっていると言えるのかもしれない。

野生動物は、常に外圧に神経を尖らせ、その変化に即応しないと生きていけない。「やる気が出ない」とかなんとか言っていられない。

ところが、例えばえさが与えられる飼いネコは、縁側などで陽光を浴びながら日がな一日ぼーっと寝そべっていたりする。だからと言って、飼いネコが「最近どうもやる気が出ないんだよな。ふぅ…」なんて悩んだりはしない。

しかし人間の場合は、やっぱり「やる気のある状態」=「活力あふれる状態」にある人は、人を惹きつけるし、魅力がある。そして自分自身が活力あふれる状態だと、なんか「生きてる!」って感じがする。

私権の強制圧力に反応して無理やり「やる気」を出させられていた状態から、その圧力が衰弱し、何か他に「やる気になるものは無いのかな?」「もっと生きてるって実感がほしいな」という“活力欠乏の高まり”が、最近の脳科学ブームの底流にあるのではないかなと思ったりする。



さて、前置きはこれくらいにして、この本の内容で重要なことは2つ。

1.人間は環境の変化に適応して「順化」する。だから誰でも3日坊主で当たり前。

 
2.脳はとてもだまされやすい。だから、下の「B」「E」「R」「I」を上手く使って、

  淡蒼球を活性化しよう。



  ①Body「からだを動かす」 → 脳の「運動野」からスイッチが入る

  ②Experience「いつもと違う事をする」 → 「海馬」からスイッチが入る

  ③Reward「ごほうびを与える」 → 快楽によって入る。「テグメンタ」にある

  ④Ideomotor「なりきる」 → 「前頭葉」からスイッチが入る 


「淡蒼球」をウィキペディアで引いてみると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%A1%E8%92%BC%E7%90%83

GABA系からのインプットがあり、一方で、

>腹側淡蒼球は視床の背内側(MD)核に投射する。MD核からは大脳新皮質の前頭前野への興奮性の投射がある。

とある。「大脳新皮質の前頭前野への興奮性の投射…」これってA10神経のこと?

どうやら、「淡蒼球」は抑制系の中枢と興奮性の中枢の結節点に位置し、重要な役割を果たしていそうな感じはするが、具体的な作用機構やメカニズムに関しては、この本ではほとんど解説は無し(残念)。今後の追求課題である。

とにかく、やる気になっているときにこの「淡蒼球」が活性化していることは確からしい

この本はとことん「実践論」に絞って解説してある。とにかく「淡蒼球」を活性化すればいい。では、これを活性化するためにはどうするか?

それが、上に書いた4つのスイッチ、

①B(肉体=五感から外圧状況のインプットで脳を動かす)
②E(状況変化の刺激を利用して海馬を活性化する)
③R(充足で脳を喜ばせる)
④I(未来の充足イメージや憧れの人に同化する)


というわけだ。( )内は私なりの解釈^^;)

これらに関して、本の“解説”の中から池谷祐二氏の言葉を引用してみる。

<①Bodyに関して>

一般的には「脳」が私たちの最高層にあって、身体は脳の支配下にあると思われがちです。しかし、本当のところは逆で、「カラダ」が主導権を握っています。つまり、「脳からカラダへ」ではなくて、「カラダから脳へ」です。

これは動物たちの長い進化の過程をみればよく理解できます。脳とカラダではどちらが先に発達したでしょうか。もちろんカラダです。(中略)つまり「脳」は、進化の歴史の中では新参者なのです。

私たち人類はとくに脳が発達していますから、うっかり脳のスゴさに目を奪われがちです。しかし、人間だってただの動物にすぎません。人間の脳だけが特別に偉いなんていう考えは傲慢な妄想なのです。

つまり、「楽しいから笑う」のではなくて「笑うから楽しい」、「面白いから前傾姿勢で話しに聞き入る」のではなくて「前傾姿勢で話を聞くから面白くなる」、「ヤル気が出たからヤル」のではなくて「ヤルからヤル気が出る」、私たちの心はそういう構造をしているのです。

だから、頭でウダウダ考えて悩むよりは、まずは何より、身体や環境を自分の目標に合わせてセットする。これこそが最大の近道なのです。


 このあたりは、養老孟司氏がしょっちゅう言ってること。

<②Experienceに関して>

…よほど重要なことでない限り、「海馬」まで情報が届かない…(中略)…これがいわゆる脳のマンネリ化なのです。

…(中略)…逆にいえば、海馬を活動させるためには、いつもとちょっと違う要素を取り入れてみるのがよいということになります。

そうすれば、またその情報は非常事態として海馬にまで届くことでしょう。


 予想できない外圧が脳を活性化する…さもありなん。

<③Rewardに関して>

ごほうび(報酬)が「やる気」を生み出すことは誰もが納得できるところだと思います。ごほうびの喜びはテグメンタを活性化させます。

テグメンタからはドパミンという快楽物質が出て淡蒼球に届けられます。つまり、テグメンタは淡蒼球をダイレクトに活性化させるのです。


 現在においては、「報酬」は、“お金”というより“評価”であったり“共認充足”だったりする。
 そういう時代の変化をしっかり認識すれば、この法則はうまく使っていけるだろう。

<④Ideomotorに関して>

「I」は「Ideomotor(イデオモーター)」です。「観念運動」ともいわれ、いろいろな場面で観察される脳の現象です。

(中略)つまり、周辺の人や物によって、本人が気付かないうちに、「暗示」がかけられて、それに見合った行動を無意識に取ってしまうという現象です。

(中略)「念ずれば通ず」という言葉があります。将来に熱い思いを馳せたり、夢を持ったり、強く願ったりすると、ほんとうに叶ってしまうことがあります。(中略)念じると、無意識のカラダが自然と反応して、目標を叶えようと始動します。

(中略)受験前には合格したところを想像する。スピーチの前に聴衆が感心しながら聞いてくれるところを想像する。料理をするときには彼氏が「美味しい!」と言ってくれるところを想像する。

想像はできるだけ具体的なほうがよいと思います。すると本当にそんな気になってきます。気分ものってきます。


というわけで、なかなか示唆に富んだ内容である。

上からモノを言う古い慣習から抜けきれず、若手をさっぱしヤル気にさせる事ができない上司も、これを読んで意識を転換しておくとよいだろう。

この本のタイトル「のうだま」は、「脳をだましてやる気にさせる」というのと、「脳にあるやる気の玉(淡蒼球)」をかけていると思われるが、どうも自分自身をだまくらかして無理やりやる気になりましょう…といった印象もある。

これからは事実認識の時代である。別に「自分をだます」必用なんてないだろう。視点を「個人」に限定するから、結局は“自己啓発”的な固定観念に絡め取られる。

この本の中にも書いてあるように、やる気になるには、どんどん周りを巻き込む事こそが重要なのではないだろうか。自分をだまして自分だけがやる気になってもしょうがない(そんな奴、思いっきり浮くだろう)。この本にある構造認識を使って「みんなをやる気にさせる」方がずっと実りは大きいだろう。私権活力から共認活力へと人々の中心意識はすでに変わっているのだから…

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取材テロや心無い偏向報道を封じ込めるために。「公開取材」という手法

2015年10月18日 | 丸ちゃん日記

                       ※画像はなんで屋カード工房さんより

私の知り合いに優秀な記者がいる。

彼は、限られた時間の中で精一杯準備(取材相手についての勉強)をし、真摯に取材相手の話を聴いて、意図をしっかり汲み取った上で記事を書く。そしてたいていの場合、取材相手に記事を実際に見せて了承をもらうそうだ(そんな事をする記者は滅多にいない)。時には、デスクと喧嘩してまでも取材相手の意向を尊重する(もちろん権力側の取材の場合は除く。権力者に迎合するような記者ではない)。

※ただしそんな彼も、「察(サツ)まわり(業界用語で警察に付いて事件の情報を聞き出す役割の記者)」をやっていた時は、満足いく取材ができず、板ばさみで悩んでいたが…

彼は、過去に取材をした多くの人と取材後も付き合いがあり、慕われているようだ。

彼のような記者ばかりだったら、マスコミの報道はこれほどひどいものにはなっていないだろう。しかし、現実に私の周りを見まわすと、マスコミによる強引な取材や、意図を理解せずいい加減な報道された事例、そして意図的に捻じ曲げた報道やひどい場合には捏造報道によって多大な被害を受けている方々がたくさんいる

その中には、はっきりと「マスコミは信用できない」「取材を受けてまともに報道されたためしなど一度も無い」「二度と取材は受けない」と口にしている方々も多い。

上に紹介した彼のように、良心を持って誠実に取材にあたる記者も世の中にはたくさんいるのだろう…とは思うのだが、残念ながら、取材テロや心無い報道を平気でやらかすマスコミ人の方が圧倒的に多い…というのが実際のようである。

彼らのような「ひどいマスコミ人」による報道被害を食い止めるための手段というのは無いのだろうか?

ネットで探してみると、次のような事例にぶちあたった。


 

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ブログ『佐々木俊尚の“ITジャーナル”』

http://blog.goo.ne.jp/hwj-sasaki/e/1e4a7c59538a01659983ad62dd050a02

「インターネットが取材を変える日」より

 少し古い話になるが、映画の字幕にからんだ問題を週刊誌に書いたことがある。映画「ロード・オブ・ザ・リング」の日本語字幕について、原作「指輪物語」のファンたちが、「あまりにも翻訳がひどすぎる」と映画会社に異議を申し立てていることを紹介した内容だった。

 ファンたちの活動は、主にインターネットのウェブ掲示板上で行われていた。そこで私は取材にあたり、ウェブ開設者に「できれば取材をお願いしたい。会ってお話をおうかがいできればベストだが、不可能であれば電話やメールでもかまわない」という旨のメールを送った。

 開設者からはすぐに返事が来た。メールには「これまで私たちの趣旨をきちんと理解して報道していただいた例はまったくなく、報道されるたびに不満と怒りが渦巻いているような現状です」という趣旨のことが書かれていた。

 そしてメールは、こんな風に続いていた。「私たちの趣旨をきちんと理解いただけるのであれば、取材には応じたいと思います。ただ、取材についてはメールでのお問い合わせにお応えする方式でお願いしたいと思います。直接面会することとお電話でお話しすることについては、お断りしたいと思います。メールでのやりとりであれば、そのやりとりの詳細な内容をウェブにアップし、その後記事に掲載された折りに取材内容をどの程度正確にお書きいただいたかを検証できるからです」

 一読して、うーんと唸ってしまった。いままで何度もメールで取材を申し込んでいて、このような内容の返信を受け取ったことがなかったからだ。そして今だから正直に打ち明けられるが、少し嫌な気持ちになった。

 どうして嫌な気持ちになったのかはよくわからないが、たぶん「取材」という行為のプロセス自体を、公にした経験がなかったからだろう。通常公開されるのは、取材の結果完成した記事だけであって、取材の途中プロセスを公開することはほとんどない。さらに言えばたとえば警察取材や裏社会取材などは、取材プロセス自体が企業秘密と呼んでもいい貴重なノウハウになっている。どのようにして刑事や捜査当局幹部にアクセスし、あるいはヤクザや詐欺師に取材するのかというノウハウは、その道の取材者にとっては門外不出の機密なのである。

 しかし相手がウェブサイトの開設者で、しかも公になっている字幕の翻訳問題をテーマに取材するのに対し、機密もへったくれもない。そもそも人に聞かれて困るような取材ではないし、それを公開されたからといって、何も困ることはないはずだ――冷静に考え直すと、当たり前のようにそういう結論になった。

 だからそのメールを受け取った数十分後、開設者に「やりとりは公開していただいてもかまいません」と返事を書いて送った。そして質問内容を同時に送り、開設者からは翌日、詳細な回答の返事をいただいた。それに対して若干の補足の質問を再度送り、そして開設者からは再び回答を送ってもらい、それで取材は終了した。記事は翌週、週刊誌に3ページにわたって掲載された。その後、メールのやりとりはくだんのウェブ掲示板にそのまま掲載された。今もその内容はウェブ上に残っている。私自身はできうる限り公平な視点で記事を書けたと思うし、結果的にはこのメールでの取材は非常にうまくいったと思う。

 後から振り返ってみるとこの取材は、インターネットにおける取材活動のありうべき姿を考える上で、貴重な示唆となった。たぶんこれからは、取材という行為自体もこのようにして相対化されていくのではないかと思った。つまりは取材する側と取材される側が、同じ土俵の上に乗っていくということである。そして取材という行為が相対化されていくということは、その結果生み出される記事そのものも相対化されていくということになる。

 かつては週刊誌にしろ新聞にしろ、あるいはテレビ報道にしろ、「書き飛ばし」「報道しっぱなし」が当たり前だった。人権侵害当たり前、取材された側が泣こうがわめこうが、面白けりゃそれでいいだろ、という時代である。新聞なんてひどいものだった。私が新聞社に入社した1980年代には、殺人事件などの記事で「被害者の女性は男性関係が派手だった」などということを平気で書いていた。

 さすがにそうした記事は新聞紙面からは消えたが、実のところ、いまだにそれに類する取材手法、記事スタイルを続けているメディアは少なくない。かつてはそんな風な報道被害にあっても、取材された側は泣き寝入りするしかなかった。メディアは他のメディアの悪口を書かないのが「仁義」だと思われていたし、そうなるとメディアにひどい目にあっても、駆け込むところはどこにもなかったのである。

 だがインターネットの登場によって、その状況は劇的に変わった。書かれる側が抗議をするメディアを手に入れたのである。ひどい取材に対しては当然のように匿名掲示板で指弾される。それがどこまで実効性を持っているのかは別にして、少なくともそうした批判の声は挙げられるようになったのである。その良い例が、現在も余震が続いている新潟中越地震だ。匿名掲示板「まちBBS」の「新潟県小千谷市民集合」というスレッドでは、新潟中越地震で取材している報道陣のおぞましいばかりに悪辣な実態が、こと細かに報告されている。

 だが現状では、インターネットメディアの一般社会への影響力はあまりに低い。冒頭に紹介したメールのやりとりを、マスコミで働く何人かの記者に話してみたことがある。ほとんど全員が、同じような反応だった。

 「うへーっ、インターネットってやっぱり気持ち悪いなあ。取材を申し込んで、そんなこと言われちゃうの? オレだったらぜったい嫌だな」

 道のりは遠いのである。(引用ここまで。強調はblog主による)


やはり、横暴なマスコミによる被害にあっていたのは、私の周りだけではなかったようである。

それにしても、この「公開取材」なかなか使えるかもしれない。

対面での取材を一切拒否し、メールでの取材を全てネット上で公開する。

そうすれば、「編集権」という名のもとに、記者や編集部の都合のいい部分だけ切り貼りされて「そんな意図で言ったんじゃねーよ」というような発言を創作される心配もないし、あることないこと捏造されて、報道されて世間の知るところとなった後に、いくら「捏造だ!」と叫んでも世間に声は届かない…なんてことも少しは防ぐことができる。何より、視聴者にとっては、これまで結果しか見る事ができなかった「取材のプロセス」を見ることができる分、記者の主観による捻じ曲げから自由になり、事実に肉薄できる。

マスコミ人には、名刺を「葵のご門」にして肩で風斬って歩く人が多いと聞く。取材するときにも「国民の知る権利」を振りかざし、時には「御社の社会的責任をどうお考えか!」「人が死んでんねんぞ!」とか言って詰め寄る光景を目にもする。しかし、取材側、被取材側の双方が了解した上で全てのやりとりをネット上に公開するということなら、一般市民をダシに使った口実も、記者の思い上がりも徐々に封印されていくだろう。

ネックはと言えば、やはりこの記者も書いている通り、「インターネットメディアの一般社会への影響力がまだまだ低い」という点だろう。

しかし現在、「あるある」をはじめとする不祥事や、視聴率重視で劣化していっているTV報道にウンザリしている人々はたくさんいるし、若者たちは新聞・雑誌などのメディアから離れて行きつつある。多くの人が参加し評価し合えるような質の高いネットメディアさえ構築できれば、このような公平・公正で新しい取材の形が、人々へ「事実を伝える」ものとして力を持ってくる可能性もあるのではないかと感じている。


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“グローバリスト”こそが売国奴?(内田樹氏ブログより)

2015年10月10日 | 雅無乱日記

グローバリストを信じるな

         ↑

 今日のお勧め。エエこと言ってる。

『だから「内向きはダメだ」って前から言ってただろ。オレなんかワイキキとバリに別荘あるし、ハノイとジャカルタに工場もってっから、こういうときに強いわけよ。バカだよ、お前ら。日本列島なんかにしがみつきやがって』

  ヤーさんの会話もおもろい。

 

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ノーベル平和賞…その欺瞞の歴史にもう一ページ?

2015年10月05日 | 雅無乱日記

画像はここから→ http://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=32545

(1957年から1969年にかけて、CIAはチベット人ゲリラの中国に対するゲリラ戦を援助する秘密作戦を行っていた。)

  

オバマがノーベル平和賞を受賞した時は相当笑ったが、この賞が欺瞞に満ちたものであることを全世界に証明したわけだから、かえってよかったのかもしれない。戦争やりまくってるオバマが受賞したんだから、欧米のシリアへの空爆を止めたプーチンも獲っていいんじゃないか…という声さえあるというから、なお笑ってしまう。

ちなみに、かつてのノーベル平和賞受賞者である、ワンガリ・マータイさんは生前、こんな発言をして話題になっていたらしい。

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ただの「もったいないおばさん」じゃなかった、ワンガリ・マータイさん より

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オーストラリアのテレビ局ABCのサイトには、彼女の受賞報告の会見時(2004.10.9)の発言内容を報道したAFPの記事がそのまま残っています。発言の部分だけを抜き出してみます。
(記事は、http://www.abc.net.au/news/newsitems/200410/s1216687.htm

「エイズが、猿からやってきたという人がいます。しかし、私はそのことを疑っています。なぜなら、私たちは有史以前からずっとお猿さんと暮らしてきたからです。他の人は、エイズは神様の呪いだという。しかし、そんなことはあり得ないんです。」
「私たち黒人は、地球上のどんな人種よりも死ぬ確率が高いんです」
「他の種族を消し去るために薬物(agents)を作り出している人々がいるというのは本当のことです。そのような人たちがいなければ、私たち(=人類という意味か?)がイラクに侵攻するということなどあり無かったでしょうから。」
「実際に、それ(HIVウィルス)は、ある化学者によって細菌戦争の目的に作られたものです」

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そもそも戦争屋のヘンリー・キッシンジャーや、日本の核武装を裏で進めようとしていた佐藤栄作や、CIAの駒にすぎなかったダライ・ラマ14世が受賞するくらいだから、ノーベル平和賞など、そういう欧米にとって都合の良い主張をする連中にお墨付きを与えるための極めて政治的な賞にすぎない。

2010年の劉暁波の受賞も、“とにかく「人権活動家」とやらに賞を与えておけば、自らの手を汚すことなく、お手軽に中国国内の対立を煽り混乱を助長できる…”という欧米側の意図がみえみえである。

アメリカがこれまで中南米やイラクやアフガンでやってきた(やっている)ことが「人権」という概念に照らし合わせてどうなのか? 当然、現地人の人権など微塵も考えていない自分たちの事は棚上げである。

アメリカの人権外交は欺瞞の最たるもの(「人権云々」は内政干渉の口実に過ぎない)

この「ノーベル平和賞」の実にウサンくさい歴史について、同じくこのブログが鋭いツッコミを入れている。

ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報より

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(ゴアのノーベル平和賞受賞に関して)環境運動が平和賞だって?

私は、「たちの悪い冗談ではないか」と思っていたが、そもそもノーベル平和賞というのは幾つかの例外を除いてそういうものだと納得した。

“そういうもの”というのは、2種類あって、この賞には一つ目には「エスタブリッシュメントの世界経済コントロール政策提案に対する報償」であり、もう一つは、「反西欧エスタブリッシュメントの人間を権力側に取り込むための装置」としての機能である。

最近の例では、前者の例として、バングラデシュでサラ金を運営していた、モハメド・ユヌス氏の考案した「マイクロクレジット」のシステム開発と実験に対する報償、後者の例として、「エイズ=人為生物兵器」説を主張していた、ケニアの女性活動家、マータイさんに対する平和賞の例がある。

マイクロクレジットについては、山形浩生氏の解説がおもしろい。要するに、この「マイクロクレジット」というシステムは、サラ金そのものであり、女性を5人一組にして返済状況を相互監視させることで、圧倒的な低率のデフォルトを実現したという話である。要するに民法上の連帯債務のような仕組みだ。詳しくはいずれ論じる。

マイクロファイナンスあれこれ:来世を借金のかたに取る

そもそも、ベトナム戦争を推進したキッシンジャー国務長官がこの平和賞を受賞(1973年)したことから考えて、このノーベル平和賞というのがきわめて政治的な賞であることはすぐに分かるだろう。

ゴアのノーベル平和賞受賞がハッキリさせたことは、エスタブリッシュメント側のブッシュ的ネオコン政策の抛棄と、温暖化のビジネス化を通しての地球システムの統合という路線である。

なにより、ノーベル平和賞受賞という事実が、ゴアの環境運動に対する異論が一般的なマスコミでは許されなくなったことを意味する。
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ノーベル平和賞の真の目的は以下の二つ…

①エスタブリッシュメントの世界経済コントロール政策提案に対する報償

②反西欧エスタブリッシュメントの人間を権力側に取り込むための装置


過去の受賞者を見て検証してみて欲しい。→Wikipedia

あまりにも見事にどちらかにあてはまっているではないか…

この賞はエスタブリッシュメントの政治的な意図が反映されているだけで、あまりありがたがっていると洗脳されてしまうので注意が必要だと思われる。


ちなみに、北ヴェトナムのレ・ドゥク・トは受賞を辞退しているし、ガンジーも5度も候補に上がっていながら固辞している。

一方、受賞したミャンマーのアウンサン・スー・チーの場合は、彼女の夫はイギリス人で、彼女自身もその経歴から見てイギリスのエージェントと目されている。

ソ連を内部から崩壊に導いたミヒャエル・ゴルバチョフが受賞している他、ダライラマ14世に関しては、1959年に彼の亡命を手引きしたのはCIAである(証拠がある)。それ以来、アメリカはこの人物をプロパガンダに利用してきた。共和党あたりがダライラマをやたらと持ち上げるのも、中国との駆け引きにおける政治的な意図がアリアリなことは誰が見ても明らかだろう。

とにかく「ノーベル平和賞」なんてものは、そういう西欧エスタブリッシュメントのために造られた政治的な駆け引きの「道具」の一つに過ぎない。今年は誰が受賞するのかは知らないが、冷めて見るべきであろう。

村上が文学賞をとれないのも、西洋にとって政治的な意味がほとんど無いからだろうな…。(何かの受賞演説で、パレスチナ人の側に立って批判をしたこともあったからね)

その意味で、憲法9条が受賞しても西欧エスタブリッシュメントにとっては何らメリットはなさそうなので、いくら平和に貢献したとしてもまあ、受賞は無いであろう。 と予測してて、ホンマに獲ったらゴメンね^^;)


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