にほん民族解放戦線^o^

米帝→官邸→マスコミの洗脳による植民地状態からの脱却を考えてみるブログ♪主権を取り戻し、日本の未来を考えよう。

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人類が戦争するのは本能ゆえか?

2014年06月30日 | 雅無乱日記

「自分は絶対に前線に行かないくせに戦争ごっこが好きな指導者」の話題が尽きないが、今日は「戦争」について書いてみたい。

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「人類の歴史は戦争の歴史だった」などとよく言われる。しかし「戦争」を、(個人同士のいざこざではなく)「集団同士の暴力や殺戮」…と定義すると、実は「戦争」は人類500万年の歴史の中で、たかだか数千年前から始まったきわめて新しい現象であることが分かる(1万4000年~ 1万6000年前のアフリカ・ヌビア地方の人骨の殺傷痕および凶器としての石器が起源、など諸説があるが、実現論「第二部」にあるように、5500年前のイラン高原から端を発した略奪闘争が、それ以降の延々と続く戦争の歴史の起源と見てほぼ間違いないであろう)。要するに、人類の歴史の99.9%(499万5000年/500万年)は“戦争”なんてやってなかったということである。

よく「戦争が無くならない理由」として、「人間が元々持っている“本能”に獣性(すなわち憎しみや暴力・破壊への衝動)があるからだ」、などと文明時代だけを見てまことしやかに言われていたりする。その後に続くのはたいがい、“だから、戦争がなくならないのは仕方が無い…キレイゴトを言ってもしょうがない”あるいは“そんなことより、攻撃されることを想定して軍備を…いや先制攻撃を…”などという論理だったりする。

人間が戦争するのは、本当に本能ゆえなのだろうか?

そもそも生命の適応原理から考ると、http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=27123この投稿にもあるように無差別に同種(同類)を殺す本能などあるはずがない(そんな事したらすぐ絶滅しちゃうよ)

参考に、まず人間と600万年前まで共通の祖先だったチンパンジーを見てみよう。

チンパンジーの集団内のボス争いは激しいが、大きな枝を持ってガサガサいわしたり木をゆすったり石を投げて大きな音を立てたりする“ディスプレイ”という手法がメインである。これは、直接の暴力以外で力を誇示して序列をはっきりさせ、致命傷を負うような肉弾戦をなるべく避けるためと考えられる。“マウンティング”で序列をはっきりさせたり、“グルーミング”で個体同士の繋がりを深めたりして、しょっちゅう闘わなくていいようにしているのも特徴。集団同士の小競り合いはあるようだが、群れ同士は基本的に棲み分けており、近づいたら威嚇の声で吠えるなどしてお互いの位置を知らせるので、実際に本格的な抗争になることはほとんどないらしい(もしかしたら、この集団同士の抗争があえて言うならば本能の奥にある戦争の起源かも?)。

人類学者、山極寿一も、ゴリラのドラミング(胸たたき)に対して次のように語っている。「長い間、威嚇と攻撃の象徴のように見なされてきたゴリラの胸たたきも、実は特定の相手に向けられるものではなく、闘わずに自分を主張する行動であることがわかってきた。(中略)胸をたたくのは、相手に自分の殺意を伝えているのではなく、集団の長としてその状況に大いなる不満の意を表明し、相手の抑制を引き出そうとしているのである。集団同士の出会いでは、オスが交互に胸をたたき合った後、なるべく対等の別れを演出しようとする」(朝日新聞、 2006年4月12日夕刊)。

このように哺乳類(類人猿も含む)は、様々な形で性をめぐるオス同士の序列をはっきりさせるためのかなり激しい闘いは行っているが、それと同時に「かなわない」と判断すると服従姿勢を見せるし、勝った側もそれ以上攻撃しないという本能(敗従本能)がセットされている。

とすれば、私権時代3000年の人類だけが、動物が超えない一線を超え、徹底的な同類の殺戮を繰り返してきたのはなぜなのだろう。

これもよく根拠として挙げられるのは、“食料や土地(や女)などをめぐって争いが起こったのだ”という言説。本当にそれだけで戦争が起こるだろうか?

土地は共有すればいいし、食料は分配すればいい。ごくごくわずかの食料しかない極限時代でさえ人類は500万年間にわたってそうやって生きてきた(集団同士が境界を接した採取生産時代も、贈り物などで集団と集団との間を調整し平和裏に統合してきた)。争いが起こるためには、物財や土地(や女)を「私有する」というパラダイムが成立していることが大前提となる(つまり戦争の起源は、論理的にはその私権パラダイムの成立以降ということになる)

もう一つ重要な視点として、人類は、同類に思わず同化してしまう機能を持っているので(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=72228)、同化対象を平気で傷つけたり殺戮できたりは本来できるわけがない。「向こうで銃を構えているのも同じ人間なんだ」とか「こいつも家に帰ったらオレと同じようによめはんと子供が待ってるんだよな」なんて考えながら、普通は殺し合いはできない(ベトナムのPTSDの例を挙げるまでもなく、戦場で人を殺した兵士は特殊な訓練を施して同化意識を麻痺させた人間以外は、心に深い傷を負うようだ)。

とすれば、平気で同類を殺戮できるのは、同化を妨げる何らかの“観念”が強力に意識を統合しているから、と考えることができるだろう(前提として心底同化できるバンド=顔の見える集団の喪失がある)。

例えば、大航海時代以降、西洋人たちによるいわゆる「未開人」の大量虐殺や酷使が行われてきたが、それには、彼ら西洋人の著しい同化能力の欠如とともに、「有色人種は家畜に近い生き物(人間ではない)なんだから殺そうがどうしようが関係ない」という常識が背景にあった(キリスト教の教会でも差別が公認されていたというから恐れ入る。なのでいまだに有色人種への差別意識は残存している)。

さらにこの延長にあるのが、肥大集団を統合するために使われる、想定された「敵」に対する否定観念と恐怖の刷り込み、及び自分達を「正義」とし「愛」と「平和」を守るために暴力を行使することを正当化する欺瞞観念である。

僕らが子供の頃から見てきた、ウルトラマンをはじめとする「ヒーロー物」の主人公たちは、名前や設定こそ多少のちがいがあれ、いつも「愛と平和と正義の戦士」であった。実はこの「愛」や「平和」、「正義」なるものがクセモノで、ほとんどすべての戦争の原因は、むしろ相手との同化を阻むこれらの欺瞞観念の方にある。

思い出すのは、911の次の年、2002年の米国独立記念日(7月4日)、退役軍人を前にした大統領演説の一節である。

「米国はさらなる攻撃から国土を守る。敵がどこに隠れ、計画を立てていようとも、米国は戦いに勝利する……我々は、米国が脅威にさらされるほど米国をいっそう愛する……米国は恐ろしい邪悪と対決しているが、邪悪に打ち勝つ」

“邪悪な集団”というものを設定し、彼らに対する恐怖と敵意を刷り込むことで、肥大集団を統合する。そして、この“邪悪”“テロリスト”などとレッテルを貼った人々世界から一掃できたら、もはや戦争のない平和な世界が到来する…、という幻想を信じさせようとする。

しかし、敵である「邪悪なテロリスト」は、その正体を暴けば、実は自分たちの内側にある私権意識と恐怖・否定視が肥大集団の外部に投影されたものにすぎない。アフガンやイラクやチェチェンの人々にとって、アメリカやイギリスやロシアの方こそが「邪悪なテロリスト(暴力を持って政治的意図を達成しようとする者:goo辞書)」に映っているのも当然である。しかも、本質的に“いじめ”と同じで、成員の誰もが、「戦争」も「破壊」も「虐殺」も嫌悪し否定しているにも関わらず、恐怖や衝動によってその行為を行い、しかもそれを正当化しているので、その行為を止めることができない。

繰り返すが“戦争するのは人類の本質・本能”では決してなく、肥大集団を統合するために捏造され、成員自らも進んで洗脳されてきた“欺瞞観念”こそが、実は戦争の原因である。

戦争を無くしたければ、「愛する人」を命がけで守っても、「平和」を祈っても、「正義」を主張しても、それは実現できない(これらの行為は、実は戦争の原因に一票を投じていることになる)。ほんとうの敵は、肥大集団を統合する為に捏造されたそれらの欺瞞観念そのものである。敵を捏造し、「“愛”や“正義”や“平和”のために戦え」と欺瞞観念を繰り返して我々を染脳しようとする連中こそ“真の敵”であり、“グローバリズム”などと称して他国で搾取を繰り返し貧困を作り出し怨恨を拡大している連中こそ“戦争の原因”である。

本来、人間の本質である“同化機能”を再生していけば自ずと集団による大量殺戮などの愚行は衰退していくだろう。今すべきことは、観念の欺瞞性を見抜きそれに組せず、別のまっとうな認識を共有していく場を創っていくことだと思う。

最後に、考古学者の佐原真氏の言葉を引用したい。

世界最古の戦争は9500年前、西アジアではじまりました。本土日本では、およそ2400~2300年前にはじまっています。北海道と沖縄では、600~500年前にはじまりました。

>人間の歴史を 400万年とします。(中略)すると、人間の歴史のなかで戦争の歴史はごく最近のことだということがわかります。



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※画像“長崎に投下された原爆のキノコ雲(松田弘道氏撮影)”の引用元はこちらです→http://www.ngs-kenkanren.com/syuryo/peace/

http://black.ap.teacup.com/despera/内容についてこのブログを参考にしました。

核兵器を人間に(しかも民間人に無差別に)使用した唯一の国(広島原爆での死者24万7000人、長崎原爆での死者15万人)、その事を正当化して一切の謝罪をせず、被爆者を研究のサンプルとして平気で使用し、被爆者への保障を日本政府に押し付けているアメリカ合衆国こそ、真っ先に国際的な非難にさらされるべきと思うのは私だけなのだろうか。

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「この国では一種の洗脳が行なわれている。」

2014年06月21日 | 雅無乱日記

「ミッチ、私は死にかけているんだよ」

主人公が16年ぶりに再会した恩師:モリー・シュワルツ教授はALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵されていた。忍び寄る死の影。「あと4か月か5か月かな」。だが、その顔には昔と変わらぬ笑顔があった。「この病気のおかげでいちばん教えられていることとは何か、教えてやろうか?」そして、老教授の生涯最後の授業が始まった――。

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難病のためまもなく死をむかえる恩師「モリー先生」と、その教え子で現在スポーツ記者をしている「ぼく」との会話でとても印象的な部分があったのでご紹介したい。

(以下 ミッチ・アルボム「モリー先生との火曜日」より引用)

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「この国では一種の洗脳が行なわれている。」とモリーは嘆く。

「洗脳ってどんな風にやるか知っているだろう? 同じことを何度も何度もくり返して聞かせるんだ。この国でやっているのはまさにそれだよ。物を多く持つのはいいことだ。かねは多い方がいい。財産は多い方がいい。商売っ気もそう。何もかも多い方がいい。多い方がいい。みんなそれをくり返し口にし……くり返し聞かされ……。ついには、めんどうくさくなってほかの考えを持たなくなる。ふつうの人間は頭が朦朧として、何がほんとうに大事なのか見境がつかないというわけさ。今まで行く先々で、何か新しいものをがつがつ買いたがる人にぶつかってきた。やれ新車だ、やれ新しい地所だ、やれ新しい最新のおもちゃだ。それをまた人に言いふらしたがるんだな。『ねえねえ、何買ったと思う、何買ったと思う?』これには私流の解釈があってね。この人たちは、愛に飢えているから、ほかのもので間に合わせているんだよ。物質的なものを抱きしめて、向こうからもそうされたい。だけど、それはうまくいかない。物質的なものは愛ややさしさの代わりにならない。友情の代わりにならない。権力もそう。死を目の前に控えてここに座っている私に言えることは、かねや権力をいくら持っていても、そんなものはさがし求めている感情を与えてくれはしないっていうこと。それをいちばん必要としているときにね。」

ぼくは書斎をぐるっと見回した。中の様子ははじめてここへ来た日とまったく同じ。本は書棚の同じ場所に収まっている。書類は同じ古ぼけたデスクに散らかっている。ほかの部屋もリフォームしたところはない。実際のところ、長い長い間、おそらくはもう何年も、モリーは何一つ……医療器具を除いて……新しいものを買っていないのだ。助からぬ病と知った日は、とりも直さず、自分の購買力に関心を失った日でもあった。

したがって、テレビも同じ旧式なら、シャーロットが運転する車も同じ旧モデル、皿もナイフ、フォークもタオルも、すべて同じ。しかし家は様変りに変った。中は愛と教えと親密さが満ちあふれている。同僚、学生、瞑想の先生、理学療法士、看護婦、ア・カペラ・グループでいっぱいだ。ほんとうの意味で豊かな家庭になった……銀行の預金残高はどんどん減っていったが。

「この国では、ほしいものと必要なものがまるっきりごっちゃになっている。食糧は必要なもの、チョコレートサンデーはほしいもの。自分を欺いてはいけないよ。最新型のスポーツカーは必要ではない。豪邸は必要ではない。はっきり言って、そういうものから満足は得られない。ほんとうに満足を与えてくれるものは何だと思う?」

「何ですか?」

「自分が人にあげられるものを提供すること。」

「ボーイスカウトみたいですね。」

「別にカネのことを言っているわけじゃない。時間だよ。あるいは心づかい。話をすること。そんなにむずかしいことじゃないだろう。この近所に老人センターがあってね。毎日お年寄りがたくさん来ている。男でも女でも若い人で何か技術を持っていれば、そこへ行って教えればいい。たとえばコンピューターのことを知っていれば、それをお年寄りに教える。大歓迎されるよ。みなさんとても感謝するだろうし。こんなふうに、持っているものを提供することで、まずは尊敬も得られるというわけだ。こういうことをやっている場所はたくさんある。たいした才能もいらない。病院や養護施設にはただただ人とのふれあいがほしい孤独な方が大勢いらっしゃる。そういうひとりぼっちのお年寄りとトランプでもして遊べばいい。自分自身を改めて尊敬するようになるよ、なにしろ必要とされている人間なんだから。おぼえているかな、いかにして意義ある人生を見いだすかについてしゃべったこと。私は書きとめておいたけれども、そらで言えるよ。人を愛することにみずからを捧げよ、周囲の社会にみずからを捧げよ、目的と意味を与えてくれるものを創り出すことにみずからを捧げよ。」

そこでにやっと笑って、つづける。

「気がついただろうけれど、サラリー(給料)の話はその中に一つもない。」

ぼくはモリーのしゃべっていることをいくつかメモ帳に書きとめていた。

その大きな理由は、モリーと目を合わせたくないから、自分の胸のうちを悟られたくないからだった。

実は、大学卒業後の多くの年月、たった今モリーが槍玉にあげたようなもの……もっと大きなおもちゃ、もっとすてきな家……を追い求めていたことを反省していたのだ。

金持ちで有名なスポーツマンにまじって仕事をしていただけに、自分の欲求は現実的、自分の貪欲さは連中にくらべればささやかなものと信じこんでいた。それは煙幕にすぎない。

モリーはそれを明るみに出した。

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うーん、まさに今の日本の話みたいや… 

もっとも、別の意味の洗脳の方が深刻かもしれないが…

 例えば子宮頸がんワクチンとか

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ニューロンがどれだけ“発火”しているか、という事と“能力(脳力)”とは関係あるのか?

2014年06月13日 | 雅無乱日記

『洗脳支配』の著者・苫米地英人氏は、メディア支配、やアメリカによる情報支配について、優れた検証と考察を行なっているので、非常に高く評価していた。

しかし、最近の著書では、「脳ブーム」に乗って本を売りたいがために、かなりいい加減な事も平気で書いている。人々に「脱洗脳を!」と訴えながら自らが洗脳の片棒を担いでどうすんねん、という気がしてしまった。

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例えば、この本『「1日10分」で脳が生まれ変わる-「なりたい自分」になるいちばん簡単な方法』 には、こんな記述がある。

人間の脳で使われるのは全体の1%くらいだとよく言われていますが、実際は1%も使っていません。その数百分の一程度しか使われていないのです。(中略)脳はフル活動しようとしても、エネルギーが足りないのです。だから、脳は手抜きが「超得意」なのです。


脳というのは、現代科学ではまだまだ解明できないことが多すぎるので、逆にエエ加減な事でもナンでも「言ったもん勝ち」みたいなといころがあるのだが、それにしてもこれはひどい。

「脳は大量のエネルギーを消費するから、すぐに手抜きしようとする…」という所まではいいだろう。実際、使わなくてもいいシチュエーションになれば、すぐに働かなくなるというのは脳の特徴である。

「適応」という観点から見ても、人類の大脳はそれまでの本能では適応できなかったがゆえに、仕方なく後から付け加わり塗り重ねられ肥大化してきたのである。適応できているのであれば、やたらと燃費の悪い器官で無駄にエネルギーを消費する必要は無い。生き続けるために不必要なエネルギーはなるべく消費しないようにする(≒サボろうとする)のは適応上当然とも言える。

人類の脳は特に、他の哺乳類に比べて体重比で異常に大きく、しかもエネルギーの消費が最も激しい器官なので、無駄に頭を使うこと(=無駄なエネルギー消費)は生存上極めて不利に働く。

しかし「脳の1%の数百分の1しか使ってない」はまったく意味不明。何を根拠に言っているのか、データを示していただきたいものである。いったいぜんたいどんな基準で、脳のどんな状態を指しているかさえも分からない。

脳をfMRI で解析すると、広い範囲で血流が増加することが分かる。決して「1%の百分の1」などではない事は子供にだって分かる。

脳は我々がボーっとしている時でさえ、意識していないだけで、リアルタイムで大量の情報を処理している。

光やにおい、触感、温度、重力、気圧、様々な情報を感覚器官で捉えて、適応のためにその情報を解析し、それをフィードバックしている。肉体の運動もほとんどを脳がつかさどっている。こういった大量な情報処理は、意識せずに行なっているので、「頭を使っている」という自覚さえ無いかもしれない。例えば「自転車に乗る」ことなんて、どうってことないと思われるかも知れないが、極めて高度に脳を使いまくって初めて可能なのである。

しゃべったり、言語を理解したり、相手の表情を読み取ったり、「こんなときはこうすべき」と記憶と照合して適切な行動を選んだり、といった人類ならではの知的活動が、その無意識の営為の上にドカっと加わる。これらも脳内で大量の情報処理をして初めて可能なのは当然である。

我々は、これら意識・無意識の情報を全てひっくるめて、脳のあらゆる部分リアルタイムで使いながら「適応」のために動き続けている。


100歩譲って、
大脳のニューロンの数140億個(人類の平均)のうち

参照:http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain/10/index-10.html

その瞬間に発火しているのが、100分の1の1億4000万個のさらに数百分の1の“せいぜい100万個程度”である、というのはありうる数字かもしれない。

しかし、脳の神経細胞(ニューロン)のうち例えば2割とか3割も、同時に発火(電気が流れている状態)したとしたら、脳も肉体も確実にパニックを起こすだろう。

ましてや、何を意味してるのかは不明だが「脳を100%使う」などというような事を実際にできるとしたら、気が狂うか死ぬかのどちらかであろう。

大量の神経細胞を備え、その繋ぎ方や信号の流れ方についてほとんど無限の潜在的可能性を持つがゆえに、ほんの一部に情報が流れることで肉体や観念を統合する機能が初めて成立するのである。


しかし、「脳の1%のさらに数百分の1しか使ってない」という表現で、それがさも問題であるかのように語るというのはひどい。

「脳って実は全然使われていないんですよー」
              ↓
「普段使われていない脳の潜在的な能力をいつでも自由自在に発揮できると、勉強でも仕事でもすごく役に立つと思いませんか!?」
              ↓
「この脳力開発セット(左脳/右脳トレーニング教材)を買って訓練すると…」


ってな具合で、「ラクして手軽に脳力アップしたいなぁ」という怠惰な人の邪心をくすぐって己が金儲けをしようという魂胆なのだろうが、実に不誠実である。
             

正直言って、ダマされる方もダマされる方だな、とは思うが…


これまで、脳に関しては様々な迷信がまかり通ってきた。

「脳のしわが多い(表面積が大きい)方が頭がいい」とか「脳容積が大きい方が賢い」だとか。

しかし、扁桃体が大きければかえって不適応になったり、

参照→自閉症の兆候、扁桃体の大きさで判別可能か 米研究

あるいは、サヴァン症候群などの例では、異常な記憶力や恐るべき計算能力、音楽・芸術の特殊な才能を発揮する(つまりは、そういった特殊な分野に限定的に、常人とは異なる大量のニューロンが発火している)にもかかわらず、人との会話や普通の運動さえできず、適切な判断ができないがゆえに、まともな社会生活さえ送れないといった事も起こるのが「脳」というものの不思議なところである。

タイトルに書いたとおりで、「神経細胞を何%使っているか」、などはどうでもよく、極めて多様な可能性の潜在能力を持った脳を、いかに適切な時に適切な方向に働かせて判断するか(現実にはほとんどは、意識でコントロールできる領域には無く、無意識に属するのであるが…)が重要なのである。

脳については、実はまだまだ科学的に解明されている事は少なく、ほとんど未明の領域だという前提をしっかり認識して、特に羞恥心もなく喜んでTVに出演しているようなエセ学者・専門家の安易で無責任な言説(大概はカネ儲けの邪心が絡んでいる)などには、十分に注意する必要があるだろう。

さらに言えば、「脳」に関しても、巷でまことしやかに喧伝されているものではなく、きちんと生物史を遡って「適応」という観点から追求し検証しなおしていく必要があるのではないだろうか。

実は、夢を見てる時だって妄想で頭がいっぱいの時だって、任天堂DSやりまくってる時だって、精神病で悩みまくっている時だって、別に脳はさぼっていない。活発に働いてるし、多数のニューロンが“スパーク”している。

しかし、それで「現実に適応できる方向に考えられてるか?」、っていうとまったく関係がないのは明らかだろう。

現実を対象化して、「どうする?」に応えていく頭の使い方をしない限りは、たとえ何億のシナプスが「自我」や「妄想」や「解脱」で活性化しまくっていようと、まったく無意味なのである。

ゆえに、無方向に「脳を活性化しよう!」など叫ぶのはやめて、しっかり外圧・事実を対象化し、現実に答えを出していける「構造認識」を地道に習得していくべきだろう。


…と批判を展開しまくってきたが、『洗脳支配』を書けるほどのドクター苫米地に大いに期待してるからこそである。“金儲け主義のエセ学者”の仲間入りはせんといてや。

じゃあどうやったらヤル気になって有効に脳を使えるのか?については、

当ブログのココにエントリーしてあるのでご参考まで。

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