にほん民族解放戦線^o^

米帝→官邸→マスコミの洗脳による植民地状態からの脱却を考えてみるブログ♪主権を取り戻し、日本の未来を考えよう。

エイプマン第5回<人類の拡散>(後編)

2010年12月27日 | 雅無乱日記

さてさて、エイプマン第5回のまとめの続きをアップするよ。

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ヨーロッパより5万年も前にアフリカに、精巧な石器を作り、火を操り、「象徴化」ができる思考力を持つ人類が存在していた証拠である。

最近になって、アボリジニは6万年前にオーストラリアに到達していたことが突き止められた。

彼らはなぜ、そんなに早く遠くまで移動したのか?何が彼らを駆り立てたのか?

M.ラール教授(ケンブリッジ大学)はこう語る
>大昔、かれらの生活手段は狩猟や採取だった。
>技術が高まり、海産物をより大量により確実に取れるようになり、人口が増えたのでは?
>そうすると、近くの海産物を採り尽してしまうことになる。
>大きくなった集団は移動を余儀なくされる。
>移動は海岸沿いを前進するしかない。

人類は、10万年前から6万年前までの間に、アフリカからアラブ、インドの海岸線をすっかり制覇してしまったようだ。
そしてインドからアジアへ、そしてオーストラリアへ散っていった。
海岸線をどこまでも東へ東へ何世代もかけて移動したのだろう。

ところどころに海産物が採れないところや、近くに適当な洞穴が見つからない…などで住めないところもあっただろうが、海岸線という環境に慣れる術を手に入れた人類の祖先は、似たような環境で適応していくことができたのではないか(という仮説)。

あくまで好き好んで移動したわけではないが、生き延びるために年に1.5km、つまり一万年に1万5000kmのペースでゆっくりと生活圏をのばしていったと考えられる。

>技術開発の能力が人類に備わった10万年前以降、人類は新たに様々な貴重な技術を手にした。
>小船、大船、網、銛など新しい道具をつくって、文化を進歩させていった。
>また、新しく自分たちに降りかかってくる問題に対して、進化した脳で新しい解決方法を編み出すことができた。

エジプトのタラムサ丘陵…、アフリカの内陸部でもナイル川を伝って移動した人類の痕跡が見つかった。
集団移動の第二の波が起きていたようだ。
そこから、アフリカ北東部や中東へ向かったのだろう。
やがて地中海を回り、北ヨーロッパに到達したと思われる。
そして、徐々にホモ・サピエンスが制覇種になっていった。

生物学的に見ると(DNA解析の結果を見ると)、今ある人種的な違いなど、ごくごく最近に生まれたものにすぎないということが分かる。


南アフリカで我々の直接の祖先である現生人類が生まれた頃には、アフリカでは別の種類の人類がまだいくつか生きていた。

第6回につづく…

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続き:エイプマンの第6回については、既にエントリーしてるので、こっちを見てね!

http://blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/e/685a94db5ffd31fb048eaeceae25d620

以上、BBC制作「エイプマン」のレポートでした。


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以下は参考までに

アフリカのグレート・リフト・バレー(大地溝帯)から世界中に旅立った人類の軌跡を見ることのできるフラッシュ。

[Jorney of Mankind]

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