にほん民族解放戦線^o^

米帝→官邸→マスコミの洗脳による植民地状態からの脱却を考えてみるブログ♪主権を取り戻し、日本の未来を考えよう。

マトリックスの世界は現実?

2008年02月24日 | 雅無乱日記

自分は「生きてこの世界に存在する」と信じていたが、実はそれらは全て人工知能が支配のために創り出した幻覚であった…。人間は、ブロイラーのごとく小部屋で養分を与えられて育てられ、夢を見させられながら死ぬまでエネルギーを吸い取られ続ける、単なる家畜に過ぎなくなっていた。

これが、この映画「マトリックス」が描き出す未来世界である。

作者が、これを現代人の現状の暗喩として使ったのではないかと思って、ぞっとした。

この映画「マトリックス」の暗喩から、現代社会のもう一つの側面を連想する。

映画の中の人々は、人間が創り出した機械(AI)により造られ与えられている20世紀末の幻影を、リアルワールドだと思い込んで、仕事や趣味、セックスなど日常生活を送っている。その中にいる限りは、それが人工的に造られ与えられている幻影であることに気付かない。

ある意味、私たちも似たような状況下にあると思う。

なぜそう思うかについて、西洋列強による植民地支配をヒントにしながら、私なりの見解を書いてみたい。

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大航海時代より以降、植民地の人々は西洋人にとって奴隷となった(当時、西洋人にとって植民地の人々は“人間”の範疇に含まれていなかった。もっとも、白人にとって有色人種は人間という範疇に含まれていないようなニュアンスを、私はいまだに感じるが)。

植民地の資源と奴隷の労働力が生み出した余剰を元手に、西洋では産業革命が起こる。商品生産の効率は飛躍的に上昇、同一企画の大量生産が始まり、本国の需要が飽和した後、つくりすぎた商品の押しつけ先として植民地にスポットがあたるようになる。

植民地の下層の人々は、本国の富裕階級のための趣向品の育成(コーヒーや香辛料など)や発掘(貴金属など)もしくは喰えない商品作物(綿花やゴムなど)を栽培する労働に従事させられた。そんな中で奴隷の叛乱が頻発するようになり、「鞭」だけでなく「飴」付きで本国は対応せざるをえなくなる。

例えばこういうことだ。植民地を治める地元の有力者には「私は本国の人間であっておまえら半家畜とは格が違う。それは大前提だ。だが、地元の奴隷達をよくまとめて働かせることができたら、特例としておまえに人間の権利を一部与えてやろう」そして、植民地支配者から地元奴隷へは、「おまえらは単なる奴隷であって人間ではない。それは大前提だ。だがよくがんばっているやつには、本国の商品を買う権利を認めてやろう」。

私権時代、自由を奪われた限定された状況下で、少し上の豊かさをちらつかせられたら、彼らに選択の余地はない。

欺瞞に満ちた権利の切り売りがこのようにして進んでいく。しかし、本国の支配・資本家の支配という構図は変わらない。発展途上国においては、建前上、平等で身分の差などはないことになっているが、未だ実質的にはこの「支配の構図」の中にほとんど全てがおさまっている。


この話を、過去の話に過ぎない、本国の支配者と植民地の奴隷の話に過ぎない、とみなさんは思われるだろうか?

「権利を切り売りされた奴隷」というのは現在日本の労働者も、植民地の人々も基本的にかわらない、と私は思う。株式会社法の条文を見るとよく分かる。会社はあくまで株主のもの。労働者は経営者に雇われている奴隷に過ぎない。

当時の植民地の人々との違いは、実は欺瞞に過ぎないのだが“一応” 民主主義といわれている世の中になっていて、“一応”法によってむちゃな労働条件を強制されることから守られている点(要するに切り売りされた権利をたくさんもらって、一応人間らしい奴隷になっている点)。そして、

「市場社会の、ともかく物を買わせようとする仕組み」
「物を買うことによる幻想と快感の麻薬中毒病」
とは、この方の言(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=4215


奴隷であることに気付かせまいとするがごとく、日々メディアによって欠乏を喚起され、幻想の目的に向かわされ、そして「飴」を与えられ快楽中毒に麻痺している点。(飴をしゃぶらされているうちに自分が奴隷であることを忘れてしまったというのが近いか)

その2点くらいである。

(もっとも、発展途上国では、現在も奴隷状態が続いているが。)

楽しい夢を見ながら「マトリックス」にエネルギーを吸いとられ続ける、映画に出てきたブロイラー人間たち。私には、彼らと現代人との違いを見つけることは困難に思えた(もちろん私自身も例外とは言えない)。


映画「マトリックス」のその後の展開は、ご存知の通りハリウッド映画お決まりの勧善懲悪のストーリー。主人公は「覚醒した」仲間と共に強大な敵に挑む。

「せっかくプロットがおもしろいのに、他に展開のしようがなかったのかなぁ。もったいない」という感想を持ったが、エンターテイメントとして売れる映画を作るには、そういったコテコテのストーリーである必要があるのかもしれない(特にアメリカ人は勧善懲悪のストーリーが大好きだ。国際社会でも正義面をして無茶をするのがお好きなようだから…)。

この映画自体もまた金もうけの目的で造られた以上、現代人への痛烈な批判・問題意識の喚起へ向かうベクトルはそもそも無い。大衆に受けるようにつくられた幻想の一つに過ぎない。事実、記録的な興行成績を残したそうではないか。


マトリックスの世界では、黒服でグラサンかけた幻影が「覚醒」した人間を処分してまわるが、少なくとも私たちは、誤った幻想観念に生きて異を唱えることができる。誤った観念の呪縛、ひいては現状のブロイラー状態から解放されたいと私は切に望むし、みんなそうであればいいと思う。新しい社会のあり方の可能性を探っていきたい。

それには、まずは、メディアや一部の発信者が振り撒いている情報のどれがホンモノでどれが欺瞞にすぎないかを正しく識ること(一見きれいに見えるからといって正しいわけではない。欺瞞とはそういうものだ)。そして、固定観念から自由になった上で歴史や社会・人間を捉えなおしていくことが重要だと思う。

と、口で言うのは簡単だが、実は「気付く」のは極めて困難である。私たちは、日々繰り返し欺瞞に満ちた情報を大量に摂取して生きているからだ。

しかし、諦めても否定してるだけでも始まらない。インターネットというツールがある以上、可能性に賭けてみるしかないと思う今日この頃…

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