にほん民族解放戦線^o^

米帝→官邸→マスコミの洗脳による植民地状態からの脱却を考えてみるブログ♪主権を取り戻し、日本の未来を考えよう。

元宗主国である欧米も旧植民地に対して公式謝罪すべき

2008年02月29日 | 雅無乱日記
今日はこのニュースをあらためて取り上げてみたい。

200年を経てアボリジニに公式謝罪・豪政府http://www.afpbb.com/article/politics/2350297/2635836

日本のメディアでは大して大きく扱われていないが、これはある意味かなり画期的な事だと思う。

オーストラリアの先住民アボリジニは7万年前からそこに暮らしていたと言われている。それが、西暦1700年台あたりから、英国からの流刑者を中心とした白人の入植が始まった頃から悲劇が始まる。

アボリジニは、アメリカの先住民(インディアン)同様、土地を追われ、虐殺され、その過程で(ヨーロッパ人が持ち込んだ疫病の影響もあっただろうが)当時の人口の9割が死に、1割しか残らなかったと言われている。

白人が、アボリジニを標的に(銀河鉄道999で機械伯爵がやっていた人間狩りと同じ)スポーツハンティングをしていたというのは有名な話である。

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アボリジニと言えば思い出すのは、2000年のシドニー五輪の閉会式で演奏した世界的なミュージシャンであるマンダウィ・ユヌピングである。

NHK教育テレビで2001年10月に放映された、『未来への教室』マンダウィ・ユヌピングは記憶に残る番組だった。

ユヌピングは、先住民族アボリジニの血を引いている。民族の伝統的な楽器とロックを組み合わせたバンド「ヨス・インディ」で世界に広く知られているミュージシャンである。

『未来への教室』特別授業の舞台は、ユーカリの森に覆われたオーストラリア北部のアーネムランド。アボリジニの居住区イルカラ村の子どもたち10人と、20km離れた白人の建設した町ノロンボイの子どもたち10人が生徒として集まった。

奥ゆかしいアボリジニーの子どもたちに対して、白人の子どもたちのズケズケした尊大な態度が対照的で印象に残った。

イルカラはアーネムランド北東部にある人口600の小さな村。学校はただ一つで、5歳から18歳まで、およそ150人のアボリジニーの子どもたちが通っている。

ユヌピングは、かつてそこの校長先生を務めていた。

番組のテーマは、アボリジニーが背負わされてきた歴史を知り、民族を越えて共に歩いていく道を探そうというもの。

まずユヌピングは、オーストラリアが18世紀後半にイギリスによって植民地にされてから、アボリジニーの人たちが差別と偏見に苦しめられた歴史ついて語った。

それより数百年前に、実はインドネシア方面からの漁業民が、アーネムランドを訪れており、そこでは交易が行われていたらしい。そんなことがあったから、アボリジニは、将来の侵略者となるイギリス人を歓迎をもって迎えたらしい。しかし、それは結果として大きく裏切られることになった。

最もショックだったのは、オーストラリア政府の鉱山開発の話。

1960年代にアーネムランドに、ボーキサイトが大量に埋蔵されていることが分かってその土地の権利を、政府が勝手に開発企業に賃貸したため、アボリジニーの人たちが生活の場としていた森は徹底的に破壊された。

村長だったユヌピングの父は、それに抗議して、政府に嘆願書を提出したのだが、それは完全に無視され、彼らが住んでいた土地は、コンビナートとなり、今も日々噴煙をまき散らしている。

その嘆願書を無視された後、ユヌピングの父は失意のうちに世を去った(イダキ:ディジュリドゥーの演奏にあわせた彼の歌が、番組中に少しだけ流れるのだが、とても印象的だった)

現在も、コンビナートのど真ん中に、大昔から村人たちが精霊が宿ると崇拝していた木が、一本だけむなしく残っている。

ボーキサイトの露天掘りは今も行われている。アーネムランドは、年間600万トンのボーキサイトを産出する世界でも有数の鉱山となり、今でも、なんと毎年135ヘクタールの森林が失われていっている。

はじめは一方的に開発を強行していた鉱山会社も、1980年代になるとやっと、採掘が終わった土地を森に戻す事業を始めているそうだ。ただしそれは申し訳程度にしかなっていないようだが。

ボーキサイトの輸出先の筆頭は日本。なんともやりきれない。

同様のことが、他の場所でも行われた。

映画“ジャビルカ”の紹介サイト
http://japan.nonukesasiaforum.org/japanese/jabiluka/
同じくアボリジニで、オーストラリアカカドゥ国立公園に作られようとしているジャビルカウラン鉱山に抗する人たちを描いた映画である。
jabi2_02.jpg(16565バイト)

オーストラリア政府は、かつて、反抗心やアボリジニ独自の文化を潰すために、同化政策を強力に推し進めていた。

そこで行われたのが、悪名高い、このような政策だった。
        http://www.asyura2.com/0601/social3/msg/428.html

人種隔離政策の他に、1910年頃から1970年代にかけて、アボリジニの子供を親元から引き離し白人家庭や寄宿舎で養育するという政策も行われた。アボリジニの子供も白人の「進んだ文化」の元で立派に育てられるべきという独善的な考え方に基づくもので、政府や教会が主導して行なわれたもので、子供のおよそ1割が連れ去られ、結果として彼らからアボリジニとしてのアイデンティティを喪失させることとなった。彼らは「盗まれた世代」(Stolen Generation)と呼ばれている。(ウィキペディア「盗まれた世代」より)

この実に信じられないようなエゲつない政策によって生まれた『盗まれた世代』は、最近、映画『裸足の1500マイルとしても公開され、話題になった。
          子どもを連れ去る警官

なんとアボリジニがオーストラリアの国民として認められたのは、わずか40年ほど前の1967年。しかし、上の強制隔離政策は、つい最近の1980年くらいまで続き、悲劇が平気で繰り返されてきたというからまったく驚くほか無い。

2008年2月19日の中日新聞夕刊11面によると、白人たちの中にはこんなことを言っている人も多いらしい。「隔離は子供にとって有益なケースが多かった」「『盗まれた世代』との言葉は不適切だ。『親と離れた』との表現が適切」だとさ。ふざけるな。

オーストラリアのハワード前首相は、“アボリジニへの白人同化政策は「過去の」オーストラリア政府の問題であって、現代のオーストラリア政府が謝罪するべき問題ではない”とし、11年間にわたって謝罪を拒み続けてきた。

そして、やっとラッドになって今回の謝罪となったわけだ。と言っても何ら具体的な補償がなされるわけではないらしいが。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080219-00000001-omn-intより

アボリジニを「野蛮人」と呼び、幼い子どもたちを親元から強引に連れ出し、その子どもたちの人間性を無視し、虐待し、白人社会の中で彼らを「同化」させようとした。自分がこの立場であったらと想像すると胸が張り裂けそうなほどの痛みを感じる。心のある人間であれば自分の身に置き換えなくてもその痛みは想像を絶するほどのものであったことがわかるはずだ。

まったく同感である。

人類には「同化能力」というのが備わっている。対象に同化し、相手を自分自身のように感じる能力である。何百万年の人類進化の歴史の中で、極限的な自然圧力に晒されながら、仲間を自分自身のように感じる共感能力を発達させたのだ。これが、究極の弱体生物である人類を生き残らせ、進化させてきた。

白人のこの仕打ちを見ていると、人類なら誰しも備えているはずの「同化能力」に欠陥があるとしか思えない。

現在、迫害はゆるんでいるが、別の問題がアボリジニを苦しめている。

アボリジニの半分が生活保護を受けている状態で、彼らはアルコールに極度に弱いらしく、多くの人がアル中になっているという。

彼らがともに生き、生活の糧としていた森林や土地を奪っておいて、「ほら、代わりにカネをやって生活だけは保障してやるよ」というわけである。

そして、自分たちのおかげで文明にあやかれたんだ、自分たちのおかげでメシがくえるんだ、といわんばかりの白人たちのスタンスに、やり場のない怒りを感じる。

ところが、それでも、『未来への教室』に出てきたユヌピングは、過去を総括しつつ、過去を超え、音楽を通じて世界が一つになる日を夢見て、子供たちに熱く語るのだ。

まったく、ユヌピングのそしてアボリジニの人間の大きさに感服してしまった。白人だったらそれだけひどいことをされて許すなんてことは絶対にありえない。


ラッド首相の謝罪は、これまで開き直ってきた白人たちのスタンスに大きな一石を投じるという意味では、実に歴史的な事である。もちろん、「これまでそれさえやってへんかったんか?」と問いたくなるが、少なくともやらないよりはマシであろう。

しかし、これに匹敵するかそれ以上のエゲつない事を繰り返してきたヨーロッパ諸国やアメリカは、旧植民地に対して公式に「謝罪」など一切やったことは無い。

過去100年以上にわたって踏みにじってきた多くの先住民に対し、欧米諸国は公式に謝罪するのが当然だろうと思うのである。

このオーストラリア政府の動きを機に、そのような社会共認を形成していく必要があるのではないだろうか。
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