えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

:観客の視線と

2019年03月23日 | コラム
 五条坂から清水寺に続く坂道は何本かある。バイパスと高速道路の交差する、日本橋とそう変わらない道路の交差点を渡れば間違った七五三のような大人の群れが市バスを待って狭い歩道にたむろしている。その人混みを避けるならば、入り口付近にたむろすタクシーのおかげで妙に大きい駐車場と見まがう大谷祖廟の坂を上れば通らしく見えるだろう。親鸞聖人由来の墓所だが建物は無個性に新しいので構えることはない。目指す道は御堂の裏手にある。
 山肌一面に「南無阿弥陀仏」と彫られた浄土真宗の墓石が新旧入り混じって林立する坂道は、ご本尊を祀る本堂を舞台に見立てると巨大な劇場のようでもある。この舗装された道をずっと登っていけば、静かな環境に包まれながら清水寺へ行くことが出来るのだ。少なくとも看板にはそう書いてあった。
 鞄を肩にひっかけてジーンズにTシャツでのこのこ墓地の傍を登る観光客に突き刺さるのは、ところどころに配置された仏花やろうそくやお線香を売る店からの視線である。そこここの水場も、夏場でのどが渇いていようが手を差し伸べる親切はなさそうだ。幸い自販機とゴミ箱は先の店の近場に据え付けられている。
 清水寺と大谷祖廟の丁度中間点にはちょっとした休憩どころがあるので安心だ。小さな神社の拝殿の傍らにはベンチと屋根があり、鬱蒼と茂る木々がうまい具合に日除けになって心地よい。そこらをねぐらにしているらしい明るい茶と白のぶち猫が、うさんくさそうにつかず離れずの距離の茂みからこちらを伺っていた。
 登るにつれて坂道は急になり、右手にはずっと墓石が連なっている。宗派が違うとはいえ、夏の日光を浴びて明るく清水寺に背を向けている佇まいはいっそ清々しく見えた。道は徐々に細くなり、墓を取り囲む森が近づいて先は暗い。いぶかしみながらも来てしまったものは仕方ないのでとぼとぼと歩みを進めると、鉄格子のような金網の隙間から小さく赤い塔が見え隠れしていた。
コメント
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