えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

:読書感『優雅な生活が最高の復讐である』カルヴィン・トムキンズ著 青山南訳 田畑書店 二〇二二年十一月

2022年12月24日 | コラム
 何に対しての復讐だったのだろうという問いが出てしまうことは読書に失敗したということだ。カルヴィン・トムキンズの『優雅な生活が最高の復讐である』はジェラルドとセーラのマーフィ夫妻の一九二〇年代のフランスの生活を中心とした短い伝記である。ではこの夫妻は何者なのかというと、まずスコット・フィッツジェラルドの知己であり『夜はやさし』の主人公夫妻のモデルである。だがフィッツジェラルドの筆は夫妻をそのままに描いたものではなく、筆を進めるにつれて自分自身が主人公像に混ざり、最終的に出来上がった主人公の姿はジェラルド・マーフィとセーラ・マーフィとはかけ離れたものになった。偶然二人と知り合ったカルヴィン・トムキンズはこの夫婦の類稀な魅力に気づき、老いた二人から過去の話を引き出すことに成功する。問い方が良かったのだろうと思う。フィッツジェラルドを始めフェルナン・レジエ、ヘミングウェイ、ピカソ等々、錚々たる芸術の顔触れが夫妻のフランスの生活を華やかに彩り、二人もまた彼らから好意以上のものを以て迎え入れられた。トムキンズの筆は大家への深入りを避けてマーフィ夫妻を彼らから的確に汲み取っていく。本には夫妻の写真とともに、ジェラルド・マーフィが残した油絵がカラーで収められているが、読めば読むほどこの人が絵筆を持ち続けられなかったことを勿体なく思うほど物を真摯な目で見て再構成しようとしながら、誰にでも描かれている物体とそれに対してジェラルド・マーフィが感得したことがわかる力のある絵だ。その人が絵筆を取り続けられなかったのはアメリカの家業を継がざるを得なかったためで、フランスを引き払って以降の生活は短くまとめられている。咲き終えた花を押し花にするような手付きで二人の話を中断し、完全に人生を描き切る代わりに二人をフィッツジェラルドが小説へと落とし込もうとした働きと作品への二人の批評を以て〆られている。その間の生活は鮮やかに華やかだ。静かなヴィラを買い、友人を招いて海水浴に行き、船を買って子供たちと遊ぶ。簡潔に「趣味の良さ」と書かれる生活の詳細は所々に見つけることができる。たとえばフィッツジェラルドに割られた、セーラの金細工が散りばめられたヴェネチアン・グラスのワイングラスといった小物に、庭から切り取られてゼルダ・フィッツジェラルドの胸に飾られる牡丹のように。
 二人の娘が永遠に続くことを願った美しい光景が消えるとともに、二人の人生には子供の連続した死やアメリカの不況、フィッツジェラルドとの不和など努力ではどうしようもない出来事が降り掛かってくる。この心乱される人生に対する「復讐」が、自分自身の感性で「優雅な生活」を過ごすことなのかもしれない。青山南のそっけない訳が引き立てる文章の綾を取りたい。
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