えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・物言わぬ姿

2022年03月12日 | コラム
 朝、前の日に横着をして残した洗い物のための水が柔らかくなっていた。指がそのまま排水溝に落ちてしまいそうな冬の冷気の切れ味はなくなり、億劫な朝のルーティーンも気楽になっていた。雨戸を開けると外から吸い込まれるように侵入する冷気も底冷えは取り除かれている。細かな花粉に家族が反応してくしゃみをするが放っておくといつまでも閉め切りのままで息苦しくなるので、気分転換も兼ねて窓はまめに開けている。起きて暖房をつけることが組み込まれていた日から二週間は経っていると思う。外の日差しも温かいので雨戸を開けたついでに鉢植えを外に出すことにした。それがいけなかった。
 新しく出た若い葉の先端が薄茶色の繊維だけになり、他の葉も茶色がかって全体的に雰囲気が中年から初老にかかった人間のように緑が冴えなくなっていた。水をあげすぎたせいだろうかと土を見ても、朝あげた水は午後になると乾き切っているので気がつくと家族が水をあげてしまっている。気のせいか新しく中心から顔を覗かせている葉も色が褪せていながら、行き急ぐようにぐんぐん葉を伸ばしているようだった。「まだ寒いんじゃないの」と、家族が鉢植えを家に引っ込めて数日、大幅に緑の部分の減った鉢植えは一日中部屋の中に置かれることでようやくほっとした雰囲気を醸し出している。鉢植えは言葉も声もなく色だけで置かれた状況を現してくれるものの、なぜその状態に変化したのかは語らない。読書のようにページをめくりなおして読み解くこともできず、その変化が始まった日を思い返して変化のきっかけとなった行動を直すしかない。そういう意味では放ったらかされている自分自身の身体の変化と問題は大差ないと思いつつ、鉢植えの世話をすることで自分からは目を背け続けている。
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