えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

二ページのしかえし

2008年11月28日 | 雑記
ちょっとしたことですが、
かいた小説が、褒められてうれしかったのです。
ニページは短すぎたと思いますがひとつだけ言い訳するとすると、
それなりに考えてはいます。でも短いですね。

話を変えます。
あ、ココから先は某れっどくりふに興味がない方はかっとばしてくださって
ケッコーです。かなり好き勝手かきました。
長いですね。


「不憫な人」がどうも好きみたいです。
固有名詞抜きで、立場が不憫な人がすきです。
不憫は可愛げがある。ほんとうに可愛くはないのですが、
その不憫さがもう可愛げになってしまう分得していると思います。

なんでこんなことを思ったかといいますと、
例の赤い崖とか、ほかの事でいろいろと調べる中、
中国の古典文学を漁る中で、

「(孫権て不憫だなぁ)」

そういう結論がふっとアタマをよぎったからです。

なんかわかりやすい曹操とか、儒教のヒーロー(事実はたぶん劉邦の
血が隔世遺伝で目覚めたのでしょうが)劉備とか、
その他武官文官とか、人の選びがいのある三国志は、
文を漁れば漁るほど人にハマってゆくわけなのです。
で、そういうなか君主のくせにたぶん総合して扱われ方が一番地味な
孫権は、ケッコウ不憫度が高いんじゃないかと思います。
『演義』ではそれなりですがキャラクターが単純化され、
『世説新語』でも引用回数は兄貴の孫策を下回り、本文に出てきても
容姿の点で司馬懿と同列だったり面白い扱いなのですが、いかんせん
地味なんですね。
話といったら酒と部下と老醜だけ、というと、不憫度が伝わるでしょうか。

部下の魯粛に

「今曹操に下ったらオレたち有能な下っ端はそれなりに扱われるけど
アンタは野垂れ死にが関の山じゃ」(意訳)

なんて言われたり。でもこれ本文をちょっと考えてみると、
今の状況にぴったりな気がします。気がつくと部下に話題をのっとられて
いる君主。うーん。

正史をざっくり読んでいると、孫権の場合(曹操は多すぎますから)
は本人の列伝よりも他人の列伝にちょこちょこ顔を出していて、そこに
かれの人となりが書いてあることが他の君主よりも多いのかな、と思います。
たとえば

「……孫権は生来口達者な上に、人をやたらにからかう癖があり……」
(蜀伝14巻より)
とか、
「……孫権は、側近の者たちに対し、今後酒が入った上で自分が殺すと
いっても、けっして殺してはならないと命じた。……」
(呉伝12巻より)
とか。これは人となりと言うか、エピソードですけれど。

それはつまり、誰かの引き立て役として、誰かのよさを引き出す対照として
描かれているわけで、まあ作者は蜀から来た晋の人だから魏の曹操たちや
劉備たちにはデリケートになりがちなのだろうなぁとか、多少さっぴいて
考えないといけないのですが。

そこの部分だけ拾ってゆくと、正史の孫権はひどく人間的なところが、
クローズアップされて描かれていると思うのです。
そしてここまで書かれていながらも、その人となりは見切れません。

たぶん、直接話したら三国の英雄の中でいちばんしょーもなくて、
だからこその可愛げがある人なんじゃないでしょうか。

まあ怒らせるとその場で殺されちゃうかもしれませんけど(うぉーい


ちなみに、
不憫=不幸ではないのがこの話のミソです。
コメント
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