はぐれ雲のつれつ゛れ日記

還暦が過ぎ、そろそろ人生を振り返る歳、日々の出来事や思ったことを、思いつくままに・・・。

初馬寺・密蔵院・府南寺・蓮光寺

2023-04-16 22:53:30 | 伊勢西国三十三か所

久しぶりの投稿です。4月から区の役員、しかも区民のお金を預かる会計を任されるので大変です。何年か前に書記をしてもういいと思ってたのに、経験者としてまた声がかかりました。昔の組制度がまだあるのでこれからの時代、新しく区民になった世帯は誰も組内に入ろうとしません。何の得もないからです。隣り近所と仲良くしても区民としてはかかわりたくない。これも時代の流れだから仕方ない。早く防災班のような自治会制度に移行してみんな平等に区の行事にかかわらないと・・・これから誰も区長になりたがらないだろう。報酬金額が多いと別だが・・・区費の徴収件数を調べてたら450件ほどあった。これから家が建つたびに増え続ける。組外が増え続ける。若い世代の人よ、なんとかしてくれ<(_ _)>

さて、落ち着いたので久しぶりに伊勢西国巡りを再開しました。

公民館掃除が終わって10時過ぎから津市の第17番、初馬寺へ・・

津駅前にある蓮光院、通称初馬寺(はつうまでら)・創建614年。御本尊は聖徳太子42歳の厄年に自ら刻んだと伝わる馬頭観世音菩薩。 重文の大日如来・阿弥陀如来との三尊は3月初午の日に御開廟され、厄除け祈願の参拝者で賑わいます。

ご本尊にお供えしたおさがりの、苦を離れ楽を願うという栗らくがん。をいただきました。

水掛魚籃観音、伊勢津の七福神巡りの場所でもある。

若かりし頃、津駅前の営業所で6年半働いたことがある。当時の飲み屋はまだあるのだろうかと少し散策した。「おつかれさま」という居酒屋はすでに無いが「鳥佐」という焼き鳥屋はまだあった。昼間なので閉まってたが40年前になるだろうか?警察に努めてた幼馴染と一緒に飲みに行き、連れてきた同僚が「陽なたグソの順ちゃん」なぜかというと表面は固いが中身は柔らかい。いい人間だということだ。この言葉はよく覚えている。食べた串の数で清算、飲み物はビールの焼酎割だ。懐かしいな。カレー焼きの看板がまだあった。買ってみようと近くまでいったが閉まってた。棒状の小麦粉でくるんだ饅頭のような、たい焼きのような。カスタード入りもあったな。懐かしい、もう40年にもなるか・・・・

次に第16番・白山蜜蔵院へ・・

その昔、当寺領を一帯を白山といい、津藩二代藩主藤堂高次(在職1630~69)が白山妙理大権現祈願所としていた。寛文年中(1661~73)高次が病魔に冒され苦しんだ時、阿闍梨朴心に病気平癒の祈祷を命ぜられた。朴心は三密加持の秘法を修し祈祷を続けたところ、病は忽ちにして平癒したので高次は大いに喜び、朴心に白山の土地を与え、この寺を創立させ念持仏を祀ったといわれる。
 これが当山の始まりである。明治初年に本堂裏山境内に四国八十八ヵ所霊場(小堂)が造立された。本尊は千手観世音菩薩。<HPより>

境内に八十八か所霊場もある。ここが津駅を眼下にするところにあるとは・・・

ここでも飴玉が4つ入った袋をいただきました。神饌のおさがりか。

次に鈴鹿市の府南寺(ふなんじ)に行った。

狛犬がいる。

当山は、聖徳太子(574~622)の開創(物部守屋討伐のため皇大神宮への戦勝祈願地)と伝えられ、推古天皇(554~628)の勅願所となり、その後行基(668~749)により修栄され聖武天皇(701~756)の勅願所にもなる。

    弘法大師(774~835)が諸国巡錫の折りに当山に立ち寄り本尊に感嘆し、それ以降真言の教えを受け継ぐ寺院となる。天正の兵災後、泰平山無量寿寺(本尊は国府阿弥陀如来)と補陀落山府南寺(本尊は国府千手観世音菩薩)が合併して泰平山府南寺となる。<HPより>

昔は立派な仁王門だったろうが今はコンクリートだ。

運慶作といわれる国の重要文化財なので大事にされている。

もう一か所、亀山市に近かったので、元19番「蓮光寺」へ・・

榊宮山(しんぐうさん)とあるが、昔は神仏習合の寺で伊勢神宮内宮とゆかりがあってその名残りだ。

 

山門のとなりに切支丹灯篭が建っていた。キリスト教も受け入れていたのかな?

せっかく亀山まで来たのでこの後、伊勢亀山城跡にも行ってきました。

 

 

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