はぐれ雲のつれつ゛れ日記

還暦が過ぎ、そろそろ人生を振り返る歳、日々の出来事や思ったことを、思いつくままに・・・。

学生時代

2013-06-30 11:45:40 | 旅行、お出かけ
名古屋コンサートの翌朝、金山駅から地下鉄で八事まで行ってみることにした。(昔は環状線ではなかった)
35年前に4年間住んだ町を35年ぶりに散策してみたかった。

八事と言えば「高野山真言宗別格本山・八事山興正寺」

















学校も昔の面影は無し。



赤門だけが当時を思い出す。


山手通の向こうには東山タワー(中京テレビ塔)が見える。(これも無かった)

広い八事霊園


住んでた八事裏山も高層マンションがいっぱい


木造の下宿があったところも面影なし



お世話になった「三好食堂」あたり・・ラーメンライスやソーセージ炒め定食が定番、そしてパチンコに勝った日は焼肉定食。
看板娘もかわいかった。

かろうじて面影がある、友と先輩が住んでた「山手荘」


八事交差点(ジャスコもイオンに変わってる)


もう帰ろう。
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父の日のプレゼント

2013-06-24 22:34:15 | 映画
8日前の日曜日は父の日だった。
娘からメールが来て「ちちのひアリガトー!プレゼントこれから贈るね\(^o^)/」と言ってくれたのはいいが、なかなかこなかったので「催促するわけやないけどなんか送ってくれたんやろか?何も届いてないけど・・・(^_^;)?」と2~3日前にメールした、本日無事届きました。





焼酎をマイナスイオンの力でまろやかにするサーバーらしい。おもしろそうだったので買ってみたそうだが、これって路進さんのブログ画像にあったのと似てるなあ?

器の裏にはひらがなで「さなえ」とありました。女の人が作ったものかな?

どんなものでも嬉しいものです。(^_^)

息子からは何もないが、あの日には半年ぶり?に電話がかかってきた。用件は「工具を送ってほしい」だったが、メールで済むものを電話ということは声を聞かせてやりたかったから・・?・・と良いほうに解釈してしまう。

そういう自分も二人の誕生日にはメールをするだけだし・・・・・・<(_ _)>
コメント (4)
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熊野古道(内宮~田丸)

2013-06-23 19:29:00 | 熊野古道ウオーク
熊野古道、伊勢路コースをスタートしたのは玉城町(田丸城址)からだった。
昔の道標に「くまのみち」とあるし熊野詣はここが起点だったのかも・・・?
しかし伊勢路コースは内宮までとなっている。
内宮~田丸間はまだ歩いてなかったので、昨日歩いてきた。

田丸城址内の役場に車を止め、JRで伊勢市駅まで行き、そこからバスで内宮までいった。バスはすでにぎゅうぎゅう詰めで外宮前で少し降りるがまた満員に・・・もう始発の宇治山田駅で満員になる。土曜日だったが伊勢神宮の人気はすごい。
内宮へは参拝せずに鳥居前から10時半スタートした。



おはらい町も抜けるとやっと人ごみも少なくなる。


猿田彦神社の横の「牛谷坂」を上り、古市へ・・




途中、「伊藤小坡(しょうは)美術館」に立ち寄り、約10分の紹介ビデオも見せてもらった。



=パンフレットより=
京都画壇の中心として活躍し、明治・大正・昭和を代表する女流日本画家。
明治10年(1877)に猿田彦神社宮司である宇治土公差貞幹の長女として生まれ、18歳で伊勢の磯部百鱗に入門。21歳で京都に出て森川曽文・谷口香嶠に師事し画業にいそしみ、昭和3年には上村松園と同じ竹内栖鳳の門下に。
高齢に至るまで画筆をとりつづけ、多くの名作を残しました。

長峯神社(天鈿女命(芸能の神様)を祀ってある)のところにあった神宮奉納白石


桜木地蔵

伊勢の山田奉行を勤めた大岡越前守忠相もこの地蔵を訪れ江戸町奉行に出世したという伝えから出世地蔵とも呼ばれている。
近年は武蔵川部屋の力士が毎年訪れることでも知られている。武蔵丸は幕下のころから毎年参拝して横綱になったことから出世地蔵の名が一段と増した。

今も営業している「麻吉旅館」




大林寺

左に見えるのは油屋おこんと孫福斎(まごふくいつき)の墓です。

油屋騒動=ウイキペディアより=

寛政8年5月4日夜、孫福斎が伊勢古市の油屋に立ち寄った。油屋は日本三大遊郭・古市の中でも特に大店で、部屋持ち遊女だけでも24人を数えたという。斎の相方(あいかた)になった遊女はお紺。しかし斎の座敷はおもしろくなかったのか、お紺は途中で呼ばれて他の客の部屋に移ってしまう。お紺に自分の席を去られた斎は、侮辱されたと感じて憤る。下男下女になんとかなだめられていったんは帰ろうとするが、玄関口で脇差を返されると、いきなり下女の一人に切りつけ、ついで下男にも切りかかった。狂乱状態に陥った斎はお紺を探して部屋に駆け戻り、目の前に現れた者を次々と切りつけた。

お紺はなんとか無事に逃げたが、結局死者2名、負傷者7名を出す大事件となった。逃げ切れないと覚った斎は、5月14日に自刃して果てた。

この事件は伊勢参りに来た参拝客によって瞬く間に日本中に知れ渡り、有名になったお紺を見ようとする客で油屋は大繁盛したという。またこの事件を題材に歌舞伎『伊勢音頭恋寝刀』(通称『伊勢音頭』)が書かれて評判となった。同作は現在でも上演回数の多い演目となっている。


古市を下りたあたりの「起矢食堂」で伊勢うどんを食べる。ここはテーブルが4席しかない小さな店だがわりと有名です。水森かおりとAKB48(2名)の写真付きサイン色紙が飾ってあった。

小田の橋


外宮前


小西万金丹

「越中富山の反魂丹、鼻くそ丸めて萬金丹、それをのむ奴ァあんぽんたん」
江戸時代お伊勢参りの旅人に重宝された「伊勢の霊薬」として三百年間親しまれてきました。
現在は薬でなく、毎日の健康を維持する食品として幅広く親しまれています。 =小西萬金丹HPより=

今は欄干だけの「筋向橋(すじかいばし)」


神宮奉納花火大会準備が始まった度会橋付近


尾崎咢堂記念館にある全米桜の女王来訪記念樹2013年


最近の道標(ここで熊野道の表示が・・)


田丸に着きました。


ゴールの田丸城址


この後、多気の湯に行き万歩計をはずす。


熊野古道(伊勢路コース)もあと1日(志古~熊野本宮大社)を残すのみとなりました。


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2013-06-12 22:25:07 | 映画
仕事の帰り、店から出てみると大きな虹が出てました。何年ぶりだろう?虹をみたのは・・・





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日食なつこの歌

2013-06-07 21:56:09 | Weblog
久しぶりに艶男艶女(あでおとあでーじょ)で検索してみたら、また発見。

娘はもう働いているけど、まだやってるみたいだ。




このダンスで知った日食(にっしょく)なつこ・というミュージシャン
変わった歌を唄う。岩手県花巻出身の女性です。




もう一曲

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吉永小百合

2013-06-06 21:18:08 | Weblog
仕事の帰り、アマチュアカメラマンのハマちゃんからTELがあり、吉永小百合の写真とCDをいただいてきました。
6月2日、三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台となった神島にやってきた時の写真です。

《伊勢新聞の記事より》
おかえりなさい、吉永さん 「潮騒」舞台 49年ぶりの神島

【鳥羽】昭和三十九年の映画「潮騒」で主人公の宮田初江を演じた女優の吉永小百合さん(68)が二日、四十九年ぶりに鳥羽市の離島、神島を訪れ「元気なうちにもう一度、吉永さんに会いたい」という島民の願いをかなえた。心待ちにしていた島民と観光客ら計二千人(主催者発表)が「おかえりなさい」と出迎え、吉永さんは当時を懐かしむ島民と交流、撮影当時を振り返った。

 潮騒公園で開催されたセレモニーでは、木田久主一市長と鈴木英敬知事のあいさつに続き、吉永さんが登壇。「四十九年ぶりに戻ってまいりました。ただいま」と言うと「おかえりなさい」と声が上がった。

 ロケ地の再訪はあまりないという吉永さんは「神島に来られたことは、皆さんのパワーがあったから」「島でお世話になった方と会えるのを楽しみにしていました」と笑顔で話した。

 神島小児童十六人が小説「潮騒」の冒頭の一節を朗読し、太鼓奏者の林英哲さんの演奏で歓迎した。

 この後、神島開発総合センターで開催された交流会には、島民百八十人が参加。撮影当時を知る五人の島民らがエピソードを話した。

 当時小学六年生だった山本晶子さん(60)と田島寿子さん(60)は、吉永さんと遊んだり、学校の先生に頼んで見送りに行った思い出を話し、吉永さんと一緒に写った当時の写真を、貝殻で作ったフレームに入れて吉永さんにプレゼント。

 吉永さんは「神島の貝ですね。あのころはよく遊びましたね」と喜んだ。

 山本さんは「気持ちを伝えられてよかった」と感激していた。

 吉永さんは「懐かしい島に戻ってきて、四十九年前を思い出しました。十日間の撮影でしたが、温かい島の皆さんのおかげで居心地よく、島の娘になった気持ちでした。映画も素晴らしいものになり、宝物になりました。また来ます」と言い、会場からは拍手が沸き起こった。

 最後に餅まきがあり、吉永さんと神島中の生徒らがまき手を務めた。

 吉永さんの帰る時間が迫ると島民らは桟橋から紙テープで見送った。吉永さんは子どもらに「いっぱい勉強していっぱい遊んでね」と声を掛け、島が見えなくなるまで手を振っていた。


とても68歳には見えない




鈴木英敬知事と


林 英哲


動画拝借



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姫路城

2013-06-05 21:26:09 | 旅行、お出かけ
姫路市に親戚(母の妹家族)が住んでいる。けど、姫路には行ったことがない。

今、世界遺産・姫路城は5年をかけて大天守の漆喰壁や屋根瓦の葺き直し工事を行っている。
来年度1月には完了予定だそうだが、その天守閣最上層を間近で見学できる施設がある。来年の撤去までぜひ見てみたいと思い、平日休みの4日に行ってきた。
























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