はぐれ雲のつれつ゛れ日記

還暦が過ぎ、そろそろ人生を振り返る歳、日々の出来事や思ったことを、思いつくままに・・・。

宝林寺・金胎寺・田宮寺・国束寺

2023-01-30 22:18:14 | 伊勢西国三十三か所

伊勢西国巡礼は始まったばかりでまだ近くばかり、昼からでも四か所行ける。

先ずは伊勢市御園町の第七番・宝林寺へ・・

 

ごく普通の田舎寺だ。この地区は昔、大岡越前守忠相も務めた「山田奉行所」があったところです。地元では小林観音(おはやしかんのん)として親しまれていた。

人の気配はなかったが勝手に記帳し、賽銭を入れ、御朱印を押してきた。

続いて鳥羽市の第六番・金胎寺(こんたいじ)へ・・

当寺観音院の本尊は黄金の秘尊を腹蔵した一丈一尺の千手観世音菩薩です。今から1200年前の天長年間、弘法大師が伊勢両宮ご参籠の後、朝熊岳金剛證寺に修禅されてからこの地に杖を止め、開眼されたものと伝えられています。(資料より)

弘法大師

ここに立派なお堂でも建っていたのだろうか?

四国八十八か所の祠のようなものがあった。

ここから鳥羽市街、海が見える。

続いて玉城町の第四番・田宮寺へ・・

ここの「十一面観世音菩薩」は夫婦観音として二体が祀られる。国指定重要文化財だ。

<HPより>

当寺の創建について寺伝は、行基が伊勢神宮参籠のおり、聖武天皇の勅命を受けて神亀2年(725)9月に神宮法楽寺として「陰陽両体神法楽の本尊十一面観音の尊像は、行基菩薩並びに神人変化の御作」になる二体の観音様をお祀りし、建立したものと伝えています。その後、帰朝した空海が当山にしばらく逗留して神護景雲年中(767~770)火災により焼失した殿堂楼門を落成し、寺運隆盛を極めたことから、弘法大師を中興の祖と仰いでいます。

境内には本堂の他、大師堂・天神・御船殿・聖天堂・不動堂・大日堂などの建物や東之坊光儀院という塔頭がありましたが、明治維新の神仏分離令によって明治2年(1869)に廃寺となり、聖天堂・庫裡を残し建物は取り壊されました。本尊の十一面観音立像2躯は平安時代前期の作とされ、共に総高167㎝の桧一木造り・木眼、1躯には彩色があり、1躯は漆箔が残っています。大正4年国宝に指定、昭和25年に重要文化財に指定されています。現在は残された聖天堂に移され、お祀りされています。

 

最後に地元の国束寺(くずかじ)に行ってきた。

中学の時の校歌にも出てきた「国束山」の山頂にあったが、今は礎石しかない。

<HPより>

國束寺は、推古天皇9年(601)聖徳太子様が皇大神宮の「伊勢神宮の西にある国束山山頂に十一面観音像を安置し、国土安穏を祈念せよ」との神勅に従い、鎮護国家の寺、国家安泰を祈願する寺として始まりました。

 その後、聖武天皇や嵯峨天皇、またこの地域の国司であった北畠氏による篤いご信仰により、山内に六院百三十二坊を有する大寺院に発展し、弘法大師空海がこの地を訪れた際にはこの山を『胎蔵界曼荼羅の山』と称嘆なされたと伝えられております。

平安~鎌倉~室町期には密教の一大修行道場として発展した国束寺でありましたが、戦国時代、織田の伊勢攻めにより山内の堂塔伽藍は全て灰燼とされてしまいます。

 江戸時代になるとこの地域を治めた紀州徳川家や藤堂高虎公の帰依により寺領を賜り、延宝2年(1674)紀州藩二代目藩主徳川光貞公により観音堂荒神堂が再建され、天台宗國束寺として再興しました。民衆からも『くづかさん』と親しまれ、山麓の人々から信仰されました。その時の住職である見明上人を國束寺中興の祖師とし、現住職信順で十七代目を数えます。

その後、明治時代の神仏分離令(廃仏毀釈)や、戦後のGHQによる農地改革によって衰微を余儀なくされ、山頂での寺院維持運営が困難であると判断し、昭和28年(1953)本尊と観音堂、聖天堂は戦災で伽藍を失った大阪四天王寺へ移築し、その他のお堂や建物は国束山南麓の現在地に移築。現在の國束寺は四天王寺から代わりとして譲られた十一面観音立像を本尊としてお祀りし、宗派も天台宗から和宗(総本山四天王寺)に改めて寺院を護持しております。

地元にもこんな大きな寺があったんだと調べてみてわかりました。またあらためて礎石を確認しながら登ってみたい。

陶仏堂のなかにはなぜか「スターウオーズ」に出てくる「ヨーダ」がいました。

誰かが寄進したのか陶仏堂については何も書かれてない。

現在の本堂(旧荒神堂

本堂内にはご本尊十一面観音立像のほか、胎蔵会大日如来、歓喜天、如来荒神、妙見菩薩、不動明王、天神様、天狗様、浅間神(富士権現)をお祀りしてございます。

天井には昭和55年当時の檀信徒の方々が書かれた絵を天井画として揚げております。
子供たちの絵やプロの絵、当時の世相を描いた物など様々な天井絵が心を和ませます。

 

 

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