はぐれ雲のつれつ゛れ日記

還暦が過ぎ、そろそろ人生を振り返る歳、日々の出来事や思ったことを、思いつくままに・・・。

桂浜

2021-11-30 21:05:28 | 旅行、お出かけ

約40年ぶりの桂浜、坂本龍馬の銅像は遥か太平洋を望みながら立っている。

 

昭和3年5月27日は、桂浜龍頭岬上にたつ坂本龍馬銅像の完成除幕の式典日だった。海上には海軍省派遣の駆逐艦「はまかぜ」の姿があり、銅像足下には、地元44連隊中島中尉指揮下の兵士たちもいた。参列者500名の眼差しは紅白の幕落ちる瞬間に集中した。
当時早稲田大学学生だった入交好保氏が発起し、「坂本先生銅像建設会」を組織し浄財募金の運動を全国に展開した。総工費2万5千円、銅像の高さは17尺5寸(約5.3メートル)、総高は44尺5寸というからほぼ13.4メートルだ。台座裏の銘板には「時 昭和参年五月、建設者 高知県青年、原型 本山白雲、助手 島村治文、鋳造 角川健治、台座工事 宮本金太郎」とある。
昭和63年5月28日、桂浜で行った龍馬先生銅像建設発起人物故者追悼会にあたって司馬遼太郎氏は還暦を迎えた銅像龍馬にメッセージを寄せている。    <竜馬記念館HPより>

龍馬の銅像は日本中で一番多いそうだ。土産にもなってるし、ちなみに自分も持っている。

坂本竜馬記念館屋上より

高知県立坂本龍馬記念館

来館した人は竜馬と握手するが今はコロナで出来ない

最も人気の高い竜馬の和歌

展示物はやはり書物が多い。我が家の柱に短冊がかけてあるがその言葉が4行目あたりから書かれている。

「世の人は我を何とも言わば言え我が成すことは我のみぞ知る」

現存する家族あて最後の手紙

坂本龍馬書簡、坂本権平宛  慶応3(1867)年10月9日

襲撃された近江屋内部(2階左の部屋に中岡慎太郎といた)

記念館には血のついた屏風や掛け軸が展示されていた。

坂本龍馬と中岡慎太郎

桂浜への行き帰り、浦戸大橋を通ったが結構大きな橋だった。気になって調べてみた。

全長1480m・高さ50m

自動車での利用を前提としたため、歩道部は極めて狭小であるため歩道部における自転車同士の離合は困難である。 橋からの投身自殺が相次いだことから、橋の欄干に高さ約3メートルある背の高い返し付きのフェンスが設置されている

歩いて渡ると怖い橋らしい。

 

                         

 

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高知城

2021-11-29 22:08:01 | お城巡り

高知城は20代の頃、坂本竜馬を好きになって後輩と高知に来て以来、約40年ぶりだが天守にも登ってなかったしあまり記憶にない。山内一豊の妻と愛馬、板垣退助の銅像ぐらいだ。

板垣退助像

板垣退助は自由民権運動の父とされ、特に「板垣死すとも自由は死せず」の名言は明治時代の一大流行語となった。

土佐藩の初代藩主山内一豊(やまうちかつとよ)の銅像

山内一豊の妻と愛馬

千代は内助の功で夫一豊を大名にまでのし上げた女性。 馬は千代がへそくりをはたいて一豊のために購入した名馬だそうです。

夜の高知城も見ればよかった

石樋のある石垣

懐徳館(本丸御殿)から天守に行ける。

二の丸欄間

廊下門

真ん中奥に見える黒鉄門

天守と本丸御殿が現存してるのはここだけらしい。二の丸御殿は掛川城と二条城が現存している。

天守には天守台の石垣はない、本丸御殿と一緒です。

 

天守最上階

黒鉄門

黒鉄門

現存12天守のひとつである高知城をじっくりと見てきました。

この後、坂本竜馬の銅像に再会するために桂浜に行きました。

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四国百名城の旅

2021-11-28 16:23:49 | お城巡り

2泊3日で四国の百名城のうち4つの城をめぐってきました。まだまだ達成まではほど遠いが元気なうちに、働いて小遣いが少しあるうちにできるだけ多くの城めぐりをしていきたい。

2泊3日で1000キロ以上の距離を走りました。たくさんスマホで写真を撮った。

徳島県徳島市徳島町にある「徳島城」(とくしまじょう)は、豊臣秀吉の四国征伐に戦功をあげた尾州の蜂須賀正勝は、阿波一国を与えられ、渭津(いつ)と呼ばれる地域に築城し、その地を「徳島」と命名したことに始まります。それより後、明治に至るまで蜂須賀氏累代の居城として栄えました。別名を渭山城、渭津城といいます。建物は明治に廃城令により存城処分になり、唯一残っていた鷲の門も戦争により焼失しました。見所は阿波特産の緑色片岩を用いた重厚な石垣です。

阿波藩祖「蜂須賀家政公」

数寄屋橋(城の鬼門の方向に位置し、凶事の時以外は開かれなかった)

 

鷲の門

徳島城の表門で脇戸付の薬医門。昭和20年に戦災で焼失したが平成元年に復元された。

下乗橋と大手門跡

石垣の石には、眉山三波川変成岩結晶片石)が使われている。岩石の種類としては、青石緑簾石アクチノ閃石片岩・緑簾石‐藍閃石片岩)・紅簾片石石英片岩である[2]。なお、表御殿庭園の庭石には、眉山の石のほか、鳴門淡路の海岸から舟で運ばれた石も使われている。これを含め、運送の難から、内陸で採れる石材は使われていない[2]

 

1号貝塚は岩陰の下にあり、ハマグリアサリカキハイガイを中心とする貝類が厚さ約60センチも堆積し、縄文時代後期の土器が多く出土している。岩陰を利用した住まいの跡と考えられる。

縄文時代後期中期(紀元前1500年ごろ)。

西二の丸(鉄砲櫓があった)

 

本丸跡

城山南西麓の石垣(切り込みハギによる布積み)

城跡にSLが展示してあるところは多い、外堀として利用した川は現在線路になっている。

JRのよしのがわトロッコ

城跡に隣接するバラ園(東駐車場)

≪表御殿庭園≫

茶人武将上田宗箇(うえだそうこ)の築庭、枯山水と築山泉水庭から構築された回遊式庭園で昭和16年に国の名勝に指定されました。

長さ10.5m、重さ約13トンの自然石橋(緑泥片岩)

心字池(草書体の心という字形に作られている。)

徳島城のものと思われる鯱瓦

徳島城博物館ではボランティアのおじさんが色々説明してくれました。

その後、阿波おどり会館に行きました。

館内は1階が受付案内、土産物プラザ、2階は阿波おどりホール、3階は阿波おどり資料館、5階は眉山ロープウエイ乗り場です。昼2時からの公演まで時間があるので先に眉山(びざん)頂上に行った。

ゴンドラは2基並んで約6分で標高290mの山頂まで行く。

日本夜景百選にも選ばれ、四国一ともいわれる夜景スポットらしい。

1958年昭和33年)に県ビルマ会が第二次世界大戦で戦没した多くの戦友たちの霊を慰めるために建てたもので、当時の資料を展示している。

ミャンマー(旧ビルマ)の首都ヤンゴン(旧ラングーン)にあるシュエダゴン・パゴダの形を参考に建設され、ビルマ(当時)から贈られた仏舎利が納められている。市内各所からその姿を眺めることができる。

阿波おどり資料館

 

 

 

 

阿波おどりは近年、男おどりが人気があり女性でも男おどりをする人が増えているそうだ。

三味線太鼓鉦鼓篠笛などの2拍子の伴奏にのって連(れん)と呼ばれる踊り手の集団が踊り歩く。

えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆(あほう)に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…と唄われるよしこののリズムで知られる。しかし、よしこのは大手の有名連以外はあまり使われず、主にヤットサーヤットサーという掛け声のほうが多用されている。

徳島県内の小・中・高校では体育の授業や体育祭などで「阿波おどり」を演目として採用している学校も多数あり、徳島県民の代表的な祭りである。

そのあと一気に徳島自動車道、高知自動車道で高知市に・・今夜の宿は「ウエルカムホテル」、黒潮カントリーでカシオワールドオープンが始まるらしく観光バスもきてました。

高知と言えば「カツオ」夜は街に繰り出し、店の名前が気に入り「龍馬屋」へ・・

かつおマイスターの店だ。暖簾は坂本龍馬家の家紋「組合い角に桔梗」

大将は白髪に黒い鉢巻き姿、海鮮のみの店だそうだがカツオのたたきセットを注文、まず出てきたのは

旨い!!

次はカツオの炙り、30秒以内で食べてくださいと言ったので撮影なし。

次はカツオのたたき

ニンニクをかじりながら食べるタタキは格別にうまい!

生ビールの次は地元の芋焼酎をロックで

最後に鯖の炙り寿司

小さい店だが地元にも人気の店は大満足でした。

ホテルの近くで見かけた気になる店、高知名物「玉子焼きめし」・・・・満席で外で待ってる人もいる。

龍馬屋の帰り、入りたいが腹がいっぱい、もう少し腹をすかせてからと近くにカラオケ店が2店舗あったので

久しぶりに「ひとりカラオケ」

1時間半、アルコールも入って気分よく過ごしました。

チョンマゲの玉子焼きめし(600円)ふんわりした食感で美味かったです。

他のメニューはラーメンとギョーザ、一緒に注文する人が多く、そのせいか若い男性客が多かった。

昭和庶民の雰囲気でカネをかけてないところがいいですね。前掛けも酒屋の前掛けだ。

店の名刺が置いてあって大阪天六店と神戸元町店、神戸三宮店の姉妹店もある

高知市は居酒屋やスナックが多く、そのせいか軽自動車の「代行タクシー」なるものを初めて見ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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釈迦ヶ岳(大峰奥駈道)

2021-11-14 16:57:48 | 山、サイクル、ウオーキング、

山友と世界遺産である大峰奥駈道のひとつ、釈迦ヶ岳に登ってきた。1800mと近畿地方では4番目に高い山だ。

三重県側のコースは片道4時間の上級者向き、なので奈良県側の太尾登山口からの2時間コースにしたが登山口までのアクセスは長い

すでに駐車場はいっぱいで離れた路肩に止めて9時45分スタート、視界がひらけたコースで稜線歩きが多いので景色がいい。おまけに樹氷も付いているので予想外によかった。

まるで桜が咲いているようだ。

この赤い実は何だろう?

岩盤の上に根を張ってたので倒れてしまった。まっ平の根っこだ。

山頂には釈迦如来像が・・撫でようと思ってたが触れない。

大峰奥駈道には75の靡(なびき、神仏が宿るとされる場所)があるという。

帰りは遠回りだが新宮市に出て高速道で帰った。尾鷲で一旦降りていたが開通したので時短したが結局時間も30分ほど超過した。

 

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田丸城跡

2021-11-08 20:35:56 | お城巡り

築城685年を迎えた「田丸城」の企画展が村山龍平記念館でやってたので見てきた。

一番身近な城なのでもっと詳しく知りたかった。僅かだが三層の天守が建っていた証拠となるしゃちほこの瓦や鬼瓦などのかけらも展示してあったし古地図もあったが、やはりまだまだ少ない。無料だからしかたないけど。展示室は撮影禁止だった。

朝日新聞の創始者「村山龍平」も全然知らなかったが知ることができた。全国高校野球大会(当時は中学)の第一回大会の始球式は村山龍平だったんですね。袴をはいて・・

ついでに城跡もまた歩いてきた。

旧三の丸御殿の奥書院(今は三の丸跡には玉城中学校が建っている)

石には番号がふってあり極力再現してるのだろう、間詰め石も入れて・・右は土嚢や鉄筋が入れてある。土塁との境だからか・・?

冬のイルミネーション、石垣のライトアップがまた始まるのだろう。いつかここに三層の天守が復元されることを願っている。

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