はぐれ雲のつれつ゛れ日記

還暦が過ぎ、そろそろ人生を振り返る歳、日々の出来事や思ったことを、思いつくままに・・・。

根城~十和田湖~弘前城~ねぷた村

2024-06-10 22:06:53 | 東北城巡りの旅

道の駅「ろくのへ」から根城へ

根城は、南北朝時代の南朝方の武将・南部師行(なんぶもろゆき)が建武元年(1334年)に築城し、以来領地替えにより使われなくなるまで約300年間八戸地方の中心でした。本丸のほか中館、東善寺館など合わせて8つの郭からなる平城で約18.5万平方メートルの城跡です。中世から近世にかけて郭全体の復原は全国でも初めての試みとされ、11年間の発掘調査を元に平成6年(1994)オープン。

 根城本丸は、城としての機能が最も充実した安土桃山時代の姿を忠実に復原。主殿や工房・納屋・馬屋などの建物が忠実に復原され当事の面影を現代に伝えています。

主殿

納屋

本丸

 

東門

中館

本丸模型

八戸から十和田市を経て十和田湖へ・・途中、奥入瀬渓流沿いを走ったので車を止め、2か所ほど動画撮影、年配者がたくさん歩いている。15キロにわたって続く渓流沿いのウオーキングは一度体験してみたい。この新緑の時期もいい

青森県十和田市秋田県鹿角郡小坂町にまたがるである。最大水深は326.8 mで、日本の湖沼としては第3位である。なお、面積では日本の湖沼としては12番目である。東岸には奥入瀬川が存在し、北東に約14 kmにわたり奥入瀬渓流が延びる。約20 km北には八甲田山が位置する。

高村光太郎作「乙女の像」

十和田湖から弘前に向かう道でナビが赤い道で情報不足にもかかわらず、走っていったら通行止めでした。5キロくらい走っただろうか?どうせ冬期の通行止め表示だろうと安易に思っていました。慎重になるべきでした。違う道の大館十和田線で弘前に向かいました。

弘前城は現存12天守のひとつです。これですべての現存天守に登城しました。

今、石垣修理で天守ごと移動して違う所に建っている。石垣のない天守はなんか変だ。

鉄骨の張りは移動した補強だろうか?それとも前からか?

ガラスの引き戸がついた天守は初めてだ。

鉄砲狭間なのか?こちらもめずらしい

弘前城本丸東面の石垣には、以前から膨らみが確認されており、崩落する危険性から、石垣を解体修理することになり、 平成27年7月~9月にかけて、天守を約70m本丸の内側へと曳屋する工事を実施しました。
石垣修理工事には約10年間を要し、曳屋した天守を元の位置に戻すまでにも約6年かかると見込まれています。

※「曳屋」とは、建物を解体せずに移動させる工事のことです。

東内門

二の丸東門

弘前公園は桜まつりでも有名だ。2600本ほどの桜が咲き、高遠城址公園、吉野山とともに日本三大名所になっている。

外堀を歩いていると「津軽藩ねぷた村」の看板があり、道行く人に尋ねてみた。閉館まで時間があり見てきました。

青森ねぶたが有名だが弘前もまたユーチューブでみたい。色々説明してくれて海沿いは「ねぶた」山側は「ねぷた」という所が多いそうだ。どちらも「眠たい」という意味だそうです。

弘前ねぷたまつり解説

太鼓の叩き方も教えてもらい、津軽三味線の生演奏もありました。津軽じょんから節を動画撮影したが、SNSに投稿するのはだめです。

弘前の夜は「アサヒサウナ・カプセルイン弘前」

石川ウインナーと「タラたま」という干したらに生卵を混ぜたものが名物らしいので注文しました。

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恐山~大間崎~浅虫温泉

2024-06-10 12:04:49 | 東北城巡りの旅

城巡りは弘前、八戸まででいいが、下北半島まで行く目的があった。恐山に行ってみたかった。友人も東北に行ったら恐山と玉川温泉にぜひ行ってきてと言ってたし、イタコはまだいるのだろうか?

道の駅石神の丘を早朝5時半頃出発、

人が亡くなって三途の川まで来るとこのふたりが待ち構えている、衣類を剥がされ、それを柳の枝にかけ、そのたれ具合で閻魔様に地獄か極楽か言い渡されるという。

入山料500円を払い総門の中へ・・

りっぱな山門です

本堂

奥は地蔵殿

ここから約1時間かけてぐるっと回ってきました。硫黄の匂いがして、ここはカルデラの中みたいですね。

この風車はどういう意味があるのだろう?

比叡山・高野山とともに日本三大霊山といわれる恐山。地元では古くから「人は死ねば恐山に行く」と言い伝えられてきました。外輪山に囲まれた霊場は、外部からは見ることのできない途絶された場所。三途の川にかけられた太鼓橋を渡って霊域に入ると、死後の世界のような風景が広がります。極楽浄土を思わせる美しさの極楽浜、硫黄臭が立ち込める地獄谷、荒涼とした無間地獄、血の池地獄…。賽の河原には亡くなった幼い子供を弔うために両親が積んだ石や、くるくるとまわる風車があり、もの悲しさが漂います。

恐山菩提寺の創建は862年。慈覚大師円仁が夢のお告げに導かれ、諸国に教えを説いた旅の果てに、この下北の地に「恐山菩提寺」を開山したと伝えられています。

例年7月20日から24日に行われる「恐山大祭」と、10月上旬の連休に行われる「恐山秋詣り」には、イタコと呼ばれる巫女が死者の御霊を呼んでくれるとあって、多くの人達が列をなし、あの世からのメッセージを聞きに集まります。

                                              <ネットより>

奥之院 不動明王

極楽浜と宇曽利湖

人はみなそれぞれ悲しき過去を持ち賽の河原で小石積む?

血の池地獄

東日本大震災供養塔

ここが一番硫黄の結晶があった

宇曽利湖

宿坊もあり参拝者は無料で入れる風呂もあるらしい。仏壇へのお守り2つと御朱印もいただきました。

 

ここまで来たら本州最北端の大間崎まで行かなくては・・

津軽海峡の向こうには北海道が見える

先に小島がある(ズーム画像)

建物内にいたら老人ホームから電話が・・一瞬ドキリとしたが介護認定審査の日取りでした。何かあれば車預けて飛行機か新幹線で帰らなければならない。

下北半島をまた南下、途中、布海苔養殖発祥の地がありました。

風間浦鮟鱇というブランドがあるそうだ、鮟鱇は食べたことない。

青森の浅虫温泉道の駅で温泉に浸かったのはいいが、八戸の根城に寄るのを忘れた。90キロある。仕方ないけど戻らないといけない。ほっといたら東北に行った意味がない。城以外にも観光地に寄ってるからつい忘れた。青森で寝て翌日は八甲田山へ行くつもりだったがやめた。天気も悪そうだし・・代わりに十和田湖に寄ることにした。

目の前は海でいい湯だった。気分を変えて八戸へ・・道の駅「ろくのへ」で車中拍

 

 

 

 

 

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