はぐれ雲のつれつ゛れ日記

還暦が過ぎ、そろそろ人生を振り返る歳、日々の出来事や思ったことを、思いつくままに・・・。

岡山城・後楽園

2021-07-26 23:50:15 | お城巡り

岡山城も今月30日から令和の大改修が始まり、来年の11月頃まで烏城公園内にも入れなくなる。

もうすでに天守閣には登れないが天守は見れる。

岡山市内にも路面電車が走っており、利用した。

岡山城は戦国武将、宇喜多秀家が1597年に築城した。岡山と呼ばれる丘の上に本丸を築き、西を警戒した城構えの為、東面には堀がない。代わりに旭川を城の東背後を流れるように改修し、天然の外堀として活用している。天守の壁に黒漆塗りの下見板を取付けるこの時代の特徴から外観が黒く「烏城」とも呼ばれる。

天守台が不等辺五角形、その上に長方形、正方形と平面を変形させながら積み重ねているため、天守閣は方角によって異なる姿を見せる。(パンフレットより)

月見櫓(国重文)

石垣も直角ではない。

不明門(あかずのもん)

廊下門

六十一雁木下門跡

後楽園に向かう月見橋の上から

兼六園、偕楽園とならび日本三名園の後楽園

明るくて広さを感じる庭園だが、自分は後楽園よりも高松市の栗林公園のほうが好きだ。松がいい。

高松城へ行ったらまた必ず行こう。

後楽園の近くに竹久夢二郷土美術館があったので寄ってみた。夢二美術館は全国にいくつかあるそうだが、岡山は生まれ故郷です。独特の女性像は妻の影響らしい。短冊掛けがあるので短冊を一枚買った。

岡山城が見える旭川のほとりの食事処にも夢二の絵が飾ってありました。

 

 

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広島城、福山城、鞆の浦

2021-07-25 14:26:20 | お城巡り

東京オリンピックが23日から無観客で開催されることになり、コロナもまだ増え続けて東京では緊急事態宣言が出てる中で競技が始まる。

ファイザーワクチンの2回目も打ち終わり、4連休の初日は仕事だったが一泊二日で城巡りに行った。

新幹線で広島まで行き、まずは久しぶりの百名城、毛利輝元が築いた広島城へ・・2両編成の路面電車に乗ったが、地元民は皆ICカードの「PASPY」とやらで「ピッ」とやるだけだ。なかには腕時計式のものも・・・現金を入れると観光客だとわかる・・?

昭和33年に復元された大天守だが旧天守は2つの小天守があった連立天守だった。

井戸から発見された雄雌のシャチホコ

御門橋と二の丸に至る表御門

表御門の二の丸側

多聞櫓と太鼓櫓(二の丸)

城内にある広島護国神社、ここには石灯篭や狛犬などの「被爆遺跡」がある。

神社となりにある「中国軍管区司令部の防空作戦室跡」ここから原爆投下の第一報が発せられたといわれている。

入り口は狭く半地下になってるみたいだ。本丸跡には広島大本営があった。

被爆したユーカリの木、唯一生き残っている。

広島城は別名「鯉城(りじょう)」と言われ、広島東洋カープもここからつけられた。

次に福山城へ

重要文化財の伏見櫓

福山城の堀を利用して駅がつくられたのでホームからも見れる。

筋鉄御門(すじがねごもん・重文)

残念ながら天守閣(博物館)はリニューアル中で見れない。明日行く岡山城も天守閣へは工事中で入れない。

どちらも来年後半過ぎまで入れないのでまたいつか来ることになるだろうけど・・ここは寄付金などで工事をするみたいでネット情報では天守は見れないと知らなかった。いつから隠してしまったのだろう。

太鼓櫓

鏡櫓

時間があるのでバスに乗って駅から30分、鞆の浦に行ってみた。

シンボルの常夜燈

いろは丸展示館には入らなかったが、尊敬する人物「坂本竜馬」の顔がみえた。

いろは丸(いろはまる)は、江戸時代末期の1860年代にイギリスで建造され、伊予国大洲藩(現在の愛媛県大洲市)が所有していた蒸気船蒸気機関のほかマスト3本を持ち帆走も可能であった。坂本龍馬海援隊による運航中に紀州藩明光丸と衝突事故を起こしたことで知られる。(ウイキペディア)

衝突した紀州藩の船で鞆の浦まで曳航する途中、鞆の浦から10キロ沖の宇治島あたりで沈没した。

対潮楼(たいちょうろう)からの景色、朝鮮通信使が絶賛した「日東第一形勝」の文字

坂本竜馬はここで4日ほど滞在し、いろは丸事件の賠償交渉をした。

いろは丸をまねた市営渡船「平成いろは丸」

もう少し色々回りたかったが、今夜の宿は岡山駅前のカプセルホテルへ

食事の後、カプセルで東京五輪の開会式を見る。

 

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美濃金山城跡・犬山城・墨俣城

2021-07-11 22:15:25 | お城巡り

国史跡で続日本百名城の「美濃金山城跡(みのかねやま)」に行ってきた。

*1537年に斉藤道三の養子斉藤大納言正義によって古城山の山頂に築かれた本格的山城で烏峰城と名付けられました。

1565年に森可成が織田信長からこの城を賜り、以後森家3代の居城となりました。

標高277mの山頂からは、明智光秀のふるさと明智荘や遠くは愛知県の山々が見渡せます。<ネットより>

蘭丸広場より古城山

出丸跡

 

遺構には曲輪土塁井戸石垣などの一部が残り、本丸には石碑が建てられている。城の建造物は慶長5年(1600年)に解体され、麓の兼山湊から木曽川を通じて犬山まで運び犬山城の改修工事に利用されてしまったが、犬山市の瑞泉寺に二の門が、可児市兼山に裏城戸門が移築現存している。<ウイキペディアより>

そのあと、近くに明智城跡や久々利城跡があるが、犬山城にまた行ってきた。さすがに日曜日は人が多い。みんなマスクをしているがコロナ前と変わらない人出だ。浴衣姿の女性が多い、城や神社、城下町によく似合う。

国宝の現存天守であるが城内の階段(踏み段)は修理してあって綺麗になってた。

最後に秀吉の墨俣一夜城に寄った。

当時は砦のようなものであったが、秀吉の立身出世の城であり、地元の熱望によって立派な模擬天守が歴史資料館となってつくられた。

今回は室町時代の城跡、国史跡、現代まで城主がいた国宝の現存天守の城、現代に作られた新しい城を見てきました。

 

 

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