5月21日からスタートした城巡りの旅は6月3日で無事終わりました。走った距離は約3800キロ、有料道路を使わず(250円の有料トンネルと帰りの伊勢道(関~松坂間)を使ってしまったが・・)
思ったより早く達成できた。走ってばかりだったが、百名城スタンプの押す時間は限られている。早く行ってもだめだし遅くてもダメ。一度、八戸の根城に行くのを忘れて180キロ戻ったことがある。頭の中、下北半島に行くことばかり気をとられて青森に向かうところで気がついた。前にも江戸城でスタンプ押すの忘れて新幹線に乗ってから気が付いたこともあったし、将来ぼけ老人になるタイプかも・・性格がいい加減の人間やから・・・・
途中、パソコンも電源が入らず壊れたと思って使用しなかったが、家で電源入れたら入った。車のシガーソケットからインバーターを経由してノートパソコンのACアダプターのコンセントへ・・結局、そういう使い方をしたらあかんかったということだったかも?(パソコン修理出さなくてよかった)
ちょうど2週間でしたね、この時が一番、我が家が恋しくなる時かも?この距離なら帰れると思うとつい有料道路を使っていそぎました。
いっぱい動画や写真を撮ったのでぼちぼち更新します。
行った先、パンフやしおりがいっぱいたまった。読むのも大変なので画像中心のブログにしよう。
4日目の5月24日、ゆるうむの健康ランドから水戸城に向かった。
水戸は徳川御三家のひとつ、水戸光圀、徳川慶喜、が有名です。
スタンプは弘道館にあります。
弘道館(こうどうかん)は、水戸藩第9代藩主徳川斉昭が、天保12年(1841年)に開設した日本最大規模の藩校です。
最後の将軍徳川慶喜は、幼少期に弘道館で学び、大政奉還後ここで謹慎生活をおくりました。
幾度の戦火を免れた正門、正庁、至善堂は国の重要文化財に指定されています。
水戸城跡は今は学校区になっていて門の中を行ったり来たり・・
左は中学校、右側はテニスコート、
城は連郭式、本丸と二の丸の間は線路が・・
本丸は水戸第一高校です
水戸藩は日米の条約に調印した井伊直弼を暗殺した。尊王攘夷の藩だったのか。
大日本史編纂
日本の歴史書。江戸時代に御三家のひとつである水戸徳川家当主徳川光圀によって開始され、光圀死後も水戸藩の事業として二百数十年継続し、明治時代に完成した。神武天皇から後小松天皇まで(厳密には南北朝が統一された1392年(元中9年/明徳3年)までを区切りとする)の百代の帝王の治世を扱う。紀伝体の史書で、本紀(帝王)73巻、列伝(后妃・皇子・皇女を最初に置き、群臣はほぼ年代順に配列、時に逆臣伝・孝子伝といった分類も見られる)170巻、志・表154巻、全397巻226冊(目録5巻)。携わった学者たちは水戸学派と呼ばれた。
八卦堂
鹿嶋神社、他に弘道館の敷地には孔子廟もあった。
水戸からいよいよ東北・福島県にはいります。一度行ってみたかった常磐ハワイアンセンター、今はスパ・リゾートハワイアンズというが映画「フラガール」の舞台になったところだ。炭坑の町が廃坑になり、活気を取り戻そうと立ち上がった娘たち・・が今も活躍している。
中に入ると蒸し暑い、ここは北国の南国だ、冬は流行るだろう。
純和風の大浴場もある。何百人と入れそうだ。
12時半頃に着き、ハワイアンショーは13時半から30分ぐらいあった。夕方と夜にもある。
カメハメハ大王像
大浴場から上がって至福のザルそばとビール(ノンアルコール)
帰りの山道から・・本当に山の中にあるんですねえ
3時に出発~5時20分、白河小峰城着、入れないので周りを散策、道の駅「李の里天栄」で車中拍
次の日再び「白河小峰城」へ