日曜日の金沢城は混むと思い、早朝7時に駐車場へ・・事前に調べた駐車場は無人で前払い、舗装はしてない。城まで5分、1日500円と安い。
金沢城は2度目、兼六園も2度来たことがある。しかし城全体は把握してない、今回は2時間以上ぐるっと回ってきました。
<公式サイトより>
天正11(1583)年、前田利家が金沢城に入り、その直後から本格的な城づくりが始められました。
キリシタン大名として知られる高山右近を招き、築城の指導をを仰いだと伝えられています。
西丁口から尾坂口へと大手が変更されたのもこの頃です。
しかし、当時は城内に重臣たちの屋敷があり、決して広い城ではありませんでした。
慶長7(1602)年、落雷により天守が焼失した後、天守は再建されず、 本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられました。
寛永8(1631)年の火災の後、二の丸の拡大や辰巳用水の通水などにより
内堀を掘り、土を掻き上げて各曲輪が区画されていきました。
宝暦9(1759)年の火災では、城のほとんどを焼失しました。
その後の再建では、実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行われ、 本丸の櫓は再建されませんでした。
細工所が新丸から堂形へ移されたのもこの時期です。現存する石川門は、 この後天明8(1788)年に再建されたものです。
平成13年に復元された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は、
文化5(1808)年の二の丸火災の後再建され、明治14(1881)年の火災で焼失したもので、 安政頃の景観を再現しました。石川門(重要文化財)・・金沢城の搦手(裏口)門で桝形門です。
内堀と橋爪橋、橋爪門、五十間長屋、菱櫓
内部見学は65歳以上は無料でした。
橋爪門続櫓より橋爪門と橋爪橋を見る
鼠多門(かつて城の一部だった金谷出丸(現在の尾山神社)と玉泉院丸をつなぐ門と橋)
玉泉院丸庭園
明治から昭和にかけて作られた軍用施設の一部(弾薬庫に続くトンネル)
三の丸広場
二の丸広場(御殿跡調査中)
土橋門石垣{六角形の石(亀甲石)は水に親しむ亀を表したもので、防火の願いが込められている。}
この上に本丸があった
鶴丸倉庫(重要文化財)(武具が保管されていた)
三十間長屋(重要文化財)二層二階の多聞櫓で安政5年に再建・長さ26間半
大手門
このあと歩いて「ひがし茶屋街」へ・・
ひがし茶屋街は、重要伝統的建造物保存地区として、かつて茶屋街としてにぎわった町並みが保存された地域で、現在は、おみやげ店や飲食店などがリノベーションされた町家を店舗に多数営業しています。
川を渡った向こうが「ひがし茶屋街」です。
宇多須神社
今回の旅はここまで、11時半頃に駐車場に戻り、帰路につきました。明日も明後日も休みなので一般道で帰りました。
金沢から国道8号線、福井市、敦賀市、さざなみ街道、彦根市、甲賀市、亀山市、津市芸濃から松阪まで高速道、我が家に着いたのは六時半でした。「よくやるわ」と言われそうですが、3連休で高速道も混んでるかも・・このコースは渋滞もありませんでした。