【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

刑罰

2016-01-10 14:18:32 | Weblog

 刑罰の目的が「罰すること」なら、仮釈放があってはいけないでしょう。きちんと判決を守る必要があります。しかし刑罰の目的が「教育(悔恨・反省して真人間になる)」だったら、どんな判決であれ「真人間になった」瞬間に釈放されるべきでしょう。それ以上の刑罰は不要ですから。
 で、日本での刑罰の目的は何でしたっけ? それとその効果は、どうなってましたっけ?

【ただいま読書中】『ルーツ(上)』アレックス・ヘイリー 著、 安岡章太郎・松田銑 訳、 社会思想社、1977年

 1750年アフリカ西部ガンビアのジュフレ村で、オモロとビンタのキンテ夫妻に長男が誕生し、祖父のミドルネームからクンタと名付けられました。クンタはすくすくと育ちますが、火筒を持つ白い人が村人を攫っていく、という噂を聞かされ、用心するように言い聞かされます。あちこちの村で人が攫われるとその知らせは太鼓通信で各地に伝えられ、人々はアラーの神に攫われた人の無事を祈るのです。
 ジュフレ村あるいはその近隣の村での「生活」が生き生きと描写されます。一部の人が思いたいような「野蛮人の生活」ではなくて、文化と政治と生存競争とがある「社会」なのです。もちろん私たちの社会とは“異質”ですが、それを言ったら、300年前の日本の社会も現代日本の社会から見たら“異質”ではありません? ちなみにジュフレ村では「年」は使いません。乾季と雨季の繰り返しで自然のリズムが作られているので「雨」で私たちの「年」を数えます。「100雨くらい前から、白人が奴隷狩りにやってくるようになった」といった言い方です。そうそう、文字がないのですべては口伝で残されます。過去に何があったか、人々の先祖の名前や彼らがどんなことをしたか、も。
 思春期を迎え、一人前の男(とは言ってもまだ新米)扱いを受けるようになったクンタ・キンテは、青春の悩み、というか、性衝動のもんもんに苦しむようになります。しかし結婚できるのはまだまだ先のこと。そんなある日、彼は村はずれで人さらいに襲撃されます。
 「奴隷貿易」と一言で言いますが、やっていることは、北朝鮮の拉致と似たようなものです。北朝鮮の拉致が好きな人は奴隷貿易にも反対しないかもしれませんが、私は両方に反対です。
 捉えられたクンタは、同様の人々と一緒にされます。縛られ目隠しをされ狭いところにぎゅう詰めです。逆らうと罵られ殴られます。鞭やこん棒が大活躍をします。そしてそれはアフリカだけでの話ではありません。そして焼き印。大きな船の船倉に詰め込まれ、鎖と足枷で固定。汚物は垂れ流しです。船が出帆すると、クンタはそれまでのハンガー・ストライキをやめます。復讐のために白人を殺すためには、体力が重要だと考えたのです。復讐の対象は白人だけではありません。白人の手下となって働く黒人(スラティー)もまた“敵”なのです。
 船倉には様々な部族の人がいました。一番多いのはクンタのマンディンカ族のようですが、ウォロフ、フーラ、ジョラ、セレレなどもいます。言葉が通じないため、彼らは(白人の注意を引かないように)ひそひそ声でコミュニケーションの試みをします。暴動の試みがありますが、素手で鎖につながれた人々はいかに多数でも銃と短剣で武装した少数の人間には敵いません。やがて赤痢が船内に蔓延します。人々はばたばたと死にます。クンタもからだがどんどん弱りますが、その時遠くに陸地の姿が。これまで骨が出るまで鞭で殴りまくっていた白人は、少しでも商品価値を高めようと捕虜の体を洗い、油を塗り、パンツをはかせます。
 上陸したクンタは、強奪された故郷への思い・白人への復讐の念・脱走の希望などに満たされます。同時に、鎖につながれていないのに白人に抵抗せずにうつろな顔つきで唯々諾々と仕事をしている黒人の姿を見て驚きます。クンタは「自由に動けるのになぜ白人を襲わない?」という疑問と「生きている黒人がいるのなら、自分が食われることはなさそうだ」という安心を抱きます。
 健康で若い男性奴隷ということで高値がついたクンタは、バージニアの農場に連行されます。そこで何度も脱走を試みますが、そのたびに失敗。しかしあまりに抵抗をするので、農場主は歩けるが走れない程度にクンタの右足のつま先を斧で切断して売り飛ばしてしまいます。クンタの新しいご主人様は、当時としては珍しい人道的な考え方をする人でした。そこで園丁の仕事をしながらクンタは言葉を覚え新しい環境になじんでいきます。
 アフリカの大地で戦士として育成されていた人を、暴力と不具にすることで奴隷にする過程が、その「される側」の視点から描かれた、希有な物語です。さらに希有なのは、クンタが著者の6代前の祖先であること。相当想像が入っているから、分類するなら本書は「小説」でしょうが、真実のかけらがいくつもはめ込まれた小説と言えます。
 独立戦争が始まり、黒人兵も用いられました。クンタにはそれは悪いアイデアに思えました。遠くから「戦争が終わった」という噂が届き、ついで「ジェファーソンだんなが『どれいかいほうじょうれい』ちゅうものをつくった」という噂も。そのときクンタは34歳になっていました(新月ごとに小石を瓢箪に入れて数えていたのです。ついでですがイスラム教徒にとって「新月」は特別な意味があります)。ウォラーだんな(医師)の馬車の御者に取り立てられ、クンタの視野は広がります。そして、料理人のベルと結婚。クンタは不本意ながらアメリカに“根付”いたのです。