【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

天然色の証明

2016-01-06 07:23:14 | Weblog

 かつて校則が無茶苦茶厳しかった時代、「パーマをかけるな」と天然パーマの子供を責め立てる教師が中学校などで活躍していました。天然パーマの子供は“自衛”のために、わざわざストレートパーマを当てたり「天然パーマ証明書」を持参したりしていたそうです。さて、これから日本のグローバル化が進むと、こんどは様々な髪の毛の色の子供が学校に増えることになります。すると子供たちは「カラーリングは禁止」と言い立てる熱心な教師に対する“自衛”のために、髪を黒色にわざわざ染めたりあるいは「天然色証明書」を持参しなければならなくなるのでしょうか。

【ただいま読書中】『戦後食糧行政の起源 ──戦中・戦後の食糧危機をめぐる政治と行政』小田義幸 著、 慶應義塾大学出版会、2012年、5800円(税別)

 昭和17年(1942)に制定された「主要食糧の需給および価格の安定に関する法律(食糧法)」に伴って制定された「食糧管理法」と昭和21年(1946)に制定された「食料緊急措置令」は平成6年(1994)に廃止されました。ずいぶん長いこと「戦中・戦後体制」が法律上は続いていたわけですが、本書では、戦前からの食糧管理にかかわる行政が、どのような意図で業務を執行し、それがどのように変移していったかに注目しています。
 本来日本は米は自給できていました、というか、朝鮮米・台湾米の流入で米はだぶつき価格は投機的に上下していました。ところが日中戦争が消耗戦となって、本土では米が足りなくなっていました。農林省は「日中戦争は早期に終結する」という見込みに従って、食料統制を本気でやってはいませんでした(それどころか、内地米を保護するために朝鮮米の生産を抑制し移入を規制しました)。そして昭和14年、朝鮮と西日本で大干魃がおき、そのため日本の食糧は逼迫しました。農林省は、内務省・商工省・陸軍などと複雑な折衝をしながら食糧統制を進めます。昭和16年1月に食糧管理局が誕生、戦時の食糧管理を担当することになります。日本の政策では珍しく、長期的展望に立った食糧計画で、空襲を受けた場合の被災者への非常食糧配給まで考えていましたが、問題は「東南アジアからの安定的な外米輸入」が前提となっていたことです。「シーレーンの確保」は農林省の担当ではなかったようで、また、農家の壮丁を根こそぎ戦地に動員したら米の生産力が落ちることも台風などの風水害が起きることも“想定外”でした。そのためどんどん米事情は逼迫します。
 政府は農家に自家用米まで供出することを命令、同時に消費抑制のために節米運動を起こします。玄米食や代用食の推奨です。しかし、昭和18年には米の生産は前年の90%に落ち、外米の輸入は途絶します。日本人は飢えました。それでも食糧管理体制は、内務省の協力を得てなんとかかんとか維持されます。
 そして敗戦。事態はさらに悪くなります。交通機関はぼろぼろ、米の移入・輸入は途絶、農家は供出には非協力的となります。風水害が続いて米の収穫は減少、復員や引き揚げで国内の人口(つまりは食べる口)はどんと増えます。私の記憶では、昭和20~21年の冬の餓死者は、その1年前の戦中より増えたはずです。食糧管理局は危機感を覚え、これまでの年貢割り当てのような供出割当制度を変えようとします。しかし、いろいろ工夫をしても、農家の政府に対する不信感は払拭できず、供出率は落ち込む一方でした。幣原内閣は食糧緊急措置令で「米の強制買い上げ(土地収用法を参考にしたそうです)」や「悪徳業者に厳罰」を実行します。「悪徳業者」の仲間として「供出妨害者」が設定されそこには「供出しなくてよい」と選挙で演説する日本社会党や日本共産党の人間も想定されていました(こちらには3年以下の懲役または1万円以下の罰金)。食糧管理局は司法警察権も与えられ、人員はどんと増えます。私から見たら焼け太りですが。各政党は政府に反発しますが、勅令違反への抵抗・扇動者として罰せられることへの警戒・空腹をなんとかしろという世論への配慮、などから、反発は軟化していきます。
 GHQは国内問題は日本政府が何とかしろ、と間接統治を基本としました。しかしあまりの食糧危機状態(たとえば東京の備蓄食糧は、標準の15日分を大きく割り込んで3日分になっていました)にGHQも動こうとします。しかし、GHQ内部で路線対立があり、とりあえず行動は停滞してしまいます。つまり、食糧緊急措置令に対してGHQのバックアップはなし、ということです。
 公職追放で帝国議会の動きは一時止まっていましたが、再開した帝国議会で食糧緊急措置令の事後承認が手続き上必要となりました。ところが、進歩党以外のすべての政党が食糧緊急措置令には反対を表明してしまいます。審議は空転しますが、農林省は個別に折衝を行い、最終的には共産党以外の賛成を得ます。食料輸入の許可をGHQから得るためには、日本ができるだけの努力をしている姿勢を示す必要があったのです。
 日本政府はGHQに300万トンの食料輸入を申請します。しかしGHQはなかなかイエスと言いませんでした。しかし、予想外に食糧生産が落ち込み、社会不安が増し、共産党が党勢を拡大していくのを見て、ついにGHQも折れ、日本政府とともにアメリカ政府に許可を求めることになります。アメリカはOKを出しますが、東南アジアで日本に恨みを持つイギリスと英連邦諸国が強硬に反対します。日本に食糧はあるはずだもっと努力しろ、連合国に食糧が余っているわけではない、と。マッカーサーは「占領軍の安全確保のため」を口実にアメリカ政府に強硬に迫り、やっと日本に食糧が届き始めます。その過程で、農業統計のいい加減さが問題となり、きちんとした統計を取るために、農家に対する行政の力が増すことになりました。
 楽観的でいい加減な“想定”で国家的危機を招き、そこから脱するときでも国や国民の利益よりも自分の利益や政治的な思惑を優先させる人たちの姿が透けて見える本です。そして、そういった人たちが存在するのが「昔」だけではなくて、おそらく「現在」でもあることを思うと、ちと暗い気持ちになってしまいます。行政改革は、やはり必要なんじゃないでしょうか。だけど、敗戦やGHQでも変えられなかったのですから、ちょっとやそっとのことでは無理なんでしょうねえ。