かつては原子力発電が一番発電コストが安い、ということになっていたのが、今年の事故の影響で見直し作業がされているそうです。これまでのコスト計算では、放射性廃棄物の処理コストさえまともに計上されていなかったのですから、“進歩”とは言えるでしょう。
しかしそうなると、他の発電、特に水力発電の「コスト」もまた今のままで良いのか、という疑問が私の脳裡に浮上してきます。たとえばダムが崩壊する、という事故については「想定外」で良いです? あるいはダムのメインテナンス費用。ダム湖の底にはヘドロが大量にたまっているはずです。ため池をかいぼり(かいぼし)するように、ダムも定期的に水を抜いて底のメンテナンスをする必要があるのではないか、と私には思えるのです。ついでですが、これをやったら、ダム本体の“内側”の亀裂チェックなども一緒にできます。だけどこれをやったら、コストがかかるしその間発電はできませんから、結果として発電コストは上昇します。さて、ダムの崩壊とかダム湖がヘドロで一杯になってしまう、というのはやはり“想定外”にしておきましょうか?
【ただいま読書中】『世界の宝くじ』青山隆史 編著、 あいであ・らいふ、1982年、1500円
本書発行当時、ジャンボ宝くじは一等が3000万円で、それも往復葉書での予約制というものでした。それが海外では「億」を越える賞金の宝くじがそのへんで買える、というのですから、その事実だけでもニュースバリューはあった、と言えるでしょう(だからこそこういった本も発売されたわけです)。
しかし、「でかい賞金」ということは、それだけたくさんの人が“投資”をしているわけで、ということはそれだけ当選確率は下がるわけです。なかなか人生は思うようにはいかないものですね。
日本では現在、「普通くじ(番号が抽選)」「ロトくじ」「インスタントくじ」が発売されていますが、海外ではそれ以外にも「階級くじ(一つのくじ番号が一定期間内の複数の抽選で有効)」というものもあるそうです。日本でも1980年代には普通くじしかなかったのがグローバルスタンダードを追ったのか射幸心を追ったのか、今のような多種類の発売になっているのですから、そのうちに階級くじも日本に登場するかもしれません。
「世界最高賞金」を紹介されているスペインの国営宝くじは、1763年に国王カルロス三世の命令でイタリアからロトくじの専門家を招聘して始められたそうです。ではイタリアの宝くじは、と思うと、本書では紹介されていません。残念だなあ。
日本の宝くじの“ご先祖”は、鎌倉時代の「頼母子講」「無尽」とする説と、江戸時代の「福富」「富会」とする説があるそうです。ともかく江戸時代には「富くじ」が盛んに行なわれていたことは確かです(たしか落語でも富くじの話がありました)。幕府は「バクチは禁止」としましたが、幕府も社寺も懐が苦しく、享保15年には幕府公認の富くじ(御免籤)が発売されました(発売元は仁和寺、発売場所は江戸の護国寺)。各地の寺社は競って富くじを発売、江戸では一時3日に一度の割合で富くじが発売される、というブームとなります。天保の改革で禁止されましたが、隠れての発売は各地で行なわれていたそうです。明治政府も明治2年の太政官布告で富くじを禁止。13年の刑法でも禁止とされています。昭和20年7月16日政府が「勝札」を発行することで復活しています。ただし「富くじは禁止」の上に「こんなご時世」ですから「富くじ」ではなくて「抽選により当選金を公布する証票」だったそうです。価格は1枚10円、1等賞金は10万円(200本)、売り上げはすべて臨時軍事特別会計に組み込まれました。ちなみにこの「勝札」の発売最終日は、8月15日でした。哀れ、この日から「負け札」と呼ばれるようになってしまったそうです。
伝統的に日本では宝くじは幕府や政府によって禁止され、それを買うには「理由」が必要でした。「社寺のため」とか「戦争のため」とか。その影響で今の日本でも宝くじには何らかの負のイメージがつきまとっていて、だから「理由」として「夢を買う」とかを言わなければならないのかもしれませんし、たとえ1等に当選しても欧米のように皆の前で堂々と「当たったぞ~!」と言いにくい雰囲気なのかもしれません。そういえば年末ジャンボは24日から発売でしたね。こんな本を読んだ“縁”です、10枚は買いましょう。もし高額当選をしたら、あっけらかんと報告します。