ニュース系のブログで、ニュースの引用(というか転載)だけで終わらせているものがあります。あるいは引用した後にちょこっと1行だけ感想を書いているものも。これは著作権法で言う「引用」の法的要件を満たしていないのではないか、と思えるのですが、よくよく考えたらこの「ニュース」自体のほとんどが「引用」の塊ですね。独自調査で一から書かれたものはあまりなくて、多くは官庁や警察の記者クラブで発表された原稿をそのまま使い回しているだけ、つまり「ニュース全体が引用(転載)」状態です。この前も試しに一つのニュースを材料として「記者クラブでの発表原稿の文章」と思われる部分を次々消してみたら「なお先行きは依然不透明である」というわけのわからないきまり文句が一文残っただけで、私は盛大にあきれました。
これはメディアはニュース系ブログの「ニュース転載プラス一行の感想」に文句は言えませんね。「他人が書いた文章プラス一行」は、自分たちがふだんからやっていることなのですから。
【ただいま読書中】『ピュリツァー』W・A・スウォンバーグ 著、 木下秀夫 訳、 早川書房、1978年、4000円
北軍の勝利のパレードで本書は始まります。喜びの中を行進する騎兵隊の中に、家族と別れてハンガリーから移民してきて18歳になったばかりのジョーゼフ・ピュリツァーもいました。戦後の好景気の中、ピュリツァーは職を転々としながら英語を勉強し、アメリカ市民権と弁護士資格を取ります。そして、共和党系のドイツ語新聞「ヴェストリッヒェ・ポスト紙」の記者として雇われます。それは成功への階段の第一段でした。次の“段”は、下院議員の席です。彼の“敵”は汚職と不公正でした。共和党員であったにもかかわらず、南軍に関係した民主党員から選挙権を取り上げていた当時の決定に強く反対し続けました。彼は公正と社会正義を愛し、同時に「政治」に取り憑かれていました。ピュリツァーは友人にこう言います。「私は外国人だから、大統領にはなれない。しかしいつかは私が大統領を選出するつもりだ」。これはただの冗談ではありませんでした。ピュリツァーはセントルイスで小さな新聞社(ポスト・ディスパッチ紙)を経営し、民主党に接近します。政治では勝ったり負けたりでしたが、新聞は読者が食いつく「センセーション」を売り物に、どんどん成長します。ピュリツァーは利益を独り占めせず、社員はセントルイスでは一番の高給取りになります(当時としては破格の、年に2週の有給休暇や病休制度もありました)。ピュリツァーの中には「有能なセールスマン」だけではなくて「他の人の成功も望む改革者」も存在していたのです。ニューヨークのワールド紙を買収したピュリツァーは社会正義実現のために以下の(当時としては)“過激な要求”を列挙します。「贅沢への課税」「相続税」「大口所得への課税」「独占に対する課税」「特権を持つ企業への課税」「歳入のための関税」「行政機構の改革」「腐敗した役人の処罰」「投票買収の処罰」「選挙で従業員に圧力を加える雇用者の処罰」……なお、6番目以外は現在すべて法律になって実行されています。
ニューヨークで“覇者”になろうとする頃、ピュリツァーは病気に襲われます。神経の病気(おそらく躁鬱病)と網膜剥離。せっかく成立した「反トラスト法」は骨抜きの塩漬けとなってしまいます。失意の中でもピュリツァーは戦い続けます。
この頃の「戦い」は、むき出しの「力による対決」です。新聞は露骨にライバル紙の悪口を書き立て、スキャンダルを暴く、あるいは捏造しようとさえします。今のアメリカの選挙でのネガティブ・キャンペーンなんか目じゃありません。さらに各新聞は自分たちがどの選挙でもどの候補者を推すかを明確にして、他の候補者をけちょんけちょんに評します。日本の「民主主義」とはずいぶん様相が違います。
病気を抱え、視力を失い、安住の地もなく転々とするピュリツァーに新しい“敵”が登場します。ハーストです。彼のジャーナル紙は、娯楽とセンセーショナリズムとキャンペーンで勤労者の読者を誘い込み、徹底した廉価販売でひたすら拡大路線を進みました。成り上がりのピュリツァーとは違ってハーストには親からの遺産がたっぷりあったために、当面の赤字は問題ではなかったのです。さらにワールド紙からつぎつぎ人材を引き抜きます。病気と新聞経営と新興のハーストとの戦いと旧来勢力との戦いと選挙とで、ピュリツァーは消耗します。
本書の主題とは離れますが、19世紀末にセオドア・ローズヴェルトが行なった「日曜禁酒」をめぐるどたばたが興味深いものでした。これはピューリタン時代の古い法律を厳格に守らせようとしたための騒動ですが、のちの「禁酒法時代」の先駆けのように、さまざまな問題がすべて現われています。歴史は繰り返す、なんですね。
1895年のキューバ革命によって、ピュリツァーとハーストのニュース合戦は新局面を迎えます。ピュリツァーは平和主義者でしたが、「抑圧された人民が立ち上がる」というシチュエーションには“燃える”タイプでした。ハーストは「善玉キューバ人」「悪玉スペイン軍」で話を一貫させます。ピュリツァーははじめは冷静な報道を心がけますが、「グレシャムの法則」がニュースにも作用し、やがて似たような「創作物」で紙面を埋めるようになってしまいます。しかし新聞が自分が書いた「創作物」に興奮して自国の政府にスペインに対する宣戦布告を呼びかけるというのは、正気の沙汰とは思えません。当事者には当事者の“正当な理由”があるのでしょうけれど。そういえばこの頃の日本の新聞も盛んに世論を“盛り上げ”ようとしていましたね(日比谷焼き討ち事件のことを思い出しています)。
ワールド紙もジャーナル紙も「黄色新聞」に分類されていましたが、ピュリツァーにとってそれは本意ではありませんでした。ハーストは大統領になろうという野望があり新聞はそのための手段でしたが、ピュリツァーにとって新聞は社会改革のための監視者(あるいは教師(=様々な提案をする存在))だったのです。
理想に燃え、自分だけではなくて部下にも絶対的な献身を要求し、完璧な作品を追求するワンマン経営者。失敗も多く欠点だらけだが、熱狂的な“ファン”も多い人。この“巨塔”が倒れた時、世界はひとつの時代の終焉を迎えました。今の世界にピュリツァーに匹敵する人は……ジョブズかな?
700ページ近い分厚い本で、手が疲れますが、一読の価値はあります。私は今度はハーストについて知りたくなってきました。まずは「市民ケーン」の鑑賞?