先日はついてない日でした。まず、休日出勤。まあこれは良いです。ついでに近くの大学の図書館で借りている本を返そうと思ったら、大学祭で図書館が閉まってました。返却はポストでできますが新しく借りることができません。むむ、と思いましたが、ならば近くの公立図書館で予約してある本を引き取ろうと思います。しかし区民祭とかで駐車場には入れる状況ではありません。むむむむ、どこもかしこも祭かよ、です。
しおしおと帰宅してグチをこぼそうと思ったら、家内は外出中でした。あら、がっかり。
で、一番自分が不幸だ、と思ったのは、帰宅した家内に以上のことをすべて報告したら、笑い転げられてしまったことです。
【ただいま読書中】『タオのプーさん』ベンジャミン・ホフ 著、 吉福伸逸・松下みさを 訳、 平河出版社、1989年、1500円
6年前にこの読書日記に書いていますが、たぶん誰も覚えていないでしょうし、そもそも私も忘れていたので、再読。
まずは引用。
>>「朝、起きたときね、プー」と、コブタがようやくいった。「いちばん最初、なに考える?」
「朝ごはん、なんにしようかな、って考えるよ」とプー。「きみは? コブタ」
「ぼくね、今日はどんなワクワクすることが起こるかな、って思うんだ」
プーは深く考えるようにして、うなずいた。
「それ、おんなじことだ」
クマのプーさんはタオイストだ、という主張の本です。なお「タオ」とは本書では老荘思想のことです。
孔子にとって人生は酸っぱいものでした。釈迦にとっては苦いもの。しかし老子にとっては、人間の都合を押しつけたら酸っぱくも苦くもなるが、世界の背後の法則を理解したら美味くなるもの、でした。その「法則」が「タオ」ですが、やっかいなことにそれはことばで明確に述べることが難しいものです。だから、さまざまな方法で“示す”ことになります(実際に「老子」も「荘子」もたとえ話の宝庫ですね)。
ちなみに「知識」や「賢さ」は本書ではこう評価されます。ウサギは「りこうであるための知識」、フクロは「賢そうに見せかけるための知識」、イーヨーは「なにごとかについて泣き言を言うための知識」。いやもう、笑っちゃいます。あ、そうそう、タオでは「ユーモア」も重要だそうです。
タオで重要な「無為」「慈」「空」などをプーさんがいかに実際に生きているか、が次々“実例”をもって示されます。
本書は表向きは「タオ」の紹介本です。しかし実は「ウサギ」や「フクロ」や「イーヨー」によって支配されている現代西洋文明に対する文明批判の書であり、かつ『クマのプーさん』そのものの優れた紹介本となっています。私は本書を読んでまた『クマのプーさん』を再読したくなりました。というか、します。子供の部屋にあることは覚えているので、取ってきます。