2005年9月12日のブログ記事一覧-ミューズの日記
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私がメキシコに駐在していた78年~83年当時のメキシコでの主力商品はエレクトーンでした。年間にメキシコで1万台も販売していた時代でまだメキシコ工場でエレクトーンのアッセンブル(組立)をやっていました。音楽教室も日本人の指導講師が駐在してはヤマハシステムの普及に力を入れていました。
子供たちの自作自演の演奏会・JOC(Junior Original Concert)も日本から何人ものちびっ子演奏家達を当時の社長・川上源一氏が引き連れてきては最高のオペラハウスに大統領夫人も招いて盛大に行いました。それはもう神経とお金を使ったイベントでした。

そんな時代ですからエレクトーン普及のために年に2回は日本からエレクトーン奏者を招聘して全国ツアーをやりました。赴任当時は田舎町まで行きディーラー開拓をし、中盤では地域マネージャーとして地方を飛び回っていた私にはこのエレクトーンプレーヤーとの地方巡業は非常に楽しい仕事でした。準備だけきちっとして置けばプレーヤーの通訳としてツアーするだけでしたので楽で楽しい仕事でした。そしてメキシコシティーや地方都市でも日本人プレーヤーが来たと言うのでテレビへの出演も必ずありました。添付の写真はその時のひとコマです。
最初は生番組と言うことで緊張しましたが慣れてくるともう堂々としたものでした。プレーヤーの紹介、エレクトーンと言う楽器の紹介、ヤマハの教育活動、普及活動の紹介などお手のもんでした。

通訳で緊張するのはやはり偉い人の通訳をするときですね。ある日日本への出張時にメキシコのテレビ局が川上社長にインタビューする時がありました。そして川上社長が「地方からの人口集中で、東京は今では一番の田舎になりました。」と言われたのですが、東京が田舎と言うのを直訳しても通じないじゃないですか。また「草葉の陰で・・・」と言う表現が出てきたんです。もう頭の中は真っ白になって口ごもりながら冷や汗タラタラでした。しかし、後でよく考えてみるとその回りには私以外に日本語とスペイン語の両方が分かる人は居なかったんです。なんだ~、もっと適当に訳しておけば良かったのに~。と後の祭りでした。



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