それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

エクソダス6

2012-09-16 08:54:49 | ツクリバナシ
「じゃあ、次回は課外授業もプラスするから。」とT先輩は言った。

「どういう授業ですか?」とタカシは疲れ切った表情で先輩に尋ねた。

「留学生のパーティにでる。」

タカシは一度も留学生のパーティに出たことはなかった。しかし、これまでの大学生活で何度も飲み会はやっている。つまり、留学生が来る飲み会、ということだとタカシは理解した。

「あ、飲み会じゃないから、パーティは。」

と、T先輩はタカシの心を読んだかのように言い放った。

しかし、タカシにはその意味が分からなかった。



いつものレッスンのあと、タカシは大学から離れた英国式のバーに連れて行かれた。

席があり、カウンターがあり、ダーツがあり、ビリヤードがあった。

そこにはタカシと同じ大学に通っているらしき留学生たちが集まっていたが、みんな、あちこちに散らばっていて、立って飲むものもいれば、座って飲むものもいた。

タカシは怯えていた。

タカシはこれまで留学生と英語で話したことがほとんどなかったのだ。

T先輩はそんなタカシを引っ張って、何人かの留学生たちと話を始めた。知り合いらしい。

「留学生の知り合い、たくさんいますね。」とタカシが言うと、先輩は、

「いや、全然知らないよ。まあ、このなかの3人くらいは知っているけどね。」

と言った。

タカシにはこのパーティが少し不思議に思えた。

参加者全員が共通の知り合いではないらしく、来る時間も帰る時間もすべてバラバラだった。



開始当初は、自己紹介で精いっぱいだった。

他のすべてのエネルギーをリスニングにあて、タカシはひたすら黙っていた。

しかし、T先輩はそんなタカシにも話しを振るようになった。

タカシは先輩におごってもらったギネス・ビールの力を借りて、勇気を出した。

会場に入る前にT先輩はタカシに、「ビールは飲めるかい?」と聞いてきた。

飲める、とタカシが言うと、「それは結構。じゃあ、今日はおごるから必ず飲んでね。」と言った。

その時は全く理由が分からなかったが、タカシが素面でこの場に溶け込むのは全く無理だと先輩が慮ってくれたのだろう。



最初に先輩から紹介されたのは、ロシア系イギリス人の男性だった。

端正な顔立ちで、いかにも女性にもてそうな様子だった。きれいな英語を話し、タカシのたどたどしい英語にも根気よく付き合ってくれた。

タカシは彼の青い瞳に見つめられると、なんだかそこに吸い込まれて、魔法でもかけられているような気がした。

T先輩は無理にでもタカシに話を振り続け、そして複雑な会話は一度簡単に要約してあげた。

その後も、アメリカ人やオーストラリア人などと話した。

何人かはT先輩にとっても初対面だった。

T先輩はタカシに笑いながらつぶやく。「大事なのは、勇気ね。」

タカシはこれまでのどんな瞬間よりもT先輩を心強く思い、そして尊敬した。

T先輩は女性たちとも話したが、基本的には男性と熱心に話をした。

留学生の男たちと会話しているときのT先輩は、これまで見たT先輩とは少しだけ違って見えた。

なんというか、少し「男らしい」感じだった。



タカシは上機嫌でそのパーティを後にした。

帰り際、T先輩はそんなタカシに「楽しかった?」とだけ聞いた。

はい、とっても。とタカシは答えた。嘘ではなかった。何より、英語で会話出来たことに勇気と自信がわいた。

「パーティの雰囲気が少し分かったでしょ。

もし君がイギリスに行ったら、こういうパーティに色々と出ることになる。

ただ、その時は今日よりもずっと辛い思いをするかもしれない、とだけ覚えておいてほしい。」

と、T先輩は言った。

どういうことですか?とタカシが尋ねたものの、T先輩は「まあ、その理由はイギリスに行った時に君が見つけるといい。」とだけ言った。

エクソダス5

2012-09-16 08:33:06 | ツクリバナシ
T先輩との特訓が始まって、もう1か月が経とうとしている。

それはタカシが思っていたよりも、ずっときついものだった。

特訓が始まる少し前、ユーチューブのリンクが2つメールで送られてきた。

どちらのリンク先にも、何やら外国人がステージで10分強のスピーチをする映像があった。

T先輩は、これらの内容を1週間以内に英語一段落で要約し、さらに自身の感想を一段落書くように、とあった。

さらに、その後、有名な英語圏の新聞のネット記事が、これまたメールで送られてきた。メールの追伸には、次回、タカシが書いたレポートの添削に加えて、この記事について英語で議論するから、とあった。



初回は散々だった。

要約も間違っていたし、そもそも英作文の基礎の基礎の基礎から注意された。フォントなどの形式から、主語の選び方まで。

しかも、全て英語でだった。おかげで初回は2時間も英語で話すはめになった。

T先輩はタカシによくしゃべらせた。

彼はとにかくタカシにどんなことでも理由を尋ねた。

「なぜ、こう書いたのかな?」

「なぜ、そういう結論に達したのかな?」

なぜ、なぜ、なぜ・・・。もういい加減にしてくれ、とタカシは思った。

しかし、先輩は言う。

「日本人は理由を重んじない文化を持っている。小さい頃、小学校では必ず『言いわけするな』と言って先生に怒られた。

しかし、残念ながら、こうした先生たちは『言い訳』と『理由および根拠』というものを混同していたんだね。

英語で話す場合、必ず理由を求められる。理由がなければ議論にならないからだ。

日本人同士の議論というのは、テレビでやっていても、たいてい噛み合っていないだろ?

もちろん、英語でもそういうことは起こる。けれど、日本人は噛み合っていないということすらよく分かっていないことがある。」



タカシは開始30分でクタクタになった。リスニングもところどころあやふやだった。

T先輩はタカシのあやふやを許さなかった。

結局、タカシはもう一週間、同じ課題をやらされることになった。つまり、不合格だったのである。

悔しいけれど、仕方がない。出来なかったのだから。

それに出来なくても恥ずかしくはない。T先輩しか見ていないのだし、そもそもこれは単位が出る授業ではない。

T先輩は好意でやってくれているのだ。先輩に大いに感謝しなくてはいけない。



その次の週、また英語で議論した。

始める前、タカシはとても憂鬱だった。作文もスピーキングも、何もかもあまりにも出来ないからだ。

しかし、継続は力なり。タカシは開始1時間半、突然、頭のギアが英語に入る感覚に陥った。

傍目には分からないかもしれないけれど、少しスムーズに話せるようになった。

もちろん、その次のレッスンでは、もう頭は元に戻っていて、また一時間半の準備時間が必要だった。

けれど、ほんの少しずつ、何かがタカシのなかで変わっていく気がしていた。

エクソダス4

2012-09-15 15:42:56 | ツクリバナシ
「じゃあ、今日からトレーニングを始めよう。でも、初日だからね、まだ本格的なやつは始めないよ。まず、英語の構造理解のための基礎知識みたいなものを頭に入れてもらう。」

タカシはT先輩から直接トレーニングを受けることになった。

T先輩は、「自分の英語の練習になるから、ちょうど良い」と言ってくれた。「その代り、手加減はしない」とも。



T先輩はパソコンで音楽をかけはじめた。

とても奇妙な音楽だった。

ただ、4つ打ちのビートの上で、女性のアナウンサーがしゃべり、それにミュージシャンとおぼしき人物が答える、というだけのものだった。

「君はこの曲を聴いてどう思うかね?」

曲が終わるころ、もったいをつけるようにT先輩が言った。

「変な曲です。」

「それだけ?」

「うーん・・・、普通にしゃべっている割にはリズミカルでした。」

「そう、その通り。」

T先輩は何が嬉しいのか分からないが、少しニヤニヤしながら話を続けた。

「この曲は、まず4拍のビートが打ち込まれている。その上に、女性の語りと男性の語りが乗っている。彼らの話し方は、ラップではない。ただ、普通に話しているだけだ。

にもかかわらず、ビートに乗っていた。そうだね?」

「はい。」

「もっと正確に言えば、4打ちのビートのなかでも、2と4、つまりバックビートが強調されている。ただ、しゃべっているだけなのにだ。

これは何故か。

これが英語のイントネーションの本質だからだ。」

タカシにはチンプンカンプンだった。

「英語の単語には、それぞれアクセントがある。しかし、その単語が集合した文章になった場合、全ての単語が強調されるわけではない。

やたら短くなる単語や、平坦に発音される単語、逆にゆっくりと強調される単語が出てくる。その配列こそがイントネーションだ。

英語のイントネーションには、それ自体にリズムが宿っている。

一文のなかで、短くなったり、長くなったり、弱くなったり、強くなったりする単語がリズミカルに出ることで、英語らしいしゃべり方になる。

つまりだ。

彼女は必ずしも4つ打ちに合わせてしゃべったわけじゃないんだ。そもそも彼女のしゃべり方が4つ打ちだったんだよ。」

タカシにはまだよく分からなかった。

「君は日本語のラップの曲を聴いたことはあるか?」

「ええ、もちろん。」

「90年代の日本語のラップと、英語のラップを比べてみよう。」

T先輩は、2種類のラップの曲をパソコンで順にかけて聴かせた。

タカシには、どちらの曲も聴いたことのないものだった。音楽にそれほど興味があるわけでもなく、最近の日本のロックバンドの曲をたまにラジオでチェックしたりするくらいだった。

ただ、どちらも90年代っぽい、ということだけは分かった。

「どうかな?」

「日本語の方は英語に比べると少しノリが悪いです。」

「どうしてだろう?」

「ビートに合っていないというか・・・。いや、合ってはいるんですが、切れ切れになっているというか。うまく言えません。」

「だいたい合ってるよ。それがイントネーションの違いだ。日本語だって韻は踏める。だけど、イントネーションで生まれるリズムが全く違うんだ。

最近の日本語のラップは、もうこの点をずいぶんと克服しているけど、まだこの時期は葛藤している最中だ。

だから、全然ノリが違うんだよ。

最初に聴いてもらったとおり、普通にしゃべっていても、英語にはリズムがある。ヒップホップはそれをさらに強調し、リズムを複雑にしたものなんだね。そのことを忘れないでくれ。」

「はい・・・。分かりました。」

分かったからと言って、どうなるのだろうとタカシは思った。



「今は音の話をした。今日はもうひとつ大事な話をしておこう。」

そう言うとT先輩は、電子辞書を取り出した。

「君は電子辞書を持っている?」

「はい。」

タカシは自分の電子辞書をT先輩に見せた。

T先輩はタカシの辞書を手に取り、ボタンを色々と操作した。

「なるほど。これなら十分。」

何が十分なんだろう。

「君は法学部だったよね。」

「はい。国際法を専攻しています。」

とは言っても、タカシはそれほど国際法について知っているわけではなかった。

「OK。じゃあ、lawという単語はもちろん分かると思うんだけど、ああ、法って意味のね。」

「ええ。」

「それにどういう動詞がくっつくと思うかな?」

「え?makeとかですかね。」

「ほかには?」

「うーん、legislateとか・・・。」

「ブー。確かにlegislateは法律をつくるという意味だが、目的語にはlawは来ない。lawはすでにその動詞のなかに入っているんだ。

もし君が法律に関する短いレポートを英語で書くとして、何度も「立法」という表現しなければならないとき、このままだと2つの表現しかないことになる。

しかし、実際にモノを書くとなれば、ニュアンスはもっと複雑なものになる。

例えば、法律を起草する、採用する、制定する、立案する、どれも似ているが違う表現だ。

法律が法律として施行されるまでの、一体どの段階のことを指すかで、動詞も違ってくる。

官僚が草案を書いた段階なのか、議会で採択したのか、あるいは、完全に法律としての機能が始まっている段階か。

しかし、日本語から変換しても、正しい答えにはならない。なぜなら、日本語と英語は1対1ではないからだ。」

「じゃあ、一体どうしたら、いいんですか?」

「そこで登場するのが、英単語の接続に関することを網羅した辞典だ。

君の辞書にも、日本語と英語の二種類ある。これを駆使するんだ。

lawには、一体どういう動詞がくっつくのか、ほら、沢山書いてあるだろ?」

と言って、T先輩はその辞書のlawのページを見せてくれた。

「類語辞典もよく使う。だが、類語はニュアンスの違いについて、かなり説明が雑だ。だから、気を付けなくてはいけない。

ニュアンスを正確に理解するには、英英辞典を使えるようにならなくてはだめだ。

まあ、このあたりの話はおいおいにしよう。やってみなければ分からない。」

タカシは頭が痛くなってきた。

しかし、本当の特訓が始まるのはこれからなのだった。

エクソダス3

2012-09-14 15:44:00 | ツクリバナシ
T先輩の研究室は、建物の6階にあった。

部屋自体は思いのほか広かったが、他の博士課程の学生との相部屋だった。

「おぉ、いらっしゃい。お茶でも飲みに行こう。」

と言って、T先輩はタカシを大学構内のカフェに誘った。



春休みもとっくに終わっていたので、カフェにはまばらに人がいた。サークルの会議や、ただ友人たちと話をしている様子のグループが何組かいた。

タカシにとって、T先輩と向かい合って話すのは初めてだった。

「で、相談ってなんだっけ?ちょっと、かいつまんでもう一度話してくれるかな。」

関心があるのか無いのか分からない静かな口調でT先輩は言った。

T先輩がおごってくれたコーヒーを飲みながら、タカシはこれまでの経緯を話した。

留学したいこと、けれど、英語が全然出来ないこと、どうしたらいいのか分からないこと。

「留学ねぇ・・・。出来るなら、した方がいいだろうねぇ。」

T先輩は俯き加減で言った。

「T先輩は留学したこと、あるんですか?」

「あるよ。イギリスに一年間いた。修士課程で勉強したんだ。まあ、あっという間だったね。」

「すごい。」

T先輩は少し笑って、

「いや、そんなことはない。」

と言った。

「僕も英語が出来なかった。だから、留学まではとても苦労した。君の気持ちはとてもよく分かる。」

「困っています、とても。」

「残念ながら、僕は未だに大して英語は出来ないんだよ。」

「ウソです。一年間いたわけですよね?」

T先輩は申し訳なさそうな顔をしながら、

「大変に恥ずかしい。しかし、まあ、英語っていうのはそういうものだ。」

と、だけ言った。

「でも、僕は留学に行く前につまずいています。」

「うん。」

「何かいい方法はありませんか?」

「そうだねぇ。英語のスコアを偽造するっていう手があるね。途上国とかで。」

「え?」

「それは冗談だけど、イギリスにもそうやって来た子たちが、ごく少数だったけどいたよ。もちろん、日本人ではなかった。」

と言って、T先輩は笑った。

タカシは冗談で笑う気分ではなかった。そんなことより、良い方法を早く教えてほしい。

「英語に近道はない。まず、このことを確認しておこう。」

「はい・・・。」

「仮に君が今、英語圏に行ったとしよう。すると、急にしゃべったり、書いたりできるようになるかというと、そうはならない。」

タカシはがっかりした。留学すれば一気に英語が使えるようになると期待していたからだ。

「もちろん、早く成長することは間違いないよ。でも、日本でも出来ることが沢山ある。」

「それが知りたいんです。」

「じゅあ、まず確認するけれども、毎日、英語のリスニングはやっているかね?」

「やっていません。」

「じゃあ、毎日、英語の本や新聞記事を読んでいるかな?」

「読んでいません。」

「会話や英作文などは、もちろん、やっていないだろうねぇ・・・。」

タカシはやられっぱなしで、なんだか悔しかったし、何より恥ずかしかった。

このまま帰れと言われても仕方がないような気がした。



「大事なことのひとつはね、君の言語のギアを英語に入れる練習をすることなんだよ。それと、英語のエンジンを大きくすること。」

「はあ・・・?」

「って言っても、感覚的な話だから、分かりにくいと思うんだけど。まあ、徐々に説明していくから。」

T先輩は本腰を入れて説明し始めた。

「君は英語だけで何時間も会話し続けたことはあるかな?その間に日本語を話したりしては駄目だよ。」

「ありません。」

「そうか。英語を勉強しはじめたぐらいのころはね、何時間も英語で会話し続けると、途中で頭のなかのギアが変わる瞬間がおとずれる。」

「ギアですか?」

タカシは何とかイメージしようと、自分のこれまでの経験をひっぱりだそうとしたが、役に立ちそうなものは見つからなかった。

「まあ、近いもので言うと、そうだな・・・、何時間も走ったり、あるいは泳いだりすると、途中で急に苦しくなくなることがあるだろ。」

「はい。心臓とか肺とかが慣れてきますね。」

「それに近い。」

「へぇ・・・。」

「まあ、口で説明しても、こんなもんだろう。それと、エンジンのことだけども。」

「はい。」

「ギアが英語に変わっても、エンジンが小さいとスピードが出ない。」

なぜ、車の比喩なのだろうと、タカシはどうでもいいことが気になっていた。

「エンジンとは、語彙であり、文法であり、表現パターンの量のことだ。これが多ければ、スピードも速くなる。なぜなら、自分が言いたい感情を適切に表現する選択肢が簡単に選べるからだ。」

「なるほど。」

タカシはちょっとだけ分かったような気がした。

「これが大事なことのひとつめね。」

まだ、ひとつめらしい。



「もうひとつ大切なのが、音だ。」

「音ですか。」

「アクセント、イントネーション、リズム、それらを沢山頭に入れなくてはいけない。そうしないと、聞き取れないし、話せない。僕はこれが苦手でねぇ。」

タカシは、T先輩だけでなく、多くの日本人が苦手だろうと思った。

「たとえば、ボルトって陸上選手がいるだろ。」

「はい。」

「上の名前は知ってるかな?」

「ウサインです。」

「英語圏の人はそう発音しない。」

「え?」

「ユーセイン、と発音する。だから、もし君がユーセイン・ボルトという音を聞いた場合、おそらく誰のことか分からないだろう。もちろん、文脈で理解することはあるだろうが。」

「へぇ。」

これはすんなり理解できた。

「ところで、外国に長期滞在するのに必要なものは何かしっているかな?手続き上のことだよ。」

「え?ビザですか?」

「それも英語圏では通じない。正確には、ヴィザだ。当たり前にビザと言うが、発音としては間違っている。」

これについては、タカシは半信半疑だった。

「実際、僕がイギリスの空港で通じなかったんだ。」

と言って、T先輩は笑った。

「何度、ビザって言っても職員が理解しなくてねぇ。現物を見せて理解されたとき、絶望的な気持ちになった。」

タカシは何て言ってのか分からず、

「困りますねぇ。」

とだけ言った。

「そんなことが無限にある。だから、英語を20歳からやっても限度というものがある。だから、諦めた方がいい。」

「え?」

「ネイティブ・スピーカーに勝つことはね。」

また、T先輩は笑った。

「英語を使えるようになるには、君の目的をはっきりさせることが必要だ。どの分野の、どの英語を勉強するのかはっきりさせるんだ。そうしないと、きりがない。

まず、英語の試験の英語に絞ろう。」

タカシは暗澹たる気持ちになった。

エクソダス2

2012-09-14 11:02:40 | ツクリバナシ
初めて受けた英語の試験は散々だった。

コンピュータに向かって朝から何時間もテストを受けたのに、点数は必要な点数を40点も下回った。

おかげでタカシは絶望的な気持ちになり、英語が出来る人間がどうして出来るようになったか考えた。

帰国子女、才能、語学留学、ハーフ・・・自分が英語が出来ない理由を周りのせいにすると、少しだけ安心すると同時に、どす黒いものが自分のなかに湧き上がっていくのを感じた。

英語が出来るかどうかが環境要因だとしたら、最初から不平等なのであって、もし留学がプラスのキャリアになるのだとしたら、突き詰めると、最初から生涯賃金もある程度決まってくる、などと無茶苦茶なことを考えた。

しかし、そんなことは英語だけの話ではない、とすぐに気がついた。

すべてのことがそうだ。

そのことを呪っていても、今は前に進めない。

こんな嫌な国から出ていかないと。そうしないと、一生ここに住まなくてはいけなくなる。

タカシには明確な将来設計はなかった。そして、留学したからそのまま外国に住めるというような能天気な考えもなかった。

ただ、とにかく息がつまりそうだった。

街の空気がどこに行っても、ひどく重苦しく、誰もが悲しく沈んだ顔をしているようにみえた。

この国は、もう自分ではどうにも出来なくなっている、とタカシは思った。だからこそ、外に行かなくてはいけないと、ただ漠然と考えた。

しかし、この英語の点数ではどうにもならない。

これでは留学への切符は手に入らない。

仮に行けたとしても、どうせすぐに引き籠りになってしまう。

いずれにせよ、とにかく英語をなんとかしなくてはいけなかった。



英語のスコアはいずれも満遍なく悪かったが、リーディングだけが唯一マシな方だった。

考えてみれば、今まで受けた英語教育では、ほぼリーディングしか習っていない。

英作文も冗談みたいに短い文章を書いただけだったし、会話も適当に日本人同士が日本人に分かる日本語の英語で話しただけだったし、もう何もかもが今の自分には役立たずにしか思えなかった。

相談するしかない。タカシはそう心に決めた。

もう自分ではどうしようもない。どういうわけか、参考書を買って勉強する気にはなれなかった。

もちろん、すでに参考書の幾つかは見繕ってみたのだが、こんな状態の自分に役に立つのか、はなはだ疑問だった。

とはいえ、相談する相手は限られていた。

昔、ゼミでお世話になったT先輩しかいない。

T先輩は博士課程で勉強していて、タカシとは5歳以上も離れていた。

さっそく先輩にメールをした。

出来るだけ簡潔に事情を説明し、そして、問題点を箇条書きにした。

これらについてアドバイスが欲しい、と最後に書き添えた。

T先輩が比較的早くメールの返信をくれたのは、やや意外なことだった。

彼はゼミでティーチング・アシスタントをやっていた時も、それほど熱心に参加するわけでもなく、ただなんとなくそこにいるような感じだったからだ。

ただ、ゼミの発表の相談を持ってきた生徒には、長い時間をかけて指導をしていた。

文面には、

「了解。とりあえず、一度話を聞こう。

明後日もし時間があれば、研究室に2時にどうぞ」

とだけあった。