それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

エクソダス1

2012-09-14 07:45:35 | ツクリバナシ
タカシは、もう政治の話を聞くのには、ずいぶんとうんざりしていた。まるでひどいことしか起きていない。

何十万人被災していようと、テレビのニュースもそこに出てくる政治家も、まるでそういう人たちが存在していないかのように振舞っているようにみえた。

タカシがテレビドラマをほとんど見なくなってから、もう長く経つ。震災の辺りから、そういうものがあまりにもウソっぽく思えてきてしまったのだ。

タカシは日本が好きになれなくなっていた。愛国心の教育が足りないという保守主義者の声が新聞やテレビからたまに流れてくると、その原因を作ったのは全く教育ではない、恥ずかしい勘違い、と思うのだった。

早くこの国を出て行きたい。一刻も早く。

でも、タカシは外国で暮らしたことがなかった。彼の頭のなかの外国のイメージはすべて映画や小説から得たものだった。おそらくは都合の良いところばかり、頭のなかで編集されているに違いない。

タカシもそのことに薄々気が付いていた。

大学の先輩には、留学したことがあるものもいれば、全くそんなものは必要がないと考えるものもいた。

後者にあたる先輩のひとりは、「日本のことをよく知らないのに、外国に行っても仕方がない」と主張した。

逆に前者にあたる先輩のひとりは、決まって留学した先の国のことを引きあいにして話をしてきた。

タカシにとっては、どちらもしっくりこなかった。

どう考えても、一生かかったって、日本のことをすべて理解することなどできない。留学するのがそんなに遅くなってしまっては、何か大事なものを見過ごしてしまうような気がした。

かといって、留学した先の経験を金科玉条のように口にすることにも、少し腹が立っていた。それはそれで世界があまりにも狭い。

いずれにせよ、一度海外に行かなくてはいけない。

海外といっても一体どこに行けばいいのだろう。

留学先で思いつくのは、イギリスとアメリカしかなかった。英語もまだロクに話せないが、第二外国語のドイツ語なんて、もっと出来なかった。

そう考えると、少し悔しくなった。結局、英語圏の国に人が吸収されるのだ。

とりあえず、イギリス、にしておくことにした。

昔、日英同盟もしていたし、とタカシは考えた。そんな昔のことが何か意味のあることのようには思えなかったが、どういうわけかイギリスに何となく親近感を抱いていた。

おそらくイギリスを勘違いしている、とタカシは思っていた。何せイギリスのことなんて、何も知らないのだから。

でも、行かなければ分からない。なんだってそうだ。



タカシは現実的になることにした。

そろそろ真剣に考えないと、あっという間に大学生活が終わってしまう。就職活動もしなくてはいけない。

もし留学するなら、今しかない。

でも、留学には色々なものが必要だ。

英語の試験のスコア、向こうの受け入れ先、そして、何よりお金。

ああ、ビザとかも必要なはずだ。もし向こうで単位をとるなら、ある程度、英語の本を読んで先に勉強しておかなくちゃ。

考えただけで、諦めそうになった。

でも、この国から出るには努力しなくちゃいけない。

日本はどちらかと言えば恵まれているはずだ。密航したり、パスポートを偽造したり、親類を頼って行ったり、短期滞在で入ってタコ部屋に住んで不法に働かされたりしなくても済むはずだから。

もしかしたら、いつか日本人がそういうことをしなくてはいけなくなる日が来るかもしれない。

そしたら、日本は消滅するかもしれない、そんなことをするくらいなら、消滅を選ぶんじゃないかとタカシは思った。

でも、昔、南米に移住した人たちもいたと聞く。

遠い遠い親戚に、パラグアイに住んでいる人がいた。

全く親戚とは思えなかったのだけれど(その人は日本語もたどたどしかった)、でも、たしかにそういう人たちが、しかも身近にいたのだと思うと、全く不思議な気持ちだった。

いずれにしても、そういう人たちの苦労から見れば楽なはずだ。

タカシはひとつひとつ準備していくしかないと腹をくくることにした。

ソルクなんとか

2012-09-12 20:23:33 | 日記
暑いね。今日はひどく暑い。

残暑っていっても、これじゃまだ夏休み気分が抜けないよ。

あ、そうだったね。ごめんごめん。君は、まだ夏休み取ってなかったんだね。

っていうか、それじゃあ、もう夏休みは取り逃したってことだろ。


それにしても珍しい。

君がカクテルを飲みたいなんて言うから。

お酒自体、そんなに好きじゃないじゃない。

僕とふたりの時に飲むなんてこと、滅多にないんだし。


そう、家には白ラムがあるよ。っていうか、それしかないんだ。

白ラムが好きなんだ。もちろん、それをストレートで飲むわけじゃないよ。

僕の大好きなジュースと混ぜるんだよ。

確かにね。ジュースがメインと言ってもいいね。


フルーツを適当にみつくろって・・・。うん。なんでもいいだ。ただ、ジュースに出来るのがいい。

グレープフルーツなんてどうかな、ジュースにしやすいんだ。季節もそれほど関係ないしね。

何より、カクテルにしやすいよ。

それとライムと、レモン。

あとは、君の好きなジュースを選んで。コーラとか、ジンジャーエールとか、スプライトとかが、まあ一般的かなぁ。


悪かったね。僕の家も暑いんだ。

何?外の方が涼しかったって?

そういうものだよ、それが夏だよ。

ほら、グレープフルーツを切って。

んで、そいつを絞る。

フトッチョのグラスに氷だけを入れて、かき混ぜる。

え?まあ、おまじないみたいなものかな。

そこに白ラムを注いで・・・、

で、絞ったばかりのジュースを入れる。

そこにちょっぴりブラウンシュガー。軽く混ぜて、と。

最後にトニックウォーターを入れて、で、もう一回、軽く混ぜたら完成。

飾りのミント入れないでおくよ、嫌いだったでしょ?

・・・えーと、なんて言ったかな。名前は忘れた。

ソルク・・・、ソルクなんとかだったかな。


どう?

って言っても、

誰もいないけど。

夏の夜の長い独り言。

不意のジャズ

2012-09-09 06:23:10 | 日記
昨日、彼女とある田舎街をぶらぶらしていていたら、ふいに(50年代のオールドスクール調の)ジャズの演奏が聞こえてきた。

彼女「どこかで演奏してるみたいだよ。」

僕「いや、これはうますぎる。録音されたものかもしれない。」

音が聴こえる方に進んでいくと、飲み屋街のなかにカフェがあり、そこで確かに演奏が行われていた。

会場はニ階で、一体どういうかたちで演奏が行われているのか、また席がどれくらいあるのか、外からは一切分からなかった。

が、演奏はまるで会場にいるかのように外に漏れ出していて(大丈夫なのか)、僕らはしばらくその場所で聴き入っていた。

演奏していたのは、僕も知っている北海道のプロの演奏家たちで、上手かったのも当然と言えば当然だった。

けれど、そのふいのジャズの演奏に僕らは一瞬にして心をつかまれてしまったわけで、それはとても意外なもとだった。

現代人は色々なかたちでプロの演奏家の音源を簡単に聴くことが出来、ある意味で上手な演奏のインフレが起きている。

それにも関わらず、僕らは確かに一瞬で心をぐっとつかまれてしまったのである。

僕らは店のなかに入るか逡巡したのだが、あまりにも不意のことだったし、演奏はもうすでに始まっていたし、食事をまだとっていなかったし、そして何より、選挙カーがとんでもない騒音を発していたので、今回は見送ることにした(ちょうど市長選をやっていたのだ)。

僕らはその後、家に帰って僕が買ったばかりのモダンジャズのCDを聴いたのだけれど、

彼女は「ライブってCDと全然違うね。特にドラムが直接響いてきた」と、至極まっとうなことを言った。

まったくそのとおりだった(ちなみに僕はドラムよりもトランペットの音にひどく惹かれていた)。

とにかく魅力的な演奏だった。

けれども、思うに、結局なかに入らなかったというのが、実は一番のその魅力を引き立てた原因なのではないか、と僕は思う。

つまり、先入観なく、予備知識なく、とても純粋に音だけが聴こえてきて、

それがあまりにも生き生きしたもので、その街で聴こえてくるなどとまさか想像できないようなものだったからこそ、

その演奏は魅力的だったのだ。

たったひとつの演奏がその街全体の印象を一気に変えてしまった。

音楽にはそういうところがあるらしい。

近況

2012-09-08 00:14:43 | 日記
今週、研究しているなかで気付いたことが色々あった。

結論だけ書くとなんとも奇妙なのだけれど、僕は「義憤」というものにかられ、そして、それをどうにかして伝えようと試みている。

そう思いながら論文を書けることはとても嬉しいことだ。

ところで、今日、ある日本語の本を本屋さんで立ち読みしていた。

有難いことに僕の論文を引いてくれていた。

著者の方とは一度だけご挨拶したことがあったのだが、社会的な地位と反比例するかのように腰の低い方だった。

その本は、僕がもしも日本で研究を続けていたら書いたかもしれないテーマのものだった。

その本を読んで僕は、イギリスで研究できて良かったと思った。

僕が書きたいことは、その本には書いていていなかった。

無論、クオリティはとても高かった。著者の方の人柄のように誠実で、そして緻密な素晴らしい本だった。



イギリスの指導教官とは、比較的頻繁にメールでやりとりし、今のところ、コミュニケーションに問題はない。

必要があって、メインの指導教官に博論提出が間近である旨を手紙に書いてもらった。

彼女は驚くほど正確に(誇張なく)手紙に現状を書き記しており、それは大いに好感が持てた。

推薦状は通常誇張するものであり、それが上手な人に執筆を頼む(当然、上手い下手がある)。

けれど、今回頼んだのは証明書に準じた手紙なので、それゆえに彼女は正確に書いたのだろう(一種の保証書的なものだから)。

知ってはいたのだが、彼女はいつの間にかプロフェッサーになっていた。

イギリスの教授職は、日本の(文系の)それと違い、とても高いポジションだ。

キャリアを色々積まないとなれない。

彼女は今の今まで本当にたゆまずに努力していた。

新しいプロジェクトへの挑戦、新しい研究領域の開拓、丁寧な教育。

指導法も含め、僕は彼女からとても多くのことを学んでいる。

これがイギリスのレベルなのか、と思い知らされている。