それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

エクソダス3

2012-09-14 15:44:00 | ツクリバナシ
T先輩の研究室は、建物の6階にあった。

部屋自体は思いのほか広かったが、他の博士課程の学生との相部屋だった。

「おぉ、いらっしゃい。お茶でも飲みに行こう。」

と言って、T先輩はタカシを大学構内のカフェに誘った。



春休みもとっくに終わっていたので、カフェにはまばらに人がいた。サークルの会議や、ただ友人たちと話をしている様子のグループが何組かいた。

タカシにとって、T先輩と向かい合って話すのは初めてだった。

「で、相談ってなんだっけ?ちょっと、かいつまんでもう一度話してくれるかな。」

関心があるのか無いのか分からない静かな口調でT先輩は言った。

T先輩がおごってくれたコーヒーを飲みながら、タカシはこれまでの経緯を話した。

留学したいこと、けれど、英語が全然出来ないこと、どうしたらいいのか分からないこと。

「留学ねぇ・・・。出来るなら、した方がいいだろうねぇ。」

T先輩は俯き加減で言った。

「T先輩は留学したこと、あるんですか?」

「あるよ。イギリスに一年間いた。修士課程で勉強したんだ。まあ、あっという間だったね。」

「すごい。」

T先輩は少し笑って、

「いや、そんなことはない。」

と言った。

「僕も英語が出来なかった。だから、留学まではとても苦労した。君の気持ちはとてもよく分かる。」

「困っています、とても。」

「残念ながら、僕は未だに大して英語は出来ないんだよ。」

「ウソです。一年間いたわけですよね?」

T先輩は申し訳なさそうな顔をしながら、

「大変に恥ずかしい。しかし、まあ、英語っていうのはそういうものだ。」

と、だけ言った。

「でも、僕は留学に行く前につまずいています。」

「うん。」

「何かいい方法はありませんか?」

「そうだねぇ。英語のスコアを偽造するっていう手があるね。途上国とかで。」

「え?」

「それは冗談だけど、イギリスにもそうやって来た子たちが、ごく少数だったけどいたよ。もちろん、日本人ではなかった。」

と言って、T先輩は笑った。

タカシは冗談で笑う気分ではなかった。そんなことより、良い方法を早く教えてほしい。

「英語に近道はない。まず、このことを確認しておこう。」

「はい・・・。」

「仮に君が今、英語圏に行ったとしよう。すると、急にしゃべったり、書いたりできるようになるかというと、そうはならない。」

タカシはがっかりした。留学すれば一気に英語が使えるようになると期待していたからだ。

「もちろん、早く成長することは間違いないよ。でも、日本でも出来ることが沢山ある。」

「それが知りたいんです。」

「じゅあ、まず確認するけれども、毎日、英語のリスニングはやっているかね?」

「やっていません。」

「じゃあ、毎日、英語の本や新聞記事を読んでいるかな?」

「読んでいません。」

「会話や英作文などは、もちろん、やっていないだろうねぇ・・・。」

タカシはやられっぱなしで、なんだか悔しかったし、何より恥ずかしかった。

このまま帰れと言われても仕方がないような気がした。



「大事なことのひとつはね、君の言語のギアを英語に入れる練習をすることなんだよ。それと、英語のエンジンを大きくすること。」

「はあ・・・?」

「って言っても、感覚的な話だから、分かりにくいと思うんだけど。まあ、徐々に説明していくから。」

T先輩は本腰を入れて説明し始めた。

「君は英語だけで何時間も会話し続けたことはあるかな?その間に日本語を話したりしては駄目だよ。」

「ありません。」

「そうか。英語を勉強しはじめたぐらいのころはね、何時間も英語で会話し続けると、途中で頭のなかのギアが変わる瞬間がおとずれる。」

「ギアですか?」

タカシは何とかイメージしようと、自分のこれまでの経験をひっぱりだそうとしたが、役に立ちそうなものは見つからなかった。

「まあ、近いもので言うと、そうだな・・・、何時間も走ったり、あるいは泳いだりすると、途中で急に苦しくなくなることがあるだろ。」

「はい。心臓とか肺とかが慣れてきますね。」

「それに近い。」

「へぇ・・・。」

「まあ、口で説明しても、こんなもんだろう。それと、エンジンのことだけども。」

「はい。」

「ギアが英語に変わっても、エンジンが小さいとスピードが出ない。」

なぜ、車の比喩なのだろうと、タカシはどうでもいいことが気になっていた。

「エンジンとは、語彙であり、文法であり、表現パターンの量のことだ。これが多ければ、スピードも速くなる。なぜなら、自分が言いたい感情を適切に表現する選択肢が簡単に選べるからだ。」

「なるほど。」

タカシはちょっとだけ分かったような気がした。

「これが大事なことのひとつめね。」

まだ、ひとつめらしい。



「もうひとつ大切なのが、音だ。」

「音ですか。」

「アクセント、イントネーション、リズム、それらを沢山頭に入れなくてはいけない。そうしないと、聞き取れないし、話せない。僕はこれが苦手でねぇ。」

タカシは、T先輩だけでなく、多くの日本人が苦手だろうと思った。

「たとえば、ボルトって陸上選手がいるだろ。」

「はい。」

「上の名前は知ってるかな?」

「ウサインです。」

「英語圏の人はそう発音しない。」

「え?」

「ユーセイン、と発音する。だから、もし君がユーセイン・ボルトという音を聞いた場合、おそらく誰のことか分からないだろう。もちろん、文脈で理解することはあるだろうが。」

「へぇ。」

これはすんなり理解できた。

「ところで、外国に長期滞在するのに必要なものは何かしっているかな?手続き上のことだよ。」

「え?ビザですか?」

「それも英語圏では通じない。正確には、ヴィザだ。当たり前にビザと言うが、発音としては間違っている。」

これについては、タカシは半信半疑だった。

「実際、僕がイギリスの空港で通じなかったんだ。」

と言って、T先輩は笑った。

「何度、ビザって言っても職員が理解しなくてねぇ。現物を見せて理解されたとき、絶望的な気持ちになった。」

タカシは何て言ってのか分からず、

「困りますねぇ。」

とだけ言った。

「そんなことが無限にある。だから、英語を20歳からやっても限度というものがある。だから、諦めた方がいい。」

「え?」

「ネイティブ・スピーカーに勝つことはね。」

また、T先輩は笑った。

「英語を使えるようになるには、君の目的をはっきりさせることが必要だ。どの分野の、どの英語を勉強するのかはっきりさせるんだ。そうしないと、きりがない。

まず、英語の試験の英語に絞ろう。」

タカシは暗澹たる気持ちになった。

エクソダス2

2012-09-14 11:02:40 | ツクリバナシ
初めて受けた英語の試験は散々だった。

コンピュータに向かって朝から何時間もテストを受けたのに、点数は必要な点数を40点も下回った。

おかげでタカシは絶望的な気持ちになり、英語が出来る人間がどうして出来るようになったか考えた。

帰国子女、才能、語学留学、ハーフ・・・自分が英語が出来ない理由を周りのせいにすると、少しだけ安心すると同時に、どす黒いものが自分のなかに湧き上がっていくのを感じた。

英語が出来るかどうかが環境要因だとしたら、最初から不平等なのであって、もし留学がプラスのキャリアになるのだとしたら、突き詰めると、最初から生涯賃金もある程度決まってくる、などと無茶苦茶なことを考えた。

しかし、そんなことは英語だけの話ではない、とすぐに気がついた。

すべてのことがそうだ。

そのことを呪っていても、今は前に進めない。

こんな嫌な国から出ていかないと。そうしないと、一生ここに住まなくてはいけなくなる。

タカシには明確な将来設計はなかった。そして、留学したからそのまま外国に住めるというような能天気な考えもなかった。

ただ、とにかく息がつまりそうだった。

街の空気がどこに行っても、ひどく重苦しく、誰もが悲しく沈んだ顔をしているようにみえた。

この国は、もう自分ではどうにも出来なくなっている、とタカシは思った。だからこそ、外に行かなくてはいけないと、ただ漠然と考えた。

しかし、この英語の点数ではどうにもならない。

これでは留学への切符は手に入らない。

仮に行けたとしても、どうせすぐに引き籠りになってしまう。

いずれにせよ、とにかく英語をなんとかしなくてはいけなかった。



英語のスコアはいずれも満遍なく悪かったが、リーディングだけが唯一マシな方だった。

考えてみれば、今まで受けた英語教育では、ほぼリーディングしか習っていない。

英作文も冗談みたいに短い文章を書いただけだったし、会話も適当に日本人同士が日本人に分かる日本語の英語で話しただけだったし、もう何もかもが今の自分には役立たずにしか思えなかった。

相談するしかない。タカシはそう心に決めた。

もう自分ではどうしようもない。どういうわけか、参考書を買って勉強する気にはなれなかった。

もちろん、すでに参考書の幾つかは見繕ってみたのだが、こんな状態の自分に役に立つのか、はなはだ疑問だった。

とはいえ、相談する相手は限られていた。

昔、ゼミでお世話になったT先輩しかいない。

T先輩は博士課程で勉強していて、タカシとは5歳以上も離れていた。

さっそく先輩にメールをした。

出来るだけ簡潔に事情を説明し、そして、問題点を箇条書きにした。

これらについてアドバイスが欲しい、と最後に書き添えた。

T先輩が比較的早くメールの返信をくれたのは、やや意外なことだった。

彼はゼミでティーチング・アシスタントをやっていた時も、それほど熱心に参加するわけでもなく、ただなんとなくそこにいるような感じだったからだ。

ただ、ゼミの発表の相談を持ってきた生徒には、長い時間をかけて指導をしていた。

文面には、

「了解。とりあえず、一度話を聞こう。

明後日もし時間があれば、研究室に2時にどうぞ」

とだけあった。

エクソダス1

2012-09-14 07:45:35 | ツクリバナシ
タカシは、もう政治の話を聞くのには、ずいぶんとうんざりしていた。まるでひどいことしか起きていない。

何十万人被災していようと、テレビのニュースもそこに出てくる政治家も、まるでそういう人たちが存在していないかのように振舞っているようにみえた。

タカシがテレビドラマをほとんど見なくなってから、もう長く経つ。震災の辺りから、そういうものがあまりにもウソっぽく思えてきてしまったのだ。

タカシは日本が好きになれなくなっていた。愛国心の教育が足りないという保守主義者の声が新聞やテレビからたまに流れてくると、その原因を作ったのは全く教育ではない、恥ずかしい勘違い、と思うのだった。

早くこの国を出て行きたい。一刻も早く。

でも、タカシは外国で暮らしたことがなかった。彼の頭のなかの外国のイメージはすべて映画や小説から得たものだった。おそらくは都合の良いところばかり、頭のなかで編集されているに違いない。

タカシもそのことに薄々気が付いていた。

大学の先輩には、留学したことがあるものもいれば、全くそんなものは必要がないと考えるものもいた。

後者にあたる先輩のひとりは、「日本のことをよく知らないのに、外国に行っても仕方がない」と主張した。

逆に前者にあたる先輩のひとりは、決まって留学した先の国のことを引きあいにして話をしてきた。

タカシにとっては、どちらもしっくりこなかった。

どう考えても、一生かかったって、日本のことをすべて理解することなどできない。留学するのがそんなに遅くなってしまっては、何か大事なものを見過ごしてしまうような気がした。

かといって、留学した先の経験を金科玉条のように口にすることにも、少し腹が立っていた。それはそれで世界があまりにも狭い。

いずれにせよ、一度海外に行かなくてはいけない。

海外といっても一体どこに行けばいいのだろう。

留学先で思いつくのは、イギリスとアメリカしかなかった。英語もまだロクに話せないが、第二外国語のドイツ語なんて、もっと出来なかった。

そう考えると、少し悔しくなった。結局、英語圏の国に人が吸収されるのだ。

とりあえず、イギリス、にしておくことにした。

昔、日英同盟もしていたし、とタカシは考えた。そんな昔のことが何か意味のあることのようには思えなかったが、どういうわけかイギリスに何となく親近感を抱いていた。

おそらくイギリスを勘違いしている、とタカシは思っていた。何せイギリスのことなんて、何も知らないのだから。

でも、行かなければ分からない。なんだってそうだ。



タカシは現実的になることにした。

そろそろ真剣に考えないと、あっという間に大学生活が終わってしまう。就職活動もしなくてはいけない。

もし留学するなら、今しかない。

でも、留学には色々なものが必要だ。

英語の試験のスコア、向こうの受け入れ先、そして、何よりお金。

ああ、ビザとかも必要なはずだ。もし向こうで単位をとるなら、ある程度、英語の本を読んで先に勉強しておかなくちゃ。

考えただけで、諦めそうになった。

でも、この国から出るには努力しなくちゃいけない。

日本はどちらかと言えば恵まれているはずだ。密航したり、パスポートを偽造したり、親類を頼って行ったり、短期滞在で入ってタコ部屋に住んで不法に働かされたりしなくても済むはずだから。

もしかしたら、いつか日本人がそういうことをしなくてはいけなくなる日が来るかもしれない。

そしたら、日本は消滅するかもしれない、そんなことをするくらいなら、消滅を選ぶんじゃないかとタカシは思った。

でも、昔、南米に移住した人たちもいたと聞く。

遠い遠い親戚に、パラグアイに住んでいる人がいた。

全く親戚とは思えなかったのだけれど(その人は日本語もたどたどしかった)、でも、たしかにそういう人たちが、しかも身近にいたのだと思うと、全く不思議な気持ちだった。

いずれにしても、そういう人たちの苦労から見れば楽なはずだ。

タカシはひとつひとつ準備していくしかないと腹をくくることにした。