「じゃあ、今日からトレーニングを始めよう。でも、初日だからね、まだ本格的なやつは始めないよ。まず、英語の構造理解のための基礎知識みたいなものを頭に入れてもらう。」
タカシはT先輩から直接トレーニングを受けることになった。
T先輩は、「自分の英語の練習になるから、ちょうど良い」と言ってくれた。「その代り、手加減はしない」とも。
T先輩はパソコンで音楽をかけはじめた。
とても奇妙な音楽だった。
ただ、4つ打ちのビートの上で、女性のアナウンサーがしゃべり、それにミュージシャンとおぼしき人物が答える、というだけのものだった。
「君はこの曲を聴いてどう思うかね?」
曲が終わるころ、もったいをつけるようにT先輩が言った。
「変な曲です。」
「それだけ?」
「うーん・・・、普通にしゃべっている割にはリズミカルでした。」
「そう、その通り。」
T先輩は何が嬉しいのか分からないが、少しニヤニヤしながら話を続けた。
「この曲は、まず4拍のビートが打ち込まれている。その上に、女性の語りと男性の語りが乗っている。彼らの話し方は、ラップではない。ただ、普通に話しているだけだ。
にもかかわらず、ビートに乗っていた。そうだね?」
「はい。」
「もっと正確に言えば、4打ちのビートのなかでも、2と4、つまりバックビートが強調されている。ただ、しゃべっているだけなのにだ。
これは何故か。
これが英語のイントネーションの本質だからだ。」
タカシにはチンプンカンプンだった。
「英語の単語には、それぞれアクセントがある。しかし、その単語が集合した文章になった場合、全ての単語が強調されるわけではない。
やたら短くなる単語や、平坦に発音される単語、逆にゆっくりと強調される単語が出てくる。その配列こそがイントネーションだ。
英語のイントネーションには、それ自体にリズムが宿っている。
一文のなかで、短くなったり、長くなったり、弱くなったり、強くなったりする単語がリズミカルに出ることで、英語らしいしゃべり方になる。
つまりだ。
彼女は必ずしも4つ打ちに合わせてしゃべったわけじゃないんだ。そもそも彼女のしゃべり方が4つ打ちだったんだよ。」
タカシにはまだよく分からなかった。
「君は日本語のラップの曲を聴いたことはあるか?」
「ええ、もちろん。」
「90年代の日本語のラップと、英語のラップを比べてみよう。」
T先輩は、2種類のラップの曲をパソコンで順にかけて聴かせた。
タカシには、どちらの曲も聴いたことのないものだった。音楽にそれほど興味があるわけでもなく、最近の日本のロックバンドの曲をたまにラジオでチェックしたりするくらいだった。
ただ、どちらも90年代っぽい、ということだけは分かった。
「どうかな?」
「日本語の方は英語に比べると少しノリが悪いです。」
「どうしてだろう?」
「ビートに合っていないというか・・・。いや、合ってはいるんですが、切れ切れになっているというか。うまく言えません。」
「だいたい合ってるよ。それがイントネーションの違いだ。日本語だって韻は踏める。だけど、イントネーションで生まれるリズムが全く違うんだ。
最近の日本語のラップは、もうこの点をずいぶんと克服しているけど、まだこの時期は葛藤している最中だ。
だから、全然ノリが違うんだよ。
最初に聴いてもらったとおり、普通にしゃべっていても、英語にはリズムがある。ヒップホップはそれをさらに強調し、リズムを複雑にしたものなんだね。そのことを忘れないでくれ。」
「はい・・・。分かりました。」
分かったからと言って、どうなるのだろうとタカシは思った。
「今は音の話をした。今日はもうひとつ大事な話をしておこう。」
そう言うとT先輩は、電子辞書を取り出した。
「君は電子辞書を持っている?」
「はい。」
タカシは自分の電子辞書をT先輩に見せた。
T先輩はタカシの辞書を手に取り、ボタンを色々と操作した。
「なるほど。これなら十分。」
何が十分なんだろう。
「君は法学部だったよね。」
「はい。国際法を専攻しています。」
とは言っても、タカシはそれほど国際法について知っているわけではなかった。
「OK。じゃあ、lawという単語はもちろん分かると思うんだけど、ああ、法って意味のね。」
「ええ。」
「それにどういう動詞がくっつくと思うかな?」
「え?makeとかですかね。」
「ほかには?」
「うーん、legislateとか・・・。」
「ブー。確かにlegislateは法律をつくるという意味だが、目的語にはlawは来ない。lawはすでにその動詞のなかに入っているんだ。
もし君が法律に関する短いレポートを英語で書くとして、何度も「立法」という表現しなければならないとき、このままだと2つの表現しかないことになる。
しかし、実際にモノを書くとなれば、ニュアンスはもっと複雑なものになる。
例えば、法律を起草する、採用する、制定する、立案する、どれも似ているが違う表現だ。
法律が法律として施行されるまでの、一体どの段階のことを指すかで、動詞も違ってくる。
官僚が草案を書いた段階なのか、議会で採択したのか、あるいは、完全に法律としての機能が始まっている段階か。
しかし、日本語から変換しても、正しい答えにはならない。なぜなら、日本語と英語は1対1ではないからだ。」
「じゃあ、一体どうしたら、いいんですか?」
「そこで登場するのが、英単語の接続に関することを網羅した辞典だ。
君の辞書にも、日本語と英語の二種類ある。これを駆使するんだ。
lawには、一体どういう動詞がくっつくのか、ほら、沢山書いてあるだろ?」
と言って、T先輩はその辞書のlawのページを見せてくれた。
「類語辞典もよく使う。だが、類語はニュアンスの違いについて、かなり説明が雑だ。だから、気を付けなくてはいけない。
ニュアンスを正確に理解するには、英英辞典を使えるようにならなくてはだめだ。
まあ、このあたりの話はおいおいにしよう。やってみなければ分からない。」
タカシは頭が痛くなってきた。
しかし、本当の特訓が始まるのはこれからなのだった。
タカシはT先輩から直接トレーニングを受けることになった。
T先輩は、「自分の英語の練習になるから、ちょうど良い」と言ってくれた。「その代り、手加減はしない」とも。
T先輩はパソコンで音楽をかけはじめた。
とても奇妙な音楽だった。
ただ、4つ打ちのビートの上で、女性のアナウンサーがしゃべり、それにミュージシャンとおぼしき人物が答える、というだけのものだった。
「君はこの曲を聴いてどう思うかね?」
曲が終わるころ、もったいをつけるようにT先輩が言った。
「変な曲です。」
「それだけ?」
「うーん・・・、普通にしゃべっている割にはリズミカルでした。」
「そう、その通り。」
T先輩は何が嬉しいのか分からないが、少しニヤニヤしながら話を続けた。
「この曲は、まず4拍のビートが打ち込まれている。その上に、女性の語りと男性の語りが乗っている。彼らの話し方は、ラップではない。ただ、普通に話しているだけだ。
にもかかわらず、ビートに乗っていた。そうだね?」
「はい。」
「もっと正確に言えば、4打ちのビートのなかでも、2と4、つまりバックビートが強調されている。ただ、しゃべっているだけなのにだ。
これは何故か。
これが英語のイントネーションの本質だからだ。」
タカシにはチンプンカンプンだった。
「英語の単語には、それぞれアクセントがある。しかし、その単語が集合した文章になった場合、全ての単語が強調されるわけではない。
やたら短くなる単語や、平坦に発音される単語、逆にゆっくりと強調される単語が出てくる。その配列こそがイントネーションだ。
英語のイントネーションには、それ自体にリズムが宿っている。
一文のなかで、短くなったり、長くなったり、弱くなったり、強くなったりする単語がリズミカルに出ることで、英語らしいしゃべり方になる。
つまりだ。
彼女は必ずしも4つ打ちに合わせてしゃべったわけじゃないんだ。そもそも彼女のしゃべり方が4つ打ちだったんだよ。」
タカシにはまだよく分からなかった。
「君は日本語のラップの曲を聴いたことはあるか?」
「ええ、もちろん。」
「90年代の日本語のラップと、英語のラップを比べてみよう。」
T先輩は、2種類のラップの曲をパソコンで順にかけて聴かせた。
タカシには、どちらの曲も聴いたことのないものだった。音楽にそれほど興味があるわけでもなく、最近の日本のロックバンドの曲をたまにラジオでチェックしたりするくらいだった。
ただ、どちらも90年代っぽい、ということだけは分かった。
「どうかな?」
「日本語の方は英語に比べると少しノリが悪いです。」
「どうしてだろう?」
「ビートに合っていないというか・・・。いや、合ってはいるんですが、切れ切れになっているというか。うまく言えません。」
「だいたい合ってるよ。それがイントネーションの違いだ。日本語だって韻は踏める。だけど、イントネーションで生まれるリズムが全く違うんだ。
最近の日本語のラップは、もうこの点をずいぶんと克服しているけど、まだこの時期は葛藤している最中だ。
だから、全然ノリが違うんだよ。
最初に聴いてもらったとおり、普通にしゃべっていても、英語にはリズムがある。ヒップホップはそれをさらに強調し、リズムを複雑にしたものなんだね。そのことを忘れないでくれ。」
「はい・・・。分かりました。」
分かったからと言って、どうなるのだろうとタカシは思った。
「今は音の話をした。今日はもうひとつ大事な話をしておこう。」
そう言うとT先輩は、電子辞書を取り出した。
「君は電子辞書を持っている?」
「はい。」
タカシは自分の電子辞書をT先輩に見せた。
T先輩はタカシの辞書を手に取り、ボタンを色々と操作した。
「なるほど。これなら十分。」
何が十分なんだろう。
「君は法学部だったよね。」
「はい。国際法を専攻しています。」
とは言っても、タカシはそれほど国際法について知っているわけではなかった。
「OK。じゃあ、lawという単語はもちろん分かると思うんだけど、ああ、法って意味のね。」
「ええ。」
「それにどういう動詞がくっつくと思うかな?」
「え?makeとかですかね。」
「ほかには?」
「うーん、legislateとか・・・。」
「ブー。確かにlegislateは法律をつくるという意味だが、目的語にはlawは来ない。lawはすでにその動詞のなかに入っているんだ。
もし君が法律に関する短いレポートを英語で書くとして、何度も「立法」という表現しなければならないとき、このままだと2つの表現しかないことになる。
しかし、実際にモノを書くとなれば、ニュアンスはもっと複雑なものになる。
例えば、法律を起草する、採用する、制定する、立案する、どれも似ているが違う表現だ。
法律が法律として施行されるまでの、一体どの段階のことを指すかで、動詞も違ってくる。
官僚が草案を書いた段階なのか、議会で採択したのか、あるいは、完全に法律としての機能が始まっている段階か。
しかし、日本語から変換しても、正しい答えにはならない。なぜなら、日本語と英語は1対1ではないからだ。」
「じゃあ、一体どうしたら、いいんですか?」
「そこで登場するのが、英単語の接続に関することを網羅した辞典だ。
君の辞書にも、日本語と英語の二種類ある。これを駆使するんだ。
lawには、一体どういう動詞がくっつくのか、ほら、沢山書いてあるだろ?」
と言って、T先輩はその辞書のlawのページを見せてくれた。
「類語辞典もよく使う。だが、類語はニュアンスの違いについて、かなり説明が雑だ。だから、気を付けなくてはいけない。
ニュアンスを正確に理解するには、英英辞典を使えるようにならなくてはだめだ。
まあ、このあたりの話はおいおいにしよう。やってみなければ分からない。」
タカシは頭が痛くなってきた。
しかし、本当の特訓が始まるのはこれからなのだった。