それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

日中の件:長くて短いドミノ倒し

2012-09-24 21:29:25 | 日記
日本の中国外交の弱体化は今に始まったことではない。

小泉政権から安倍政権にかけて、外務省内のチャイナスクールは権力を失っていった。

また、ちょうどこの時期までに、それまであった強力な中国人脈は自民党の政治家から失われた。


民主党政権になり、鳩山政権が倒れ、菅直人が首相の座についた。

問題は外務大臣で、民主党内では外交に通じているとされた前原がそのポストについた。

中国との領土問題で現状変更へ進みだしたのは前原で、尖閣の現状維持は彼が崩した(尖閣が固有の領土であることを明言)。

そして、中国大使は一切の外交ノウハウがなく、外交官として最悪の評判を得てしまった丹羽氏だった。


パワーの観点で言えば、中国が膨張していることは誰の目にも明らかで、特になんだかんだ継続している経済成長がパワーバランスを崩す大きな要因だった。

もちろん、近隣諸国の経済成長は自国の成長にとって不可欠であり好ましいが、外交関係が不安定ななかでのパワーバランスから考えると、必ずしも好ましくない方向に作用する場合がある。

日本は軍事力はアメリカに頼ってきたが、そのアメリカはイラク戦争、サブプライムと続いて失速した。

日本の経済力の低下も相まって、パワーバランスは明らかに日本の側に不利に変化していた。

現状を維持するだけでも、かなりのコストがかかる時期のはずだった。


しかし、力の低下は必ず大衆のナショナリズムを悪化させ、その悪化は必ず外交の強硬化、硬直化につながる。

つまり、パワーバランスの変化と逆の要求を大衆はしがちである。

ポピュリスティックな政治家はその大衆の要求を簡単に受け入れ、自分の支持率につなげようとする。

夢見がちな左派と、現実が見えていない右派しかいない可哀そうな国では、そうした政治家の行動に歯止めをかけることもできず、政策決定は非現実的な方向へ進んだ。


日本のメディアはもちろん外交などというものを今まで考えたこともなく、前原外相の時期に外国人献金という内向きの問題だけを取り上げ、世論もそれに流され(あるいは、世論が勝手に向かっていき)、領土問題も含めたアジア外交はほぼ思考停止のまま進んだのであった。

国有化は最後の引き金で、実際には長くて短いドミノ倒しの最後のコマに過ぎないのであった。


では、中国が現状維持を望んでいたかと言えば、そういうわけでもあるまい。

日中は相互に実効支配の実績をつもうとしていた。

また、中国にしても領有権の主張を明確にしている。

おそらく本当の課題は中国にいかに現状維持を飲ませるかだったのではないか。