それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

アマチュアを操作するプロフェッショナリズム:日本流のショウビズ

2010-07-18 03:33:54 | 日記
*○は伏字。もはやクイズ・・・。


日本のショウビズにプロフェッショナリズムがないという主張を村○龍が行っていたという。

なるほど、日本のアイドル文化はまさにその象徴かもしれない。

ライ○スター宇多○のアイドルについての定義は白眉。

「アイドルとは、その人物の魅力に基づき、ファンがその実力の不足分を補う存在」(うろ覚えの定義でごめん)。

すなわちアイドルは実力不足だからこそアイドルであり、それが許される魅力そのものがアイドルの本質だというのである。

モー○ング娘、○KB48、ジャ○ーズの様々なグループ。

おそらく多くの聴衆が、こうしたアイドルの実力がプロフェッショナルと呼べるほど、少なくとも、欧米のショウビズで要求されるような水準には至っていないことを認めるだろう。

ところが、トップアイドルの人気はすごい。実力がその人気と無関係だとは思わないが、歌それ自体、踊りそれ自体の上手さとは違う位相にあると言わざるを得ない。

しかし、実力が必ずしも人気と関係なかったとしても(その主要原因ではないとしても)、アイドル誰もが売れるわけではない。

トップアイドルに隠れて売れなかった「アイドル」は沢山存在する。

では一体、何が売れる売れないを左右するのか?

その難しい問題をここで書けたら、自分はプロデューサーになれるのであって、自分には全くその才能はない。

アイドルをどのように売るのかは難しい。おにゃ○こで日本を席巻した秋○康はさすがなのであり、それを再び○KB48で成功したのである。

ジャニーズもメディアや企業と癒着した強力な構造を利用しているにしても、その売り方はさすがなのである。

なるほど、たしかに日本のショウビズにはプロフェッショナリズムはないだろう。

ダンスも歌もアマチュアのレベルを許す。

聴衆はむしろそれを求めてさえいる。

しかし、下手ならいいわけではない。大事なのはそこだ。

モー娘が売れ、そして没落する間、なぜドリームは売れなかったのか。パ○ュームは売れたのに、なぜコスメティクスは売れなかったのか。

キャラクターの作り方、提供される楽曲などなど、素人であるアイドルの裏には、高度なプロフェッショナリズムが隠されている。

それ無しには売れないのである。

この裏のプロフェッショナリズムは、現在の社会と近い将来の潮流を的確にとらえている。さらに、人間の五感をどうすれば高揚させられるか、よくよく知っているのである。

それはまさに一種の魔術でさえある。

その点で、日本のショウビズにはプロフェッショナリズムが存在する。

こうしたプロフェッショナリズムの位置の差異こそが、日と英米のオーディション番組の性質を決定的に分けているのである。

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