大阪府は、支援策として、府関係事務所などをそのまま入居させ続け、融資(無利子)した六三億円全額を債権放棄し、さらに公共性の高い「国際会議場」と「てんぼーるりんくう」の運営維持のために、同じ第三セクターの「臨海・りんくうセンター」に運営を委譲し、「臨海・りんくうセンター」(当時)を通じて運営資金として、「りんくうゲートタワービル株式会社」に、一〇年間で約三〇億円を支払うことになった。
この手法の要である「大阪都市開発」も大阪府が出資する第三セクターである。一九六五年に設立され、「泉北高速鉄道」、「りんくう国際物流事業」などを営んでいる。株式の四九%を大阪府が持ち、関西電力と大阪ガスが一八%ずつ保有している。
物流を担うべく設立された「大阪都市開発」は、旅客鉄道事業を営む意図はなかった。もともとは、南海電車に新路線新設を大阪府が要請していたのに、断られたためにやむなく経営に乗り出したのである。
大阪府は「泉北ニュータウン」への連絡路線建設にあたり、一九六九年、地元を走る「南海電気鉄道」に新路線建設を打診した。しかし南海は、一九六〇年代後半に立て続けに大事故を起こし、当時の運輸省(現在の「国土交通省近畿運輸局」)から厳重注意を受けていたため、新車両の購入や線路の復旧などへの投資が急務であった。そのため、多額の投資が必要で採算が当分見込めない新路線の建設にまで手が回らず、やむを得ず大阪府が、既存の第三セクター会社を活用して鉄道運営に当たることになった。これが「泉北高速鉄道」であり、一九七一年に開業した。いまでは、「南海高野線」の「中百舌鳥(なかもず)駅」から分岐して「和泉中央駅」までを営業している。
「大阪都市開発」は、本来の事業として流通センター事業を営んでおり、長距離を走る大型路線トラックと市内を走る小型集配車を中継する役目などを持つトラックターミナル、荷物の一時保管をおこなう流通倉庫などが併設された流通センターとして、「東大阪流通センター」 (大阪府東大阪市)と「北大阪流通センター」 (大阪府茨木市)を持っている。また、泉佐野市で関西国際空港発着の航空貨物との中継をおこなう物流拠点として設けられた、「りんくう国際物流センター」(RILセンター)の運営会社にも出資している。
ところが、〇八年四月になると、大阪府が、橋下知事の意向で、「大阪府都市開発」株の大阪府保有分を放出すると表明した。売却には他の株主との調整が必要なうえに、「大阪府都市開発」は府に対して年間一億二〇〇〇万円の配当を出す黒字企業であることから、府議会から異論が出ている。また、この動きに対し、南海が株式の取得に意欲を見せている。かりに南海が「大阪府都市開発」を吸収合併するとなると、和泉市に本社を置く企業が一社減ることになるので、和泉市に入る法人税収入が大きく落ち込むことになる(ウィキペディアより)。
大阪府も大阪市も大阪湾を取り巻く巨大開発に失敗した。しかし、橋下府政は、さらに積極的に大阪湾(ベイエリア)開発を推し進めることによって、死に体である大阪市を踏み越えようとしている。
大手家電メーカー「シャープ」(大阪市)が、〇七年(平成一九年)一二月から堺市堺区の堺浜地区で計画を進めている「液晶コンビナート」について、進出企業一八社が〇九年一月までの約一年間で、大阪府内の企業に発注した工事費などの総額が約二四〇〇億円にのぼることが〇九年三月二日、府の調査で分かった。これは、府が公共工事などに使う年間予算に匹敵する巨大な規模である(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/227289)。
大阪府が、道路工事や河川整備などの公共事業のために、〇九年度の予算案に計上した建設事業費は、二二七四億円であった。堺区に進出する企業の工場着工時から〇八年一二月までに延べ約二七〇万人、一日平均約七〇〇〇人がコンビナート建設作業に携わった。
府の〇九年度当初予算案では、企業業績の悪化などで法人二税(「法人事業税」、「法人住民税」)が前年度比約二〇六〇億円(三八・三%)減少した。しかし、先述の「シャープ」は、世界最大規模の液晶パネル工場を中心に、薄膜太陽電池工場などを、堺区で、二〇一〇年三月までの稼働を目指している。
大阪府内のベイエリアでは、液晶コンビナートのほか、「パナソニック」が大阪市住之江区にリチウムイオン電池、「三洋電機」が貝塚市に太陽電池の新工場をそれぞれ建設中で、この地区を、橋下知事は、新エネルギー産業の拠点にしようとしている(http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090301/lcl0903012003000-n1.htm)。
橋下知事が「ベイエリアにエネルギーを注ぎたい」と期待するのも頷ける。しかし、財界のそうした動きについていくことで成功するのなら、これまでの「ベイエリア開発」で成功していたはずである。多くの失敗という経験からすれば、財界が動くといっても、失敗の後始末を自治体に丸投げしてきただけのことではないのか。これからも、そうした構図が繰り返される恐れは本当にないのだろうか。
生活基盤の充実と、工場を主体とした「ベイエリア開発」とは必ずしも両立しないものであったことが、これまでの経験が示す教訓ではなかったのか。そうした教訓とは、本稿注(13)で示した産業再配置に関する一連の立地法に加えて、リゾート開発と第三セクターの持つ基本的な欠点を知ることである。