消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(164) 道州制(6) 橋下大阪府政と関西州(6)

2009-05-27 23:32:07 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


二 「テクノポート大阪」の失敗

 「テクノポート大阪」に関する工事進捗の時系列を見る。 

一九五八年、大阪南港建設のための埋め立て造成事業が開始される。

  七一年、「南港フェリー埠頭」より最初の就航船。

  七四年、「港大橋」開通。

  七七年、「南港ポートタウン」の「まちびらき」。 

    八〇年、南港埋立完了。

  八一年、新交通システム、「ニュートラム南港ポートタウン線」開業。

  八五年、「テクノポート大阪」の基本構想発表。

    八八年、南港北地区の愛称を「コスモスクエア」とする。「テクノポート大阪」基本
      計画策定

  九三年、「大阪国際見本市会場」(インデックス大阪)の増改築完成。

  九四年、ATCオープン。

  九五年、「WTCコスモタワー」、オープン。

  九七年、沈埋式海底トンネル(「地下鉄中央線延伸」)開通。

二〇〇八年九月一九日、平松邦夫・大阪市長は、「テクノポート大阪」構想を廃棄すると明言。

 以上が「テクノポート大阪」事業の時系列であるが、一九八九年に策定された基本計画では、咲洲の一部、舞洲、夢洲の計約七七五ヘクタールの規模であった。舞洲にスポーツ施設、夢洲に巨大住宅地、咲洲は国際交易・研究施設を建設する壮大な計画であった。しかし、五輪誘致に失敗(12)するなど、計画は行き詰まってしまった。

 夢洲は、舞洲の南西部に作られた人口島で、大阪五輪の選手村の跡地を住宅地にする予定であったが、進展せず、産業区域に変更し、ロジスティックセンターに模様替えすることになった。そこで、、夢洲南部に水深一五メートルの大型コンテナ船が接岸できる高規格コンテナターミナルが二つ建設されたが、広大な空き地が広がっただけである(ウィキペディアより)。

 大阪湾の大規模開発に反対する活動をしている「大阪湾会議」という市民団体は、すでに、〇一年一一月二五日時点で、地下鉄・「北港テクノポート線」、舞洲トンネル、夢洲開発事業、の中止を政府に申し入れていた。「北港テクノポート線」には、住民のいない不採算路線になることが必至である。夢舞大橋に加えて、一〇〇〇億円を投入する夢洲と舞洲をつなぐ舞洲トンネルは必要ない。夢洲開発では四万五〇〇〇人もの巨大住宅地が成立する可能性が乏しい。これら三事業はバブル期に策定されたものなので、バブル崩壊後は即刻中止すべきであるとした(http://www.jimmin.com/2001b/page_118.htm)。

 「南港コスモスクエア新都心計画」も悲惨な状態になってしまっている。ATC、「ミズノ本社」、「コスモタワー」、「ハイアットリージェンシー大阪」などが完成しているが、「コスモタワー」北部に五本以上の高層オフィスビルを建設するという計画は立ち消えた。この地は、オフィス需要の高まりが期待されて追加的に埋め立てられた土地であるが、いまだに空き地のまま放置されている。

 バブル経済真っ盛りの時期に、大阪市は、大阪府が進めていたりんくうタウン計画に負けじと大阪南港に新都心建設に邁進した。しかし、バブル崩壊とともに、無惨な結果になってしまっている(http://www.eonet.ne.jp/~building-pc/baburu/nannkou.htm)(13)。

 こうした巨大開発事業の失敗が、大阪市を深刻な財政難の地獄に突き落としたのである。

 以上が大阪市の事業であるが、大阪府も「りんくうタウン」という巨大プロジェクトによって大火傷を負った。


 三 「りんくうタウン」を受け継ぐ「ベイエリア開発」


 「りんくうタウン」とは、関西国際空港の開業に合わせて大阪府などによって開発された副都心計画である。沖合の「空」港を「臨」む(臨空)対岸地区にあることから発想された名称である。大半の施設の運営・管理は第三セクターである「大阪府タウン管理財団」がおこなっている。ほぼ一〇〇%が大阪府の出資である(http://www.pref.osaka.jp/shusshihojin/zaiseisaiken/41.pdf)。

 大阪府が六〇〇〇億円の費用をかけてこの地を造成した。関西国際空港の対岸、泉佐野市の海岸沿い地域に五〇棟を越す超高層ビルや百貨店などを建設する計画があったが、バブル崩壊後、ほとんどの計画が凍結された。建設されたのは、「りんくうタウン駅」、同駅舎内のショッピングモールの「りんくうパピリオ」、駅に隣接する「りんくうゲートタワービル北棟」「りんくう総合医療センター」、「りんくう現代美術空間」、「りんくうパパラ」のみであった。いまだに、広大な造成地の大部分が空き地のままである。地元の泉佐野市も一五五〇億円もの費用を投じて多くの公共施設を建設したが、維持管理費の負担にあえぐこととなった。

 進出した企業が相次いで撤退した。その一つが、第三セクターの「りんくうゲートタワーホテルビル株式会社」であった。

 繰り返し触れるが、同社の経営する「りんくうゲートタワービル」は、一九九六年に竣工した五六階建ての超高層ビルで、日本で二番目の高さを誇る。総工費は約六五〇億円。

 二四時間空港である関西国際空港の宿泊客を見込み、「全日空ゲートタワーホテル大阪」が核施設として一~六階と二八階~五四階に入居している。ホテル六階には、「りんくう国際会議場」と通常の会議場、七階は「セントラルスポーツ」によるプールを併設したフィットネスクラブ、九階に展示場があり、八階と一〇~二六階はインテリジェントオフィスとなっている。二八階屋外では夏季限定でビアガーデン「スカイビアサロン・パティオ」を「全日空ゲートタワーホテル大阪」が開設し、地上高では日本一となる地上一三〇メートルのビアガーデンとして売り出した。

 しかし、バブル経済期にりんくうタウンが開発され、現在と比べると高価格な地価と建築費が重荷となり、大阪市内からほど遠い当地のオフィスも空室が目立ち(入居者は民間企業が主体だが大阪府関係の事務所も存在する)、賃料収入も低調な状態で開業以来毎年赤字の状態が続き、さらに前記ホテルの利用者数も低調であった。

 「全日空ゲートタワーホテル大阪」の経営会社、「ゲートタワーホテル株式会社」とその親会社で第三セクターの「りんくうゲートタワービル株式会社」が債務超過状態に陥った。そこで、〇四年一一月二九日、大阪府は、「大阪府都市開発」傘下に「大阪りんくうホテル株式会社」を設立した。この新設会社に、負債を切り離した上で、「ゲートタワーホテル株式会社」の施設と一部の未収金を無償で譲渡させ、従業員の再雇用をおこない、〇五年二月一日より経営を引き継いだ。

 そして、〇五年四月、元経営会社の「ゲートタワーホテル株式会社」が特別清算(特別清算については、後述)された(負債額は七七億円。親会社の「りんくうゲートタワービル株式会社」も同月、会社更生法を申請し認可された。負債額は、約四六三億円(累積赤字は〇四年度で約六二四億円)であった。その後、「新生銀行」と「ケネディクス」の企業連合(14)がスポンサーとなり、四五億円という総工費・負債額の一〇%未満の価格でビルが売却された。


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