(6) 昭和初期に住之江沖に計画された埋立地には国際空港を作る構想もあった。埋め立ては戦後本格化し、大阪市が何度も誘致を試みた「日本万国博覧会」の会場にする動きもあった。その後、弁天埠頭に代わるフェリーターミナルやコンテナ埠頭を設けた。「ポートタウン」の名称のもとで団地建設が進み、学校、商業施設、公園、「なにわの海の時空館」がオープンした。しかし、新たに追加された埋立地に計画された「コスモスクエア」の整備計画は、バブル期に過大な規模にまで拡大された結果、テナントの撤退や土地の分譲不能など思惑がはずれ、その事業費が事業者である大阪市(港湾局)の大きな負担となっている。主な施設は、「国際フェリーターミナル」、「コスモフェリーターミナル」、「大阪南港フェリーターミナル」など(ウィキペディアによる)。
(7) 咲洲とは、大阪市住之江区にある人工島。大阪南港に造成された埋立地で、総
面積は九三七万平方メートル。咲洲北部は「咲洲コスモスクエア地区」と呼ばれ、ATCや、WTCなどの大規模な施設が集積している。バブル全盛期の一九八八年に決定された「テクノポート大阪」計画に基づき、大阪市主体で数々の巨大施設が建設された。しかし、九〇年代の不景気でそのほぼすべてが破綻し、第三セクターによるムダ遣い、ハコモノ行政の象徴となったうえ、大阪市の財政に大きな負担を与えている。
咲洲は、一九九七年一〇月一七日に開通した海底トンネルの「咲洲トンネル」によって、大阪港天保山地区と結ばれている。このトンネルは、トンネル本体となる沈埋函を海底に沈める沈埋工法で建設された。沈埋工法のトンネルとしては日本初の道路・鉄道併用トンネル(ちなみに日本初の沈埋トンネルは、一九三五~四四年にかけて建設された「安治川トンネル」)で、複線の鉄道線(「大阪市営地下鉄中央線」)の両側を各二車線の道路が通る構造になっている。延長は道路部分が二、二〇〇メートル、鉄道部分が二、四〇〇メートルある。大阪市中心部から南港地区への最短経路である(ウィキペディアより)。
(8) 彩都(さいと)とは、国際文化公園都市の愛称である。一九八六年に事業が開始された、大阪府茨木市と箕面市の北部山間部に開発中のニュータウン。都市再生プロジェクトの一つとなっているほか、「バイオメディカル・クラスター創成特区」に指定されている。「都市再生機構」(UR)が、「特定土地区画整理事業」として施行している。
茨木市と箕面市にまたがる西部地区、茨木市北部に位置する中部地区と東部地区の三つのクラスターからなり、三地区を合わせた総面積は計七四三ヘクタール、居住人口五万人、昼間流入人口二万四〇〇〇人が予定されていた。すでに造成の終わっている西部地区(三一三ヘクタール)は既存のニュータウンである「粟生間谷住宅」や「大阪大学箕面キャンパス」(旧・大阪外国語大学)と隣接し包み込む形になり、将来予定されている東部地区は既存のニュータウンである「茨木サニータウン」(山手台)と隣接している。
住宅地だけでなく、主に生命科学・医療・製薬などの研究施設や関連企業なども備えていることが特徴。将来的には人文学系の研究機関や大学、博物館なども予定されている。近隣の「千里ニュータウン」や「万博記念公園」などにある「大阪大学吹田キャンパス」、「千里ライフサイエンスセンター」、「国立循環器病センター」、「生物分子工学研究所」、「大阪大学箕面キャンパス」、「国立民族学博物館」、「国際協力機構(JICA)大阪国際センター」などの研究施設がある(ウィキペディアより)。
彩都は、橋下知事にとって、「負の遺産」の一つになっている。彩都をめぐっては土地区画整理事業の主体となる独立行政法人・都市再生機構が東部地区からの撤退を発表。府はこれまで西部地区の府道、「大阪モノレール」などのインフラ整備に約一七五億円を投じてきた。さらに、西部と中部、東部の各地区をつなぐ府道とモノレールの整備事業費用として約一八六億円の出資を見込んでいる。しかし、中部地区は〇六年、「武田薬品工業」の研究施設の誘致に失敗し、未着工の状態である。同じく未整備の東部地区についても「都市再生機構」が、〇八年四月に入り、「土地区画整理事業」から撤退する方針を示したばかりで、いずれも開発のメドが立っていない。
また、府は大阪モノレールを運営する第三セクター「大阪高速鉄道」に九四億六三〇〇万円(出資比率六五・一%)を出資している(『産経新聞』〇八年四月一三日付)。
橋下知事の「財政再建プログラム試案」は、大阪府の「改革プロジェクトチーム」自身が「非常に厳しい試案」と認めたように、府立施設や出資法人の見直しだけでなく、高齢障害者、乳幼児のための医療費助成や私学助成(授業料軽減)のカットなど、府民の痛みを伴うものであった。
大阪府の「改革プロジェクトチーム」(PT)は、〇八年四月一一日、橋下徹知事の指示で検証を進めていた「負の遺産」とされる三つの主要事業を特定した。三事業とは、府の産業用地「りんくうタウン」(泉佐野市、泉南市、田尻町)、府が開発したニュータウン「箕面森町(しんまち)」(箕面市)、新産業施設の誘致・集積などを図る第三セクター「泉佐野コスモポリス」(泉佐野市)。失敗の原因として、「りんくうタウン」については「バブル崩壊後も関空開港のインパクトへの過度の期待があった」、「箕面森町」は「住宅公社による用地先行取得に性急に踏み切った」、「泉佐野コスモポリス」は「実務上の責任者不在などの状況を的確に是正できなかった」などとした(『産経新聞』〇八年四月一二日付)。
(9) 「公共施設等整備基金」は、大規模な公共施設、ならびに、庁舎およびその周辺の整備、ならびに、府が所有する建築物の耐震化を図るために積み立てられた基金のことである(http://www.pref.osaka.jp/houbun/reiki/reiki_honbun/k2010360001.html)。
(10) 「財政調整基金」は、年度間の財源の調整を図り、財政の健全な運営に資するために積み立てられた基金のことである(http://www.pref.osaka.jp/houbun/reiki/reiki_honbun/k2010360001.html)。
(11) 「特定調停」とは、簡易裁判所を利用して負債を圧縮する手続で「支払不能には至っていないが、このままだといずれ行き詰ってしまう」といった状況にある債務者の経済的再生を図る手続で、二〇〇〇年(平成一二年)二月から施行された新しい債務整理手続である。簡単に言えば裁判所を利用した任意整理。特定調停利用の目安は任意整理と同様に利息制限法で引き直しをした後の債務を三年以内に返済できるかどうかポイント(http://www.cooling-off.biz/jikohasan/tokutei1.html)。
破綻状態に陥った大阪市の第三セクターであるATC、WTC、MDC(湊町開発センター)の三社によって申し立てられていた「特定調停」の第五回調停が、〇四年二月一二日、大阪地裁で開かれ、大阪市や金融機関など二四の債権者が地裁の調停委員会の示した調停案に同意し、調停が成立した。金融機関側は貸付金残高の約四五%に当たる九二六億円の債権を放棄し、市は追加出資など約四七〇億円を支援することになった。市によると、株式会社の第三セクターで特定調停の成立は全国初という。三社は、いずれも巨大ビルの経営会社である。今後、三〇~四〇年計画で経営再建を目指す。各社の社長は辞任した。後任は民間から選ばれた。市の支援の内訳は、追加出資一〇四億円のほか、貸付金の株式化三二九億円など。調停案には三社が倒産した場合、金融機関に発生した損失を市が補償する条項(後述)も盛り込まれたため、二次破綻すれば市の負担はさらに増える(http://www.47news.jp/cn/200402/cn2004021201000940.html)。
大阪市は、〇四年四月一日、市議会にWTCについて、次のように報告した。
「会社は事業の継続に支障をきたすことなく返済期にある債務を返済することが困難な状態にあり、また開業一年目の一九九二年から累積損失を計上し、二〇〇〇年三月期では約二三六億円の債務超過状態にある。会社としては、これまで会社の自立的・継続的な存続に向けた抜本的な経営改善策について、大阪市や市中金融機関と協議を重ねてきましたが、関係者の合意には至らなかった。会社の再建は社会的にも注目を集め、関係当事者も多数に上り、その影響も決して小さくない点を考慮し、今後事業の再建策をまとめるために、公平性・透明性を保持できる公正な手続を経ることが望ましいと考えられたことから、特定調停法に基づく特定調停の申立を行うこととしたものである」(http://www.city.osaka.jp/keieikikakushitsu/kanridantai/saiken.html )。
引用文献
総務省自治財政局地域企業経営企画室[各年]、『第三セクター等の状況に関する調査』。
地方自治制度研究会編(松本英昭監修)[2006]、『道州制ハンドブック』ぎょうせい。
帝国データバンク[各年]、『第三セクター経営実態調査』。
廣瀬信己[2008]、「企業立地と地域経済の活性化-大阪府、福岡県の取組みを中心に-」、
レファレンス』二〇〇八年八月号。