五 EUの苦境
〇九年、ユーロも一〇歳の試練に喘いだ。欧州単一通貨のユーロが導入されたのは、一九九九年一月のことであった。〇九年一月一日には、新たにスロバキア(15)がユーロを通貨として採用し、ユーロ圏は一六か国になった(16)。
ユーロ圏の人口は約三億二〇〇〇万人で、人口規模では米国を抜き、GDPでは世界の一六%のシェアを持ち、米国の二一%に次ぐ。しかし、ユーロ圏に英国など一一か国を含めたEU二七か国(17)のGDPでは、米国を上回り、世界一である。
世界の外貨準備に占めるユーロの比率も、発足当時の一八%から二五%超にまで高まった。ユーロの存在感は確実に高まっている。
ユーロの取引開始時の為替レートは、一ユーロ=一三二円であった。当初の二年間は欧州経済の減速を受けて円高・ユーロ安が進み、一ユーロ=八九円台とユーロは大幅に下落した。しかし、その後は対円、対ドルでユーロ高が進み、〇八年七月には、一ユーロ=一六九円にまで上昇した。ところが、金融危機の影響をモロに受け、〇八年末には、ユーロは一二七円台にまで下落してしまったのである。
欧州の金融機関が米国のサブプライムローン関連投資で損失を被っただけでなく、スペインでは住宅バブルが弾け、国外からの資金流入で高い成長率を実現していたロシアや中東欧経済は、資金の流出によって大きく下降した。こうした地域への輸出で潤っていたドイツ経済も大きく減速した。
要するに、EUは、経済圏として課題評価されていたと評価が下がってしまい、〇八年七月に入って、ユーロの対円、対ドル価値が急低下したのである。
ただし、そうした状況下でも、デンマーク、スウェーデン、ハンガリー、ポーランドなどがユーロ採用の意向を示している。
ユーロに関する判断としては、ユーロが、一国の通貨ではなく、一六五か国(〇九年一月一日現在)の経済力を裏付けとするので、これまでは、信頼感が上がっていたのであるが、金融危機が新規加入国を直撃するに及んで、これら諸国の経済力の弱さから信頼感が下がってしまった。また、ユーロ圏の金融政策は統一されているが、財政政策がばらばらなので、そのことが、ユーロ評価を下げているという側面もある(『讀賣新聞』二〇〇八年一二月二九日付)。
EUの一員ではあるが、ユーロを導入していない英国も、ポンドの大幅な安値で苦しんでいる。GDPの三割超を占める金融業界が経済を支えてきた金融立国の英国は、製造業の強いドイツなどよりも、経済の落ち込みが激しく、これがポンド安に拍車をかけた。ロイヤルバンク・オブ・スコットランド(The Royal Bank of Scotland)やHBOSなどの有力金融機関が経営不振に陥り(18)、経済視聴率はマイナス〇・六%に落ち込んだ。
国内経済の悪化で、老舗の小売りチェーンが破綻する(19)など、〇七年、〇八年前半の好況を謳歌していたのが嘘のように様変わりした。約八〇〇〇店を持つ老舗小売りチェーンのウールワース(Woolworths)が、〇八年一一月に破綻、身売り先も一部店舗を除いて、決まらず、〇九年一月、ほぼ全店舗が閉鎖された。英国の失業者数は一六八万人と一一ぶりとなる水準にまで悪化した。
〇七年夏には、一ポンド=二五〇円と対円でポンド高であった。ところが、〇八年十二月には、一三一円台と、一九九五年四月以来の水準まで下落した。対ドルでも三割下落した。
対ユーロでも、一九九九年のユーロ導入以来、初めてとなる一ユーロ=一ポンドに迫る〇・九五ポンド台までポンド安が進んだ(『讀賣新聞』二〇〇八年十二月二八日付)。
おわりに
日本の鉱工業生産指数が急激な落ち込みを続けている。〇八年一一月は前月比八・一%と過去最大の落ち込みを示した。一二月も同水準であった。これは、一九七三年の第一次石油危機を上回る落ち込み額であた。産業別では、自動車を含む輸送機械がもっとも大きく、一四・九%減であった。薄型テレビや携帯電話などの使う電子部品も一一・六減であった。
〇九年一~三月の国内粗鋼生産量は、自動車向けの需要減などから前年同期比三一・六%減の二一一〇万トンと、一九七〇年一~三月以来、三九年ぶりの低水準に落ち込んだ。新日鐵とJFEスチールなどは、〇九年一~二月に航路の一時休止に踏み切った。両社は、〇八年一〇月以降、鉄鋼石などの原材料の投入量を減らしたり、高炉への送風を一時止めるなどの減産を進めてきたが、JEFはこれまでの一五〇万トンの減産量を四〇〇万トンに増やさざるを得なくなった。
それにしても、〇八年一〇月~一二月の生産の落ち込みは急激であった。いわゆる「トヨタ不況」のために、愛知県は〇九年度には、普通交付税の交付団体に転落した。〇七年度で不交付団体であったのは、東京都と愛知県だけであった。愛知県は、〇八年半ばまで日本でもっとも景気の良い県としてもてはやされていたのに、〇九年度はその面影も亡くなった。トヨタの〇九年三月期には、前年同期比七割もの減益であった。
トヨタを含む自動車関連産業の就業者は五〇〇万人で、全就労人口の八%にも当たる(原[2009]、二〇〇ページ)。
人員整理も急速に拡大している。トヨタは〇八年三月末に八八〇〇人いた期間従業員を、〇九年三月末までに三〇〇〇人にまで削減した(20)。ホンダも〇九年二月末までに期間従業員一二一〇減らした。日産は、〇九年三月末までに二〇〇〇人の派遣社員を削減した(21)。マツダは、〇九年一月末までに派遣社員一六〇〇人を減らした。富士重工も同時期に非正規従業員(22)一一〇〇人を削減した。いすずは、〇九年四月末までに一四〇〇人いる非正規従業員のすべてを削減した。日産ディーゼルは、〇九年六月末までに派遣社員八四三人をすべて削減した。ルノーは、二〇一〇年三月末までに世界でエレクトロニクス事業部分の一万六〇〇〇人以上を削減する予定である。その中には正社員八〇〇〇人も含まれている。ルネサステクノロジは、〇九年三月末までに派遣社員一〇〇〇人を削減した。同期間、TDKも派遣社員一〇〇〇人減らした(『讀賣新聞』二〇〇八年一二月二七日付)。
日本の非正規従業員の削減数は、〇九年三月末までには八万五〇〇〇人になった。
米国労働省が発表する雇用統計によると、米国の〇八年の非農業部門の雇用者数は、二五八万九〇〇〇人減で、第二次大戦が終わった一九四五年の二七五万人減に次ぐ大幅な減少であった。つまり、〇八年の雇用減の大きさは戦後最大のものになったのである。そして、雇用者数減の四分の三(約一九〇万人)が九月以降の四か月間に集中した。リーマン・ブラザーズの破綻を機にした金融危機が、貸し渋りなどの形で企業や家計の経済活動に波及し、レイオフに踏み切る企業が急増したからである(『日本経済新聞』二〇〇九年一月一〇日付)。
米国の主要企業も、各社ともに数千人から一万人規模の人員整理に動き出した。米アルミ最大手のアルコア(Alcoa Inc)は、〇九年内に世界で、全従業員の一三%に当たる一万三五〇〇人の削減方針を〇九年一月六日に発表した。〇八年一二月には、米通信際最大手のAT&Tが一万二〇〇〇人の削減を発表sた。米調査会社のチャレンジャー・グレイ・アンド・クリスマス(Challenger, Gray and Christmas)によると、〇八年一二月に米国で発表された人員削減の総数は一六万六〇〇〇人と前年同月の四倍近くに膨らんだ。
〇八年の米国の雇用減は二五〇万人を超えたが、企業が〇八年中に削減すると発表した人数は一二二万四〇〇〇人であった。これは、〇三年以来の高水準であった。業種別では金融が二六万人で最多。二位は自動車の一二万七〇〇〇人。上位一〇業種にはコンピュータや通信、医療などこれまで比較的に堅調だった産業が入っていて、金融危機の余波が幅実体経済に及んでいることが示されている。
雇用サービス会社、オートマチック・データ・プロセッシング(Automatic Data Processing=ADP)によると、〇八年一二月の非農業部門の雇用者数の前月比減少幅は、従業員五〇〇人未満の中小企業で六〇万二〇〇〇人であった。これは、金融危機前の八月の減少幅に比べて二・九倍に拡大した。従業員五〇〇人以上の大企業は、同期間に一・八倍の減少幅だったので、中小企業の雇用環境の悪化が顕著であったことが分かる(『日本経済新聞』二〇〇九年一月一〇日付)。
いよいよ恐慌にまで、事態は突き進んでいるのである。