消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

福井日記 No.152 歴史的因果律その1

2007-08-25 17:09:54 | 金融の倫理(福井日記)

 息子との格差の大きさに奇異を感じるが、市場を通すのではなく、予言が実現され得るとしたのは、ロバート・コックス・マートンの父、ロバート・キング・マートン(Robert King Merton, 1910~2003)であった。

 父のキングは「自己実現的予言」(self-fulfilling prophecy)という表現を生み出した人である。この父は、その他にも、「お手本」(role model)、「意図せざる結果」(unintended consequences)という、後に人々の日常会話にも登場するポピュラーな言葉を作った人として知られている。

 主としてコロンビア大学で教鞭をとった。キングの父は、東欧ユダヤ系移民労働者であった。フィラデルフィアで育った。フィラデルフィアのテンプル大学(一九二七~三一年)、ハーバード大学(一九三一~三六年)を卒業後、しばらく、ハーバード大学で教えた後(一九三九)、一九四一年からコロンビア大学に移り、一九七四年には、この大学の最高の名誉である「大学の教授」(University Professor)になる。

 全米科学アカデミー(the National Academy of Sciences)会員に推挙された最初の社会学者(sociologist)であり、スウェーデン、英国の外国人アカデミー会員にも選ばれた。一九九四年には、社会学者として初めて「全米科学賞」(the US National Medal of Science)を受けた。

 そもそも、「社会学」(sociology)は、フランスのオーギュスト・コント(Auguste Comte, 1798~1857)の命名になるものある。



  コントは、人間社会を「あるがままに、実証主義的に」描く学問の必要性を主張し、そうした学問を「社会学」と称した。

  それまでは、社会を描く学問は「あるべき姿」にこだわりすぎた。コントは、「あるべき姿」と「あるがままの姿」の両者を探求することが重要であるとした。彼が造語したフランス語の"sociologie"は、ラテン語の「社会」(socius)とギリシャ語の「学知」(logos)を合わせたものである。コントの理論は、生物進化に社会の進化をなぞらえた「社会有機体説」であった。

 第二次世界大戦後、社会学は米国の三人の学者を中心として発達してきた。



 
タルコット・パーソンズ(Talcott Parsons, 1902~1979)、アルフレッド・シュッツ(Alfred Schütz, 1899~1959)、そして、キング・マートンであった。

 
パーソンズは、「社会学的機能主義」という人間社会の大理論を、シュッツは、「現象学的社会学」の小理論を、そして、キングがその中間である「中範囲の理論」を作ったのである。

 パーソンズは、「諸部分の総和からなるが、諸部分には還元されない独特の全体存在=システム」論を展開した。

 
それは、システムの内部か外部かという軸と、目的か手段かという軸の二つの軸が織りなす「適応」(adaptation)、「目標達成」(goal-attainment)、「統合」(Integration)、「型の維持」(pattern-maintenance or latency)からなるAGIL図式(四つの頭文字をとったもの)を分析手法に採用した。



 パーソンズは、ノーバート・ウィーナー(Norbert Wiener, 1894~1964)の「サイバネティクス」(cybernetics)論を援用した。勢い(馬)と制御(騎手)をキーワードとしたシステム論を社会に適用しようとしたのである(Parsons, Talcott[1937], [1977])。

 ただし、パーソンズの理論には、人間の内面を無視した客観的機能主義の傾向が強かった。それへの反発からシュッツは、人間世界の意味を重視した。

 
意味とは象徴である。
これはこれで、大きな進歩を社会学にもたらしたものであったが、細かい小さな事例調査という物足りなさを生み出すものであった(Schütz, Alfred[1932])。

 マートンは、一般的大理論を作るのではなく、経験的な検証ができる範囲という中間的なものに理論を限定させるべくきだとした。

 マートンは、当事者の期待通りに結果を得ることができた「顕在的機能」(manifest function)と、意図してなかった結果をもたらした「潜在的機能」(latent function)とを区分し、さらに、役に立つ=貢献する機能を「順機能」(eufunction)、害を与えたり阻害する機能を「逆機能」(disfunction)と呼んで区分した。

 マートンの理論の特徴は、先験的に物事を決めつけない点にある。そして、意図せざる結果の分析こそ、社会学の課題とした。つまり、不確実性がもたらす不確実な諸結果に機能分析の意義を見出そうとしたのである。

 たとえば、人間関係がぎくしゃくしている共同体の人々が、干ばつに悩んで雨乞いの儀式を大々的に行ったとしよう。雨は降らなかった。したがって、「顕在的機能」はこの雨乞いにはなかった。しかし、共同体の成員はお陰で仲良くなった。つまり、意図しなかった結果という「潜在的機能」をこの行為がはたしたのである。

 パーソンズが多用してきた「機能的統一性」も疑う必要があると父マートンは言う。部分が全体にとって一定の機能をはたすからといって、部分相互が役にたつように配列されているわけではない。部分間の対立を無視して安易に全体の調和を云々すべきではないと、彼は言う。

 パーソンズの「機能的普遍性」という考え方も危険であると、彼は言う。部分のすべてが機能をもつという仮定が「機能的普遍性」の考え方にはあるが、部分によっては、機能せず、機能しても逆機能になっている可能性があることを排除してはならないと、父マートンは言う。

 パーソンズの、「機能的不可欠性」は、ある部分がなくてはならない機能をもつという仮定であるが、これも疑わしい。ある部分を不可欠な要素であると決めつけることは危険である。不可欠だとされた部分が、まったく機能していないという可能性すらあるからである。

 先決機能を社会のある部分に当てはめてはならない。社会全体が目指す理論を試みることは危険である。したがって、理論とは、経験的に検証可能な中範囲に自己限定されるべきだとマートンは言う。

 マートンの理論を分かりやすく説明するには、「あこがれの集団=準拠集団」(reference groups)、「比較されたときの不満=相対的剥奪感」(relative deprivation)、「予言の自己実現」という三つの比喩が有効である。

 「あこがれの集団=準拠集団」とは、タレントになりたい若者が、芸能界の「業界用語」を使って、芸能人の風体を真似するという、よく見られる光景をイメージしたものである。タレント志望の若者にとって、芸能界が「準拠集団」である。準拠集団は、その集団に憧れる外部の人間にとって生き甲斐をもたらすという「順機能」をもつ。しかし、あまり過度にのめり込みすぎると、そうした人々は現在属している集団との不適合を起こすという意味での「逆機能」をもつ可能性もある。

 「比較されたときの不満=相対的剥奪感」は、潜在的機能の代表例である。米軍の中で、空軍の将兵の昇進がもっと早いという客観的な事実があるのに、昇進に対する将兵の不満は空軍でもっとも強いという調査結果がある。なまじ昇進が早いという現実では、昇進に対する期待感は他の軍よりも大きくなる。このときに昇進が遅れると不満が非常に大きくなるというのである。期待の大きさに比べてそれが実現しないときの落胆が「相対的剥奪感」とされる。良い職場であるがゆえに、こうしたマイナスの不満を呼び起こしてしまうので、これは「潜在的機能」の一つである。

 さて、「予言の自己実現」が、マートン理論の精髄をなす。ある筋が、「どこそこの銀行が危ない」という噂を流したとしよう。この噂が増幅して、その銀行が取り付け騒ぎに巻き込まれる。そして、実際に倒産してしまうこともある。逆の事態もある。選挙で、絶対に当選するとの噂が流された候補者が実際には落選してしまうことも結構事例としてある(Merton, Robert King[1949])。

 予言が実現されることもあれば、意図せざる逆の結果を生むこともある。つまり、将来は不確実性に満ち、結果も不確実なのである。

 このように、人の行動が思わぬ結果をもたらすという局面に社会学の存在理由を見出した父に反して、市場は予測できる範囲で合理的に動くはずであるとした子マートンは、市場の痙攣に弾き飛ばされた。

 演繹理論と分析しか科学として見ない父ミルから、帰納理論と叙述に人間性を復活させようとした子ミルへの流れとは正反対の成長を、子マートンは、潜在的機能として担ってしまったのである。

福井日記 No.152 歴史的因果律その2

2007-08-25 16:58:12 | 金融の倫理(福井日記)

 ケインズに戻ろう。

 
ケインジアンたちは、財政問題のみにこだわり、貨幣問題を軽視しているというのがマネタリストたちからの批判であった(monetarisy vs keynsian; http://www.warnerblade.com/f/viewtopic.php?t=44)。おかしな批判である。ケインズの著作の多くには、「貨幣」という表題が付けているのにである。

 ただし、ケインズの貨幣論は、マネタリストたちのように購買手段として貨幣を見るのではなく、人の不安を表現する心理的な機能を問題にしていたものである。ケインズ的な不確実性は、貨幣にこそ如実に示されるからである。

 貨幣は購買手段としての機能以外に価値の保蔵手段としての機能がある。そして、貨幣を保蔵手段として手元に置こうとする人々の欲求こそが、

 「未来に関するわれわれ自身の予想と慣習とに対する不信の程度を示すバロメーターである」(Keynes[1937], pp. 115-16. 邦訳、二八四~八五ページ)。

 人々は、将来への不安感を強くもてばもつほど、貨幣を手放さない。企業が投資を行うには、貨幣を手放そうとしない人を誘導して貨幣を借りなければならない。そのインセンティブが金利である。金利は人が貨幣を手放すバロメーターになる(ibid., p. 116. 邦訳、二八六ページ)。これが、ケインズの言う「流動性選好」なのである。

 利子は、貸付をしたい貨幣供給と借り入れたい貨幣需要といった関係で成立するものではない。将来への不安が利子率決定の最大の要因である。

  したがって、将来の不安感、そして不確定性が増せば増すほど、貨幣の流動性は低くなり、金利が上がり、債券価格は暴落する。

 
債券の価格差よりも、より流動性(貨幣との交換可能性)が高く、より安全な資産選択が求められるようになるのである。間歇的に市場が痙攣する。このときに、金融市場は崩壊してしまうのである。にもかかわらず、金融市場の崩壊の分析は行われず、台風一過、ふたたび金儲けのための金融理論が華々しく登場するのである。



 ケインズのこのような不確実性を中心とした貨幣的経済学構築を引き継ごうとしたのが、J・R・ヒックス(John Richard Hicks, 1904~1989)であったと、小畑二郎氏は指摘されている(小畑二郎[2005]、一五ページ)。ヒックスの『経済学における因果律』(Hicks, J. R.[1979])という著作がそれである。

 ヒックスは、将来の不確実性に対応できるようには、これまでの経済学はできていないと言う。

 国民所得、固定資本投資、貿易収支、雇用量、等々の統計を経済学はその基礎に置いているが、経済学が扱う統計は不完全なもので、社会そのものを完璧に写し取ったものではない上に、統計数値自体に誤差や曖昧さがつきまとう。つまり、経済学は不完全な知識の上に打ち立てられたものでしかない(Hicks[1979], pp. 1-2)。

 人間生活を扱う経済学は、不完全性を克服できてはいないが、歴史的時間の経過に従わなければならない。

 
経済学では、物事が「なぜ起こったのか」を問うことを任務としている。
 
つまり、実現した結果を引き起こした原因を探るのが経済学の大きな任務である。結果には、必ず歴史的原因があり、因果律を研究するには、必ず時間的に先行する原因を探らなければならないとしたのは、デービッド・ヒューム(David Hume, 1711~1776)であった(Hume, David[1739], Pt. 3, Sct. 2. 邦訳、第三部第二節、四二九ページ)。



 ヒックスは、ヒュームの歴史的因果律論を踏襲する。

 経済学は、自然科学の模倣をしようとしてきた。自然科学、とくに物理学に近づくために、それほど変化しない係数を選んできた。変数間の諸関係が不変のままに持続するというテーマに、経済学は、その理論を限定する傾向があった。いまでもそうである。現実を抽象化するモデルではなく、モデル化できる分野のモデルにこだわり、本来の現実の方に条件をつけてしまうのである。経済学の理論は、「諸条件に変化がなければ」という括弧付きの局面に視野を絞ってきたのである(Hicks[1979], pp. 39-40)。

  しかし、その結果、経済学は豊かな現実を写し取ることに失敗した。経済学は、人の意思、なぜ、そのような結果が生じたのか、等々の問題に取り組むという点で、自然科学とは性質を大きく異にするものである。つまり、経済学は科学の一端に位置付けられる以上に、歴史学の一端に位置付けられるべきものである(ibid., pp. 2-4)。

 物事の実行を決断するには、決断に至る前史と決断後の後史がある。ヒックスは、この前史を「先行段階」(prior step)、後史を「後続段階」(posterior step)と名付け、現在の行動を決断させる原因は、前史にあるが、その原因を作り出す意思決定は、歴史上の経験に基づくものであって、単に、確率論で明らかになるものではないとした(ibid., pp. 87-91)。

 さて、ヒックスが、ケインズの確率論を踏襲した点は、確率論の中の「頻度理論」(frequency theory)を安易に経済学に適用してはならないとしたことである。

 頻度理論は、確率を無作為(ランダム)な実験に固有の概念としている。長期間にわたって、数多く反復される行為が、確率を数値化する基礎になっている。しかし、経済現象では、そうした無作為な反復実験はできない。事象が起こるのは一回こっきりである。その意味において、経済学でいう確率は、本来の確率ではなく、さまざまな状態で生じうる可能性のことを指すにすぎない。たとえば、今後一〇年以内にアジアで戦争が起こる確率はどの程度かという類のものであって、自然現象で生じる確率とは基本的に性質を異にするものである(ibid., p. 107)。とは言え、「原始的な観念」(primitive idea)に堕すことなく説得的な理論にまで高めるには、理論を歴史学で基礎付ける必要がある(ibid., pp. 107-108)。

 「頻度理論」と並んで、確率には「公理論」(axiomatic theory)的アプローチがあると、ヒックスは言う。これは、ハロルド・ジェフリーズ(Harold Jeffreys, 1891~1989)に依拠した考え方である(Jeffreys[1939])。



 公理論的アプローチとは、異なる事象間の確率に成立する命題を検証するものであり、各命題間に一種の序列を持ち込めるのか、そうではなくて序列のない確からしさを表現するだけのものであるか、そもそも、数値化できるものなのか、そうではないのかといったことを吟味する接近方法である。

 ヒックスによれば、経済学は、確率として数値化できる命題も、数値化できない命題も、同じような重要さで扱われるべきであるとする。理論は、ともすれば数値化できる確率を得る方向に傾斜するが、それではいけないと、ヒックスは言う。

 
ヒックスは、このことを経済学における「不完全な順序」(incomplete order)と名付けた。確からしさに序列がつくものが、「完全な順序」(complete order)である。それに対して、数値的には小さい確率ではあるが、そのことによって、事象の重要性はいささかも減じないというのが、「不完全な順序」である。経済学は、「完全な順序」も「不完全な順序」も同等の重要性をもって理論化されるべきであると、ヒックスは強調した(Hicks[1979], p. 115)。

 家計に関する標本調査は無作為になされ、平均値や分散は容易に計算できる。しかし、時間を通じて家計がどう変わるのかは、このような計算だけではできない。変化を数値的に表現することは非常に困難なのである。

 結局、経済学は、とくに応用経済学は、歴史学に戻るべきであると、ヒックスは主張した(ibid., p. p. 11)。

 「統計確率論的方法」の経済学への適用領域はきわめて限定的である。確率論を使おうとするとき、対象が確率論に妥当するか否かをまず吟味しなければならないが、答えは、多くの場合、否定的なものである。ヒックスはこのように結論した(ibid., p. 121-22)。

 とくに、金融ゲームに関する無邪気なモデルが、社会を破滅に導こうとしているとき、ナイト、ケインズ、ヒックスの確率論への疑問を思い起こすことは非常に重要なことであると言わねばならない。