消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

福井日記 No.148 宮澤元首相への米財界人の恫喝

2007-08-16 22:37:02 | 金融の倫理(福井日記)

 ここで、国内金融機関への緊急救済措置を訴えた宮澤喜一元首相を恫喝した米国保険業界のトップの姿勢を反芻しておこう。

 日本経済は政治主導で自主性がないといわれる。それは、「護送船団方式」の言葉に表されるように、官が指図して民がそれに従い、民が官の保護を受けるというイメージで語られる。

 官に依存するのではなく、企業が自らリスクをとって果敢に市場経済に対処しなければ日本経済の未来はないとの文脈で、米国贔屓のエコノミストたちがしたり顔でとくとくと語る場面によくでくわす。米国企業は、官などを当てにせず、雄々しく市場経済に立ち向かっているというニュアンスもそこには込められている。

 しかし、事実はそうではない。米国の企業は、日本の企業など足下にもおよばないほど、官を利用しているのである。

 
米国の企業が活躍しやすいように、げんこつで他国市場の明け渡しを迫るのが、米国の官であり、政である。米国には、よく「回転ドア」人事といわれるように、財界と政界をいったりきたりするエリートが結構多い。業界のボスが関連省庁の長になるのがむしろ普通のことである。そうでないことの方が珍しい。財務長官は必ず金融界からだされる。農務省はアグリビジネス出身の長官を戴く。

 日本では、財務大臣に大銀行の会長が就任すれば大問題になってしまう。米国の企業は、自分たちの利益を生み出すために、政治を支配しようとする。政治を動かすことができる経営者が、業界のトップになる。そうした事態を誰も不思議には思わない。にもかかわらず、米国企業は政治から独立しているとまでいわれてしまうのである。これは、まことに奇妙きわまりない神話である。実際には、米国では財界のボスが政治に口だしをする。

 一例を「アメリカン・インターナショナル・グループ」(AIG)という保険会社の会長であったモーリス・グリーンバーグの発言にみよう。

 田中直毅が理事長を勤めている「二一世紀政策研究所」というシンクタンクがある。この研究所は、日本経済団体連合(経団連)が一九九七年三月に創設したものである。この研究所が、米国の「日本協会」との協賛で、一九九八年三月五日に開いたニューヨーク・セミナーで、元首相の宮澤喜一衆議院議員が「日本経済の現状」という基調講演をおこなった。当時、宮澤は、「自民党緊急金融システム安定化対策本部長」であった。

 この宮澤講演にコメントしたのが、グリーンバーグであった。以下にみられるように、グリーンバーグの発言は米国の政治家と見紛(みまが)うほどの米国の対日基本姿勢を率直に述べたものであった。日本の財界人だったら、まるで自分が日本の対外政策の基本線を作っているかのような発言はしなかったであろう。グリーバーグはまさに米国の対日政策の担い手のように、語ったのである。

 宮澤元首相の講演内容を要約しておこう。
 日本の金融システムの危機を脱する施策を担う「緊急金融システム安定化対策本部長」として、宮澤は、日本の金融システムが深刻な危機に陥っていることを強く語り、しばらく、緊急避難を試みる日本の政策を許容してほしいと米国に要望した

 一九九七年一一月以降、大型の金融機関の倒産が相次ぎ、国民は不安感に駆られて、よしんば銀行が倒産しても、預金の全額が保護されているにもかかわらず、預金を解約して、自宅の金庫に現金をしまい込むという異常な行動にでている。こんなことは、戦後の日本では初めてのことである。金融機関同士も疑心悪鬼になって、互いが互いを信頼せず、相互に信用を与えなくなった。国際金融市場で借り入れようとしても、日本の金融機関は「ジャパン・プレミアム」といって、他の国々よりも一段と高い金利を取られるようになってしまった。

 金融機関の整理・淘汰(リストラ)を促すべく、政府は、金融機関の自己資本比率を政府が定める水準に適合するように、早期是正措置を一九九七年の夏頃から実施するようになった。しかし、その結果は、銀行による貸出の回収を加速させてしまった。

 しかも、銀行が保有する他社株の価格が下がるという打撃を受けた。保有株は銀行の資本の一部を形成しているのであるが、その価格が下がるということは、銀行の自己資本が小さくなることを意味する。そのために、ますます政府の定める自己資本比率に達することが難しくなった。

 それがさらに、銀行による貸出回収(貸しはがし)に拍車をかけてしまった。中小企業のみならず、大企業も資金調達が困難になってしまった(クレジット・クランチ)。それがまた株価を下げてしまい、金融機関の資本不足を加速するという悪循環に日本経済は陥ってしまった。

 加えて、一九九七年七月からアジア通貨危機が発生した。これは、中国が人民元を三分の一も切り下げて、アジアの他国の輸出市場が中国の安い輸出価格によって奪われてしまったことに端を発したものである。対抗的に、各国は自国通貨の対ドル相場を切り下げた。その結果、各国の輸出品価格が下落し、輸出競争が激化した。アジアの輸出先は日本と米国である。

 日本は未曾有の経済危機に苦しんでいるために、アジアからの輸入を充分吸収することはできない。そうはいっても、米国に向かえば、米国の貿易収支赤字がさらに深刻になってしまおう。とすれば、日本は財政再建を先延ばしにして、金融緩和、内需刺激策に踏み切るしかなくなるだろう。金融機関には公的資金を投入して、金融機関の救済に乗りださなければならないだろう。それは、市場経済の原則から外れることを意味する。

 「こういう措置をとることが、止むをえなかった日本の現状を、先進各国にもまた国際機関にも理解してほしいと考えています」。

 預金者保護のために、二〇〇一年四月まで預貯金を一〇〇%保護するために、一七兆円の公的資金を用意している。金融機関には資本を増強するために、一三兆円を短期間だけ投入する用意をしている。

 日本企業の資金調達は圧倒的に銀行を通じるものである。自己資本規制や取引先の破綻によって、先述のように、日本の銀行の貸し渋りは甚だしくなっている。そのために企業の資金調達が困難になっている。そうした弊害をなくすために、公的資金を銀行に注入しなければならないのである。

 以上、みられるように、日本経済の惨状を「資産デフレ」と理解して、日本の金融組織の中核である銀行を救済しようと宮澤はいうのである。すべての銀行を救済するのではなく、市場から退場を宣告された銀行の倒産は止むをえないこととして放置するが、立ち直る可能性があるものは早期に救済しようというのである。

 日本経済の強さが銀行にあり、その組織をたたきつぶすことによって、つまり、日本経済を銀行を基礎とする間接金融から、株式を基本とする直接金融に変えてしまおうという米国の圧力に敢然と抗する議論を展開したのが宮澤演説であった。当時は橋本内閣の時代であったが、この段階までは、日本の政治的指導者たちは、まだ米国のいいなりにはならなかったのである。宮澤講演の重要性はここにある。

 ただし、宮澤も親米の政治家である。米国政治家の気に入りそうな文言をいくつか列挙している。

 「セキュリタイゼーション」、「金融監督庁の新設」、「消費者主権」、「日米安保宣言」などがそれである。

 一九九八年三月から、日本は「セキュリタイゼーション」を積極的に進める方針であると宮澤は述べた。セキュリタイゼーションとは、銀行がもっている不良債権を証券化して投資家に買ってもらうことである。そうすることで銀行の重荷は軽くなる。日本には、こうした市場がまだ発達していない。この面では、米国の投資銀行に期待したいと宮澤はいう。

 一九九八年六月に大蔵省から独立した金融監督庁を新設して、金融機関の透明性を高めることも語られた。これまでは、行政機関と金融機関とが癒着していた。行政による過剰介入があった。そして、解決されなければならない問題を先送りしてしまった。この弊害は早期に改められなければならないと、宮澤はいった。

 「消費者主権」という言葉もだされた。消費者が主人でなければならない。貯蓄や投資に関して数多くの選択肢が与えられなければならない。選択肢を与えるのが、日本の金融機関であろうと、外国のものであろうとどちらでもよい。日本の消費者の利益になればそれでよいのであると宮澤は発言した。

 宮澤はいう。官に頼ってはならない。頼れば必ず規制が伴う。日本が採用しなければならない最重要なことは、「ディスクロージャー」と「トランスバランシー」である。前者は「透明性」、後者は「官から民へ」を意味する。

 「日米安保宣言」の重要性にも宮澤は触れた。それが、アジアの平和を維持するからであると。しかし、中露の接近という政治状況に、日本も参加すると明言することによって、中露敵視姿勢をもつ米国を牽制することも忘れてはいなかった。この点において、宮澤と、後の小泉内閣との格差は歴然としたものであった。

 グリーンバーグは、銀行救済の緊急措置のために時間をくれという宮澤の発言を徹底的に無視し、金融改革の約束は守れと迫った。さらに、アジア通貨危機の責任は日本の円安政策にあると検討違いのことをまくし立てた。

 グリーンバーグは、日本が輸出依存型経済から脱却すべきであることをもっとも強く主張した。日本がこのまま輸出依存型経済を続けるのなら、米国は、それに対抗して保護主義に傾くであろうとの脅迫的な言辞を弄した。米国を成長のエンジンとするのではなく、日本が成長のエンジンになるべきである。つまり、日本が世界の輸出を吸収すべきであるとした。

 そして、無茶苦茶な議論を吹きかけた。
 「一九九五年には一米ドルにつき約九〇円だったドル/円レートが一九九七年には約一三〇円に下落したことがアジアの金融危機を引き起こす火種になったのであり、これについて言及いたします」。

 中国元は一九九四年に対ドル・レートを切り下げた。しかし、当時の人民元は兌換性はなく、アジア各国も人民元にリンクしていたわけではなかった。アジアはドルにリンクしていた。そこに日本の大幅な円安があり、これがアジア各国を直撃したというのである。つまり、アジアの通貨危機は日本の円安が引き金になったというのである。

 実際には、一九九五年の円高が異常なことだったのである。これは投機以外のなにものでもなかった。この異常事を正常な基準として捉える強引さ、そして、アジア通貨危機に直撃されて日本円が売られるようになったのである。

 こうした異常事態を無視し、グリーンバーグは、論理の方向を反対に設定した。アジア通貨危機の結果、円安が進行したのに、円安の進行がアジア通貨危機の原因だというのである。

 東南アジアの輸出の三〇%は日本向けである。これを日本が吸収しなくなれば、そうした輸出は米国に向かうであろう。そんなことになれば、米国は歴史的な貿易赤字に苦しむことになる。そうならないためにも、日本は円レートを対ドル一〇〇円程度にまでもっていくべきである。日本は輸入大国になるべきである。消費税も法人税も大幅に減税すべきである。一八%という高貯蓄率も、もっと消費を高めて引き下げられるべきである。そうでなくては、米国で台頭しつつある保護主義が米国を支配することになってしまうであろう。それも短期間で台頭してしまうであろう。そうならないためにも、日本は内需拡大路線を早期に確立すべきである。

 さて肝心の銀行システムの改革について、グリーンバーグは、すぐに荒療治をやれと迫った。

 「われわれとしましては、何年にもまたがるのではなく、米国で大きな成功をおさめましたパターンを真似て進めるように望むものです」。

 つまり、不良債権の早期処分を急げというのである。弱い銀行は一挙に清算してしまえ、整理信託公社を創設し、そこに銀行整理の権限をもたせるべきだというのである。

 そして、過去、日米間で交わした協定を遵守せよと迫る。
 「規制撤廃と市場アクセスは不可欠な問題です。米日両国間で議題上がった問題は、長年日本と取引を交わしてきている私が記憶する限りでも多岐にわたっています。最終的に合意に達した通商協定は、交渉されたままの形で承認され実施されるべきです。問題が起こるたびに協定の再交渉をすべきものではありません。協定を交わした限り、それに従うべきです。これもまた現在進行形の問題です。日本の官僚制度は、この国で取引する米国や他の外国企業にとって難題でした。
 以上述べたようなことが当面の問題です。それらは東南アジアの危機によっていっそう高まりました。また落日を続ける日本の経済ゆえに高まったものでもあるのです。ここでマクロ経済政策に転換があれば日本は一助をはたすことになり、アジアも安定化され、われわれもまた深いな問題の進行をくい止めることができるでしょう」。

 銀行システムが機能麻痺に陥っているので、緊急対策を講じる時間的余裕が欲しいといっている宮澤に対して、約束を即刻履行しろと迫っているのがグリーンバーグ発言である。そして、悪名高いIMFの指令を反省することもなく、グリーンバーグは日本はIMFを全面的に支持せよと迫ったのである。

 諸氏はこの発言を「そうだそうだ」と頷いて受け止められるだろうか。私など、「なんと失礼なことをいけしゃーしゃーというものなのか」と怒りを覚えてしまう。これでは、宗主国が植民地に、暴君が忠実な家臣に命令しているようなものである。逆に日本側が米国にこの種の発言をしたことを想像してみよ。米国の政財界人がどれだけ怒り狂うであろうか。このような失礼な物のいい方に対して、いつの間に日本人は怒らなくなってしまったのだろう。

 「お前の経済政策は根本的に間違っていて、アジア諸国が迷惑している、官僚制度を含めて経済体質を抜本的に改めよ」と一介の財界人が外国の元首相に命令しているのである。